フキノトウお初はフキのフウなりし
初花は首縮こまり土の上
石原のヤナギ萌えたち霞む枝
太る芽に霞む木立の含み笑み
トンボ池の小島の葦刈りをする。面積は一坪程度だが、葦原になっていた土を盛り上げ造成したから、取り除けなかった葦の根茎密度は高いようで、周囲の池より葦の再萌芽が激しい。
刈り取り二回目なのに勢力は衰える気配が無い。刈り跡から数を増やして再萌芽している有様である。
この部分の草本は、生えるがままの種類にしておくつもりなのだが、植え込んだ幼樹を圧倒している背丈の草も刈り込ませてもらった。
成長の早いタラノキは別格としても、他の幼樹は成長がゆっくりな物ばかりだから、小生以外は手入れをしないのは承知しているけれど、支柱を添えた。これは「放任していない」というサインでもある。
カルガモのペアが堤で休んでいたのだが、小生が小島に上がったら同じ距離だけ離れた。逃げ出す心算は無いようで、時折覗くと頭を羽の上にのせ昼寝中だった。泥水地を見回り、食草園の岸の草刈りをしていた時も「お昼寝中」だった。トンボ池の濁りは採餌行為の結果だが、たらふく食べれる餌があったのだろう。
ここ一週間ほど、自宅の近くで聞きなれない綺麗な囀りを聞いている。「鳥の声」のCDにも収録されていないし、外に出て姿を目視することもしなかったから正体不明だった。
たまたま林檎の摘果をしていたら近くで鳴き出したのだ。探したら裏のお宅の玄関の屋根にいた。時折、化粧枠の中に潜るし、どうも巣があるようなのだ。とりあえず撮影して図鑑と照合したら、似た鳥は「イソヒヨドリ」だけだった。
磯の鳥が住宅地のど真ん中に住みついているなど想定外だから、繰り返し照合しても他は適合しない。解説を読んで納得した。最近は住宅地にも生息範囲を広げ、オスは良く鳴くのだと記載されていた。
なるほど、チョウゲンボウやオオタカがビル街に巣作りするのと同じ、と思えば良いのである。それにしても大きくて元気な声だ。早朝だと少々迷惑…。小生、4時に目覚めるからそうでもないような・・・・・。
山も賑やかになって、ホトトギス、サンコウチョウ、カラ類のさえずりに溢れている。
ラッキョウを存分に食べたくなって、二年ぶりにラッキョウを漬け込んだ。水洗いして根と茎を切り取るのと同時進行で、漬け汁も加熱融解しておく。
甘酢漬け3㎏、塩糀漬け1kgの合計4キログラムのラッキョウを漬けられるまでの下処理に要した時間は3時間だ。これが嫌で毎年漬けることをしないのである。両端を切り取った後は薄皮を取り外し水洗いして準備完了。
ラッキョウの塩漬けが本に掲載されていたので、塩が同じ量になる塩糀300gを使って「ラッキョウの塩糀漬け」が今日の試作品である。食べられるまでには1週間ほど要するが、塩漬けラッキョウは発酵食品の美味しさがあるとか…。計算上は必要な塩の分量なのだが、塩糀でどうなるやら。
タケノコを産んで、すっかり竹が黄色くなってしまった。落葉も盛んで、林床はタケノコ掘りで荒れたのが見えないほど落ち葉で覆われてしまっている。
トレイルにもビッシリと積み重なっているが、これは乾いても濡れていても危ない代物なのだ。気を抜くと滑ってしまう。季語では「竹の秋」と言うそうだが、この時期の竹林は光りの透過が良くなって明るい感じになる。
雑木林は、遠めには新緑の錦絵巻に見えるけど、中に入ればうっそうとして段違いだ。でも、明るくなった竹林も梅雨までで、それ以降は藪蚊の襲来に悩まされる恐い暗い林に戻るのだ。
もう、樹林の中では蚊取り線香が不可欠になっている。陽射しの届かないところは、身の周りに蚊柱が立つようになったから。
未曾有の大臣砕、でなくて大人災で気になっていた数値を出してみた。原発の設置数で「何番目」なんてのは関心がないが、報道のように日本は3番目の「原発大国」だ。
アメリカの104基からスペインの6基まで13カ国の国土面積と人口を原発数で割ってみた結果が知りたかったのだ。それがどういう意味や価値を持つかなんて関係は無く、ただ「知りたかった」それだけなのである。
A 原発一基当たりの国土面積の小さい順は
1位 韓国 0.5(万k㎡)
2位 日本 0.7(大体、岡山県、高知県の面積に匹敵)
3位 仏蘭西 0.93(Bでは12位で、数値は日本の半分以下)
B 原発一基当たりの人口(万人)…建設中・計画数の合計は、韓国8基で日本は15基だ。
9位 韓国 243.7
10位 日本 236.2(名古屋市、大阪市に相当。東京23区なら3.5基分相当)
11位 カナダ 187.4
「閑中閑あり」で、朝食前に電卓を使った。久しぶりだが脳の活性化にはならず、今になって眠い。
日を置かずにフイールドを散歩しているA氏が原を横切ってやってきた。いつもの長話が始まって「野荒し・山荒し」の話題が佳境の頃、ふと視線を投じた先に「ああ、やっぱり!」と思った景色があった。
駐車場の近くだし、トレイル脇だから「いつか?、いつか?」と恐れていた事態が来ていた。食草園内のタラの頭部が折り盗られてしまっている。実生苗を移植して四年目の一本だけのタラノキである。一帯は環境学習用に整備・構成中の谷地だが、ようやく整って、景観も落ち着いた矢先だ。
身の丈を越えているから「いつかは」と覚悟もあったが、「まさか」と言う思いもあったものの「やっぱり!」の結末だった。配置したフキなどは真っ先に収穫されていったのだが、一本だけしかないタラノキは別格だ。折り取る山荒氏は一本の芽でほくそ笑んでいることだろうが、失わせた価値の大きさなど知る由も無い。
県当局からは設置にブレーキを掛けられているが、お叱り覚悟で看板を出すことにした。たかだか芽一本のことだが「やってらんない!」気分になる。今年は開花して昆虫が集まり、結実して鳥の餌になる、と期待していたのだ。まあ、期待はずれは毎度の事だけど・・・なあ。
トンボ池への流路に送水している落とし口は塩ビ管が足りなくて、廃棄物の雨樋を継ぎ足しておいた。しかし露出面が長く、これでは悪戯で破損されかねないから45度の継手とパイプ1mを購入して地中に埋設した。2メートルの塩ビ管なら十分足りたのだが、切り捨てる部分が出るから、長さは不足でも妥協の産物だ。
それだから、雨樋も50cmほど使用しなければならなかった訳だけど、見た目には随分とよくなった。どちらも水面に落ちる水音は変わらない。水音で寄って来る人は押しなべて「水音って良いねえ」と言ってくる。街中では「騒音公害」なんて言われかねないが、山野の中では心が寛げる連続音だ。
それで思い出したのは水中で聞いた泡の破裂音である。少年期、魚野川で魚獲りに興じていた頃、潜水中に聞く高いパチパチと言う音は、ことのほか美しかった。この音を聴きたくて頭を水中に没して息を止めていた事もあったくらいだったが、今は昔…だ。
陽射しが強くなって、野遊びグループが集まるところは日陰の場所に移っている。
今日は、真竹林の影で「朝の会」をやって、昼食は真竹林内の小スペースで取っていた。間引きもして、切り残しが無いように、全て地際で再切断した場所だから、足元が危ない場所ではなくなった。
午前は、三日月池の周回路で笹の枝を持ち、櫂に見立てて遊び、林内に入っていった。食事の後は、泥水地に立ち寄り、実り始めた桑の実を採ったりと、子ども達より大人の方が楽しんでいる風でもあった。小生は刈り払い作業とクワの実を摘まんでお仕舞い。
ここは子ども達が、コンパクトに楽しめる多様な環境を持つフィールドになってきたが、もっと小さい生物の生活と繁殖に役立っている様な現実の方が嬉しい。経年変化を比較する資料は無いが、体験的に蝶やトンボの種類や個体数が多くなったのは感じる。逆に有用植物は激減したが…。
デザートの心算で、帰宅前にバライチゴを摘んだ。久しぶりにハイカラな気分で。
容器がいっぱいになったから、摘むのをやめたが、これをミルクと「あれ」でババロア風にして、お召し上がりする算段をしていたのだった。
途中の広場で「山遊びの」グループが昼食を取っていて、スタッフは顔見知りだし、甘く大きいハウス栽培の有名品イチゴしか食したことはないだろうと思い「食べる?」と運転席から見せたら飛びついてきた。
小生的には、子ども達に食べて欲しかったのだが、ママさんやスタッフの歓声だけで、子ども達の反応は「今ひとつ」パッとしなかったのだ。で、傷心の帰宅で「三時のババロア」は夢と消え、おやつはチンしたサツマイモと薄めた自家製の甘酒にとって替わったのだった。