トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

初捕獲

2011-05-20 | 小父のお隣さん

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 オオスズメバチ捕獲のトラップを回収した。半月で、やっとこの数だ。昨秋は蜂の当たり年だったのに、今期の捕獲数は何故か伸びない。冬が厳しかったのか、長かったのか、それくらいしか思い浮かばない。

 例年だと、5月一ヶ月で100匹は捕獲するし、それが目標値なのだが、今の所オオスズメバチは14匹でしかない。残りはコガタスズメバチ13匹、ホソアシナガバチ?1匹だけだ。

 回収して洗浄しているところに、山遊びを運営しているリーダー達が下見来た。蜂を見せたら大騒ぎで写真を撮ったり、軍手を装着して手に乗せたりと、ひとしきり拠点は華やかだった。見本にと、オオスズメバチ、コガタスズメバチ一匹づつ持たせた。

 今日、参加する子ども達に見せてくれるだろう。でも、まだオオスズメバチの凄さを理解できる年齢ではないけど…。細部まで仔細に観察すると、攻撃・防御能力に優れた素晴らしい構造なのだ。その機能性には惚れ惚れする。


花卉の刈り出し

2011-05-20 | 今日は真面目に

Photo  斜面に植栽してあるシモツケ、つばき、ムクゲなどを刈り出した。この作業が終わってから刈り払い機を使う。

 最初から刈り払い機を使用すれば半分の時間で済むのだけれど、幹の近くまで除草しようとすると、刈り払い機では樹を痛める事が多くなる。

 とりあえず必要な花卉の周りは手鎌で刈り終えた。陽射しが強かったが、風が涼やかだったから、意外と楽に感じた。そうでなければ、汗ビッショリで息も絶え絶えの一日になったはずである。

 下の原では、三歳未満児のグループが野遊びに入っている。若いママ達もクローバの絨毯の上で、子どもにもさせようと寝返っていたが、子ども達は及び腰、クローバは鎮圧されてペッタンコになっていた。


巣作りの始終

2011-05-19 | 小父のお隣さん

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 1と2は同じ巣を角度を変えたもの。3,4,5は別の巣の角度を変えた画像。6は自宅生垣、同じ日に撮影したもので、それぞれ巣作りの段階が異なる。

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 1の巣も蛹室は少ないが産卵してあった。1と3はシモツケの株の中に作ったもの。6はナワシログミの枝の中だ。どれも通路脇だし、シモツケのものは、今後の草刈りにも影響するから、完成したら標本として採集する。


卵殻を食べている!

2011-05-19 | 小父のお隣さん

Photo_10  いつもどおり早朝に目覚める。珍しく庭に出て、しゃがんで草取りなどをしていたら、裏手の奥さんが古紙回収日で古紙を運んで通りすぎた。

 何か気配を感じたのだろう、振り返ってこちらに視線を向けた。小生は植え込みの影だったから、向こうは黒い影としか見えなかったと思う、帰りは遠回りされた。

 それはともかく、ジャコウアゲハの幼虫が卵殻を食べていた。「やはり!」である。朝食を食べ、出かけるときにはもう食べつくしていた。他の葉裏を探したら卵が合計6個見つかった。この株は遠からず食べつくされて、飢死するのが確定したようなもんだが…、運命というべきか。


花の絨毯

2011-05-19 | 感じるままの回り道

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 春と初夏、二回は花の絨毯の上を走る。春はいわずと知れた桜の花びらだけど、今は藤の花である。朝はまだ車が通過しないから、わだちも花びらで埋まる。帰宅する頃は、わだちが見えているが、それでも得をしたような感じがする。

 野生の藤は、立ち木を枯らしてしまうので森づくり関係者には嫌われ物でもあるが、花の時期は見事だ。アクセス道上に花を散らすこの藤も大きいのだが、駐車場の崖の上にある藤は更に大きい。谷の斜面から生えているのだが径は優に50cmは有るだろう。

 根を何本か張っていて、そのうちの2本は切断したのだけど、太い一本はロープで降下しないと処理できない。「何時かは」と思って、ツリークライミングの講習も受け道具もそろえてあるが、谷の降下はまだである。だから立派な花を毎年咲かす。


棚田の畦草刈り

2011-05-19 | 水辺環境の保全

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 棚田の畦草刈りを行う。田の中は既に会友のO氏が代掻きまで行ってくれた。今年は作付けする心算は無いが、水泥地として維持していく。カルガモのペアが先着していて、採餌行動で濁っていた。数メートルの距離で逃げることは無いのだが、さすがに刈払機で刈り払いながら接近したら飛び立ってしまった。

 田の中は手入れが済んだが、畦の修復はこれからである。頭上十数メートルにあるコナラの枝から落ちてくる水滴の浸食は無視できないものがある。一年も経つと畦は結構痩せてしまうのだ。そのため二本を除伐したいと考えているが、急斜面なので伸び伸びにしている除伐だ。

 田の中にはコナギの発芽が見られた。幼葉は数ミリほどになって散見できる。先日造成した泥水地に移植する予定の水草だ。花の時期には田を埋め尽くすだろう。


草むらの宝石

2011-05-18 | 小父のお隣さん

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 汗ビッショリで幼樹の刈り出しを行っていた鎌の先に真っ赤な色が現れた。「一休みだ!」と手を止めて、まだ僅かばかりしか実っていない実をつまんだのだ。

 水筒は腰にあるけれど、生の果実は別格で美味しい。この苺は美味しいけれど数が無い。ひとつ、又一つと拾い食いする程度だから、その意味では「宝石」並みに貴重品である。クワの実も赤くなってきた樹もあるけれど、食べるためには紫色になるまで待たねばならない。あと10日か2週間程度かかるだろう。

 それまで、作業の合間の精力剤?はバライチゴの赤い実だ。


二本橋!?

2011-05-18 | 今日は真面目に

Photo_9  流路を矯正した丸太は一本づつだったが、渡るに不安定で、結局、伐りだして二本並びにした。

 両端に杭も打ち固定もしたから、渡っても不安定さは無くなった。ここは通路として使う部分ではないが、観察や手入れに使えるし、水に入らなくて済む。

 年少の子ども達にとっては、堤の平坦地と比較すると、多少は勇気が必要で冒険心を満たす設えになり魅力が増すが、環境維持の立場としては、大人や子どもに限らず多くが寄りついては欲しくないのだ。

 何よりも環境負荷が増加するし、荒れる速度が速くなる。月に一回でも狭い水辺に30~40人も立ち入ると、これは自然の回復力を超えてしまう。先日も、一行が来襲し、一部の子だがビニール袋に上陸するやしないやのヒキガエルの子をいれて持ち帰ろうとしていた。昭和の時代ならともかく、生息数も環境も貧弱になった現在、捕獲をしてもリリースするのが礼儀というものであろう。これは大人が教えなければならないことでもある。

 ボヤキは別にして、作業は三枚の泥水地の中に竹を数本づつ打ち立てて終了する。これはトンボのお休み処なのだが、早い話、写真を撮りやすくする仕掛けでもある。まあ、実態は小生も自分本位の日々なのである。


ジャコウアゲハの孵化

2011-05-18 | 小父のお隣さん

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 毎年、芽生えてくる庭のウマノスズクサに今年もジャコウアゲハが産卵した。今朝覗いたら、既に孵化していて卵の殻は食べたのだろうか、半分は無くなっている。葉にはまだ食痕が見えないから、きっと新生児の初乳のような役割りを卵殻がはたしているのだろうと推測した。

 少年時代、実家で農耕牛やヤギの出産を間近で見ていたが、後産の胎盤を親牛やヤギが食べるのを見て驚いた記憶がある。後年、これは捕食動物を避けたり、母体の回復に動物性蛋白質を補給する意味がある事を知ったが、無駄が無いものだ。

 ジャコウアゲハの卵は1mmほどで、幼虫は2mmほどに見える。この大きさの口では葉の厚みにかぶりつくのも大変だろうと、変な同情心が湧いた。幼虫は一晩経っても全く移動せず、同じ位置にいる。


また会う日まで

2011-05-17 | 感じるままの回り道

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 いよいよヒキガエルの子供達が池から離れていく。水際に群れているのは僅かな数になってきた。地面に展開したベビー達を見るともなく見ていると、パラパラ漫画をゆっくり見ているようなパラッ、パラッと言う感じで黒い点が動いていく。結構、新鮮な情景だ。

 陸に上がってしまえば、独り立ちならぬ一匹立ちしなければならない宿命を背負った種であるけれど、その分を水中時代には密集した群れで生活していた事で「プラス・マイナスかなあ」と思った旅立ちの遭遇だった。

 そう思うと、まだ水際で「おしくらまんじゅう」している一団も、名残りを惜しんでいるように見えてくる。それはそうだろう、数年後に戻って子孫を残せるのは数匹かもしれない弱肉強食、生存競争の真っ只中に飛び込むのだから。

しかし、人間からみれば四苦八苦とでもいえる過酷な前途で、喰うか食われるかの世界でも、そこには憎しみも哀しみも無い、ただ生きるために互いが喰らう、命のやり取りだけなのだろう。そして互いが命をつなげて行く。この幼くて小さい身体に、それを背負っているかと思うと凄いなあと思うのだ。


余す事無く

2011-05-17 | 水辺環境の保全

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 越境行為になるから勢力範囲のボランティア代表の了解を取って、浸食溝に土嚢を積ませてもらった。ここは丸太ダムを作った棚田跡と同じ面なのだが、従前からボランティア代表が手入れしている水溜まりから漏水して、僅かな水が来る場所だ。

 丸太ダムを作った時、ここへの流下を閉じて、ダムへ小溝を通し流していたのだが、危機管理と言うと大袈裟になるけれど、小分けした水辺を配置した方が良い様に思えて、復活させることにしたのだ。

 腰の辺りまで伸びた草を刈り露出させてから下手に土嚢を積んだ。水辺に寄り易いように周囲を一段掘り下げて散策路モドキに仕上げてお仕舞い。注ぐ水量が細いから満杯になるかどうかは心もとないけれど、数センチでも貯水できれば万歳である。


**天上天下利権独尊  合コン編

2011-05-16 | 大震災

 いまだ気休め 方便ばかり

    情報公開 希望案 ハア コラコラ              駒子姐さん

 下請け作業は 奴隷と同じ

    万策無しの 精一杯 ハア コリャコリャ           作業員

 炉はたぎり命焼く線地に撒いて血税ガブ呑み毒出し放題 頓電災社落

 胸たぎり肝も焼きつく扱いも役割りなれば今日も建屋に  怒例

 放射線ことが起きれば独り勝ち                 断郷

 原子力明るい未来影も視ぬ                   無尽憎

 そもそもが無頼なるのに鈴が付く?                お伽花師

 血税ジャブジャブ  おこぼれウハウハ

   水をガブガブ  毒をドクドク                   連苦の会


林檎の摘果

2011-05-16 | 今日は真面目に

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 解説書によると「ピンポン玉大」が適期らしいのだが、時間が余ったから手の届くところだけ摘果した。形も大きさも様々だ。スイカの摘果は細長い実を残すのだそうだが、今日はは中心果だ。

 新葉が展開し、木を透かして向こうを見れなくなってきた。ここは造成の硬く浅い土壌で、肥料もやらないのに毎年実を付ける。葉が育ったばかりだというのに、もうアブラムシが進出していて、枝の先端の若葉は縮まってきた。近日中に薬剤散布をしないと葉が枯れ落ちるまでになる。

 だだ、林檎の下にある、サンショウやウマノスズクサにはアゲハが産卵して幼虫も見えるので、ストレートに薬剤散布は出来なくなった。

 サンショウはおっつけ丸裸になるのだろうが、アブラムシには樹液を吸わせない、アゲハには丸坊主になるほど食害させる、これは「差別」なのだろうなあ…。志村けん風に言えば「はい、そうです。私は差別おじさんです。」なんちゃって!。


流路を作る

2011-05-16 | 水辺環境の保全

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 二枚目の泥水地は、ヒタヒタの浅い部分が水の通過が悪く、酸素不足の様子も見られたので流路を明確にして、全体に新鮮水と酸素が行き渡るように丸太を入れ矯正した。屈曲した水路になったが、水の流れが明確になり、早速アカハライモリ二匹が一枚目の泥水地へ遡上していった。

 丸太は林内の倒木から伐り取って来たのだが、腐食が進んでいて良い材でもなかった。それでも水に浸かる状態になるから5年程度は大丈夫だろう。それまでに思案の余地はある。

 止水状態だった部分に水が流れるようになって、水藻ならぬ水に没した草の根などが揺らぐ様をみていると、ホオジロの鳴き声に気付いた。そういえば朝から鳴いていたのだ。「一筆啓上仕り候」と「ききなし」するけど、オスからの恋文ではなあ…。


モリアオガエルの産卵

2011-05-15 | 小父のお隣さん

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 モリアオガエルが産卵した。五月の後半だろうと思っていたのだが、例年通りの時期だったのか、記憶なんて曖昧なものだ。

 卵は泡の中だけれど、孵化して水中に落ちるのは今月後半だ。それで思い至ったのは、ヒキガエルとモリアオガエルは、オタマジャクシの時代も住み分けしているのだと言う事である。ヒキガエルのオタマジャクシが水から姿を消した頃に、モリアオガエルのオタマジャクシが現れる。

 水辺で大人気だったヒキガエルのオタマジャクシは、もうカエルの姿になっていて、大半が上陸した。岸にいる子カエルも、近づくと水の中に戻るが、一人前に泳ぐのだ。当たり前か…。