トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

師走のニホンアカガエル

2019-12-07 | 小父のお隣さん
 6日、二つ池の沈泥分水部の泥浚いをしつつ現場の写真を撮ったおり、足元に動く気配があった。ネザサや冬イチゴのヤナギ林の縁である。頭部だけ見えたのだがニホンアカガエルとすぐに判明した。身体を動かしていれば頭部の回路も繋がっているようである。
 この日は曇りで気温も低く「なんで冬眠に入っていないのか?」とつぶやいたところで答えるはずも無く、クリクリした目玉は澄み切っている。カエルやヘビ、トカゲなど気味が悪いと思う人は多いのかどうか知らないけれど、目玉の美しさはいつ出会っても感じる。腹部が大きくないからオスだと勝手に思っているけれど、オスだって来春の産卵期には大事な役割がある。早く冬眠に入ってほしいと思う小生だった。林床には蜘蛛など動いているけれど食料になる生物は激減しているはずで、用もない寒空の下で無駄なエネルギーを消費せんで欲しいのが本音。

赤い実、青い実

2019-12-07 | 感じるままの回り道
 林内にセンリョウの赤い実が目立つようになったが、もうすぐ一斉に姿を消すだろう。目につく枝葉をことごとく持ち去られてしまうのが師走のお約束なのだった。家に飾る程度なら2~3本で間に合うのだから、恐らく生業にしている輩か小遣い稼ぎの仕業なのだと思うけれど姿を見かけたことは全くない。朝の早い時間か夕刻を狙っての仕業だろうが、ここにも「総盗り・絶滅の法則」が当てはまる。
 センリョウが生える林床にも赤い実が見えるがこれは冬イチゴで日当たり良好な場所ほど多い。今回、センリョウの脇に紫色の小粒の実をつけた樹を発見した。高さは7尺はあろうか。泥水地付近の同種は背丈は4尺程度で立ち姿も異なるからムラサキシキブとオオムラサキシキブの違いなのかどうか、小生には判別がつかない。

 童謡に「赤い実を食べた」「青い実をたべた」なんで歌詞があるが、どの木の実を指して作詞したのだろうか。フイールドに来るおチビちゃんたちは「あかいみ、あかいみ」と桑の実もクサイチゴも冬イチゴも一緒くただし、まあ、どうでもいい事ではあった。ちなみに小生は赤いちゃんちゃんこ・・・着てない。

                  

棚田部の補修

2019-12-06 | 水辺環境の保全
 伐採し用材の調達もせねばとチェーンソーの整備も済ましたものの最低気温が3℃台となる日が出てきては初霜も初氷も目前になって焦った。「凍結前にイノシシに崩された堤の補修を済ませたい」と林床のネザサ刈りもしなくてはと思いつつも棚田部へ向かう。
 道具は長柄のジョレンと剣先スコップのみで、ゴム引き手袋の冷たい事、冷たい事。指先がなかなか温まらず保温手袋が欲しい季節になってしまった。水域で荒れが、というより「荒らされ」が目立つのは肝心かなめの場所が多く、どうでもよい場所はなぜか荒らさない。手をかけて維持している場所が集中的に被害に遭って、耕地とか畑とかの感覚で荒らすのだろうか。この頃は怒り心頭にもならず「壊されたら補修する」と、いわば機械的になった。そうでもなければやりようのないストレスの波打ち際になる。

 長柄のジョレンを利用するようになってからは水の中へ立ちこんでの作業は減って立ち位置を変えず作業を続けることが出来るから負担も減ったものの、ジョレンを投げ引き寄せ盛るの一連の動作は右肩の三角筋が痛い。もう二冬目になったン十肩である。時折は持ち手を変更し負担軽減を図るけれど作業能率は落ちる。整形外科に受診して「痛み止めを出します」なんて処方は何だと思ってしまう現実だ。痛みの元を取り除くのが国家資格者の仕事だと思うものの、小生が繰り返し繰り返し泥を盛っているのと大差はないわい。崩れたから塗りなおしましょう・・・崩したのは猪様だー。元を絶たなきゃダメ!。
 ホント、二度童が三途の河原で泥積みしている構図で、鬼ならぬ猪様が崩しに来る。

 毎度の愚痴であるが先日、グチを頂いて煮付けて食べてみた。いやはや小骨の多い事、多い事。美味しかったものの買う気にはならない魚だった。閑話休題。
 泥浚いし一応の補修は成った。ついでにオーバーフロー部の水抜けを止め湛水量が増えるようにし、分水池の泥浚いも行う。周囲の法面を猪が掘りまくるのでどうしても沈泥部が埋まりやすい。ため息も出ぬ。この分水池で多少でも沈泥させておかないと泥水池の埋まりが早まる。ここで手を抜けば別の場所へ拡散沈泥し、さらなる手を掛けねばならなくなる道理だ。

 ➡        ➡ 

            堰の両端から漏水 ➡  粘土を押し込み補修終わる

 分水部の浚渫。長柄のジョレンで楽だった。


ユスリカの発生槽を設置

2019-12-05 | 何よりの楽しみ
 まあ、ユスリカだけでなくヤブカの発生も助ける設えには違いないけれどトンボや小鳥の餌になってくれるであろうと設置してみた。
 拠点、道具小屋の屋根から落ちる雨水を3つのタンクで溜めているが雨量が多ければ竪樋から落ちる水の勢いで中の生物は撹拌され流れに乗って溢れ出し流されてしまう。だから貴重なトワダオオカの幼虫もしっかりと降雨があった後にタンク内から消えてしまう。

 この現実を避けるために従来の受水槽の脇に独立したタンクを並べた。降雨での雨水は入るけれど雨樋からの水は入らないので溢れすぎる心配もないし、蒸発し減水すれば隣りのタンクから補給できる。発生するのはまずボーフラに間違いないだろうがユスリカはどうなるか未知数である。
 S先生曰く、「葛葉を乾燥させ投入すると栄養状態が改善され発生量が多くなる」との事だった。既に養分充満している葉の時期は過ぎ枯葉ばかりになったけれど拾い集め、合わせて種子の部分も莢ごともぎ取り投入しておいた。これで来季の発生期までに分解し沈殿しているだろう。

 小生らにとってはヤブカの発生はありがたくは無いけれど「助かる」生物もいるのであるから現実的な「防虫・駆除」なんて事だけで環境を整えられない。蚊の駆除より環境被害が多大な猪様の駆除に本腰を入れ根絶してほしいのが本心である。もともとこの地域にイノシシは生息しておらず放獣の結果なのだ。

  水温安定と安全のため据え穴を掘る   ➡   縁の水平を出して湛水。葛葉も投入

ヘキサ・スフェリコンの製作 7 「迷宮からの脱出」

2019-12-04 | 今日は真面目に
 連日の降雨で工作するしか術がない。しかしながら木工工作を室内で行えば二階の布団の中まで粉塵木屑が入り込む羽目になる。しかし工作は行いたい・・・と「生きるべきか死すべきか」に勝るとも劣らない大命題を解決するために軒下の縁台に雨除けのシートを垂らした。これで濡れなくても済むが11月末の雨風の日は寒い寒い。一難去ってまた一難の厳しい人生の象徴だ。出る杭は打たれる、垂らす幕も打たれている。
 全くの偶然で余談なのだが、ハムレットの台詞「生きるべきか死すべきか」と同じ意味の問いが禅問答にあった。それは「生死不識の時如何」と言うので楠公の問いなのだそうな。「だからどうした」と言われれば沈黙のみで続きは無い。はい、閑話休題…。

 ゴミ袋から拾い出した古木秋田杉の端材を再利用するために中心軸穴のゆがみをそのまま使うしかなく、穴に割りばしを突っ込み再度コンパスで円を描く。これに沿いながら切り出しで余分を割り落とし、最後はサンダーで修正した。円筒径は小さくなるが捨てずに済んで雨の一日を震えながらでも退屈はせずに過ごせるというものだ。
 旋盤加工も10個以上続けたから慣れたものだけれど刳り抜き用の切削工具が無いから仕上げが汚い。ここは目を瞑るしかなくサンドペーパーで誤魔化した。まあ、これも匠の巧みな技であろう。

 杉材とは言え古い秋田杉、灯篭だったのを戴いて工作材として割った一部なのだが数十年も経過している材だから杉とは思えない色合いだ。木目も詰まっているし言われても杉材とは思えない印象がある。
 それはともかく勝手知ったる加工の手順、迷うことなく加工は進んで2体のヘキサ・スフェリコンが完成した。接着も肉厚多めにして「基盤無し円筒型ヘキサ・スフェリコン」となった。えごま油でオイルフェニッシュしたら濃いチョコレート色になり一段と古色蒼然とみえる。銘品らしいニヤリとしたくなる出来栄えになった。これでようやくヘキサ・スフェリコンの呪いから解放された。明日からは雨も上がり寒くなるけれどフイールドに行ける。

           秋田杉古材、割れもある     秋田杉古材とヒノキ材の完成品

チェーンソーの整備

2019-12-03 | 今日は真面目に
 イベント用の木製玩具、予定していた範囲まで到達していなくてもフイールドの作業もある。威野志士様に蹂躙され崩壊寸前の堤や畔に浚渫土を盛り凍結前に補修もしたいけれど護岸木も調達したい。あれもこれもと右往左往したところで進展があるはずも無く、ここは弁声粛々とやるしかないのだ。

 作業の選択を迷ったものの玩具の材が必要で拠点まで上がったついでにチェーンソーの整備をした。普段の使用時その都度、清掃と研磨・給油と行えば良い事は承知でもなかなか手が出ない。故に3台のチェーンソーを次々と取り換えて使い、いよいよ切れ味が鈍れば刃研ぎをしてで終わり、分解清掃は時々でしかない。

 それでも清掃しなければブレーキ周りや潤滑油の供給路に木屑がオイルに絡められて溜まる。ほどほどに清掃しないと発煙してしまうことにもなりかねない。ブレーキが効かなければ発煙の比どころではない。3台を道具小屋のテラスに並べ分解清掃したのだが、屋根を作りテラスに厚いべニア板を敷き詰めた結果、使い勝手が格段に良い。ほとんど小生の専用エリアみたいな使い勝手なのだが、他の会員は使う事もないからそうなってしまった。

 分解しエアーで付着物を吹き飛ばす前にブラシとドライバーでおおよその清掃をする。最初からエアーでは非力である。それだけ付着物をため込んでしまったというべきだろう。取り付けはぼろ布で拭ってから張り具合を見ながら組み立てて終わり。
 刃研ぎも行えばよかったけれど玩具用の材を調達したから心は帰宅モードだ。里心でも親心でもない浮気心であった。チェーンスモーカーなんて言葉があって「この人は該当するのだろう…」と思われる知人が2人ほどいるけれど、小生も少しばかりは類に近いか。そう、チェーン創・・・。

生姜糖を作る

2019-12-02 | 何よりの楽しみ
 手元に残した大生姜2㎏を使って生姜糖を作った。今季の収穫は6㎏ほどだったが、「欲しい」と乞われて自分で使う分を残してお裾分けした。まあ、仲間内ではこんなものなのである。
 拠点の坪畑は連作障害で種生姜の重さも取れなくなって玄関前で栽培したのだ。そこそこ出来るのが分かったから冬の間に土を入れ替えて次の栽培に備えるつもり。

 さて、雨の日が続いて「生姜糖を作らねば・・・」とホームセンターまで開店を待って出かける。欲しかったのはスライサーで、厚みを調節できる品があったのだ。前に見ていたけれど値段が表示されていず買わなかったのだった。無駄な抵抗だと判っていても躊躇がある。
 包丁で済むスライスであることは十分承知で、今までは包丁で済ましていた。ところが一昨年のスライスで生姜だけでなく小指の先まで刃を入れてしまったのだった。「痛い!」と感じる間もなく「ゾワゾワー」と刃が入っていく感じをいまだに忘れない。時間にしては一瞬のはずだが、包丁の刃が入っていく過程が認識できたスローな時間旅行だった。
 当然、包帯でぐるぐる巻きし、救急へ行ったのだったが外科の先生はおらず内科の研修医だった。「つかない可能性もありますけど」なんて言われても縫合をしてもらうしかなかったのだった。まあ、幸いにも皮一枚だけでも残っただけ良かったようだ。

 それに懲りてスライサーを使うことにしたのだが3千円余、で出費があっても指を詰めるよりはマシというものである。使ってみれば苦労いらずで早い事早い事、薄皮の清掃時間ほどもかからなかった。

 しんなりし嵩減りするまで鍋二つを使い蒸す事15分、そのあと保温調理鍋で2時間保温してから砂糖液で煮詰めた。使った砂糖はテンサイ糖とキビ糖で白砂糖は使わなかった。テンサイ糖はオリゴ糖とミネラル、キビ糖にはミネラル分を求めたのだ。夕食を早めに済まし煮詰める事2時間あまり、この間はガス台前に立ちっぱなしでおこげ防止だ。蒸した後、天日干しをすると有効成分が強力になるとかいわれているから「右倣え」なのだが、実感はかって一度もないし天候不順で諦める。

 煮詰めたあと、金網にひとつひとつ並べ天日干しをしたかったのだが生憎数日晴天が望めない。浴室乾燥機で水分を飛ばそうと思ったものの、浴室内にいるだろうカビの付着が気になって扇風機で3昼夜風に当てた。天候が回復すれば二日ほど天日干ししてから保存したい。白砂糖ではないから濡れている時はレバーか砂肝風の色合いで見た目のご馳走感は無い。所詮自己消費なので見栄も無く実用性オンリーである。
 作った生姜糖は日々の山行きの魔法瓶に入れて暖かい飲み物として携行する。寒い時期は生姜糖を入れた生姜湯が身の丈に合うのだった。

 ➡  風乾3昼夜 ➡  天日干し ➡  切干芋風

 天日干し2日はならなかった快晴になった日に5時間ほど干した。完成重量を量ると1.1㎏しかない。思わず「なんでこうなるの!?」とつぶやいてしまった。生姜2㎏は乾燥させ水分が抜けたから軽くなるのは理解できても加えた砂糖は1.2㎏だったはずで、砂糖の重さより軽くなった出来上がりは「?」でしかない。もうミステリーで宮部みゆきの世界になった。

今日のトンボ「師走のトンボ」

2019-12-01 | 小父のお隣さん
 12月に入った。トンボの季節もあと一週間程度がお定まり。11月後半に最低気温3℃を記録し奥山も白くなった日もあったものの今日の最低気温は6℃前後で最高気温は20℃程度の予想である。
 雨続きで5日ぶりになる久々の見回りは小春日和とでも言うべきか日差しが暖かく気持ちが良かった。12月に入ったとはいえまだトンボ池周辺にはマユタテアカネとオオアオイトトンボが見られると思い足を向けた。陽だまりにだけ休んでいて近づくと飛び立つけれどこちらが静止すればほどなく舞い立った近くに降りてくる。
 几帳面のトンボは飛び立った元の場所に戻るのもいるが、それはおおむね暖かい時期の事で、この頃は「出来るだけ至近に」という意思が感じられる。エネルギー消耗を防ぎたいのだろう。

 トンボ池の畔に数えると7匹いてオオアオイトトンボは1匹だけだった。小生のトンボの最終観察日は12月8日頃と見ているのだけれど昨年は確か12月の28日まで飛翔していたはずだ。こんなことは異常である。
 今期のトンボの季節もあと一週間ほどで幕が下りる。残った十指に満たないトンボはいつまで姿を見せてくれるのか、これからは「いる?いない?いる?いない?」と思いつつの水見回りになる。
 なんか、マーガレットの花びらを一枚づつ外している心持で少しばかり少年期に戻った。まあ、正真正銘の「二度童」だもの。

                   

ヘキサ・スフェリコンの製作 6 「迷宮に入り込んだ」

2019-12-01 | 今日は真面目に
 ダラダラとズルズルと終わらせるべき作業が終わらない。次々と!が出る。こうなると自分でも手の施しようが無く静めるためには渦中に飛び込まざるを得ない。火中ではないし「肛門の切れ痔、前立腺の肥大」でもないから「じょんのびー」である。忌々しきは己の性格なのだった。まあ「業に入れば業に従え」と言うではないか。

 今回、開けてしまった迷宮の扉は重量を減らすために円筒仕立てのヘキサ・スフェリコンだ。既に正六角形の基盤を挟んで解決済みのタイプだったものの「基盤を挟まず解決する」見立てが浮かんでしまった。こうなると妄想の世界に留まれなくなり現実世界で直面するしかないのだ。
 見立てた解決法は「円筒の肉厚を増す」及び「接着時に位置が整う仕掛けをする」の2点だ。どちらも手間暇を喰う事ではないが円筒形を削り出すのが手間仕事になる。

 自宅の材は品切れなので小雨の中、拠点の道具小屋まで材を調達に出かけた。ヒノキの柱から3個分の長さを切り角を落とし秋田杉の古材から2個分を切り出した。これは厚さ40mmほどしかなく、せいぜい60φの円筒を削り出すにぎりぎりの寸法だった。
 それなのに自宅で製図し中心に心金用の穴を開けたら表裏の中心に通らず偏ってしまった。板の平行が無かったためなのだが思ったより傾きが出てしまい削りだすと円筒は50φ程度になりそうで、これでは作る意味も無く廃棄である。試作数に不自由はしないものの秋田杉の古色蒼然とした色合いで作れないのが惜しい。こういう心持だとおっつけゴミ袋から拾い出し小さいサイズで作り出すことになるのだろうと薄々感じながらの廃棄だった。

 円筒を削り出す手順は同じだが肉厚を5mm程度増やした。これでも接着面積は増えるし強度も上がるだろう。精度に影響するのが接着固定で、それを容易にするため治具を作れば良いのだが量産する訳でも無く、今回は板を両側から切断面と同等の平面に固定して相方を乗せた。これで接着すれば双方とも同一平面上で接合される事になる。
 やってみて判ったのは側板を付けない時より位置決めも接着も格段に楽になったと言うことである。クランプで側板を挟んだ下側の相方は安定しているから位置決めも楽だった。双方の角を合わせるのも苦労が無く、あとはクランプで双方を軽く押さえるだけで良い。

 さて首尾は如何に? 角合わせが正確に出来る事もあった結果と思われるが、このタイプも良く転がる。「良く転がる」と言ってもヘキサ・スフェリコンの動きはエネルギーを過度に消耗する運動なので急激な方向転換は3回程度でしか転がらないけれど、傾斜角数度程度の斜面を与えれば動きの面白さは持続するはずだ。その手間だけがスフェリコンやオロイドとは異なるだろう。
 これで納得の顛末になったものの、まだ雨は降り止まない。捨ててしまった秋田杉の端材に目が行っている。危ない兆候である。

 支持板固定 ➡   角合わせ ➡  双方を固定