まあ、普段と異なるルーティンだと失敗する見本みたいな結果で久しぶりの火傷である。若い頃、工場でアセチレンガス溶接をしていた時に後方から名前を呼ばれた。思わず左後方を振り向いたら右手で握っていた溶接トーチの炎が左手に向いてしまい甲を一瞬だったが焙ってしまった。この時は水泡までにはならず事なきを得たのだが皮手袋を装着していなかったのが誤り。
今回の火傷はお節介によるもので通常の自分の作業環境下では発生しないミスなのだった。その日、いつも通りに作業を終え帰るだけになったのだが、たまたま連休でボーイスカウトの連泊活動だったのだ。駐車場にはサポートの保護者達が居て、その中の二人がマキ割りをしていた。それも竹割鉈を使い鉈の背をハンマーでたたいているという荒業だったのだ。容易に割れる訳もなく見かねてねじり楔を貸した。容易に割れるので感激し、その場でスマホで注文する始末だった。
それはともかく割り方がスムーズだったから割る長さの材が不足した。今度はチェーンソーを出してきて寸切りを始めたのだが煙を出すばかりで切れない。これも見かねて刃研ぎのためお節介を申し出たのが運の尽き。
帰宅直前だったから既に暑いアームカバーは外して半袖だった。刃物を扱うから一応は皮手袋を装着して台の上で即席の刃研ぎを始めたのだ。右カッターの研ぎは刃先が手前側で難なく終え、左カッターはエンジン部を左わきに抱えるような形でヤスリを構えようとした途端「ジュッ!」と音がして左手首の内側に猛烈な熱さがきたのだった。
思わず構えを解いて手首を見たらマッチ箱程度の面積が赤くなってヒリヒリし始めた。何の事は無いマフラーの表面に皮膚を当ててしまったのだ。普段は長袖だったり、半袖ならアームカバーを装着しているから触れても火傷までには至らない。油断と言えば油断なのだった。ヒリヒリ感は続き、その度に水で冷やすと収まった。火傷の薬は携行していないので帰宅まで薬の塗布はお預けだった。
研ぎ終えて渡せば「切れる、切れる!」と大喜びだったのだが小生は苦笑いするしかない。
以前、皮膚科に受診した折の軟膏の残りがあり、これはドクターが「虫刺されや軽いやけどにも使います」と言われたから残していた軟膏だ。帰宅後、既に皮膚は真っ赤になっているから指先でトントンと付けるように塗布し保護のためガーゼを当てる。強いステロイド軟こうなので使用は二日間だけにしたものの、ガーゼで保護しアームカバーで覆い作業をしていても材の処理では当たる時がある。結局は二日目にして皮膚が破れて血色の皮下組織が丸見えになってしまった。
皮膚科に行くべきかどうかの判断は「自分で処置する」事としたのだが、それなりの理由があった。部位の損傷は深部まで及んでいないと考えた事と使う薬の当てがあったのだった。若い頃、仕事の必要性からある専門誌を内容を見て買っていた時があった。その時に「褥瘡に効果があった漢方薬」として臨床データーの論文を読んでから常備薬として購入している。普段の用途は「切り傷」に使い、かさぶたをつくらず傷も目立たせずに治癒させる生薬なのだ。
どういう訳か小生は小さな切り傷でも放っておくと瘡蓋になってなかなか治癒せず傷跡になる。軟膏を塗布、あるいは軟膏の代わりにハンドクリームを塗布し絆創膏を当てておけば綺麗に治癒するのだった。酷くはないものの「ケロイド傾向」があるようだ。
薬を変えたので手当ても変える。この漢方薬を傷を覆うパッドの大きさに厚く塗布し患部を覆い保護する。作業後はシャワーを浴びるからシャワー後と朝の洗面後の二回の取替えを続けてきた。皮膚が栗皮色になって破れた二日目以降、血色の点描様の組織の色が穏やかになって10日目頃にはピンク色の新しい皮膚組織で覆われてきたように見える。ここで手当てを止めると乾燥して被害を大きくする可能性が大きいので、もう何日か薬を塗布したパッドで押さえておかなばならない。
十五日目では十日目とさほど変わり映えが無い感じではあったけれど一応、二十日目まで現状の手当てを続け、以降はハンドクリームとガーゼで保護保湿し回復を促す。こんな算段で良かろうか・・・。
四日目 ➡
十日目 ➡
十五日目 ➡
三週目
と、まあ続けてきたのだが、三週目まで到達すると皮膚の再生は順調のように見えている。皮膚科医の治療を受ければ回復の速度は早くなるのかどうかは知らないけれど、あと一週間程度塗布したガーゼを当てておけばようやく解放されるだろうが小生の読み。患部を覆えるパッドが無くなり半分の大きさのバッドにしたのだが、被害の大きかった中央部だけしか覆えないがもう大丈夫だろう。