トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

*今日の一句

2021-08-20 | 小人閑居して憮然
                    コロナ在宅初母はかな早産死

サクラ伐る馬鹿、ウメ切らぬ馬鹿

2021-08-20 | 今日は真面目に
 辺縁部の台地、実生のヤマザクラが育って植樹したエノキやガマズミ、クヌギなどを圧倒し始めたから除伐する事にした。開花時に素性を確認しつつ除伐のつもりだったけれど、優先順位の低い範囲だった事もあり時季外れの除伐作業である。まあ、除伐だから何時行っても差し支えないし、生育盛んな夏季に除伐すれば林床へ光の届き方も分かり易いメリットがある。

 除伐であるから「サクラ切る馬鹿」には当たらないものの、幹径25cmほどに育ったヤマザクラを伐採するのはいささか惜しい気もある。だからと言って残しておけば他の有用樹が生育を阻害される。既に北側になっていたエノキやクヌギなどは太れずに背丈だけが伸びてしまった。
 遅まきだったものの6本ほどを除伐。ついでにブッシュ状に大きくなってしまったイボタノキも除伐。この日は裁断して集積まで至らなかったが集積までたどり着ければすっきりした林間が現れるはずだ。

  ➡  

**土砂降りお憑きさん

2021-08-19 | 温故痴新
          家ならば妹が手まくら草まくら 旅に臥やせるこの旅人あはれ       聖徳太子
           家ならば妻が手かりて水枕 コロナ病棟孤独のあわれ

         しなてるや片岡山に飯に餓へて臥せる旅人あわれ親なし           拾遺集
           死なせるや自宅放置のまだ二日 急な転帰にあわれ術なく

         春過ぎて夏来たるらし白栲の 衣干したり天の香久山            持統天皇
           四波過ぎて五波来たれども陣笠衆 口もつまらぬ乞食のお粥

         白金も金も玉も何せむに まされる宝子にしかめやも            山上憶良
           宣言も重点措置も何よりも まされる宝子に免疫や

         あをによし奈良の都は咲く花のにほふがごとく今盛りなり          小野老
           逢うは止す江戸の都の流行りもの逃げる場所無く今盛りなり

今日のエッ!品「とどのつまりはG級グルメ⁉」

2021-08-19 | 勢子、雨毒に侵されて呻く
 梅雨の長雨とは異なりお盆の長雨だと庭の野草の伸び方が素晴らしい。八月初めに除草しておいたのに踏み石が隠れるほどの勢いで広がってしまった。草取りしたくても雨模様では叶わず、成すがままの伸び放題だ。
 挽き臼を再生したのでこの長雨でステイホーム中は玄米パンを作って食べていたものの、次々と試みたい邪悪な思いが沸き上がり、今のところは止まるところを知らない。と言ってみても晴れればフイールド直行の身なので「雨降りお憑きさん」による執着なのである。

 糀のパンはどんなになるのか確かめたくて暇つぶしをする。ひつまぶしは高級食材を使うから本質的に似て非なるものだ。前回の残りの玄米粉が100g余っていて、これに乾燥糀100gを加え200gの混合粉を用意した。用意した材料は、
             糀と玄米の混合粉   200g
             蘇(牛乳1ℓ分)    パン生地程度の固さで用いる
             ドライイースト      3g
             豆乳ヨーグルト    適量(パン生地の固さを、これで調整する)
                塩       小さじ1
                砂糖      大さじ2
             打ち粉用混合粉    大さじ1 

 今回はこの自慰級レシピで行ってみる。蘇は濃厚さを出すための試みで豆乳ヨーグルトは固さ調整の水代わりである。パン全体の滋養分を高めたいと言う狙いもあった。
 作り方はネット上のレシピ集に頼らず「村上祥子の電子レンジ焼き立てパン 最新レシピ70」に由った。ネット情報は多々あり過ぎて玉石混交、性分に合わない。
 どう作っても、どこを拾っても大同小異でしかなく、やはり活字になっている書籍が安心だ。小生の作る料理は「シーシー」と爪楊枝を使う程度の料理なので「C級グルメ」などとほざいてみたものの、冷徹に分析すれば「爺級グルメ」であって、さらに突っ込みを入れれば「自慰級レシピグルメ」ともいえる。結局はネットのレシピ集と大同小異になってしまった。
 まあ、お釈迦様の掌で遊ばしてもらう孫悟空みたいなものなのだろう。寝入る前に作り方を読み翌日の製パンの糧とする。

    蘇を作る  ➡   糀の製粉  ➡    220gほどの混合粉

  二日目、材料を並べてからパン作りに入る。蘇は冷蔵庫に入れたため固くなってしまい豆乳ヨーグルトと一緒に潰して使う羽目になった。豆乳ヨーグルトは水分量調整が役目でもあるから撹拌しながら少しづつ入れ込む。固さの見当がなかなかつかず「これくらいか⁉」と思った固さも少々垂れ気味になり軟らかかったのが判明。既に粉は無く強力粉はあったものの「グルテン無し」の感触を得たいからそのままにした。
 二次発酵が終わりレンジで焼き始めたのだが意外に膨らんだように思えたが、焼き上がって切ってみると内部はさほどでもなかった。糀粉や蘇が入ったことで膨らみにくくなったようにも思える。ただ経験値がないから比較するすべもなく、やはり小麦粉で製パンしてみる必要がある、と思えたのが収穫と言えば収穫。
        二次発酵終わり  ➡   成型  ➡   焼き上がり

 焼き上がって丁度お昼時。パン食系ではないけれど確認の試食は必須なので昼食用にセットしてみた。焼き上がりのパン一個はブルーベリージャムを塗って食べる。
 付け合わせは「昆布茶顆粒入り粕漬け」としていたキュウリと人参、それに庭のリンゴ「紅玉」である。リンゴの粕漬けは失敗、生食の方が絶対美味しい。紅玉の摘果した物をピクルスにしたり塩昆布漬けにしてみたことがあるけれど生食には遠く及ばなかった。
 少しばかり踏ん張ってレシピを変え作った玄米パンだったけれど、糀混合の結果なのか今までより膨張が悪くモッチリ感がましてパンの感じが薄れたような食感になった。蘇も蘇単品の旨さを得たくて配合したのだけれど、美味しさの寄与には役立つ事も無くモッチリネッチリの方向へ誘ってしまったようだ。雨続きにも飽きたけれどパン食にも飽きがき始めた。
            今はもう飽き 猫も跨ぐパン 
            知らん顔して 食べ続けてみても
            私は忘れない 我に約束したから
            不味くても不味くても 捨てはしないと     「誰もいない海」替え詩

      爺級グルメ⁉

            晴れよこい 早く来い
            弱り始めた爺さんが
            赤いマスクをちょっとつけて
            お山へ出たいと 与太ってる          「春よ来い」替え詩
            

「雨降りお憑きさん」想

2021-08-18 | 小人閑居して憮然
 梅雨時かとも見紛う長雨で、もう一週間もステイホームのままだ。水域が干上がる心配は皆無なものの気になってくるのは致し方ない。自分の力で左右できる事象ではないので辛抱・忍房・蜻蛉で病ン坊にならないだけでもめっけものである。
 古来「小人、閑居して不善を為す」と言うが、この環境はまさしく「それ」で我が精神構造や脳味噌ネットワークの弱点が顕在化する。まさしく「水域の止まぬ漏水孔」に等しい。

 自虐的にやけっぱちに、また冷徹な視点で「雨降りお憑きさん」と喝破しても糸引き納豆のように離れないのが脳内の魑魅魍魎で「おんぶお化け」のように密着したままだ。思うにシナプスのような神経触手は糸引き納豆の糸と置き換わってはいないか気になるところではある。まあ、とは言え一心同体・偕老同穴であるから、これも致し方ない。幸せも不幸せも喜びも悲しみも表裏一体か。
 「貧乏人は麦を喰え!」と言われたのは我が幼少のみぎりで、昨今は「死んでしまえ!猫を救おう!」との垂れる大誤が顕在化したが進化したものである。そう言える基盤は自ら汗水たらして築いたものではない。おおくの有象無象が蠢いて憑き持ち上げられた結果なのだ。天上界から下がった慈悲の糸にしがみついている事すら忘れている。
 これは偶然にも自分の境遇が他人より恵まれていたという事象を「他人より優秀な結果なのだ」とメンタルがそう翻訳した事さえ理解していない。まず己のメンタルを鑑みる事から始めよ!。物の怪でしかない面罵リストなど片腹痛いわい。己自身が魑魅魍魎の一部である事すら認識していない。

 さて「雨降りお月さん」の一部を記すと
            雨降りお月さん 雲の陰
            お嫁にゆくときゃ 誰とゆく
            一人で傘 さしてゆく
            傘ないときゃ 誰とゆく 云々             作詞 野口雨情
 とあるが、わが青春の頃は
            花嫁は夜汽車に乗って 嫁いでゆくの
            あの人の 写真を胸に 海辺の町へ
            命かけて燃えた 恋が結ばれる
            戻らない 何があっても
            心に誓うの                      作詞 北山修
 
 と歌われたように大きく様変わりした。小柳ルミ子が歌った「瀬戸の花嫁」なども見合いより恋愛の範疇に入る歌だったか。

 それに引き換え「雨降りお憑きさん」などと偏屈言っているお爺だが引用変更の責は取らねばなるまい。続きを明らかにすると
            雨降りお憑きさん 陰の様
            お黄泉に逝くときゃ 誰と逝く
            一人で帷子 掛けて逝く
            帷子無いときゃ 誰と逝く
            チンチーン ジャラーン 楽師付け
            御輿に載せられ 揺れてゆく              コピペ トロルお爺

 なのであってまあ、夢も希望もへったくれも無い人生の先行きだわい。気持ちだけは「同行二人」でゆきたいものだ。

 あの「雨降りお月さん」の作曲は中山晋平氏で、我が郷里の母校校歌をも作曲していて当時はごく普通な事だったようなのだが長姉は折に触れて口に出し誇りと思っている様子だった。
 その長姉も齢九十に近くなった現在、耳も遠くなり記憶も斑に出たり引っ込んだりとままならなくなってきた。そんなことから電話は使えないし、たまにはご機嫌伺いをしたくても感染爆発下では居住地でさえ出る事は憚らなくてはならない。歴史の中で押し込められた先住民や蟄居者の心情理解には近寄れるかも。
 それにしても平和ボケと言うより幼稚化なのだろう、この非常時に自己抑制も出来ず「我慢できない」なんてほざく輩が減る事も無く人流に滞りは無く「欲しがりません勝つまでは」なんて事は歴史の闇に消えてしまっている。今でしょ!

 まっ、ボケーと雨音を聞いていると時を置かず恍惚感なのか眠気なのか正体不明な感覚が襲ってくる。危ない危ない、アブには注意しよう!。アブ一匹でさえ痛いもん、痒いもん、腫れるもん!。新型コロナを甘く見てはいけない。為政者は為すべき術も出せず犠牲者はコロナ昇り、既にもう土砂降りお憑きさんになってしまったよ。
 これって「肛門の線状サナダムシ…」元へ「後門の線状降水帯、前門の新型コロナウイルス」のお憑きさんダブルパンチじゃあないか。このページ、まさしく「小人閑居して不善を為す」結果となった本文である。申し開きをしておくと、こういう範疇は小生の本分ではないのだ。

 

暑さの作業はヨタヨタ続く・・・

2021-08-18 | 水辺環境の保全
 八月の初旬、この日で漏水頻発部の埋め立てが終わった。とはいうものの予定した区域は土が不足で3割ほど残ってしまったが致し方ない。この日の気温は当然真夏日だったが郷里越後では39℃超えの記録が出た。記憶を思い起こせば中学生の夏、「暑いなあ!」と温度計を確認したら28℃、当時はこれくらいで「暑い!」と嘆息していて未だに記憶にある事なのだった。

 二つ池の漏水頻発部の埋め立てもとりあえず終了した事にして次の作業に移る。漏水頻発部を埋め立てたものの下棚への漏水は続いているから考えていた根治術とはならなかったけれど満水位を復活できた事では満足しなければならないだろう。
 埋め立て土が無いので上棚法面下の猪走りを撤去した結果、ニホンアカガエルの産卵好地がより木陰に入るようになったので次年度の産卵数の増加に期待を込めたい。そのための環境保全促進のため水位は安定して維持しておきたいのである。

  ➡  


 

ボロは着てても頭部は錦

2021-08-17 | 今日は真面目に
 まあ、リフォームと言うより繕い物の範疇だろうが「五十歩百歩」であるし「目糞鼻糞」の類でもある。夏の衣服だった甚平の上着、薄手で軽くフイールドで少し寒い時に羽織ると丁度良く重宝していたのだが、襟先が擦り切れて中の接着芯もむき出しだし、後ろ襟も減って見苦しくなった。
 それでも捨てられず初冬や春先に使ってきたのだが、このところの長雨で退屈しのぎに繕う事にしたのだ。とりあえずは既にお役御免にした甚平のズボンをほどいて当て布にすべく夜鍋作業。暇つぶしには格好の玄米製粉、パン作りがあるのだが次のタスクは材料が無くて後回し。まっ、そうそうパン作りを連日するほどの主夫ではないし頑張ったところで爪楊枝で「シーシー」するようなC級グルメなのである。

 新しく襟に使う部分はアイロン接着芯を付けて、背当ての布地はそのまま縫い付けた。結構、面倒かなと思ったものの、洋服とは異なる断ち方なので素人には優しい繕い物となった。夕方まで必要かと思って取り組んだものの昼食前には作業は終わり、午後から「どうする⁉」と自問自答せねばならない羽目になった。
 思えば小学生の頃から靴下の穴をかがってはくような小生だったから「必要は技能の母」なのだろう。繕い物やリフォームなどをするたびに「今時、こんなことをするなんざ!」と自嘲しないでも無いけれど、全ては我が身一身にかかわる以外の波及は無いのだから恥じる事も無い。
 そういう事を続けてきた人生であればこそ金メダルは無くても我が頭部は燦然と光り輝きを増す一方なのであった。決して男性型脱毛や老化現象では無い事は当事者である本人が合点承知の助であって、自分のボロ着に糸切り歯で糸切りする様は、他人のメダルを齧るより尊いはずで、あの行為は齧るより「舐めたかった」に違いないとお爺は確信を持って言える。何故ならノラクラした顛末と頭部に錦は無いからだ。と言うより「空だ」で締めたかった。

 まあ、小生には記者会見はないもののトンボ会見はいつでも可能だし、重要事項を頓亡会見、通りすがりで済ます様な逃げ腰も無いもののぎっくり腰と腰痛は持病であるのだ。「人、皆平等」とも言うけれど、その中身は千差万別で「みんな違って、みんな良い」と誰かが書いていた。
 昔「恍惚の人」と言う小説があったが、さしずめ小生には「光惚の人」が相応しいか、それとも「硬骨の人」か・・・。前者である。

     後襟はボロボロ、背中は擦れて薄い   ➡    背当てと襟を繕う

今日のトンボ「連結産卵」

2021-08-17 | 小父のお隣さん
 「トンボの産卵」と言っても種によって多様だ。郷里に居た頃は「チョンチョン産卵」しか知らず、飛翔しながらの産卵なんて考えもしなかったし、ましてや連結したままで産卵するアクロバットな産卵なんて思いもしなかったのだ。

 ところがフイールドに水辺を設えトンボが集まるようになると多様な産卵形態を実視出来るようにもなって「多様性」の多様性をまざまざと、いい歳こいて知る事にもなったのだ。知ったからと言って減る一方の年金、上がる一方の介護保険料、苦しくなるだけの生活、豊かになるだけの生息数と、どう転んでも豊かな生活には程遠い日々なのだが、それはそれで「日々是好日」なのである。

 細身のイトトンボ類の連結産卵で思う事は「♀って剛力ヤベー」と思わずにはいられないのだった。剛力彩芽、いいえ剛力の手弱女と言って良いだろう。なんと言ったってオスに首根っこを掴まれながら支え、自分は産卵し続けるのだからまっこと「母は剛」なのである。俺、こんな女房に出会いたかった・・・。

 冗談本音はともかくトンボのカップルが作るハート形は知られているが、その形の中に別のオスの精子を捨てさせ自分の精子を送り込む精緻な秘密があるとは高齢になって知った事だ。ホモサピエンスの生殖なぞ単純極まりない物だった。
 あの佐藤女史の「自薦ユーモア短編小説集」の中に一女性の口には出せない赤裸々な胸の内をつづった作品があったのだが、思わず「へーっ!」と感嘆したのだった。まあ、胸の内や想像は果てしない。そこが異なる。言わば定型詩と連詩の違いだろうか。

      キイトトンボ  クロイトトンボ  ネキトンボは飛翔型


今日のエッ!品「長芋入り玄米ちぎりパン」

2021-08-16 | 何よりの楽しみ
 少々、降り過ぎだろうと言ってしまう雨降りお憑きさんが続いている。昔から「お爺、飽かすにゃ雨の三日も降れば良い」の言葉通り、雨籠りでは玩具作りも粉塵まみれになるから出来ない。結局は繕い物などをしたりするのだがサスペンダーのゴムを交換し、スマホをベルトに吊り下げる袋などは午前で終わってしまった。今時、繕って使う事をするような人物は小生以外には知らない。これも「三つ子の魂百まで」のなせる業か…と言うより捨てられない。作業衣などは擦り切れても膝当て布をし尻当て布をして使っている。襟回りの擦り切れなどは裏返して使う。もう、ほとんど性分である。
 つまりは「捨てられない止められない、着衣の補修作業」なのだった…。

 昼前にスーパーに行きドライイーストを購入して、そのまま玄米2カップを挽臼で製粉し少しばかり本格的なパン作りに挑戦する気になった。全くの最初なので基本中の基本のレシピと方法で行えば良い物を、生来の偏屈天邪鬼へそ曲がりなのだろうか、どうしてもやってみたいレシピが見当たらない。「帯に短し襷に長し」で、そんなことから「軽羹饅頭」の食感が出るのかどうか確かめたくて長芋も調達した。
 本来は大和イモと自然薯を用いるのだとかと記載されていたが「馬も四つ足、鹿も四つ足」の理屈が通る。そう「長芋も大和イモも自然薯も芋に変りは無いじゃなし!」である。更に追い鞭をすれば「富士の高嶺に降る雪も 京都先斗町に降る雪も 雪に変りは無いじゃなし…」なのだった。そもそも懐が深いから浮世は成り立っているのである。浅ければ浮きも沈みも出来ないのは宇宙の真理だ。
 ちなみに小生の懐は浅いから浮きはしないものの、いいえ、沈みっぱなしの負け組。だから深淵とか深宇宙とか表現する。とかなんとかおっしゃいましてのちじれっけ。

 ネットのレシピや調理本のレシピもレンジの取説にもパンのレシピはあるけれど、発酵時間を比較しても30秒だったり50分だったり一回だったり二回だったりと大きく差がある。材料分量でさえ「てんで」なのだった。頭脳明晰な小生でさえ呻吟苦悩、約椀切歯するほどのレシピ多様性に満ちた世界だったのだ。こういう状況は「製法多様性」の世界なのであろう。で何時もの通り「仕方が無いから頭を掻いて…」笑ってごまかす。
 しかしなんだ、あるべき頭髪が無いのに脂漏性湿疹があるのは腑に落ちない。で採用したのはオーブンレンジの取説のレシピで、当然、同じレシピではなく近似的なものとなり「こんなもんで良かろうばい」なのだった。まあ、こんな笊頭では捲土重来は遠かった訳である。ネットレシピ集は投稿者それぞれアレンジしすぎて、とどのつまり「みんな一緒・大同小異」なのだった。やはり基本に帰るのが肝要で後期高齢者になってようやく知ったのだったが今更、叱咤激励してももう遅い。

 長芋が入ったから玄米紛を多めにしたりしたものの緩すぎて二次発酵した後も形がまとまらない。大きめの成形は無理だと感じ紙の容器に小分けして焼いたのだ。最初にやみくも一緒にしたのが間違いのもとであった。順序や道理が頭に入っていない。
 出来上がりは前回のベーキングパウダー使用のパンよりは咀嚼感も異なったが、長芋が入ったことに由るのかどうかまでは分からない。そのまま試食しても美味しかったのだが、さすがに完熟梅ジャムは食傷気味、今回はちぎりパンなので夕食時にブルーベリージャムを付けて食してみた。雨の休日とは言え、ご老体には堪えたソーイングと挽臼製粉、製パンの一日。夕食は簡単にちぎりパン四個、牛乳カップ一杯、熟星の出たバナナ一本で済ました。

 初回の玄米パンの折りにも触れたのだが「玄米パンは旨い」ご飯より旨い。そこで小石に躓いた「精米紛パンならもっと旨くなっているのだろうか⁉、100%糀パンはどうか⁉、」あーあ我が業は限りなし、自ら我が老体を苛んでくる・・・。人生は因果であるし応報は輪廻から抜け出せない事だ。我が政府官僚も愚体策から未だに脱しえないものの、掩蔽や改ざん、塗りつぶし、嘘八百答弁等々、この手の具体策は熟達しておる。「君子は政に携わらず」の活性見本であろう。

 ➡  



今日のエッ!品「一日為さざれば一日粗食…」

2021-08-15 | 何よりの楽しみ
 「待てない性格」ゆえに挽臼の再生を行ったものの接着が完了する一晩待てなかった。昼食を喰らってボケーッとテレビを見ていても為す事は無い。「仕方が無いからお手紙書いた」などするような筆まめでも無い。結局、試し挽きをすることで、ようやく無為から解放されたのだ。

 南魚沼の実家で収穫した「コシヒカリ」の玄米が試し挽き第一号である。220gほどを挽く事にしたのだが、製粉出来たら「玄米パン」が予定に上がっていて、既に作り方はプリント済みなのである。試し挽きの初めは回転方向が分からない。時計回りに回すと落とし穴の玄米が減って行かない。反時計回しだと大量の玄米が隙間に入り込んで粗くなってしまった。
 ここで半世紀以上も前にやっていた臼挽きを思い出した。ゆっくり回転させながら少量づつ落としていく。これでも時計回りだと穴底の玄米の送り込みが悪かったから正しい方向は反時計回りなのだろう。上臼底面の彫り溝を確認すれば自ずと回転方向の解は出るのだが今更面倒だ。
 挽き始めは落とし穴に詰まった量をドサッと送り込んでしまって粗い粒子のままなので一旦篩って篩い残りを再度挽いて篩い、製粉は無事終了したのだった。

 玄米パンのレシピは数多ネットに溢れているものの、多くは小麦粉併用のレシピで作りたい玄米粉100%のレシピは少なかった。その中から2ケースをプリントしてつらつら眺めまわして選択する。しかし、キッチンに立って材料を揃えていた時に「ドライイースト」が無いのが判明、再度「仕方が無いから頭を掻いて…」ベーキングパウダーを使わざるを得なかった。ホントは本当は「レンジ発酵」してみたかったのに・・・。
 平山三紀「恋のダウンタウン」の一節に「抱かれたかったのに 愛なんて 愛なんて」と歌うくだりがあるが「のに…」の気持ちは痛いほど良ーく分かる。発酵させたかったのに 無いなんて 無いなんて、あーあお粗末。平山美紀の歌はあこがれた青春の情景歌、朱里エイコは小気味よいパワフルさでなお好き・・・。

 さて焼く段になって適当な容器が無い。仕方が無いからアルミカップで済ましたが小振りだからお八つ程度は良いとしても食事には小さすぎた。焼き上がりにそのまま試食。今まで作っていた味噌パンより美味しい感じもするし、何より玄米ご飯より食べやすく美味しいのだった。ちょっとこれは病みつきになりそうである。
 篩った  ➡   混合 ➡   焼き上がり

 夕食用に小振りのサンドを作ってみた。普段はここまでは作らない。これも連日の雨降りお憑きさんのお蔭です。写真上のサンドは「雲南百薬と卵焼き」でこの雲南百薬は通販カタログに出た最初に購入した株だからふた昔以上も前から庭で野生状態である。最近は「陸ワカメ」なんて商品名で園芸店に出るようになった。

 写真下左は「昆布茶顆粒混合酒粕漬けの人参とキュウリ」のサンド。キュウリなどの水分が多い食材を漬けると粕床が緩くなり過ぎる。時折は高野豆腐を沈めて水分を抜くのだ。糠床のような簡単な水抜きは出来ないけれどカビないし塩分摂取が少なくなるのが良い。キュウリは生でなく古漬け1本物を漬け込むとため息が出るほど美味しくなる。イブリガッコも同じなのだが年金暮らしには価格が高すぎる高級品だ。こんなもの郷里では集落挙げて水飲み百姓の保存食で己等食べ放題だったのにぃ。

 写真下側は完熟梅ジャムと雲南百薬のお浸しである。雲南百薬には少しだけ岩塩を振った。夕食の量としてはいかがなものかと言う感じもするけれどステイホームであくびと眠気とに戦っている身では贅沢すぎる主食だろう。食べ物が無い児童や成人がごまんと発生しているだろうご時世なのだ。喰えるだけでもありがたい。暇だからこんな物でもご馳走したいと思っても年金暮らしでは我が身を養うだけで精一杯でもある。

       

 写真をつらつら眺めていたら、あの「インデイ・ジョーンズ」だったか密林の中の宮殿でのご馳走「猿の脳味噌」に思えて来た。あっちはデザート、こっちはサンドと、どっちが豪華な一品になるのだろうか…。


これじゃあ使えませぬ…

2021-08-15 | 小人閑居して憮然
 縁台工作をすると蚊が集まってきて何とも憂鬱なので蚊取り線香を焚くのだが、玄関用にしていた豚型の蚊遣りは使わずに放置されたままだ。それなら多少の降雨でも消える事は無いので使おうと取り上げたのだが「はてさて困った」状態だった。

 取手と豚の後ろ開口部になる縁にジャコウアゲハの蛹、お菊虫がくっついている。空洞内部にはハチの巣が見える。幸いにもハチの巣は昨夏の巣の様で蜂は居なかったのだがお菊虫は蛹状態である。いつ羽化するかも分からない。これでは使える訳も無し。
 あーあ、蝶蝶に蚊やり取られて貰い刺し、お粗末!。

    ジャコウアゲハの蛹二体           蚊やりの中にはハチの巣


挽臼の再生

2021-08-14 | 今日は真面目に
 すぐ上の兄から「挽臼が手に入らないか?」と電話があったのは一昔も前の事で、地元出身の後輩に「実家にないか?」と尋ねても既に廃棄されていた家ばかりだった。そんな出来事があって、たまたまS先生から「挽臼は必要ですか?」と声を掛けられたから二つ返事で自宅まで出向き受け取ってきたのだった。
 そのあとで兄に「送るから」と電話をしたら「もう何個も手に入っている」との返事で、振り返ってみれば一昔も過ぎていたのだから「あたり前田のクラッカー」でしかなかった。結局、手元に置いて自分で使う事にしたのだが「回すためのハンドル」が失われている。これでは使用できないから何とかハンドルを装着しなければならない。

 ネット上の商品写真を参考にしようと思ったけれど類似品は無く、あれこれ思案した結果「アルミバンド」でハンドルを取り付けるのが嵩張らないと思い、まず臼の側面に埋め込む駒と腕木の加工をする。
 材は拠点道具小屋で長らく眠らせていた山桜の厚板で「ようやく出番が来た」感じなのだった。やはり材は固く新品の替え鋸刃に交換してようやく部材を切り出せた。作業から帰宅し昼餉もそこそこに真夏日の鋸引きでは直ぐにシャワーを浴びた身体が汗まみれだ。
 バンド止め駒は左側面埋め込み    回し取手部

 部材を寸法通りに用意してから奥行きが狭くなる臼の凹みに合わせる作業に移る。この部材にバンドを固定しハンドルを取り付けるのである。穿ってある四角錐は大まかなので現物合わせするしかなく、内側を油性ペンで黒く塗り、これに部材を突き入れながらインクの付いた部分を削る、と言う作業の繰り返しで入れ込む形を成形した。二個の部材の成形が終わったのが夕刻で、アルミバンドは購入していないから翌日以降に持ち越しである。丁度、三日ほど降雨の予報なので丁度よい暇つぶしだ。

 翌日は降雨予報の始まり日だったのでフイールド作業は行わず取手の材の切り出しに拠点道具小屋まで行った。自宅で鋸引きで材をとることは可能なのだが電動丸鋸で必要寸法に切り出した方が早く楽である。直方体に切り出して角は鉋を掛けて旋盤加工を容易にした。側面には必要外径線をコンパスで描いてあるので鉋掛けも旋盤加工にも目安になる。これが有ると無いとでは切削時のストレスが違う。
              材取り、鉋削りまで  ➡   取手の旋盤加工

 拠点からの帰路、ホームセンターに立ち寄りアルミバンド1mを購入してきた。自宅の縁台で両端からの中央にネジ止め穴を開けて止め駒に固定する。この後は外周に沿って円弧を合わせて取手取り付け部まで鉢巻にした上でボルトで固定した。まあ、何とか緩みも無くしっかりとした仕上がりになって祝着至極である。
 これで使用できるかと思ったら大間違いだった。上臼の軸受け部分が大きすぎる。これでは中心軸が不安定になって使えない。軸受けに木材では消耗が早いのでタンクの端材を使ってみた。樹脂なので耐摩耗性には難があるものの滑りは良いはずだ。軸穴を開けて四角く切り出した。後は穿ってある内面に油性ペンでインクを塗り付け、ここに樹脂材を入れては当たる部分を削り取るのを収まるまで繰り返したのだった。加工が終われば接着して終了。
 早く製粉してみたいのだが接着が完了するまで1日は必要なのでじれったい。雨降りお憑きさんなのでステイホーム、ウンもスンも無い。
                     材取り ➡   装着固定

 これで挽臼を回すことが出来る状態になったが接着強度がまだ十分でないから我慢する。想定通りの出来栄えだったが、この日は雨天予報の二日目で、まだ雨天予報の日は数日続くので何か暇つぶしを考えなければならなくなった。

            

暑い盛りに日差しを通す

2021-08-13 | 今日は真面目に
 フイールド入口のスギやクワが大きくなって梅の木に影を落とすようになってから久しい。いつかは除伐せねばと思いつつ優先順位は低いから延び延びにしていたけれど、今期は完熟梅を利用させていただいた事もあり真夏日の半日、お礼奉公のつもりで枝を広げて広範囲に日光を遮っていたクワの樹を除伐した。

 梅の木方向に重心があり、そのままチェーンソーをどう入れようと梅側に倒れる。ここは面倒でも牽引器で引きながら伐倒方向を決めた。数日前に下側の横枝を切除していたので掛かることなくコブの上面に倒れてくれたのだが、曳く時の支点にした合歓の木に一枚も葉が無かった。幹を観察すると蟻の穴だらけで既に枯れ死していたのだ。
 ついでに除伐する気になったものの重心が高圧送電線側に在り、既に樹冠の一部は接している。これでは除伐で架線切断を起しかねないから放置する事にした。

 数年前の事だがナラ枯れでコナラの大木が枯れたのだが、これも枝先が高圧線の上にあって素人では手を出し難い。一応、念のために架線管理部に電話を入れておいたけれど確認に来たわけも無し。結果的には枯れた先端の枝から落ちて姿を縮小し、先だって斜面から生えていた根元から根こそぎ倒れて決着を見た。そんな事から余計なおせっかいは止めにしたのだ。

 クワの樹一本の除伐だけだったけれど効果は視覚的にも感じられて、太陽高度が高い時だけの環境であるけれど梅の木に光が届くようになった。コブの上のスギも除伐したいものの、今のところ資材として用途は無いのでしばらくはお預けである。

      伐倒 ➡   細断処理 ➡   日射が届き明るくなった



今日のトンボ「実写する機会が無いから…」

2021-08-12 | 感じるままの回り道
 青田の上にもフイールド駐車場の空間にも飛翔していて飛ぶのは見ても止まったところを見たことが無いゆえに撮影したことが無かったトンボがウスバキトンボなのだった。
 今期、出現していたトンボでもギンヤンマやオニヤンマなども撮影できてはいない種なのである。作業を終えて駐車場でS先生等と四方山話をしている近くにウスバキトンボが低く飛翔していたから写真のためにSさん捕獲してくれた。これでようやく撮影出来たのだ。
 撮影して種を確定するには小生では能力不足で、何時もS先生やSさんがいる訳ではないから、小生も捕虫網の一つくらいは所持して写真判定の一助にしておくべきかな、と思ったりしている今日この頃なのだ。

 若きみぎり、岩手山山頂に立ってお釜の中を眺めたら雲のようにトンボの大群が居たのだった。「ウスバキトンボの避暑集団」程度の認識はあったのだが「大量の食事をどうするのだ!」とトンボ事ながら気になったのを憶えている。
 それよりさらに年齢を下げれば、農道や自宅前の道路空間にウスバキトンボの大群が風上に頭を向けながら浮遊して居て、飛び込めばトンボに当たるほどの密度だった。蛍もまさしくそうで両手を広げ田んぼの中の農道を突っ走ったものだ。あれが火の粉だったり死の灰だったりだとすれば大空襲や第五福竜丸を想起する。

 こんな情景は有機リン系猛毒農薬パラチオンやホリドールの散布が始まった年から潰えたのだったが今は水溶性毒性能の高いネオニコチノイド系の生態系破壊が杞憂されているものの、この国の危機意識や手立ての構築能力は半端なく低く当事者能力の欠如を伺わせる側面も見える。これはコロナ対策でもはっきりしていて一年半も経過していても愚対策は「ゆーバッカリ」なのでため息しかない。かの朝令暮改の愚対策「自宅放置」などは「療養」では決して有り得ず、与太郎や八さん・熊さんでも理解できる本質的に血流が無い愚策でしかない。「コロナは風邪だ」と言った人物に等しい。
 政府が決める事だと強弁していたが実態は医事官僚の地図なのだろう。国民の生命・生活の崖っぷちだと言うのに、あの輩たちは民草に不幸を運んでのうのうと左団扇で「俺たち高知能、高官!」ゆえに「間違いはない」と今日も深謀遠慮に励んでいるに違いない。

漏多くして液少なし・・・

2021-08-11 | 水辺環境の保全
 「漏少なかれば液多し」もまた水辺の真実である。依然として漏水箇所は不明なものの埋め立てを進めているうちに長らくオーバーフロー部に達しなかった水位がギリギリまで上がってきた。埋め立ての結果、池の容積が小さくなったのではない。反対側は掘り取られて水域になっているからである。一晩経過しても満水位のままなので不明の漏水孔の一つくらいは詰まったのだろうと推測していても依然としてこの棚法面下部からの下棚への漏水は減少してはいない。

 漏水量を測定している訳でも無いのだが満水位になっているという事は、それなりに今回の埋め立てが効果を現したと言って良いだろう。とは言え何度となく、掘り立てて、埋め立てて、土を移動し、取り除いてと無駄な労力を費やし悪戦苦闘しているのは「馬鹿丸出し」でもあるのだが、別に「世のため人のため」など考慮外の姥捨て山の孤老となれば孤老なりの身の処し方でもある。毎日日曜日を何とかせにゃならぬ!。
 「一作なさざれば一食喰らわず」の心持は姥捨て山の孤老には大事な矜持であるものの実態は年金が減らされる一方なのもまた現実なのだ。まあ、箱庭療法で痴呆防止のセルフケアでもあるし子ども食堂が命綱という民草も増えている浮世ではフイールドの三つ葉やセリを食せるだけましなのだ。
 でもさて「労多くして益少なし」と言えど、閻魔様の前には身一つだけで臨まなければならない我が身には申し立て免罪符にはなるやもしれん。「閻魔様、小さい命を保全してました。小さい孔は潰してました」と言えば耳を貸すかもしれん。

 いつの頃だったか祖母がトンボを捕まえて帰った孫に「トンボの背中を見な。観音様を背負っているだろ」と言われた事がある。それでまじまじと背中を見たら、今で言う円空仏みたいな像があるではないか。それで初めてトンボも大切な生き物と知ったように思える。それまではトンボの腹部を半分にしてマッチ棒を挿して放して喜んでいたのだったがピタリと止めた。
 もちろん、捕虫網など購入してもらえる環境では無いので何で捕獲していたのか…古い記憶のひとつでもある。

  ➡