澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

田母神航空幕僚長の「定年退職」

2008年11月03日 22時46分08秒 | Weblog

懸賞応募論文が問題となった田母神・元航空幕僚長が、11月3日付で「定年退職」させられた。本人の意思に反して「定年退職」というのは、極めて異常なことなので、退職金がきちんと勧奨退職扱いになったのかどうか、他人事ながら心配だ。この騒ぎで、「天下り」もダメになったのだろうなと思うと気の毒でもある。

記者会見を見る限り、本人は論文の内容について、「反省」するつもりはないようだ。ここで持論を撤回したら、何のための詰め腹かとなるので、この態度は当然のことだと私は思う。
だが、懸賞論文の内容、応募動機など、まだはっきりしないことも多い。300万円の小遣い稼ぎのために、この得体の知れない懸賞論文に応募した可能性も捨てきれない。
小遣い稼ぎだとしたら言語道断だが、論文自体を見る限りでは、同調できる部分も多い。

本人は「戦後教育によって、歴史認識がゆがめられ、国家安全保障上も支障をきたしている」と語り、自説の正しさを改めて強調している。

この人が”憂国の志士”なのか、カネの亡者なのか、よく分からない部分もあるが、現状に一石を投じた点では高く評価したい。

  

辞職?懲戒?定年?…前空幕長の処遇巡り防衛省大揺れ

11月3日3時4分配信 読売新聞


 田母神(たもがみ)俊雄・前航空幕僚長(60)(10月31日付で航空幕僚監部付)が、昭和戦争に関して政府見解と異なる内容の論文を投稿して更迭された問題で、田母神前空幕長を今後、どのように処遇するかを巡って防衛省が揺れている。

 航空自衛隊トップの職を解かれたものの、前空幕長の階級は最高位の「空将」のまま。本人は、まだ進退を明らかにしておらず、結論が長引けば、国会審議や外交関係に影響が出るのは必至で、同省は早期収拾策を模索している。

 防衛省にとって「組織に最もダメージが少ない」(同省幹部)のは、田母神前空幕長が浜田防衛相に辞意を表明して辞職の道を選ぶこと。省内では「空自のトップまで務めた人物なのだから自分で身の処し方を考えるべきだ」との声が強い。

 しかし、2日の時点でも、田母神前空幕長から進退に関する明確な意思表示はなく、省内には、懲戒免職という案も検討すべきでは、との意見が出始めている。

 懲戒処分の対象とするには、明確な規律違反が条件で、昭和戦争について「我が国が侵略国家だったなどというのは濡(ぬ)れ衣(ぎぬ)だ」などとした今回の論文がそれに該当するかどうかは微妙。組織の長だった人物が懲戒免職になれば、現場にも大きな動揺が走るとみられる。

 自衛官の定年は役職や階級によって異なり、空幕長は62歳だが、更迭された現在は60歳で定年になるため、「定年退職」扱いにすることも可能。だが、同省幹部の一人は「そのようなことは前例がなく、本当にできるかどうかはわからない」と頭を悩ませている。

最終更新:11月3日3時4分

 「我が国が侵略国家だったのはぬれぎぬ」と主張する論文を書き、更迭された航空自衛隊の田母神(たもがみ)俊雄・前航空幕僚長(60)が3日、都内で会見を開き、「断腸の思い」としながらも、論文に書かれた政府見解を否定する内容について「誤っているとは思わない。政府見解は検証されるべきだ」と反論した。

 会見は、防衛省内局などに連絡はしないまま、都内で行われた。懸賞で最優秀賞に選ばれた田母神氏の論文では、日中戦争について「我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者」と主張。旧満州、朝鮮半島について日本の植民地支配も正当化した。以前からの持論であることを強調し、「親日的な言論は制約されている」と述べた。そのうえで、「解任」という処分は受け入れながらも、「これくらいのことを言えないのでは自由主義の国ではないのでは」とした。

 政府は95年、アジア諸国に謝罪する村山首相談話を閣議決定。麻生首相も継承する考えを表明している。

 制服組の高官が政府見解を公然と否定したことで、文民統制(シビリアンコントロール)の点からも問題視されたが、田母神氏は「辞めろという政治の決定に従っている」とし、一連の行動は政治決定に反するものではないとの認識を示した。

 田母神氏は71年に航空自衛隊に入隊。空幕装備部長や航空総隊司令官を歴任し、07年3月に空幕長に就いた。(樫本淳、川端俊一)