ベルリンの壁崩壊20周年をメディアはさまざまな形で放送したが、一番印象に残ったのは、あの体験の風化という現象である。壁の存在も、東ドイツが存在したことさえ知らないドイツの若者が育っていることを知って、複雑な感慨を持った人も多いことだろう。
日本はといえば、戦前の日本近現代史を直視せずに、曖昧なその場限りの歴史観でやり過ごそうとしているかのようだ。TVのコメンテーターと称する人の中には、戦前の日本を現在の北朝鮮とそっくりだというような暴論を吐く人さえいる。こういう連中は、①全く日本の歴史を知らないのか、②知っていながら、金儲けのために人を欺く類の輩だろう。
何故、こんなことを書くのかというと、アニメ映画「パッテンライ!!八田與一-嘉(か)南(なん)大シュウ(たいしゅう)の父」(同製作委員会、北國新聞社、虫プロダクション製作)が台北で公開され、多くの人たちが訪れたというニュースを見たからだ。
戦前の日本がすべて悪かったという歴史観(=自虐史観)から見れば、どうして台湾人が日本統治時代の一人の技術官僚(八田與一)をこのように顕彰するのか分からないだろう。20年前のベルリンの壁でさえ曖昧になってしまうのだから、ある意味では無理からぬことだが、台湾はかつて日本の一部であり、日本型の近代化が図られていたという事実だけは知るべきだろう。台湾の本島人は、日本型の近代化の光と陰を熟知しているが故に、今でも日本の功績面を高く評価するのだ。
私がYouTubeにUPした「米国から見た日本の台湾統治~台南市の歴史」(下記に掲載)は、米国のTV局(ディスカバリー・チャンネル)制作だが、日本のどのメディアよりも日本統治時代を的確に評価している。このことだけは、ぜひこのブログを見る方々には知ってもらいたいことだ。
台湾愛した技師に感動 パッテンライ!!台北で試写会 (「富山新聞」)
上映前にあいさつに立った元行政院長(首相)の謝長廷氏、嘉南農田水利会の徐金錫会長らがダムと水路を建設した八田技師の努力と功績をたたえながら映画の上映を喜んだ。台南出身の歌手、ジュディ・オングさんは「こんなにも台湾を愛した日本人がいたということを作品で知り、感動した」と述べた。
李登輝元総統も訪れ、鑑賞後に「若者のためになる映画だ。多くの人に見てほしい」と感想を語った。
映画はせりふが台湾語や北京語に吹き替えられ、八田技師が戦前の台湾南部で現地の人々と協力しながら烏(う)山(さん)頭(とう)ダムと水路を建設し、不毛の土地を耕作地帯に変えた生き様や日台の子供たちの友情を描いている。
4日夜に台南県で開かれた試写会では烏山頭ダムを日台関係の「象徴」と位置付ける馬英九総統も鑑賞した。
台湾行政院新聞局(台湾の内閣広報機関)は9日、台湾で八田與一技師の映画が公開されるのを前に、技師の功績をたたえ、上映が友好促進につながることを期待するコメントを北國新聞社に寄せた。
八田技師は1920年ごろから10年の歳月をかけて当時アジアで最大規模の烏山頭ダムを完成させ、嘉南平原の稲作収穫量を飛躍的に増加させました。台湾の農民はその功績を今でも感謝しています。
台湾政府は民間と協力して烏山頭ダム風景区に「八田與一記念室」を開設し、八田技師がダム建設を指揮している写真や生前の事績などの貴重な史料を展示しているほか、毎年5月8日の八田技師の命日には嘉南農田水利会の主催で慰霊祭が行われ、今年は馬英九総統も出席して、その功績を偲(しの)んでいます。
八田技師が今でも台湾の人々から敬愛されているのは、偉大なダムを残したというだけではありません。八田技師が台湾人と日本人を一視同仁とした台日友好の精神を貫いたことも、台湾の人々は忘れていません。
映画は11月より台湾各地で公開上映されます。1人でも多くの台湾の若者が映画を通して、八田技師が果たした貢献を理解し、八田技師のように全力で物事に取り組み、数々の困難を乗り越えて目標を達成する精神を学び、そして台日友好が一層強化されるよう願っています。
米国から見た日本の台湾統治~「知られざる台湾・台南市」より