澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

島根県立大学と宇野重昭氏

2009年11月12日 18時08分00秒 | 社会

島根県立大学の女子学生が惨殺されたニュースが、TVのワイドショウではもちきりだ。
私自身、一度しか島根に行ったことはなく、それも30年も前の話。覚えてるのは、出雲大社や日御崎だけで、浜田には行ったことはない。

それでも、島根県立大学が気になってならない。平岡さんという女子学生が殺害されたことで、県立大学周辺の風景(浜田市)が知られるようになったが、率直に言って何もない田舎という印象だ。何もないからこそ、人口流失を止める町おこしの目的で、この県立大学が設立されたのだと思うが…。

 (宇野重昭・前島根県立大学学長)

この県立大学を構想し、実現に導いたのが宇野重昭氏。1999年から初代学長を勤め、今年3月に退官された。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E9%87%8E%E9%87%8D%E6%98%AD

宇野氏は、国際関係論(中国政治外交史)が専門で、長らく成蹊大学教授、同学長を勤めた後、故郷である島根県に県立大学を設立するため尽力された。島根県立大学総合政策学部の大学院に「北東アジア研究科」があるのは、宇野氏の想いを結実させたものだ。

何故こんなことを書くのかというと、私は宇野先生の授業を聴いたことがあるから。もう大昔の話で、私が在籍していた大学で宇野先生は、兼任講師として「東アジア国際関係史」「中国共産党史」を教えていた。
数多の授業の中で、今も鮮明に覚えているのは、この宇野先生の授業くらい。それほど、中味が濃く、しかも温かな人柄が伝わってくる内容だった。私は、同じ授業を2年間聴いたほどだった。
ネットを検索すると、成蹊大学時代の宇野ゼミナール卒業生が開設するHPを見つけた。もういい歳になったオッサンが、毎年集まり、現代中国の動向に議論を花開かせているようだ。これも宇野先生の人柄によることは間違いないだろう。
http://www1.parkcity.ne.jp/unosemi/index.html

そんな宇野先生の夢を託した島根県立大学が、思いがけない形でクローズアップされたことは、痛ましい。平岡さんがその夢を実現できなかったことも含めて…。
来年の入試では、島根県立大学の受験生が減少するかも知れない。また過疎の島根県と「北東アジア」研究科は結びつかないとして、県議会あたりで「見直し」の要求が出る可能性がある。
宇野重昭氏の夢がぜひ続くよう願わずにはいられない