NHK・BSで放送中のドキュメンタリー番組「ベルリンの壁崩壊20年」は、実に興味深い。
1989年11月9日、ベルリンの壁崩壊の日に至るまで、東西ドイツや周辺諸国で何があったのか、改めて振り返ることが出来る。まだ、20年しか経っていない”史実”なので、関係者も多数生存していて、多くの証言が紹介されている。
11月9日、東ドイツ(DDR)の統一労働者党(=共産党)政治局会議では、国民の旅行自由化について議論が行われていた。広報担当の政治局員ショボウスキーは、政治局会議で旅行自由化が決まったとき、会議を中座していたので、翌朝4時から発効するという留保条件を知らされていなかった。その後、彼は記者会見に臨み、イタリア人記者からの質問に旅行自由化は「直ちに発効する」と応えてしまう。その結果、東ベルリンの検問所には、多数の東ドイツ市民が殺到する。
検問所のイエガー所長は、政治局に連絡するが、まともな命令は一切ない。仕方なく、彼は午後11時過ぎ、検問所を開放する。この夜の出来事について、クレンツ元首相は「ショボウスキーが留保条件を知らなかったなどとは言わせない」と反論する。 これが東ドイツ中枢の真の姿だったことが白日の下になる。世襲議員で固めた麻生内閣を思い出したのは、私だけではないだろう。
28年に渡ったベルリンの壁の緩衝地帯は、野ウサギの天国となっていた。ポーランドのTVが特集した回では、この野ウサギの運命を採り上げる。野ウサギは、壁に遮られて自由がなかった東ドイツ国民の比喩としても使われいる。結局、壁崩壊後、大量繁殖していた野ウサギは、邪魔者として処分されていまう。 これらのドキュメンタリー番組に共通するのは、丹念なインタビューと現場再現の映像、それから穏やかなコメントだ。
そう、この真逆に制作しているが、NHKのドキュメンタリー番組だ。特定の”思想”に基づき、ジグソーパズルのように都合のいい事象をあてはめていき、おどろおどろしい音楽とナレーションを付けるという作風が、このところますます顕著になってきた。海外では、上記のように素晴らしい番組が作られているのだから、少しは見習ってはどうなのだろうか。
ベルリンの壁 崩壊の夜 9th Nov.1989 The Night from East-Berlin to Top of the Wall
1989年11月9日、ベルリンの壁崩壊の日に至るまで、東西ドイツや周辺諸国で何があったのか、改めて振り返ることが出来る。まだ、20年しか経っていない”史実”なので、関係者も多数生存していて、多くの証言が紹介されている。
11月9日、東ドイツ(DDR)の統一労働者党(=共産党)政治局会議では、国民の旅行自由化について議論が行われていた。広報担当の政治局員ショボウスキーは、政治局会議で旅行自由化が決まったとき、会議を中座していたので、翌朝4時から発効するという留保条件を知らされていなかった。その後、彼は記者会見に臨み、イタリア人記者からの質問に旅行自由化は「直ちに発効する」と応えてしまう。その結果、東ベルリンの検問所には、多数の東ドイツ市民が殺到する。
検問所のイエガー所長は、政治局に連絡するが、まともな命令は一切ない。仕方なく、彼は午後11時過ぎ、検問所を開放する。この夜の出来事について、クレンツ元首相は「ショボウスキーが留保条件を知らなかったなどとは言わせない」と反論する。 これが東ドイツ中枢の真の姿だったことが白日の下になる。世襲議員で固めた麻生内閣を思い出したのは、私だけではないだろう。
28年に渡ったベルリンの壁の緩衝地帯は、野ウサギの天国となっていた。ポーランドのTVが特集した回では、この野ウサギの運命を採り上げる。野ウサギは、壁に遮られて自由がなかった東ドイツ国民の比喩としても使われいる。結局、壁崩壊後、大量繁殖していた野ウサギは、邪魔者として処分されていまう。 これらのドキュメンタリー番組に共通するのは、丹念なインタビューと現場再現の映像、それから穏やかなコメントだ。
そう、この真逆に制作しているが、NHKのドキュメンタリー番組だ。特定の”思想”に基づき、ジグソーパズルのように都合のいい事象をあてはめていき、おどろおどろしい音楽とナレーションを付けるという作風が、このところますます顕著になってきた。海外では、上記のように素晴らしい番組が作られているのだから、少しは見習ってはどうなのだろうか。
ベルリンの壁 崩壊の夜 9th Nov.1989 The Night from East-Berlin to Top of the Wall