今日は、台湾地方選挙の投票日。日本のマスコミにはほとんど報道されることもない。私は、衛星放送の海外ニュース(香港)で知ったほどだった。
だが、考えてみると、中華圏においては、台湾のような自由選挙が行われたことなど一度もない。にもかかわらず、NHKなどのマスメディアは、台湾国会での乱闘騒ぎを面白おかしく報道するくらいで、民主選挙の意義を決して報道しようとはしない。おそらく大陸中国では、台湾のような自由選挙を渇望し、中共(=中国共産党)一党独裁政権に風穴を開けたいと願う人も多いはずだ。
周知のように、台湾では中国国民党の馬英九が総統に選ばれた。この結果に対して、評論家の金美齢氏は「不満の春にも花は咲く」という一文を現した。馬英九は台湾人が民主選挙で選んだ総統だから、個人的には大いに不満だが異議は唱えない。だが、台湾はどうなってしまうのだろう…と金女史は記していた。
この金女史が「正論」新年号に「私はなぜ日本国民になったか」という一文を寄せている。台湾独立運動の闘士で陳水扁政権(民進党)の政策顧問でもあった彼女が、ついに台湾国籍を捨て、日本に帰化したというのだ。
歴史的な視点から言えば、日本人がいわゆる東京裁判史観を未だに超克できないように、台湾人もまた華夷秩序に搦め捕られている。台湾人はふたたび長い忍従を強いられる。台湾海峡が中国の内海になるのは時間の問題だ。いまや中国という危険な存在を押しとどめる"最前線"は、この日本に移った。その現実を認識し、重責を担う覚悟がいまの日本人にあるか。
このとき誕生したのが鳩山「友愛」政権とは、「まるで悪夢を見ているよう」と言ったら日本人に失礼かもしれないが、馬英九に政権が移った瞬間の落胆と同じ思いを私は抱いた。そして、最前線で戦うことを決意した。
二つの祖国の一つは、もう私の中では永遠に取り戻すことのできない暗闇に沈んでしまった。少なくとも私の生あるうちには、浮上することはあるまい。
ならば、この身の能(あた)うかぎり、愛するもう一つの祖国を守りたい。周英明が生きていたら、恐らく同じ思いを抱いただろう。李登輝総統の時代ですら、中華民国のパスポートは要らないと言っていた夫である。
私は、私や周という人間をかたちづくった台湾人としてのアイデンティティ、そしてその根幹にある日本精神を守りたい。中国式に屈したくない。その戦いの最前線が日本に移ったのだと実感したとき、日本人(国民)への回帰を決めた。今度は「台湾人にとっての靖国」ではない。「私(日本国民)にとっての靖国」なのである。
中国が自らに呑み込もうとするのは、台湾の次は日本である。昨年五月初旬、中国の国家主席として胡錦濤主席が十年ぶりに来日し、「暖春の旅」と自ら名づけたように日中友好を強調するのに躍起となった。この日本訪問自体が同年三月のチベット騒乱以後初の外遊で、日本との関係緊密化を印象づけることによって、国際社会で高まった対中批判を和らげ、中国外交の孤立を回避する目的を持っていたわけである。
金女史は、大陸中国に飲み込まれつつある台湾を見て、日本国籍取得を決断した。次に守るべきは日本であり、日本精神だと決意して…。
この決断を唐突に感じられる人もあるだろう。だが、彼女の世代は、1945年8月まで日本人であったことを忘れてはならないだろう。
これまででも日本人より日本人らしい彼女だったが、ついに法的にも日本人になる道を選んだ。その決意を重く受け止めなければならないと思う。