中国の習近平副主席が来日し、天皇陛下と会う予定になっている。
安倍晋三・元総理は「小沢一郎の訪中とカップリングの政治利用」だとして批判しているが、自民党側の批判は当然のことだろう。
気になったのは、小沢一郎の反論。宮内庁長官に対して、政府批判をするなら辞表を出してからにしろ、とか、日本国憲法では政権党が天皇の国事行為をコントロールするのだと強調した。つい先日、自分自身が北京の人民大会堂で喜色満面だったことを棚にあげ、政治利用などしていないと語ったのだ。
習近平夫人は、1ヶ月ほど前に「中国人民解放軍総政治部歌劇団」の看板歌手として来日し、学習院大学で非公開公演を行った。皇太子がその演奏会に出かけたことが伝えられている。
皇太子の観劇は非公式行事であるとして報道自粛が行われたが、習近平の天皇訪問と併せて考えれば、民主党政権が天皇を政治利用しようとしていることは明かだろう。
驚くべきことに、小沢一郎は「役人(=宮内庁長官)がゴタゴタ言うことではない。政治主導でやっていく」と豪語した。民主党の言う政治主導とはこういうことだったのかと得心した。容赦のない官僚批判は、邪魔者をとことん排除しようとすることだったのかと…。
鳩山首相に至っては「世界一の人口を持つ、隣の国だから」とか暢気なことを言っていた。「友愛外交」の実態はこんなことだったのかと呆れるばかりだ。
いま民主党政権は、日本を「反米・媚中」にシフトさせようとしているように見える。それが確固たる国家戦略に基づくのなら、賛同しないわけではないが、現実は中国に足元を見られ続ける「朝貢外交」ではないのか。
加えて、民主党は「天皇制」のタブーに足を踏み入れたかのように思われる。天皇の国事行為は、政権が決めるのだから、天皇は黙って従えばいい…小沢一郎の発言には、このようなニュアンスが感じられるのだ。これに激怒する政治的勢力が日本には存在することも忘れてはならないだろう。
偶然にも今日、「東京大空襲」の”被害者”が起こした裁判に判決が出た。判決は「本件は司法の判断に馴染まない。立法措置で救済されるべき」との判断を示した。第2次世界大戦による”被害”が司法で認定されるのならば、国家とは何か、国家が起こした戦争とは何かという根元的な問題よりも、個人の利害が上位に立つことになる。こんなことは常識で考えられないことだ。今日の判決は、極めて妥当なものだった。民主党政権が続けば、戦争被害者にまでカネをばらまく政策がとられかねないのだが…。
民主党政権は、ポピュリズム(大衆迎合)で大衆の歓心を買い亡国の道を突き進んでいるようにしか思われない。
「宮内庁長官は辞表出して言え」=天皇会見への関与否定-小沢氏
12月14日18時19分配信 時事通信
また、「天皇の政治利用」に懸念を示した羽毛田信吾宮内庁長官について「信じられない。辞表を提出した後に言うべきだ」と厳しく批判。天皇陛下との会見の1カ月前までに申請する1カ月ルールについて「宮内庁の役人が作ったから金科玉条で絶対だなんて、そんなばかな話あるか」と語った。