「台湾出兵~大日本帝国の開幕劇」(毛利敏彦著 中公新書)を選む。
率直に言って本書(「台湾出兵」)が史学界でどういう評価を受けているのか分からない。著者は、琉球藩設置と台湾出兵との関連性は薄く、「明治六年政変」を巡る内政要因が台湾出兵の動機となったと主張する。異論はさまざま存在するのだろうが、著者は大久保利通を中心とする内政要因説に自信を持っているようだ。
著者の問題提起の中で刺激的だと思うのは、台湾出兵が「…中華皇帝権力体制の存在理由の根幹にでも触れるような深刻な事情が伏在していたのではなかろうか」(「まえがき」p.)という部分だ。この思わせぶりな部分について、著者は次のように解答を出している。「中華皇帝体制なるものには華夷秩序の編成つまり朝貢国の保有を不可欠とするメカニズムが組み込まれているからではないか」「…たとえ一国であれ朝貢国の欠落は、…帝国の存立そのものへの致命的打撃へと通じかねない」(本書p.181)
当時の国際環境を考えれば、日本が琉球藩設置と台湾出兵をセットにして対外進出を図ったとは考えにくい。日本が最初から「侵略の意図」を持っていたとするこのような史観は、あまりに単純過ぎる。当時、清朝は比類のない超大国だったのに対し、日本は台湾に派兵するだけでも大きな経済的負担となるほどの「小国」だった。ようやく維新を成し遂げた明治政府にとって、清朝中国は依然として巨大な存在だった。
台湾出兵は、近代国家日本が初めておこなった海外出兵である。それは内政上の理由で引き起こされたとしても、結果として琉球の「両属」状態を解消させ、東アジアの華夷秩序を崩壊させる一撃となった。朝貢国の存在が華夷秩序の維持にとって、極めて重要な要素だとする著者の立場からすれば、台湾出兵の意外な波及効果として、中華皇帝権力の失墜を加速させたことになる。同時に、この台湾出兵の衝撃は、清朝に「日本は仮想敵国」であるという認識をもたらした。
2 台湾出兵に見る歴史認識の問題
台湾出兵は、漂流した宮古島島民がパイワン族に殺害された事件をきっかけに行われた。だが、出兵の実施は、事件の3年後のことだった。当時の琉球民=宮古島島民が果たして日本国民と言えるのか、またパイワン族が清朝の支配下にある清国民であるのかさえ定かではなかったからだ。西欧近代の所産である万国公法は、非西欧を侵略する道具としても用いられたが、この殺害事件に際して明治政府は、米国人外交官リゼンドルなどの意見を採り入れた。リゼンドルの第四覚書は「琉球民遭難事件を利用して台湾・澎湖島を”拠有”せよ。内政が混乱している清国は日本の”拠有”を阻止できないであろうし、英露対立が激化した結果、関係国はいずれも相手陣営が台湾を領有するのをのぞまないから、列強は中立である日本の”拠有”を黙認するであろう」(p.39-40)という内容であった。現実はこのリゼンドル覚書の思惑どおりには進まず、台湾出兵によって日本は東台湾(生蕃の住む太平洋側地域)を領有することも叶わなかった。しかしながら、明治政府が当時の国際関係を動かす権力政治(Power Politics)の本質を見極め、西洋列強の手法を「習得」したという意味で、この台湾出兵は重要な意味を持つ。
「一八九五乙未」という台湾映画(2008年制作)がある。日本の台湾接収と「台湾民主国」の崩壊、それに続く客家と原住民の抗日闘争を描いた映画だ。映画には北白川宮親王と森鴎外が登場する。北白川宮親王が率いる台湾接収部隊は、マラリアなどの熱帯病に苦しみ、戦死者の何十倍もの病死者を出す。新竹周辺では客家と原住民の激しい抵抗に出会うが、このとき彼は「ここに真の本島人が現れた。これは戦争だ」とつぶやく。これは、戦わずして大陸に逃げ去った「台湾民主国」の清朝役人を揶揄し、同時に現在の馬英九政権を批判する台詞だと言われている。そこには「台湾は台湾人のもの」という主張が込められている。結局、台湾接収に抵抗した客家を中心に一万4千人もの台湾人が犠牲になる。にもかかわらず、その実行者である北白川宮親王は、自らの職務に忠実で、人道的な感情を持つ近代的人間として描かれている。さらにこの映画自体が、軍医として従軍した森鴎外の日記に従って展開していく。日本・日本人の描写は、あくまで客観的で、「反日」的な感情など全く見られない。李登輝氏以降の台湾では、このような歴史映画が出てきたのだ。
台湾出兵、日清戦争、台湾接収そして日本統治時代へと続く台湾の近代史は、「帝国主義」「植民地支配」等の類型的な分析では捉えきれない側面を持つ。「東洋の近代は、ヨーロッパの強制の結果である」という竹内好の言葉(「中国の近代と日本の近代」)がある。この”強いられた近代”にどう立ち向かうかは、それぞれの民族の力量に委ねられた。「西洋の衝撃」を受けた日本国と清国は、「近代」の出発点においてはともに共通の「被害者」でもあったのだ。世界規模でのパワーゲームに否応なく引きずり込まれた日本は、いち早く明治維新を成し遂げ、西洋列強と同列に立つ。それは非西欧に属する近代国家が成し遂げた初めての快挙であり奇跡でもあった。当時の日本にとって、それ以外の選択肢があったなどとは到底信じられないことだ。
現在の台湾では、日本統治時代が台湾の近代化に大きく寄与した時代であったことが十分に認識されている。それは李登輝氏の功績である。だが、国民党独裁時代の露骨な中国化政策(それは同時に「反日」意識を醸成させる目的もあった)にもかかわらず、台湾人の親日感情は変わらなかったという事実に我々はもっと注目すべきだろう。それは、人口の大多数を占める本省人の日本語世代がずっと「親日感情」を持ち続けたことを意味している。日本統治時代がすべて暗黒だったとしたら、こんなことは起こりえないはずだ。ちなみに「台湾人生」という日本のドキュメンタリー映画には、そうした日本語世代の心情が吐露されている。
1945年に歴史の断絶を強いられた日本人は、いつのまにか歴史に謝罪する民族となってしまったのだろうか。「未来を見通す鍵は歴史の中にある」と言ったのは、何とNHKの「プロジェクト JAPAN」だった。その言自体は全く正しいのだが、肝心の番組はどこの国の放送局が作ったのかと思われる異様な内容だった。
この番組のように、「台湾出兵」「日本の台湾統治」などという評価が分かれる史実に直面すると、その内実を確かめることもなくとりあえず「謝罪」して、「平和」「友好」「共生」などという美辞麗句を続けるのが、いつのまにやら普通のこととなってしまった。その昔、親や教師は自らの戦争体験を語り、外地(植民地)での珍しい生活体験を披瀝した。戦争の記憶はまだ身近にあり、言葉には実感が伴っていた。そこには、「今次大戦」で祖国のために戦った死者に対する追悼の気持ちも残っていた。そう思い返すと、「国家」を超越した「個人」の存在などありえないという明確な思いがする。
台湾はいま、中台・両岸関係の進展によって「国家」のアイデンティティさえ失いかけている。台湾海峡の要衝・澎湖諸島は、今また歴史の荒波に飲み込まれようとしているかのようだ。日本統治時代に皇室関係者の迎賓館だったという「澎湖記念館」を思い出すが、それは、純和風の質実剛健な平屋建てで、これこそ日本という建物。今なお大日本帝国の足跡と日本統治時代の面影を伝えている。その解説文には日本統治時代の歴史が客観的に記されていて、日本を非難する文言などひとつも見られない。一方、何年か前、大連の旧・満鉄本社を訪れた時には、これでもかと思うほど「日本帝国主義の罪状」を見せつけられた。
歴史認識を巡る日中韓国の確執は、東アジア固有の華夷秩序に由来しているため、その根は深い。個人的に危惧するのは、親日的な台湾が中国に併呑され、あの「澎湖記念館」が「日本帝国主義」の罪状を示す記念館となる日だ。そうならないことを切に願う。
最後に、少なくとも本書は、台湾出兵を複眼的に分析していて、手垢の付いたイデオロギーで処断してはいないので、信頼に足ると思った。