澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

ソウルに遺る日本統治時代の建造物

2010年09月08日 10時42分32秒 | 歴史

 格安ツアーで、初めての韓国旅行に出かけた。ソウル3泊4日、日程表を見ると、一日中バスに乗り、史跡や土産物店巡り。半日間だけフリータイムはあるものの、3食付きというのは、あまりにも拘束感が強い。値段を考えれば、贅沢は言えないかも知れないが…。

 3日目、午前中は「宋廟」などの史跡見学だったが、体調不良という理由でキャンセル。同行者はそのままツアーに出かけ、午後のフリータイムは38度線見学ツアーに行ってしまった。北朝鮮には興味はあるものの、それ以上にソウル市内に遺る日本統治時代の建築物を見たいと思っていた。

 日本人向け観光バスで市内を巡っていても、ガイドさんは決して日本統治時代の話には触れない。たとえ、旧・朝鮮銀行(現・韓国銀行)の前を通っても、建物の由来を説明することはない。これは多分、お得意さんである日本人との無用な摩擦を避けようというのか、民族のプライドを傷つけられた時代のことは語りたくないのかのどちらかだろう。いずれにしても、私は「それはないだろう」と思う。

 そこで「ひとり歩き」を実行。まず、ホテルのある鶴洞(ハクドン)から地下鉄7号線でソウル駅に向かった。途中、「総神大学前」という駅で地下鉄4号線に乗り換えるのだが、何とこの駅の実際の表示は「梨水」だったので、私は二つ先の「崇寶大入口」まで行ってしまった。ハングル文字の洪水の中で、似たような名前を識別するのはなかなか難しい。表示がこれでは不親切だなあと思う。
 ようやくソウル駅に到着。目指すのは旧駅舎だったが、残念ながら工事中。シートを被った駅舎を遠目で眺めるに止まった。近くの博物館なども、月曜日なので皆休館日。これは不運だった。

 ソウル駅をあとにして、「市庁」駅に。旧・裁判所(現在、ソウル市立美術館)に行ったが、ここも展示準備中で入れなかった。
 南大門方面へ歩いていくと、旧・朝鮮銀行(現・韓国銀行)、旧・三越(現・新世界百貨店)、旧・第一銀行などがある広場へ。この広場の配置は、とても暗示的。朝鮮銀行と対面にある三越、第一銀行を民族英雄(?)やら革命家たちの銅像が遮るように建っている。これもお得意の「風水」を取り入れた配置なのだろうか。朝鮮総督府の建物が破壊されたとき、「日本帝国主義が韓国人の英気を奪うために、あの位置に建てたのだ」という説明があった。また、日本統治時代に南山に設置された測量の標準点(石)を同様の説明で非難したこともあるそうだ。日本人が「風水」で陰謀を図ったというお話なのだが、こういうトンデモ話のようなことで日本統治時代を非難するのはいつまで続くのだろうか? 当時の歴史を振り返れば、ことはそんな単純ではない。白色人種の欧米列強がアジア全域を植民地化する時代だったのだ。南下するロシアの脅威を李朝朝鮮が自力でくい止めることなどできたのだろうか?

 朝鮮総督府をはじめとする日本統治時代の建造物の多くは、すでに破壊あるいは撤去されてしまった。韓国ではそれらは「反日」、憎しみの対象であっても、文化遺産ではあり得ない。
 現存する旧・朝鮮銀行でも、その定礎石には文字が削り取られた跡が残っている。そこには「朝鮮総督府」という文字と設立の年月日(年号)が書かれていたはずだ。旧・裁判所(現・ソウル市立美術館)の定礎石には、かろうじて「朝鮮総督」の文字が残されていた。旧・三越だった新世界百貨店本館では、新しいプレートで「established 1930」とだけ表示している。このような行為は、日本人的な感覚を超えたものだ。日本人であれば、こういう記録は当時のまま保存するだろう。それが、明治維新を成し遂げた「近代精神」というものだ。だが、ソウルでは認めたくない史実は「なかったことにする」という、日本人とは全く異なる思考様式を目の当たりにした。韓流ドラマに夢中も結構だが、こういう隣人との付き合いは厄介で難しいことを知るべきだろう。

 (旧・朝鮮銀行=現・韓国銀行)
旧・朝鮮銀行の定礎=朝鮮総督府や年号の文字が削り取られている)

(旧・朝鮮銀行 側面から撮影)


(旧・三越本館 現・新世界百貨店本館)

(旧三越の隣にある旧・第一銀行)

(漢江大橋)



(旧・裁判所 現・市立美術館 右側写真は、定礎石に刻まされた「朝鮮総督」の文字)


(1916年に造られたという洋館)

(旧・ソウル市庁舎)


(聖公会=英国国教会の教会)

(「救世軍」本部)


(改装工事中の旧・ソウル駅舎  右側が工事現場のフェンスに掲示されていた往時のソウル駅)