澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

「歴史とはなにか」(岡田英弘著)を再読

2011年03月08日 09時12分17秒 | 歴史

 「歴史とはなにか」(岡田英弘著 文春新書 平成13年)を再読。
 読み直すきっかけとなったのは、この一年東アジアの近代史を学んで、すこしばかり理解が深まったからだ。
 以前、この本を読んだときは、かなり極端な内容だと感じた。なにしろ、次のように構成だったからだ。

第一部 歴史のある文明、歴史のない文明
歴史の定義、歴史のない文明の例、中国文明とはなにか、地中海文明とはなにか、日本文明の成立事情
第二部 日本史はどう作られたか
神話をどう扱うべきか、「魏志倭人伝」の古代と現代、隣国と歴史を共有するむずかしさ
第三部 現代史のとらえかた
時代区分は二つ、古代史の中の区切り、国民国家とはなにか
結語
だれが歴史を書くか

 (「歴史とはなにか」 岡田英弘著 文春新書)

  改めて読むと、刺激的な視点が随所に見られる。「朝貢」については、次のように指摘する。

『「朝貢冊封体制”というのは、第二次世界大戦後の日本で発明されたことばだ。これはどういう説かというと、”中国は世界(当時の東アジア)の中心であって、そこに異民族の代表が朝貢し貿易を許される。皇帝からもらう辞令(冊=さく)によって、異民族の代表の地位が保障される。こうして、中国の皇帝を中心として、東アジアには、朝貢と冊封に基づく関係の網の目が張りめぐらされていた。これが東アジアの秩序を保障していた」というものだ。ところが現実には、そんなことはぜんぜんなかった。」(p.205)

 この記述は、おそらく西嶋定生※(元東大教授・東洋史)に対する異論だろう。西嶋氏がこの朝貢冊封体制を論じた人だからだ。
※ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%B6%8B%E5%AE%9A%E7%94%9F

 (西嶋定生著「日本歴史の国際環境」 東大UP選書 1985)


 東洋史の学界では、多分、西嶋氏の学説が有力で、多数の論文が西嶋説に依拠して書かれたことは間違いない。若くして「日本学士院賞」を受賞した岡田氏が、東京外国語大学教授というポストにとどまったのは、西嶋氏のような学界権威との確執があったと容易に想像される。私の学生時代、三輪公忠という怪しげな歴史学者が「冊封体制、冊封体制」とひとつ覚えのように言っていた記憶がある。それほど、この言葉は流行ったのだ。この「朝貢冊封体制」論は、東アジアの国際関係を論ずる場合に、門外漢にとっては手っ取り早い。前近代(近代国民国家以前)の東アジア国際関係をこれだと言ってしまえば、何となく説明をしたような気分になるからである。
 だが、岡田氏は、こう結論づける。

「もともと個人としての外国人が、個人としての皇帝に、そのときそのときの仁義を切る関係に過ぎなかった”朝貢”が、十九世紀にはじまる国民国家の時代になって、国家としての外国と、国家としての中国とのあいだの、外交関係の表現のように、曲解されることになった」(P.209)
 
 昨秋の尖閣事件を予見したような記述もある。

「…新たに国民国家として出発した中国は、西ヨーロッパ・アメリカ列強の帝国主義を見ならって、むかしの外国の君主が中国の皇帝に朝貢して敬意を表し、中国の皇帝が外国の君主に地位の承認を与える関係を、宗主国と保護領の関係に読みかえた。こうした新解釈では、過去に中国皇帝と外交関係のあった外国は、すべて中国領だということになってしまう。…中華人民共和国も、ほんらい。琉球人は中国の国民であり、琉球に対して中国は潜在的な主権を持っている、と解釈している。実を言うと、尖閣諸島問題も、このような中国・台湾側の沖縄に対する領有権の主張の一部に過ぎない。つまり、領土に関する、こういう国際問題というのは、結局、中国人特有の歴史の解釈が原因となっているわけだ。」(p.128-9)

 岡田氏の史観は、日本の東洋史学界の”主流”ではない。しかし、歴史を大観する点においては、岡田氏に優る学者はそう多くはないはずだ。私のような初心者が歴史を学ぶとき「通史」から始めるが、実は「通史」ほど厄介なモノはない。ありきたりの「通史」は、かえって歴史を見る眼を曇らせるということもあり得る。その点で、岡田史観の斬新な切り口は、他を圧倒しているように思える。


 「歴史とはなにか」に関しては、岡田氏の奥様である宮脇淳子氏(東洋史家)の次の映像がある。

第4回 中国人の歴史観 Part1