澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

尊敬する李登輝元総統から一体何を学んだのか…

2011年06月16日 10時52分33秒 | 政治

 今日、「産経新聞」の「政論」欄に「尊敬する李登輝元総統から一体何を学んだのか…」という一文が載っている。
 14日、参議院特別委員会で丸山和也議員(自民党)が菅首相に質問した内容を論評したもの。
 私は、録画したビデオでこのやりとりを見たが、菅直人という人間の品性が浮き彫りになったと思う。首相就任演説では、東工大の永井陽之助教授(当時)の思い出話を持ち出し、自身のイメージアップを図った。この質疑でも、「台湾で李登輝氏の自宅にうかがい、お話を聞き、感銘を受けた」と応える。李登輝氏の思想に感銘を受けたというのなら、何故、尖閣事件で堂々と中国と渡り合わなかったのか、また大震災で迅速な対応ができなかったのか、確かに丸山議員が追及する理由がよく分かる。

 東工大全共闘で(今にして思えば)空疎なアジ演説を続け、学生運動の中で「政治」の嗅覚を磨いた菅にとっては、キーワードは「市民」だった。彼の頭の中では、「市民」が「国家」をも超えた、優先すべき概念となった。それ故、首相の座に登り詰めた今、丸山議員の質問に対し「私は必ずしも市民活動家と呼ばれることを好みませんが…」と言葉を濁している。
 自身の野望のためには、「市川房枝」という「市民」政治家に食らいつくことがまず必要だった。菅にとっては、すべてが権力を得るための手段に過ぎないから、自らの原理原則というものはなく、その場しのぎの「適応」こそがすべてだ。

 こんな軽薄な男が、李登輝氏に会っても、何も学ぶことは出来ない。「我欲」「権力欲」しか持たない人間が、哲人の言葉を理解できるはずはない。情けないことに、この種の人間が「全共闘世代」の典型的人間なのだ。

 国会でのやりとりであっても、「朝日」は絶対に李登輝氏に絡んだ記事を掲載しないはずだ。その理由は明らか。李登輝氏の人となり、歩んできた道を振り返れば、否応なく、戦後日本とは何だったのかといいう問いに辿り着くからだ。そこには、「朝日」が決して触れられたくない”過去”がある。

 

尊敬する李登輝元総統から一体何を学んだのか…

「産経新聞」「政論」 2011.6.16 01:05

 「首相になることが目的ならば、そこで終わりなのである。目的と手段が混乱してしまい、せっかく首相になっても何をすればよいのか分からない」

 14日の参院東日本復興特別委員会。自民党の丸山和也氏は、台湾の李登輝元総統の著書を引用して「失礼だが、今の首相に向けられている言葉ではないか」と問うた。

 すると菅直人首相はこう答えた。

 「李登輝さんは私の尊敬する人物の一人です」

 質疑がかみ合わないのはいつものことだが、よくもいけしゃあしゃあと言えたものである。尊敬するのは勝手だが、その言葉の重みがまるで分かっていない。

 東日本大震災にあたって台湾から政府・民間を合わせ約175億円(12日現在)の義援金が寄せられた。世界最大級の支援だが、首相はそれに報いてきたといえるのか。そもそも首相は、李氏に一体何を学んできたのか。

 「歴史をよく調べれば、沖縄・尖閣諸島は日本に領有権があるのは明確だ」

 李氏は昨年10月、訪台した安倍晋三元首相と会談した際、こう明言した。台湾政府が中国同様に尖閣諸島の領有権を主張する中、元総統の発言は極めて重い。

 ときはまさに、首相が中国の圧力に屈し、尖閣諸島沖で衝突事件を起こした中国人船長を超法規的に釈放させた直後だった。首相のその場しのぎで稚拙な対中外交に、李氏は眉をひそめていたに違いない。

 李氏は平成19年6月の来日の際、靖国神社に参拝した。首相は「首相や閣僚が公式参拝することには問題がある」と答弁した。日本統治時代の台湾に育った李氏の方が、首相よりよほど日本的美質を備えていると言える。

 そんな李氏は著書で政治家の心得をこう記した。

 「問題に直面したとき決して直線で考えないことだ。必ず迂回(うかい)すること、むしろ回り道を見つけだそうと務めるべきなのである」

 残念ながら、首相の政治手法はこれと正反対だといえる。物事を進めるための手順や手続き、調整を一切無視するため、いつも「言いっ放し」に終わり、何も実現できない。

 首相は14年11月に訪台し、李氏と会談した時の印象を自らのホームページにこう記している。

 「日本の旧制高校の教育を受けた人の雰囲気を強く感じた。(中略)日本人が失いかけている自信を取り戻す良い話を多く聞かせてもらった」

 李氏は古事記や源氏物語、ゲーテ、ドストエフスキー、マルクス、カント、論語、聖書-と古今東西の古典をひもとき、哲人政治家と称される。その謦咳(けいがい)に接した首相の言動から、李氏の素養から学んだ形跡はうかがえない。

 李氏は月刊「WiLL」(2月号)の対談で日本政治の現状をこう憂えた。

 「『権力』というのは権力者のものではなく、何か決定を下すときに人民から借りて、そのあと返すものです。そのことがわかっているかどうか」

 首相は、この発言が自分に向けられていると気付いているのか。たぶん読んでもいないのではないか。

 「過失をおかしながら忠臣のことばを聴きいれず、一人で自分の思ったとおりにしていると、名声を失って人の笑いものになっていく始まりである」

 これは韓非子の言葉だ。早期退陣を促す周囲の声に耳を貸さず、延命に汲々(きゅうきゅう)としている首相そのものではないか。李氏のように古典に親しんでいれば、鏡に映る無能かつ危険な暴君の姿にわれに返るはずだが、望むべくもない。それならば、せめて李氏の爪の垢(あか)を煎じて飲み、潔く身を引くべきではないか。(阿比留瑠比)