昨日、原子力保安院が原発爆発による放射性物質の排出量が、東京電力が発表した数値の二倍以上だったことを明らかにした。
3月15・16日の原発メルトダウン時に、わたしたちは食い入るようにTVを見ていた。そのとき、NHKの水野解説委員は、「福島の原発事故は、チェルノブイリに次ぐ大事故」だとして「逃げられる人は、逃げた方がいい」と退去勧告とも受け取れる発言をした。これを見ていた私の友人は、東京から京都に避難し、およそ一ヶ月、関西に滞在した。政府筋は、原発被害を出来るだけ少なく見せかけるために、この水野発言を封殺し、3月18日の菅首相記者会見で「安全宣言」を行った。
このような経緯を思い出すと、いま「風評被害」に負けずに…云々という報道も、実はウラがあるのだと思えてくる。何故かと言えば、①現実に、福島県を中心とした広範囲な地域に放射性物質の汚染地帯があるのに、国は「安全基準」そのものを勝手に緩めてしまった。子供の放射線許容量を200ミリシーベルトとしたのがその典型だ、②ある食物や一定地域の放射性物質汚染が、「基準内」で安全だとしても、一人の人間がトータルに吸収してしまう放射線や放射性物質の量は、実は計測できないので、分からないのだ。
だとすれば、主婦が買い物に行ったとき、被爆地に近い農産物を避けるというのは、「風評被害」の結果などではなく、止むに止まれぬ「苦慮の選択」ということになる。マスメディアは、こういう消費者行動を「風評被害」を引き起こすなどと間違っても言うべきではない。
さらに、外国から日本を見れば、全く同じことが言える。例えば、中国人が日本に旅行しようとするとき、彼らの興味は日本の文化遺産などではなく、富士山と買い物くらいしかないのだから、「放射能に汚染されているかも知れない日本製品」をわざわざ買う義理などは全くない。それを「風評被害」だと言い募ってあたふたすることは、全く筋違いと思うのだがどうだろうか。
今後、海洋汚染の実態がますます明らかになるだろう。近海魚の刺身を食べたら、同じ網で獲れた検体魚にプルトニウムが含まれていることが判明というケースもありうる。プルトニウム検査は、2週間ほど時間がかかるそうだから、刺身を食べてからではもう手遅れ…。そして、プルトニウムは体内に2万年も残留する…。
1945年の「敗戦」を日本人は「終戦」と言い繕った。2011年のいま、現実にある「放射能汚染」を「風評被害」と言い換えるつもりか。日本人は、全く変わっていない。