遅ればせながら、「属国民主主義論~この支配からいつ卒業できるのか」(白井聡、内田樹著 東洋経済新報社 2016年)を読む。いわゆるリベラルな学者、評論家の対談集。盤石にみえた安倍政権がマスメディアの世論誘導によって危機に瀕している今、本書を読むとこの国の「民主主義」のあり様がタイムリーに浮かび上がってくる。
私が特に興味深かったのは「敗戦しなかったイタリア」(本書p.43-49)の部分。
内田「安倍首相がいくら敗戦を否認しようとしてみても、結局は戦争を終結した場合は”私たちがが間違っていました”と言わなければならない。敗戦国はみなそうですけれども、その点では、日独伊三国の中では、イタリアが比較的恵まれているように思います。というのも、イタリアの場合、第二次大戦は形式的には勝って終わっているから。」
白井「自分でムッソリーニを始末しましたからね。」
内田「…国際法上は戦勝国として終戦を迎えたことになる。ただ、実際には、勝ったとはとても言えない。…だから、戦後も敗戦国のような顔をして、ぐったりと戦後世界を生きてゆきましたね。…”勝ったような負けたような…、まあとにかくえらい目に遭いました”という曖昧な、その分だけリアルな感じで戦争体験を受け止めた。」
内田「…戦争の負け方にイタリアは”味”がありますよね。ドイツや日本のように、国内が一丸になってしまうとダメですね。挙国一致で国論が一致してしまうと、負けるときにもバケツの底が抜けたように徹底的に負けてしまう。戦時でも、国内に拮抗する勢力があって、絶えず戦争指導者と葛藤している場合には、負けるときも総崩れ的な負け方はしない。…”負けしろ”を残そうと思うのなら、国内にそこそこの”まつろわぬ勢力”が存在することが必要なんです。それが敗戦から僕らが学んだ教訓の一つですね。」
日独伊三国軍事同盟の一員だったはずのイタリアは、1945年4月28日独裁者ムッソリーニを処刑し、連合国側に寝返った。4月30日には、ヒトラーが自殺し、ナチスドイツの敗北が決定的となった。一方、同盟国をすべて失った日本は、沖縄戦(1945.3.26~6.23)、広島・長崎への原爆投下を経て、敗戦(8.15)を迎える。驚くべきことに、この間の1945年7月、イタリアは連合国の一員として日本に対し宣戦布告さえしている。
一昨年、「日本の一番長い日」というリメイク映画が公開された。戦争の原因を追究するような作品ではなく、「玉音放送」の音盤をめぐる支配層の内輪もめを描いたに過ぎなかった。昭和天皇の「ご聖断が日本を救った」というコピーがずいぶんと流されて、日本の「敗戦」はとうとう「ご聖断の美談」にすり替わってしまった。この日本と独伊の鮮やかな対比は見事なまでだ。
イタリアと日本の生きざま(政治過程)の違いは、何に由来するのか。宗教、人種、民族性、地政学的相違など、いくつも考えられるが、ここでは追求しない。ただ思うのは、ありふれた国民のひとりにとって、どちらの国に生まれるのが幸運なのか?
季節柄、盆踊りのように恒例となった、戦争回顧番組がTV・ラジオに溢れている。どれも、「平和」「人権」「市民」といった現在のキーワードで、史実を解釈し、ある意味では「戦前」を断罪する番組だ。今いる自分は、戦前とは無関係なのだという無意識の主張が見て取れる。TV製作者は、戦争体験者が激減したので、些末なエピソードをこねくり回して「感動物語」として放送することが可能になった。例えば、今夜、放送される近衛秀麿をめぐる「ユダヤ人を救ったマエストロ」という「物語」もそのひとつ。
そんな番組を鵜呑みにするような人達は、まさに一蓮托生で従順な日本人そのもの。イタリア人なら、誰も鵜呑みにはしないだろう。「東京五輪」「おもてなし」と囃し立て、「森友」「加計」と大騒ぎのこの国は、一方で福島原発事故の現状、近未来の大震災への対応においては、意図的に情報をコントロールし、国民に「見て見ぬふり」を強要している。こういう国はやはりしたたかな世界を相手にするには幼稚で、ひ弱すぎる。それだけは確かだろう。