今日は「辛亥革命100周年」の記念日。中華民国(台湾)の建国記念日(双十節)でもある。
1911年(辛亥の年)のこの日、清朝の支配に抵抗する武力蜂起が起こった。これに大きな役割を果たしたのが、孫文。孫文は「三民主義」を唱えたことで知られるが、同時に「ひとつの中国」という虚構をふりかざした張本人でもある。
大陸では「「ひとつの中国」を巡って、中国国民党と中国共産党の暗闘が繰りひろげられた。両者は相容れない二大勢力と考えられているが、清朝が遺した最大版図を「中国」だとして継承し、漢民族中心の「中華大国」を目指した点では、ほぼ一致している。
皮肉なことに、「辛亥革命100年」は、本家である台北よりも北京で盛大に祝われた。
(北京・人民大会堂で開かれた「記念辛亥革命100周年」大会)
この大会では、死亡説まで伝えれた江沢民が登場し、胡錦濤が「ひとつの中国は孫文の願いだった」と演説した。
プロレタリア文化大革命などの動乱をリアルタイムで覚えている者にとっては、まさに夢(悪夢?)のような出来事だ。あの狂気の時代には「孫文」など一顧だにされなかった。「毛主席万歳!」以外のあらゆるものが禁じられ、知識や理性は悪とされ、無知であることが賞賛された。まさにこの時期に、現在の「大中華」「中華愛国主義」の土壌がはぐくまれたのだった。ウイグル、チベット、モンゴルなどの少数民族地域を漢民族の領域に組み込み、彼らを抑圧することで成り立つ、新たな「中華帝国」。孫文は、本当にこんな国家を目指したのだろうか?
中共(=中国共産党)は、史実を都合よく歪め、歴史を簒奪する存在であることがよく分かる。
意外にも、中国国民党(KMT)のニュース※では、辛亥革命について、極めて冷静に報道がなされている。
日本のマスメディアは、「産経新聞」を除いては、台北の報道を無視しているが、私などは、このKMTのニュースの方が、ずっと客観的で真実を伝えていると思う。
辛亥革命100年を両岸が各自表明
ニュースソース:台北の各新聞
2011年10月3日
台湾海峡の両岸が辛亥革命100周年に直面して、それぞれ各種のイベントを計画している。しかし、同じように辛亥革命100周年を記念しながら、両岸のアピールの主軸は全く異なっている。台湾は2012年1月1日に中華民国建国100周年を「慶祝」する。また辛亥革命を中華民国創建に導いたとして10月10日を国慶節にして慶祝している。中国は辛亥革命100周年を「記念」して、中華振興、民族復興を掲げる。
両岸には辛亥革命100周年に対して「慶祝」と「記念」の主軸がそれぞれあるが、これは両岸の歴史観の違いであり、中国は中華民国が存在している事実を具体的に直面しようとしないことに起因している。従って、複雑で解決が難しい歴史の課題、並びに敏感に対立する政治的テーマについて、双方は極力歴史の解釈権を取得しようとしているが、現実の情勢から見て、「辛亥革命100周年を各自が表明する」局面からは抜け出せそうもない。
中国共産党は孫中山(孫文)氏を「革命の先駆者」と呼び、孫文の未亡人宋慶齢さんを籠絡して中国人民政治協商会議副主席を担当させた。そして彼女の臨終の際には、「中華人民共和国名誉主席」の称号まで与えて、孫氏に対する礼を遺憾なく表した。しかし、中国共産党は辛亥革命100周年で、革命の精神を還元することはなく、現実の政治目的に着眼している。
王毅氏は最近孫文氏が述べた「統一は中国国民全体の希望であり、統一できれば全国の人民は幸福になれる。統一できなければ、害を受けることになる」を引用している。王毅氏の意図は両岸関係に対して啓発を生む作用を期待してのことだが、辛亥革命100周年で、中華民国建国100年という歴史的事実と政治の現実を無視した場合、両岸に対する啓発は自ずと制限を受けることになる。
なぜなら、中国共産党の辛亥革命100周年記念は、中国のネットワーク上で討論する辛亥革命100周年、民国等の題材が追従されている現象があるからだ。あるネット愛好者は、「民国時代が今より自由で民主的だったことを今知った!」、「当時毛沢東や共産党が現在の環境で共産党運動を行ったら、早くに銃殺刑にされていただろう」と述べている。
また、中国が最近辛亥革命100周年と民国の題材を追従しているのは、辛亥革命という事件を追従しているのではなく、辛亥革命が追求した民主自由の精神を追従するためだと述べるネット愛好者もいる。