エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

備忘録 救急車に乗る

2021-02-20 | 健康

拙ブログ 「しばらくブログお休みします。」と、何度休んだことだろうか。

昨日のこと、孫を学校へ送り帰宅、朝日燦然と射す庭にすばらしい一日が始まるはずだった。

駅前

一寸先は分からないものだ。遅い朝食を摂っていたとき体調を崩した。


以下は備忘録。(2/19)

たまに起こす症状、動悸がひどく不整脈が起きた。

これまでも十数回の入院時に不整脈を指摘されたことはあった。最近では、1月末に同じ症状が二日続いた。

孫娘を学校へ送り朝食摂り始めた時だった。

血圧計測をするが、何度計ってもエラーが続いた。

血圧低下と思う、眩暈がして目を閉じると真っ暗、車で病院へと考えたがそれどころではなかった。

数分で容体急変、頭痛がして気持ちが悪く倒れ横になったが動けない。

ばーちゃんは会社勤めの娘を呼んだ、吾輩も、いやいや救急車を呼ぶことに同意。

今回は意識があり搬送時の救急処置もはっきりしていた。3年ぶりの入院を思った。

寝たまま救急隊に担架で運ばれ病院へ。

慌ただしく緊急処置を受けた。心電図やCT検査、採血そして点滴。

ところがいつも問題の点滴、針が挿せないのだ。

(生かされて18年、数え切れない点滴にもう刺さるところがない。一夜明け、この痛々しい絆創膏のあとが5か所残っている。)

ベットで、変化するモニターの波型データを見つめながら約3時間、ただ横になりまどろんでいた。

いくらか気分は回復したが、まだ眩暈が少し。ようやく車いすで診察へ。

そこからがまたいけなかった。

外来患者で混んでいて、途中、医師が予定していた手術へと、結局別のHama医師にお世話になったのが午後1時半を回っていた。

診察中、医師との会話で、あらためてこれまでの病歴、いのち救われてからの病歴を認識した。

病名、経過を聞いた医師は「これまで生かされ、生きているのが不思議だ?」と。

それから会計、処方箋を持ち薬局へ寄り何とか帰宅できたのが3時時半。

付き添いのばーちゃんにはまた心配をかけ、お世話になってしまった。

帰宅し、バナナとサンドイッチをおいしく食べた。時々鼓動の動きを感じながらも元気を取り戻すことができた。

今朝は気分もいい。食事もおいしく食べ、お薬3種類を服用。心臓検査の再診は3/5。

 

  

 

悪夢の昨日のこともあり、

今日は窓越しに庭の雪景色を眺め、読書、音楽鑑賞など、安静にしていたい。

ブログは書けそうだが、しばらくは静かに、静かに過ごしたい。   

庭の雪に朝日が燦然と降り注いでいる。 あらためて健康第一を思っている。 (写真(2/19朝)撮影)


明日のことは分からない

2020-11-15 | 健康

明日のことは分からない  


(以下、備忘録として)
 11日は消化器科の退院後の初検診、2週間がたった。次回検査は来年3月に決まった。

翌12日は、月1度の糖尿病と、連日の診察となった。

いやいやながらも、そこまでは予定通りだったが、夕方とんでもないことになった。

突然の、これまでにない腹痛、吐き気が出はじめ震えも来た。

車を運転してと思いつつも、つかの間に運転できる状態でなくなってしまった。

そろそろ退社時間の娘に連絡を取り、ばあーちゃんに付き添ってもらいなんとか救急外来へ向かった。

誰もいない待合室で長い時間待たされた。

点滴で鎮痛剤を打ち、CT、レントゲンを終えベットに横になった。

2年前のことがよみがえり、また入院か・・・と不安がよぎった。

まずは点滴、いつも辛い。痛い思いをして4度目で針がうまく刺さった。

腸にどんな異変があったのだろうか。

血液検査の結果が出るころには、おなかの痛みは引き始めた。

診断を聞き、約3時間の滞在で帰宅することができた。

少し心配しながら、3日になる。もう大丈夫なようだ。

  ****************
 【11/12を振り返る】

 朝は初霜だったが、久々の快晴に恵まれ清々しく出かけた。

 ところが、病院の駐車場に入って、診察カード以下、関係の書類を家に忘れてきた事に気づいた。

折返し家に戻った。 最近、どうも物忘れが多い。

待合室に落ち着き、ゆっくり日ごろの行動を振り返った。

カメラにSDカードを装着し忘れ、ずっと素晴らしい写真をとシャッターを切っていたこと。

これは、ときどきある失敗だ。

ついこの前は、折角撮ってきた貴重な画像データをPC操作でうっかり削除してしまった。

このときの残念な思いは忘れられない。

 あらためて歳相応に落ち着いた行動を、そして心静かに日々を送ろうと反省した。

  何も焦ることはないのだ。  落ち着いて! 落ち着いて! と言い聞かせていきたい。
 
 診察室の待ち時間、忘れ物がきっかけで、あらためて日々の過ごし方を考える時間となった。

  通り過ぎる人たちをやり過ごしながら、患者一人一人の後ろ姿に、それぞれ生活があり人生があることを思った。

 いつもそうしているように、書きかけの文章を推敲する。読みかけの本に目を通す。物思いにふける。

 ようやく呼びだしかかかる。

 診察が終わり、会計を済ませて、隣の薬局に寄る。

 やっといつものパターンで診察を終えて帰宅。軽い昼食を摂りゆっくりコタツに温まって過ごしていた。

 夕方5時ころ、突然の腹痛が襲った。
**************************

明日のことは分からない。

まさに徒然草の教えるところだ。

されば、人、死を憎まば生を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらんや。」(第93段)

ただ今の一念、むなしく過ぐることを惜しむべし」(第108段)

一生は雑事の小節にさへられて、空しく暮れなん」(第112段)

 

会津慈母大観音  飯豊連峰

        

             


家に戻りました。

2019-03-20 | 健康

 

数え切れないほどの入退院を繰り返してきた。

何度も生かされて、十数年はなんとか平穏な日々を送ってきた。

昨年夏の突然の入院も、神に一命を取り留めて頂いた。

今回の短期入院、部品交換は決まっていだが、いろいろな思いが去来して、いつになく沈んだ。

病院での生活はいつも辛い。今後も定期的に繰り返せざるを得ないことに、一層気が滅入る。

食事が取れず,点滴を見つめながらの寝たきりの入院生活を恨むが、その都度、健康を取り戻してきた。

だからこそ、今の小さな幸せ、平穏な年月があるとつくづく思う。

取りあえず、短期間で退院の喜びに浸っている。

家族の心配はいつも自分以上だ。感謝以外の何もない。

早くに沈んだ気持ちを振り払い、また徐々に里山を巡リたい。

お彼岸、墓参りして再出発だ。

 

庭の芽吹き

トキソウ ミスミソウ

クリスマスローズ ボケ

サンシュ ヒメシロチョウ間近

 ユキヤナギ膨らむ

 アズマイチゲ一輪

ニオイウチワ 

 

(*)しばらく分からなかった花、ニオイウチワ と判明

以前のブログを遡り検索した。 ようやく見つけた2008-04-08のブログ「早春の花」

             blog.goo.ne.jp/tosimatu_1946/e/666d944e8135fb166811bd6c3f43769b/?st=1

『この春一番に暖かくなった庭を一巡りした。
 気に掛けないでいたにニオイウチワが細い枝に可憐な花を付けていた。そういえば、2、3年前に細い苗を買って植えたが、初めて咲いた花は想像を超える美しさだ。     ジンチョウゲのような高貴な、いつか嗅いだことのあるような高級香水の香りがした。枝に付けたままの説明書きを読むと、名前は品種により翼果を付け、その形に由来するとある。 まだ4,50センチだが、1~1.5㍍くらいの木になるらしい。』とあった。


  


ブログ更新します。

2018-08-26 | 健康

 アカシジミ 乱舞

日曜日朝7時45分、 久々にゆっくり視聴したNHK「さわやか自然」

津軽平野のアカシジミの驚きの乱舞を見た。

 羽化

7/15、思いもしない突然の入院だった。前日までの連日、里山を元気に巡っていたのに・・・。

長い闘病生活となった。

意識不明で救急車で運ばれてICUで2週間、何とか命救われた。

「奇跡です!」担当医師にそう言われた。

その後の治療の甲斐あり、昨日退院することが出来ました。 

スッカリ落ち込んだ体力がショックですが、焦っても仕方ない。

自省するに、あまりに忙しすぎたようだ。

今後は、係わる多くのボランティアを辞し、自然を真ん中に置いたゆとりある生活をしたいと思っている。

ブログまた更新します。よろしくお願いします。


 多少の不安

2016-03-11 | 健康

                                                               ツグミ

 ようやく呼ばれて診察室へ。しばらく平穏を保ってきた血糖値がこのところ徐々に上がり、今回はとても高かった。

 いつも心配している肝機能はすこぶる良いが、少しばかり残っている膵臓の働きが低下したのだろうか。

具合の悪かったころはずいぶん食事に気を使っていたが、最近はいたって気にせず自由に飲み食いしてきた。

最近も、特別変わった生活はしていない。思いつくのは、運動不足か。誘惑に負け甘いものもつまんでいたか。

じきに里山を巡る季節がくる。努めて運動したい。食事にも気をつけたい。

多少不安がもたげて、少し気をつけて生活しなければと反省している。

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 月一度の検診日、待ち時間にこのところ「風の良寛」を拡げている。心が安らぐから。

 加島祥造の「老子と暮らす」にあるmindとheartについて取り上げていた。

 《世の中生き抜くに必要な、油断なく働く鋭い頭脳であり、勤勉であり、現世の出来事への飽くなき関心など、そう言う頭の働き》をマインドと、

 それに対し、《鳥の声に耳を傾けたり、風の音に天地の移ろいを感じたりという働き》をハートと言っている。

 良寛はひたすらハートの働きに生きた人だった。

 経済優先の便利で楽な生活に浸りきった現代人には、ハートが忘れられているのではないだろうか。

 前政権の民主党のスローガン「コンクリートから人へ」に似た感じがする。

 いま、時間の流れが速すぎると感じている。もっとゆったりした気持ちで、無為に過ごしたいものだと思っている。

 でも、これまで周囲に生かされ続けた我が身なれば、せめて細々やれることだけの恩返しは、とも考えるが、世の中から見放された老人の戯言かもしれない。

 これから、里山を巡り土手に佇むいい季節が巡ってくる。

 緑を眺め、静かな空間にひらひら飛んでくる白いチョウを眺める。そんなひとときが慰めだ。

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庭のクリスマスローズの花芽が膨らむ                                      サンシュ

     

 

 

 

 


白内障の手術 無事終える

2016-02-16 | 健康

 

2/15(月) 穏やかな朝7時過ぎ、みーちゃんに病院まで送ってもらった。
診療計画書を見たら水晶体再建術とあった。なるほど。

今回の左眼の手術、キャンセルが出て、初めの予定より1ヶ月早まった。

ベットに落ち着く間もなく点滴が始まった。何十辺やられたことか、感慨深いものがあった。
9:10手術室入室、9:40分退室。痛かった手術は正味20分,今回も見事な天文ショウを見た。

4年前にも楽しんだ美しすぎる光の競演だった。かなり痛い思いをしたご褒美だ。

色の源は光、わずかな波長の違いが微妙な色合いを演出する。

手術の光源の角度、医者がときどき落とす点眼、手の動きの変化が醸し出す色彩の変化に感動させられた。

早く終わってくれ、痛くないようにと祈りながら、この色彩の織りなす神秘の感動に浸った。

前回のショーを思い出していた。星雲の中央が紫からピンク、周囲はもえる若草色
それらの組み合わせが続き、最後は見たこともない青空が広がり、突然暗転。幕が下りた。

術後の医者の第一声「うまくいきました。」  患者「ありがとうございました。」

 

無事に手術が終わり、後は安静の豊かな時間を過ごした。見舞いに来た妻と昼食をとった。

質素な病院昼食に驚く。ロールパン2つにジャムとヤクルトジョア。カロリー計算の間違いではと思うほど質素。日ごろを反省する。

ベットに足を伸ばし、ラジオのFMは懐メロ、クラッシックを聴く。こんなことならときどき入院したい。
   
 夕方の検温、37.2℃の微熱がでて、アイスマクラをもらった。普段低い血圧も155、仕方あるまい。

 その後がいけなかった。ほとんど眠れない地獄の一夜を過ごすことになる。

 6人相部屋の病室、年寄りばかりでトイレも近くその都度のドアの開閉音は入り口のベッドにはきつかった。

 眠りかけると、点滴終りを告げる電子音ピィッ、ピィッ。いびき、お隣は風邪気味でおおきな咳、ときどきの看護婦の見まわり・・・。

 長い入院経験でもなかったような最悪の苦痛の一夜だった。

 

  翌朝一番で外来眼科で術後の診察を受けた。

 眼帯を外すと、まばゆいほど明るい世界が広がった。赤みを帯びた暗い電球色の左目は、すがすがしいさわやかな昼光色に変わった。

 視力も見事に回復、左右ほぼ同じ視力となった。ただ、小さい字は2重に見え、乱視は仕方ない、メガネでカバーしよう。

 前回と全く同じ手術だったが、会計は負担率が変わったか、前より高く8万円を超えた。そのうち高額医療費を請求したい。

 とはいうものの、現代医療に感謝感激だ。今シーズンは、きれいな目で、ますますきれいな自然を見ていけそうだ。

 数日間、細菌感染予防の飲み薬、3種類の目薬を点眼、夜間は眼帯を守ること!

 先ずは無事手術を終えた。こんな機会には、あらためて家族に感謝し、日ごろのわがままを詫びたい思いがしている。

 健康が一番、しばらく気をつけて生活しよう。

***********************

 2/17(水) 今日は静かに雪が降っている。

 気温は0度前後、消えた雪が少し積もり始めた。

 膨らんだキリの花芽に、ツバキに、花粉放出を始めつつある杉の林にも雪が積もり始めた。

 春の雪だ。もうしばらくで、本格的な早春を迎える。

                                                                                 ↓ キリの花穂

   

                      神社脇のスギの大木(天狗杉)               ↑   我が家の四季を彩る ホウノキ    ↑ キリのつぼみ

 


 


あれから4年、また一泊二日の入院

2016-02-14 | 健康

 明日、一泊入院手術を受けることになった。
糖尿病からの白内障がひどく、4年前の右眼に次いでの手術だ。

そのときのブログ「一泊二日の入院」を読んだ。
 http://blog.goo.ne.jp/tosimatu_1946/e/f5e89f1365e25b061ed72dc7a38fc1b9
やはり痛そうだ。無事の退院を願っている。

今回の手術はキャンセルが出て、予定より1ヶ月早まった。
すでに手術前の検査も終わり、体調も悪くない。数日前から医者の言うように目薬を続けている。
 今衰えた左眼はど近眼。でも、裸眼で4,5センチに近づければ見える。
一方、右眼の視力を回復してからはメガネなしでも生活できていた。しかし、遠く離さないと見えない。小さい字は駄目だ。今回の左眼も右眼のようであれば,たしかに良くなるだろうが、近くは見えなくなる。小さい字には虫眼鏡が必要となりそうだ。
 前の手術後には,左右の視力に合うメガネをあつらえず困った。今回はどうなることか。今の呆けたおぼろな視界はいらない。新しい目で,新しい春を迎えたいと思っている。

 

今日はバレンタインデー  昨日真ちゃんからチョコが届いた。


深まる秋 新しい気持ちで

2014-11-01 | 健康

             

 朝9時、検診に病院へ。駐車場の木々が秋の陽に一層鮮やかに美しかった。
 色づいた真っ赤なサクラと黄色いイチョウの葉を手に、文庫本にはさんだ。
 お腹の中はどうなっているのだろうか。予約していたCT検査を受けた。
 数え切れないほどの放射線を浴び、お陰様にて近代医療技術に助けられ、新しい人生を歩き始めて早11年が経った。
 一病息災 というが、まさにこの大きな病を得て自分本位の日々が変わり、周囲に感謝しつつ我が身を一層愛おしむようになった。
 
 待合室で静かに待っていた。ようやく呼ばれたのが昼過ぎ、画像を前にI医師は
「転移の心配はなさそう。」「ときどきの炎症は、仕方ないね!」「しばらく様子を見ましょう!」と。
 いずれは?と思いながらも、取りあえずは一安心。
  久々のメンテナンスだ。爆弾を抱えていることを時として忘れてしまう。
しばらくは安全運転で走っていきたい。
 幾度も体験したあの退院の時の嬉しい清々しい気持ちいっぱいで病院を後にした。
                                                                                                   (2014.10.31)


今の幸せ

2014-10-29 | 健康

 

 今朝、妻に促されてしばらく通院していなかった消化器科を受診した。
 10日前の発熱に続いて、数日前に微熱と全身かゆみの症状に苦しんだ。かつての炎症よりひどく、胆管の様子も知りたかったので、重い腰を上げた。大事にならないでと祈りつつ、常備薬を処方してもらい、CTの予約をして病院を後にした。
 
 思えば初めの大手術から4~5年は、毎月1,2度炎症を起こして8回の入退院を繰り返した。でも、最後の入院治療以降6年間はすっかり快復し元気に生活してきた。
 診察室にかかる月曜の担当医師の名前を見ると、かつてお世話になった、命の恩人I先生だった。一度病院を離れられたことを聞いていたので、偶然の再会のようで嬉しかった。

 懐かしく、当時の日々が甦った。その後元気で生活していることを、頭を深々垂れ報告した。

通院をためらいながら昨日、かつてまとめた「闘病の記録」を読んでいた。健康な頃は、もう病院へは行かないと思っていたが、通院を決めた。もし入院となっても・・・。

待ち時間に、持参した「闘病記」に辛い思い出をたどった。
 もう何年も見ることはなかった闘病記は、「11年前の大手術」の時の他、「退院翌年の3回の入院」、「7年前の最後治療」の3分冊で、総ページ数はA4版50Pに及ぶ切ない記録
だった。そこにある、もう二度と繰り返したくない切ない事実を見つめた。

目を閉じると、当時の闘病の日々が走馬燈のごとくに甦えった。病室で流したいっぱいの涙が鮮明に浮かんできた。

そこには、端々に「もう一度当たり前の生活がしたい」とある。「日々庭を巡り、クラッシック音楽に耳を傾けながらコーヒーを楽しみ、夕餉には少しの晩酌を・・・」などと。
 

健康でいるときはつい忘れてしまう今の幸せを思った。
もう入院したくない。身体を愛おしみ、安らかに、穏やかに過ごしたいものだ。  (2014.10.27)

 

 


鬼の霍乱

2014-10-12 | 健康


これを【鬼の霍乱】と言うのだろうか。
今朝、ストーブを点け普通に食事をした。
PCに向かうと突然寒気がし出していた。

10時過ぎに、前からの約束で妻と娘の運転で郡山まで外出したが、何となくおかしい。高速に入る頃から悪寒がひどく、かなりの震えが来た。
歯ぎしりと共に、腕までが震えた。

磐梯SAで薬を探したが店には置いていなかった。
普通ではないので、猪苗代ICで引き返すことにした。

家を出てわずか1時間のドライブ、家に戻るまでの30分間は1分おきに生あくびが出た。

帰宅し体温を計ると38.9℃の高熱だった。かつての頻繁な炎症はほとんどが微熱で息苦しさを伴ったが、今日は全く何の症状もなく、突然のことだった。

でも、何はともあれ常備薬のRo錠とFu錠を服用し、ソファーで布団をかぶった。

約1時間経ち、37.5℃まで下がった。 しばらく様子を見ていると、2時間後には36.8°まで下がり、少し汗ばんできた。
 

理由は分からない。でも、一度死に損ねた身だ。注意しなければ。

人間、明日どうなるかは分からないもの。 普段忘れていた辛さを思った。

心当たりはない。でも気をつけよう。もう病院には入りたくないから。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今朝の庭で 

   

  色づいた柿の葉にアキアカネ    鮮やかなツタの紅葉       清々しい朝の光だったのに・・・。           

 


コシアブラとモチタラの天ぷら

2013-05-13 | 健康

                                                   今朝の黎明  午前4:03

  お向かいの浪江からの被災してきている奥さんが庭をのぞきに来られた。

 数年前に苗を植えて毎年楽しんでいた食べ頃のタラの芽を指指して、「モチタラはおいしいよね!」と。 トゲが少ないタラの芽を言うらしい。

今年はなかなか芽が出ないので、枯れてしまったかと思っていたら、いつの間にか食べ頃を通り越していた。

2本とも健在だった。今年は食べないで大きくしようと思っていたが、少しでも天ぷらに、と考えた。

 5/4 のモチタラの芽

 そんな矢先、夕方娘が嫁ぎ先から採りたてのコシアブラをいただいてきた。

 すでにメインディッシュは出来上がっていたが、折角なのでと妻は天ぷらにあげてくれた。

 天ぷらに → 

 旬の季節に、山菜の王様をごちそうになる贅沢、夏の陽気も手伝って冷たいビールが実においしかった。満足、満足。

 

日記@BlogRanking


一泊二日の入院

2012-04-08 | 健康

 

 また入院してしまった。昨年の夏ころから、右目の視力が極端に悪くなった。
糖尿病から来る白内障と診断された。手術自体は15,6分で終わるという。これまでの数え切れない入院に比べれば、正直、気は楽なものだ。

 土曜日11時の入院、パジャマに着替え、点滴が始まった。点滴針がうまく刺さらず、3度目の正直、つい昔を思い出してしまった。
  軽い昼食をとり、2時過ぎ手術室へ。左腕に心電図コード、右腕に自動血圧計。電子音がピッ、ピッ。

手術が始まった。痛くないと聞いていたが、やはり辛かった。頬骨の下の頬に注射らしきもの、多分麻酔か。

消毒された右目に眩しいライトが照らされた。何度目かの黄色い点眼液が見え、次いで中央に小さな長方形の金属片が見えた。

その縁が裏からの光に眩しかった。その金属片周囲は美しいスカイブルー、ときどきピンクのオーロラのような揺らぎがあらわれた。

あの美しい濃い澄みきったブルー、なんと表現したらいいのだろうか。美しすぎる。いつか映像で見た宇宙空間からの地球の夜明けの写真を思い出した。

宇宙空間に浮かぶ地球を取り巻く空気層が、あの青い色だった。

繰り返す痛さを我慢しながら、これまで見たことのない美しい色の宇宙ショーを鑑賞した。12、3分だったろうか、急に暗黒になって手術は終わった。

 お礼を述べ手術室を出ると、涙が溢れた。

またも家族に心配をかけ、病院にお世話になりながら生かされる、切なさ、うれしさが込み上げたのだろう。

 迎えの車いすを押されながら、看護婦さんに痛かったことと、今見てきた美しいショーを話した。

でも個人差があるのか、翌朝の検診で隣り合った患者に聞いたら、そんな美しいショーは見なかったという。また全然痛くなかったと。

 強烈に明るい光源の光が複雑に反射、屈折をして、網膜に届いた。その波長が偶然の美しさをプレゼントしてくれたのだ。痛さに我慢したご褒美だったのかも知れない。

 翌朝、診察を前に眼帯を外して初めて見る光景はとても明るかった。おまけに裸眼でもよく見えた。手術は成功した。真っ赤な出血もじきに引けるという。 

              
 手術後2時間の安静、普通に夕食をとってからの夜は長かった。枕が変わると駄目。おまけに相部屋、両隣のいびきに悩まされた。
 寝付かれず、ポケットラジオをイヤホーンで聴いた。クラッシックやら野球中継を。何気なくFMへ入れるとFMシアターが始まった。

森治美の原作の「祖父と手紙と僕」、聞き応えのある素晴らしい番組を聞くことが出来た。

 朝の点滴1時間、娘に迎えを頼んで帰宅した。
 4年生の武琉君、じいが借りてきた金属製の眼帯を心待ちにしていた。
歴史が大好き、じいちゃんの居合い刀を持ち出し、独眼竜になりきった。

段ボールで眼帯を作って独眼竜で記念スナップ、いつか思い出の写真になるかもしれない。

独眼竜 武くん(新4年生)    8歳、 萌ちゃん(新2年生)  ガールスカウトの服装で

    

 きょう夕食は、萌香ちゃん誕生パーティ、ついでにジイの退院祝もささやかに・・・。

 

日記@BlogRanking

 


きょうも健康に留意して

2011-06-30 | 健康
 辛い一日が過ぎた。突然の体調不良だった。
「災難は忘れたころに」だ。きのうは、ちょっとひどかった。
 3年前までは週に1度くらいの発熱、頻繁だったつらい症状も、最近はすっかり回復している。
 でも、やはり病人なのだ。普通に生活していると、そうした自覚を忘れることがある。
一夜明け、体調は戻ったようだ。しばらくぶりの警鐘、あらためて健康に留意したい。

いま、8年前の「闘病記」を開いた。
我が「闘病記」の表紙に
 「長い入院、療養の日々、毎日の心の動きをメモせざるを得なかった。
 病の回復を神に祈り、平凡でも幸せな明日を願うために綴った、私と妻、
    それぞれのノートのメモをここにまとめる。
 家族がそれぞれに「一つの病」を見つめた数ヶ月、その思いの一端をいつも
忘れたくないと思う。」
 また、3年前の10回目の再入院時の入院日誌の一節に・・・・・
  「今日も何もないようだ。無為に時間が流れていくようでいたたまれない。
   焦るな焦るなと言い聞かせてはいる。考えれば、これまでいかに無駄な時間を
   費やしてきたことか。そう考え納得するが、それにしても辛い。おまけに今日の
   快晴、病院の窓からこんな雲一つない秋空を眺めていることはもっと辛い。
   多少センチな気持ちにもなる。
   でも、道元曰く「三界は只心なり」どんな状況に
   あろうが、心の持ちようによって充実した人生があるのだ。そう勇気づける前向
   きな気持ちと、こうして惨めな気持ちが交錯する。
   急がずに、静かに落ち着いて世の中を眺めていきたい。天真に任せる。
   与えられた時間だと思い静養したい。静かに心をきれいにしようと思う。
   ・・・・・・・」

ときどき、「闘病記」を開き、病床での心を振り返る。
 辛い病床に日々、家族にかけた迷惑の日々を思い起して、常に健康に留意する生活を心がけたいと思っている。

日記@BlogRanking



検診を終える

2010-08-14 | 健康
 また病魔の痕跡を見つけようと、お盆前の8月の予約検診を受けた。
月に1度の血液検査項目、肝機能はクリア一して一安心。でも・・・,Hが3項目,Lは5項目もあって少々溜息。
でも正常値からほんのわずか、コンマ1外れてもH、Lの判定もあり、あまり気にしないことにする。

 毎月の体調その他、いろいろ心配なことを話すが、思えば検診でお腹を触ってもらうことは皆無である。
医者も、患者も、精密な検査結果データが万能で、もっと心の通った温かい会話があってもなどと思ったりしている。
 体調より、コンピュータで打ち出された科学的データがものを言う。でも、データがすべてではないと確信している。

 身体の大改造からもう7年にもなった。
高速バスで、泊まりがけでの上京しての検診は、何時しか地元で見てもらえるようになった。
その頃の数値と比べてみると雲泥の差である。
欲を言えばきりがない、現代医療に感謝感謝である。
 まあまあ普通の生活ができる様になった今の健康状態には大満足である。


毎日髭を剃ることにしよう

2010-08-02 | 健康
【アシグロツユムシ 終齢幼虫】
 妻には、いつも「髭を剃って」とうるさいくらいに言われている。
どこにも出なくなってからはどうも無精で、数日伸ばしてしまうことがあった。
普段は、「髭を剃っていれば見られるのに」とぼやかれるが、
今朝は、「具合が悪くても顔色だってわからない、また、いつ入院ということになるかも」と念を押された。
 昨日の夜中に具合が悪くなったから、特に。

 寝付いた夜中の0時15分ころ、何となくおかしい様子を察知したのか、娘が覗きに来た。 孫と寝ている隣室の妻も起こしてしまった。
 理由は大病を患った後の持病にあるのだが、血圧が79-42にまで下がっていた。
 脳貧血の症状なのだろう、顔面は蒼白、腕や胸に冷や汗が出て下着がぐっしょり濡れた。
 確かにいつもと違い、頭が真っ白になり、意識が遠のくようであった。
 かつて病院で経験したような意識の混濁を久々に体験した。そしてこうして簡単に病院に戻ってしまうのかと、不安がよぎった。

 妻が、救急車を、と言うのを抑えながら、頭を低く保冷剤で冷やして安静を保った。
 ときどき血圧を測りながら様子を見た。
 下の血圧が47、51と徐々に回復し、まっさおだった顔色も紅みが出てきたようだった。
 大分落ち着いてきたころは、午前1時半を回っていた。
 
 今朝の血圧は、110-60mmHgとやや低いくらいに回復していた。
 大分回復して本人はじきに寝たが、後から妻や娘はしばらく眠れなかったと聞いた。
  
 手術で失った沢山の臓器の働きを、いつしか月1度の検診と、日々の健康な生活への留意で乗り越えている現状を痛いほど知らされた。
 仕方のない原因と確認しながらも、もっと大切に過ごしていかなければと肝に銘じた。

 思えば7年前の今頃は、神奈川の大学病院へ転院し、大手術を待っていたころだった。
 

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