エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

きのうの磐梯は麗しかった。

2014-01-31 | 日々の生活

  昨日は、雨戸を開けると磐梯山がくっきり聳えていた。
 風もなく穏やかで、孫と庭に出た。凍てついた雪をスコップで割った。
でも、庭の気温は-1℃(11時)、寒かった。

 2階から  悠くん 

昼前に郵便局までの途中、多少見晴らしの利く大塚山中腹まで登った。

雪は硬く、思ったほど沈まない。足跡のない雪道を滑らないように一歩一歩。
  枝越しに真っ白な飯豊山を望んだ。磐梯山も正に、麗しの磐梯だ。

遠くに小鳥が止まった。デジカメの倍率を上げたがはっきりしない。ホオジロのような気がするが・・・。

   
 
  今日はうって変わっての猛吹雪、予報を見ると積もりそうな気配だ。
 朝、孫たちは吹雪の中を元気に登校して行った。

 窓越しに吹雪の庭

続報・・・20cmほど積もったか、萌ちゃんの帰り時間にあわせて、ばあちゃんと2人で私道の道を空けた。

風も緩くなり、雪も止んだ。悠くんも鼻歌気分でついてきた。おかげさまで、このところの運動不足解消になった。

あいた雪道を郵便配達のバイクがありがたそうに通って行った。

  

 

 

 昨夜は町内の役員会、2/2の総会資料も立派に出来上がり、最終打ち合わせを終えた。

 


「北越潜行の詩」の詩碑が 束松峠に建立された

2014-01-30 | 文芸

 最近、秋月悌次郎の「北越潜行の詩」の詩碑が、昨秋、会津坂下町の束松峠に建立されたことを知った。思えば、この詩は束松峠にこそふさわしいのだろう。
 お城に行くときには、いつも三ノ丸に建つ北越潜行の詩碑に立ち寄り、この詩に切なく胸を打たれていた。

  【 三の丸の詩碑 】

  会津藩士秋月悌二郎の波乱の生涯を描いた中村彰彦著「落花は枝に還らずとも」を再読した。

 「一度枝を離れた落花は、その枝に還って咲くことは二度とできない。しかし、来年咲く花の種になることはできる。」

  「会津滅藩に立ち会い、亡国の遺臣と化した悌次郎は、自身を落花になぞらえることにより、逆風の時代になおかつ堪えて生きる覚悟を初めてあきらかにしたのである。」とある。

 正にこの詩に、堪えて生きる覚悟を見る思いだ。

 悌次郎は、謹慎中に僧侶に変装してひそかに抜け出し、新潟で長州藩士奥平謙輔に会い藩の寛容な処分を訴えた。

 その帰途束松峠に立ち、憂い悩む気持ちを『北越潜行』の七言絶句に残した。

 峠は今深い雪に覆われているだろう。

 雪が消えたら一刻も早く峠にたち、詩碑に佇み、若松方面を眺めてみたい。

 悌次郎を偲び、今の世に何が必要なのかを考えてみたい。
   
 

 有故潜行北越帰途所得 会津 秋月胤永
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 行無輿兮帰無家 行くに輿無く 帰るに家無し
 國破孤城乱雀鴉 國破れて 孤城雀鴉乱る
 治不奏功戦無略 治は功を奏せず 戦は略無し
 微臣有罪復何嗟 微臣罪あり 復た何をか嗟かん
 聞説天皇元聖明 聞くならく 天皇元より聖明
 我公貫日発至誠 我公貫日至誠に発す
 恩賜赦書応非遠 恩賜の赦書は 応に遠きに非ざるべし
 幾度額手望京城 幾度か手を額にして京城を望む
 思之思之夕達晨 之を思い之を思うて 夕晨に達す
 憂満胸臆涙沾巾 憂は胸臆に満ちて 涙は巾を沾す
 風淅瀝兮雲惨澹 風は淅瀝として 雲は惨澹たり
 何地置君又置親 何れの地に君を置き又親を置かん
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   拙ブログに書いた     北越潜行の詩(2006-02-13 )  神のような人 秋月悌次郎(2010-4-15)】


 


精一杯に生きる鳥たち、虫たち

2014-01-28 | 文芸

                                      【ジョウビタキ ♂】 (ネットからお借りしました。)

  先日フォレストパークでの雪の中の研修で、弦間一郎所長の「冬の生きものを調べる」の講義を聴いた。
 まず、テーマ「野外生物観察」では、冬という季節が「生きることの大切さ」や「生命の神秘」などを知りやすい季節であること、落葉や雪上など、森林の中で生きものが観察しやすい季節であることを再認識した。
 その中で、バードウオッチング「心を観る、感じる野鳥」は素晴らしい話だった。

 資料に本人が朗読する串田孫一の詩があった。私にはしばらく忘れていた懐かしい名前だった。それは、1965年FM放送番組「音楽の絵本」の1500回記念のテープだった。
 
”今朝も小鳥が私を見にやってきた
 一体何をしているのだろう
 ・・・・・・・・・・・・
 私は戸口の小鳥を見返す
 山椒の実よりも黒い眼が
 私の疲れた赤い眼と重なる
 ・・・・・・・・・・・・
 木の実を食べては空を見上げ
 焦茶色の胸をきりっと張って
 ・・・・・・・・・・・・
 柿の木から飛んで行った
 枝の柿はまだかすかに揺れている
  ・・・・・・・・・・・         ”
ここで、講師の質問は 「ここに登場する野鳥は?」何という種類だろうかだった。
形態は?習性は?・・・、野鳥についてあまり詳しくはない小生だが、詩の中の情報から推測するに、小鳥はジョウビタキ!と思われた。
 あの講義から10日が経った。気になって隣の短大図書館で串田孫一随筆集の「遠い鐘の音」を借りてきた。あったあった、「小鳥と女王様」と言う詩を見つけた。あの資料の詩だった。
 書き出しには「今朝も常鶲が私を見にやって来た」と、解答があった。
 資料の小鳥は常鶲、正解だった。
「山椒の実より黒い眼、焦茶色の胸、胸をきりっと張る、柿の枝が微かに揺れている・・・」一つ一つ、串田の正確な観察描写をあらためて思った。

 それにしても、この講義の組み立てが素晴らしいと思った。野鳥について総括的な解説はわかりやすく、頭の中がすっきり整理された。そして、「心を観る」の意義をあらためて考えさせられた。

 いつも小さな虫たちの心を思っていた。
厳寒の雪の庭にリンゴの皮を置いている。三々五々訪れる小鳥たちは、何を考えているのだろうか。きっと、ときどきこの庭に来ようと思っているに違いない。
いろいろな動物や小さい虫たちには、本能しかないとは思いたくない。人間に負けない優しい心があると信じている。


 北青木に善龍寺を訪う

2014-01-27 | 日々の生活

  

 昨年、西会津町にギフチョウの保護を提言したことがあった。その件で、ギフチョウの保護に関心のあるHさんから電話をもらった。つい最近も、町にその件で、参考になりそうな資料を送ったところだった。
 Hさんには沢山の資料を郵送する約束だったが、午後、3㎞くらいだろうか、運動不足解消も兼ねて歩いて届けることにした。

 かつて40年も前に半年住んでいた地域だ。バイパスを外れると、懐かしい街並みが現れた。善龍寺はかつて住まいしたところから目と鼻の先で、懐かしい。

      高台の境内からお城が望める

 生憎、Hさんは留守だった。裏の善龍寺へまわり、久々に「なよ竹の碑」に参った。
  会津藩家老・西郷頼母の妻千重子の辞世の碑が建っていた。
  「なよ竹の風にまかする身ながらもたわまぬ節はありとこそ聞け

 


ついでに、裏の雪の山道を辿り、何度か訪れていた西郷頼母のお墓に参った。
 驚くほど小さい墓、その脇の解説文には、
「 ・・・生前から保科家歴代の墓所に用意されていたが、祖先の墓石のいずれよりも小さくその人柄が偲ばれる・・・」とあった。

     

 西郷頼母は藩主・松平容保の京都守護職就任をやめるよう強く進言し、又、戊辰戦争では和議恭順を主張した人物でもある。
慶応4年(1868年)8月23日西軍が若松城下についに侵入、西郷頼母は城中にあったが、城外の家老屋敷に残された頼母の母律子、妻千重子など家族9人と一族12人は戦いの足手まといとならないよう邸内で自刃して果てた。辛い話だ。

 竜宮城のような善龍寺の山門からお城を望んだ。過ぎ去りし日々が蘇った。
 アセビに囲まれ、  切ない戊辰戦争の悲劇を語る歌だ。
 
 穏やかな日だったが、夕方は冷える。街を帰る道、磐梯山が真っ赤に聳えていた。
 頼母たちが、どんな心境で夕焼けの磐梯山を眺めたことか、思い巡らせた。

   

 


孫たちとスキーへ

2014-01-25 | 日々の生活

  

 午前中は、月に一度の診察日。心配な数値は少し悪化したが、まあまあと言ったところか。Drに2月に一度では?と聞いたら、いや月一度来て下さいと。
 あまり変わらない生活なので、サボりたい気持ちもあったが、待ち時間が長い。
診察の予約時間の1時間前に採血、予約時間を過ぎて1時間ほど経って呼ばれる。家を出て、帰宅まで3時間。やはり苦痛に感じることもある。
  お昼までの勤めの娘が帰宅早々、じいちゃんスキーに一緒して!と。
今日は久々に穏やか、明日は雪降りの予報で寒くなるからという。
 急遽、運転手で三の倉スキー場へ。
 午後のスキー場は空いていた。去年、30年ぶりにスキーに載った。正月3日だったか、ポケットに入れた万札を落としたことを思い出した。
 リフト4時45分まで、今日はナイターはありませんと放送が流れた。都合みんなで7回乗った。少しも寒くなかった。すぐに勘を取り戻したが、2度豪快に転んだ。たけくんももえちゃんも上手に滑っている。
 思えば、子どもたちが小さいころは猪苗代の町営によく行ったものだ。繰り返す世代交代を思った。約2時間、怪我もなく滑り終えた。
 筋肉痛が出始めた。風呂上がりに、湿布を貼った。

 


麗しの磐梯

2014-01-24 | Weblog

 

                                       【 零下10度 、凍てついた窓を開け 北東に磐梯を望む 】

玲瓏として朝日に輝く 磐梯 麗し

厳寒に凛々しく聳える 磐梯 麗し

大いなる大自然に 今日も 磐梯 麗し

 2階書斎から

 

 


忙中の閑

2014-01-23 | Weblog

  昨夜は久々に鍋をつついて、ひと息入れた。閑と言うほどではない、精神的なささやかな暇だ。

  先週末、3日間の雪の中の研修を終えた。
昨年6月からの5期15日間の森林環境に関わる研修を終え、その個人的な記録をまとめ上げた。また、別の自然環境保全に関わるボランティアにも応募することとした。
 やがて雪が解け、小さな生きものが活動するまでの間に、自然への思いを膨らませたいと思っている。
 それにしても、研修の前後は多忙を極めた。2月2日に総会を控えた町内の役員会等会議が3つ、昨日はなんとか総会資料の最終点検を終えた。何しろ400世帯もの町内庶務、もうしばらく町内の雑用に追われそうだ。

  現在積雪35cm 今年は少なくていい!

                                                                         屋根の雪が凍っていて、なかなか落ちない


雪の中での研修 (最終第5期研修終る)

2014-01-20 | 自然観察

  

  大雪にならないことを願いながら最後の研修を迎えた。
夜の間に車に積もった数センチの雪を落とし、8時に出発・・・の3日間だった。
ちらちら舞う雪の中を高速道で本宮へ。 中山トンネルを抜けると別世界、いつも快晴だった。でも、あだたら山麓を登りはじめると、やはり林は硬い雪に覆われていた。

 【 第1日 1/17  】

  朝カーテンを開けると庭に珍客。タヌキだ。

  慌ててカメラを取り、窓を開けると、静かに背を向け急ぐでもなしに逃げ出した。何とか逃げる敵をパチリ!
  猫や犬以外の獣は初めての客だった。

 久々のレクチャールーム、全面のガラスに静寂の雪の林が広がっていた。

研修テーマは野外活動Ⅳで「冬のアウトドアライフとリスクマネジメント」

先ずはロープワークから始まった。基本の結び方を教えてもらったが、楽しい頭の体操の時間となった。

午前中に雪原にテントを張った。
 ”雪原に 仲間集いてテント張る 遙かあだたら 白く輝く"

 午後は実際の事例を元にキャンプでの安全についてグループワークだ。
 裁判事例等、あらためて指導する側の責任の重大性、野外活動の安全第一を思い知らされた。

      

 今回の研修、冬道に配慮していただき朝10時からで帰りも午後4時までで助かった。
 帰路、峠を越え会津に入ると天候が一変、あらためて気候の違いを見せつけられた。


【第2日1/18】

 テーマは講座「観察Ⅱ」で「森林野生生物(講義と実践)」で楽しく過ごした。

 主に野鳥についての解説があり、これまでの頭の中が鮮明に 整理された思いがした。

  もうしばらくの冬の季節、身近な里山で何かテーマを見つけて歩いてみたいと思った。 

 午後はスノーシューを履いて雪の林間を歩いた。野鳥は少なかったが、冬芽の観察をしたりいろいろな足跡を見つけた。

スノーシュー 雪の林間歩みつつ 足跡たどる けもの愛おし ”  

      

 【 第3日1/19 】

 長かった15日間の研修もいよいよ最終日、テーマは講座「森林林業Ⅲ」の「森林づくりⅡ(実践)」だった。
 チラチラ雪の舞う中でチェーンソーの実践だった。

 庭で電動のチェーンソーを使っていたが、構造や目立ての方法など、ここでも安全配慮が第一を知らされた。

     目立て方法

 午後は実際に森の中で木を倒した。まず、受け口、追い口の切り方を体験した。

 伐倒では偶然かかり木の状態となり、貴重な処理方法を見学できた。

   


雪原を吹き抜ける冷たい風を受けながら、山形の詩人佐藤總右の詩を口ずさんだ。

そこは風の通り道 吹き抜ける風の中で ふるさとの雪は目覚める

 

 最後に「まとめの講義」を聴いた。
  資料には

   心の目・自己の感性を磨く

   知ることにり自分自身が豊かになりそれを子どもたちに伝えていく喜び
   ~[Sece of wander]  レイチェル・カーソン
   → 「自然の神秘や不思議さに目をみはる感性を育む」    とあった。
 
 しっかり勉強して、森を案内したいと肝に銘じた。

長い研修を振り返って、この年齢になり、いろいろな出会い、巡り合わせがあってこの貴重な研修に参加することができた。感謝している。
今後も、ささやかながら自然環境の保全を目標にささやかでも貢献きたらと思っている。

 


愛宕神社に詣る  

2014-01-14 | 日々の生活

  しばらくぶりに大先輩のA先生宅へ年始に伺う。
  冬晴れ清々し されど寒風寒しの1日だった。
 日頃の運動不足解消も兼ねて、先生宅近くの愛宕神社まで歩き参拝した。

 

 足下に気をつけながら雪の階段をゆっくり登った。

    (夏)不揃いな石段                        

ときどき登る200段を超える不揃いな石段、その両脇には
 ”愛宕様にお参りして 自分の健康を知れ
 ”愛宕様にお参りして 母の恩を知れ”   などの看板が建っていた。
 また、はためく幟には「祈り 雄々しく ただ一心に
                平らかに 安らかに 豊かな故郷 」とあった。 

 

本殿手前、踊り場の右に松平容保公の胸像を見つけた。何度も来ていたが、ここにあったことを知らなかった。

    


  本殿で柏手を打ち手を合わせた。教えられたように、家族の健康や両親への思い、豊かな故郷の平らかに安からんことを祈った。

  本殿前の「愛宕山由来記」を読むと、 /愛宕神社の創建は天応元年(781)、会津門田の庄小田の里谷池沼に棲み付いた大蛇が住民に悪さをした為、玉泉(三河国の修験者)が愛宕神社の分霊を勧請したのが始まりとされている。当初は里谷池沼の傍に鎮座していたが至徳元年(1384)、当時の領主佐原盛純が愛宕町に遷座、天正18年(1590)に蒲生氏郷が現在地に再遷座し30間四方の山、社領30石が寄進された。江戸時代には歴代会津藩主から崇敬庇護され、慶長13年(1608)には蒲生秀行が社殿を修復し、寛永10年(1633)には加藤明成が社殿を造営している。/

 また、辰、巳、牛の守り神とあった。境内には雷神を祀る太郎坊社 北向稲荷神社  縁結びの相生神社がある。

 ここから天寧寺へ抜ける山道には近藤勇の墓があり、ときどき訪れていた。

  A先生も奥様もお変わりなくお元気で、1時間ほど歓談してお暇した。

 

 夕方、頼まれて萌えちゃんのスキーを学校に運んだ。スキーの授業は数えるほどで、例年、全校で沼尻スキー場へ行っている。

 若ければもっとスキー場へ連れて行ってやりたいとは思うが、腰も痛いし、また年々なんだか億劫になっている。  もっと元気を出さなければ・・・。

 今日は寒い1日だったが、この冬は今のところ雪も少なく、寒さもさほどではない。どうか大雪にならないようにと祈りながら春を待ちたいと思う。
                                             

 


 先輩から届いた本

2014-01-13 | 日々の生活

 

  先日、思いがけない先輩から、思いがけないレターパックが届いた。
40余年も前、同じ化学会社の研究所でお世話になった美濃順亮氏からだ。すっと年賀状だけのやりとりで、はるか40数年の歳月が流れた。
 懐かしい手紙に、一冊の本、小冊子、講演の資料が同封されていた。
 ○ 先ずは手に取った本の題名にびっくり、「蓮如の女性観と蓮能尼」(自照社出版)。でもその不思議は著書の「はじめに」を見て氷解した。「私は浄土真宗「真宗大谷派」の末寺で生まれ育ったものの、宗教に背を向けて理系の道を歩みました。・・・・」と。
 先輩の実家がお寺さんであることは確か在職中にお聞きした覚えがあった。
 ○ また、小冊子「環境情報論」は大学の講座でのテキストだろうか。難解な文章だが生物多様性や森林生態系等の環境問題が〈人も生物の一員との認識〉の理念で語られていた。宗教論、環境論等、自分が興味・関心を抱く方向性に似た思いを感じた。
 ○ カラーコピーの資料は、『20世紀末に生を得て、21世紀に生きる「君たち」の世界を考える』と題した成人式の講演の別刷りで、郷土の若者への環境問題の啓蒙的な内容だ。  

 すべての資料に美濃さんの人柄、理念が凝縮されているように思えた。

 著作の著者略歴から、お別れしてからの先輩の業績を知った。会社からアメリカへ研究留学し工学博士号をとられ、花王の取締役を務められた。その後も化学関連機関の委員や理事、大学教授などを歴任、活躍されておられたのだ。人格、お考え、能力すべてに尊敬できる先輩で、我が身を振り返り足元にも及ばない立派な方だ。ささやかな人生のわずかな一時でもご一緒出来たことを感謝している。

  あの頃の研究室の様子が浮かんできた。同研究室の室長Aさん、Mさん、Hさんなどはどうされているのだろうか。美濃さんとは、プログラムの開発で赤坂のユニバックへご一緒したことなどを思い出す。また、新婚のころお宅へお邪魔しごちそうになった。塩を敷いてハマグリを温めた料理、サイフォンでコーヒーを入れていただいたことが珍しく、お子さんと庭の遊具に乗って遊んだことなどを鮮明に思い出した。
 何より忘れられないことは、郷里の教職への転職に迷っていたときに、親身になって相談載って下さり、自分の気持ちを理解してくれたこと。転職は周囲の皆に反対された。賛成してくれたのは妻の親とこの先輩だけだった。

  この年になり、尊敬する先輩にもう少しご指導いただいていたら、より豊かな別の人生を歩めたのかな・・・などと、一抹の寂しさも感じている。
 先輩には、そのうち会津へもお出かけいただき、積もり積もった話をしたいと思っている。

 

 


 腰痛

2014-01-11 | 日々の生活

                                   【雪のさざえ堂】 町内会の「定期総会資料」の表紙デザインに決めた

  昨日は十日市、若松の街はかなりの人出で賑わったようだ。
  例年、冬の風物詩を味わいに出かけるのだが、あまりの寒さと数日前に傷めた腰痛、ばあも膝の調子があまり良くない。終日家に籠もっていた。

 昔から荒れる十日市と言われるが、雪は夕方ちらついた程度だった。孫たち家族はスイミングのあと友達家族と楽しんできた。

 昼間のうちに、末娘が焼き鳥を届けてくれた。

 

 腰痛は、書斎に取り込んだ沢山植木が載っている重いスチール棚を無理して動かしたこと。

 風呂を早くから沸かし何度も温まったり、湿布薬を貼ったり、数日前からはホッカイロを貼っている。

 机に向かったり、あぐら姿勢のあとは腰が曲がって伸びない。

  数日、晩酌も正座していただいている始末だ。

 来週に迫った「雪の森の中での研修」までには良くなって欲しい。

 

 

 


ハクチョウと初詣

2014-01-06 | 日々の生活

 

 今年の恵方は東南東、我が家から東南東にある神社を地図で確認すると土津神社がぴったりだ。

  長浜のハクチョウを見がてら、初詣に出かけた。 子どもたちの冬休みもあとわずかになった。

  一人で水鳥観察に出かけたのは年末、子どもたちにも見せたかった。

 薄日が射す湖畔の寒さは独特だ。この厳寒に水鳥たちは元気に漂っている。

 ここに来ている水鳥の名前を孫たちに教えた。コハクチョウ、オナガガモ、ホシハジロ、キンクロハジロ、スズガモ、ユリカモメ。

  

 

 みんなで湖畔の中華料理店「西湖」でお昼を食べた。里山巡りで、近くへ来るといつもここで食事をしていた。

 子どもたちはチャーシュー麺、妻、娘は海老入り汁麺、我が輩は五目旨煮汁麺と、いつも決まった注文だ。

 帰りに売店を見ていると、店員さんが1000円札を差し出し、「どうしても欲しいというお客さんがいて、大きい絵を差し上げたと。額代と言って渡して下さいとのこと」と。

 いつかこの店で商品券3000円分が当たったことがあった。そのとき、お礼にと、数枚の我がスケッチ「麗しの磐梯」を差し上げた。

 その大小の額入りのスケッチ画をお店に飾っておいてくれたのだ。また、飾ってもらうように持参しようと思っている。

 翁島から土津神社へ向かった。途中の農道は通行止め、磐梯山が凛々しく聳えていた。 

 

 久々の土津神社参拝だった。雪の中に真っ白な大鳥居を見て、あらためて、ここにあった記憶を辿ったがおぼろげだ。おそらく白くペンキを塗り替えたのだろう。

 鳥居も、霊之碑も雪に埋もれていた。

 皆でおみくじを引いていた。武くんが大吉、他は末吉だった。じいはおみくじは引かない主義だ。

  

雪にアオギリの落ち葉が沈んでいた。見上げると、アオギリの葉が落ちずに青空に映えていた。

この実はコーヒーの代用にしたらしい。いつかやってみよう。

 

 

いくつかのお願いをして、心がすっきりし、いい年になりそうな気がしている。          (2014.1.5)

 


「 ひとりだ でも淋しくはない」

2014-01-03 | 日々の生活

 

 書斎の窓を開けると氷柱が下がっていた。

  朝食は三日とろろ、確かに年末からのごちそうに胃腸を休める意味もあるのか、おいしくいただいた。

 箱根駅伝のTV中継を見ながら、三日とろろから円谷幸吉を思い出してしまった。

 「父上様、母上様、三日とろろ美味しうございました」どんなにか苦しかっただろうか。切ない遺書だ。

 東京オリンピックのマラソン、陸上競技場でのヒートリーとの争いが目に浮かんでき

遺書の全文(原文ママ:wikipediaより)

父上様母上様 三日とろろ美味しうございました。干し柿 もちも美味しうございました。
敏雄兄姉上様 おすし美味しうございました。
勝美兄姉上様 ブドウ酒 リンゴ美味しうございました。
巌兄姉上様 しそめし 南ばんづけ美味しうございました。
喜久造兄姉上様 ブドウ液 養命酒美味しうございました。又いつも洗濯ありがとうございました。
幸造兄姉上様 往復車に便乗さして戴き有難とうございました。モンゴいか美味しうございました。
正男兄姉上様お気を煩わして大変申し訳ありませんでした。
幸雄君、秀雄君、幹雄君、敏子ちゃん、ひで子ちゃん、
良介君、敬久君、みよ子ちゃん、ゆき江ちゃん、
光江ちゃん、彰君、芳幸君、恵子ちゃん、
幸栄君、裕ちゃん、キーちゃん、正嗣君、
立派な人になってください。
父上様母上様 幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません。
何卒 お許し下さい。
気が休まる事なく御苦労、御心配をお掛け致し申し訳ありません。
幸吉は父母上様の側で暮しとうございました。

暮れに加島祥造のテレビを見た。最大の節目に、また「生き方」を考えさせられている。

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昨夜、普段寝る時間にテレビを見た。番組欄に加島祥造を見つけたからだ。
ETV特集10/19の再放送だった。

 加島祥造氏と姜尚中氏の対談とあった。
 番組はトークイベント風景から始まった。「愛とは?」の質問に・・・「生命力」と答えていた。

老詩人・加島祥造さんは90歳になった。ひげを蓄えた顔がいい。
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【以下:視聴しながらのメモ】
 ・伊那谷で自由を楽しむ人生、老詩人の日常を映した番組、いろいろ知った。
 ・横浜から伊那へ移って25年。
 ・息苦しさをかんじる。もうひとりの自分、「はじめの自分」の声を聞く。
 ・60歳を過ぎて家族を捨て、大学教授の職を捨て社会から逃げ出した。
 ・自由が欲しかった。自由への願望だ。
 ・伊那谷の大自然が心に焼き付いた。この自然に触れ「はじめの自分」を受け入れて安らぐ・・・一生涯自分とつながる自分
 ・独特な墨彩画を描く
 ・求めない、今の自分を受け入れる。 求めない すると心が静かになる
 ・時折、トークイベントで都会へいく。  「人生の失敗について」
 ・姜尚中さんが伊那谷の加島さんを訪ねる。二人はかつて対談したことがあった。
 ・還暦を迎えた姜尚中さんは語る。 「生の充実を求めたい。」
 ・社会的なプラスを受けなくて良い。生きる人間 here now
 ・都会には住めなくなった。
 ・ここ1年ほど、加島さんは心の奥に喪失感を感じていた。
      →その日語りたりなかったことを姜尚中さんへ手紙に書く。
  「母の死,AMさんの死について綴った。観音像の前で跪くAMさんとの出会い。
  AMさんといると「はじめの自分」に会える気がした。10年ほど親しくしていた
  AMさんが亡くなる.・・・・・・その慟哭を語った。」
 ・姜尚中さんからの返信  息子の死を記した。我がことのように受け止めた。
  小説のテーマ・・・ 生きることに悩む息子を書く。
  ある日、息子のパソコンを開いた。そこには「生きとし生けるもの 末永く元気で」 とあった。その意味を考えた。
  彼は「社会を否定すること」でなく、「自分を否定すること」を選んだ。
  姜さんは、自分の生き方が正しかったのか考えた。定年前に東大教授を辞める決断をし、別の生き方を選んだ。人生は、幸せを求めるだけでないことに気づいたと語る。
  答えは分からないが息子に向き合っていきたいと。
 ・雪をいただく南アルプスの山並み。加島の自宅には「晩晴館」と看板がかかっている。
 ・AMさんの心
 ・その後、姜さんは加島さんと再会。
  加島:小説「心」を読んだ。「死んだ人は、生きている人を励ましてくれる」
 ・大きな悲しみを受け止めた2人。 息子さん、AMさん、
 ・ ”alone but not lonely
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
●このテレビを視聴してもう一度「求めない」を確認した。
●伊那谷で、お茶を飲みながら雪の山並みを眺める老詩人の生き方を思った。
●社会のしがらみを切って自分の思うままの生活をしている。
     ・・・いまの自分には出来ない生き方だ。わがまますぎると思った。
●息子さんを亡くした姜尚中さん,AMさんを失った加島さんの悲しみを聞き
  ・・・・・・・我が愛犬ラックを思っている。
●視聴して「生き方」を考えている。
●本棚に何冊かの加島の著作がある。 「求めない」「伊那谷の老子」「タオ-老子 」 ・・・・ もう一度読み返してみたいと思っている。
● ときどき加島に触れてきた。拙ブログで検索すると、たくさんあった。
  http://blog.goo.ne.jp/tosimatu_1946/s/%B2%C3%C5%E7%BE%CD%C2%A4
  もう一度、かつての心境を辿ってみたくなった。                       (2013.12.31)

 


集合写真

2014-01-02 | 日々の生活

 

   新しい年の二日目、夜中に湿った雪がかなり積もった。
長い私道の雪は、隣のUさんが息子さんとかいてくれた。いつも申し訳ない。
玄関までのアプローチを除雪し、車の雪を下ろし奥に移動した。

 賀状を印刷、光沢のはがき紙が無くなった。吹雪の中を散歩を兼ねて家電量販店へ向かった。幹線道路も信号付近は雪で渡れず、車の往来の少ない近道を歩いた。
 片道3㎞程か、約2時間の運動不足解消の買い物となった。

 今日は息子、娘たちの家族が全員集合する予定で、家に戻ると皆で待っていた。
 暮れから毎食呑み通し、汗を流したあとのビールはおいしかった。めったに飲めない大吟醸、おいしくいただいたが、昼のお酒は効いた。

 新年の恒例の記念写真、遙か40年も前は2人で写した。やがて家族は5人に、そして孫たちがふえて、今年は総勢13人にもなった。

 今年も健康を第一に、家族仲良く、平穏な日々を過ごしたいと思っている。


賀状を書く

2014-01-01 | 日々の生活

  新しい年を迎えた。早々と約100通の年賀状が届いた。
 賀状を書かないまま年が暮れた。
 ずぼらさを反省しながら、いよいよ賀状をデザインした。

 賀正
   明けましておめでとうございます
    元旦の庭、雪の中の椿に新春の陽光が燦然と輝いています
    早々といただいた賀状を拝読、思いを新たにしております
    大病をして、死の淵から生かされて十年、いつも「今を精一杯に生きよう」と
    胸に刻み、日々穏やかに過ごしております
    どうぞ本年もよろしくお願いいたします
                   平成二十六年 元旦

    縦書きにして、隅に、夏の終わりに新聞に掲載された
   「コバネアオイトトンボ確認」の記事を載せ、( *会津の里山に生息する絶滅危惧種のチョウやトンボを守りたい思いで里山を巡っています。)と添えた。

 


     また、表書きの下半分に 近況を兼ねて地方紙への投稿文を添えた。

 ・・・・・・ 近況旁々(地方紙への投稿文より) ・・・・・・
   「生きとし生ける命を見つめたい」
 今年も里山を巡った1年を振り返っている。生きとし生けるものから多くの大切なものを学ばせてもらった。精一杯に生きる、かけがえのない、愛おしい命をファインダーで見つめてきた。/「生きとし生けるもの」を仏教では「衆生」という。人も、野鳥も、小さな虫たち、そして庭の木々も皆同じ、地球で生きる命の一切衆生が愛おしい。/「わけもなく桑の葉に穴をあけている蚕が、自分の咀嚼するかすかな音に気づいて、不安げに首をもたげてみる。そんなとき、蚕はどんな気持ちがするのだろうか。」北杜夫の「幽霊」の一節だ。きれいに咲く花に吸蜜するチョウ、天高く舞うアカネたち、彼らはまた、雨の日に葉陰でじっと身体を休めながら、何を考えているのだろうか。生きとし生けるものたちのこころが知りたい。/新しい年も、野鳥や虫やみどりの自然が共存する、壊れやすい生態系の保全を願いながら里山を巡りたい。

  ようやく出来上がった年賀状を、明日投函する。