エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

「いわきの福祉の父」を知った幸せ

2006-01-31 | 文芸
写真は、文学館前の草野天平の歌碑(草野心平の弟)
      一人 
        草野天平

      見ても誰もいない
      本を伏せる 
      家を出て山を見れば
      山はやはり山


「いわきの福祉の父」を知った幸せ 

開催期間が終わる前日、いわき市の草野心平記念文学館で開催中の大河内一郎展(「いわきの福祉の父」と言われる)を観に出かけた。 彼の魂の記録を見つめながら、これまで知らないでいた郷土の先人の人間愛、福祉と伝道の心に、言い知れない感動を覚えた。 残される子等の教育の徹底を書いた出征時の遺言、俘虜生活中に、風の子、光の子の構想を記したノート、感動に心揺さぶられる詩や短歌の原稿など、数々の資料に、尊敬すべき人物をあますことなく知ることができた。 ただ、自らが脳梗塞に倒れ、息子が急逝、その死に三日三晩泣き通して意識を失った妻の相次ぐ死と、晩年の彼に与えられた悲し過ぎる運命に胸が詰まり、神を恨んだ。 彼の歌集「人魚」に「訪ね行けば母はあわてて戸を閉じぬ 麻痺の子ありて暗きその家」とある。福祉への関心の低い時代に、障害児の教育に尽くした彼の精神、理念にあらためて敬意を払わざるを得なかった。

(ついでに!)
 昨年の秋、山形県鶴岡市の鶴ヶ岡城址で大寶館を見学した。大寶館は猪苗代の天鏡閣を思わせる大正初期の擬洋風建築で、現在は郷土人物資料館として無料で公開されている。明治から昭和にかけて各方面でその道を究めた、鶴岡ゆかりの先人を一堂に集め、その足跡を顕彰、紹介していた。いつか、岩手県の盛岡先人記念館を見学し、そこでも郷土の文化人に触れ心から感動した覚えがある。 どこでも郷土には誇るべき先人がいる。地産地消というの言葉が使われるが、教育も同じと思う。野口英世を知らない人はいないだろうが、会津の山川健次郎、松江豊寿はどうだろうか。郷土の先人の業績、生き様を、特に子供たちに教えることは、彼らの豊かな人生を送る糧となるに違いない。 今回、いわきの先人、大河内一郎の偉業に触れながら、福島県内にも、個々の記念館、美術館でなく多くの先人を一堂に顕彰し学ぶ施設が欲しいと思った。

もう咲き始めた福寿草

2006-01-29 | 日々の生活
 昨日、いわき市小川町の草野心平記念文学館に大河内一郎展を見に出かけた。
 (後日見学記を書きます。)
途中、磐越道の小野ICで下り、三和町の下三坂をめざした。数日前、この地区でもう咲き出した福寿草のニュースを見たからだ。
 一軒の農家で桑畑の斜面を見せていただくことができた。
見事に黄金の福寿草が咲いていた。元日草とも言われるそうで、暖かい土地では咲いて不思議はないのかと思った。会津では、山都町の群落が見事だが、たしか4月に入ってからだ。キクザキイチゲと一緒に雪の間に咲いていたのを思い出す。また、信州の四賀村の福寿草祭りも何回か行ってみたが、3月半ばではなかったかと思う。
偶然訪ねたお宅で、90歳になる老夫婦にお茶までご馳走になり、楽しい時間を過ごした。帰りには、野沢菜に似たお葉漬けをおみやげに頂いた。茎の部分がヘラに似ているのでヘラ菜とか体菜と言うらしい。
 帰宅して早速、福寿草の写真を添えて礼状を出した。
 袖摺り合わすも他生の縁なのか。

センター試験終わる。

2006-01-27 | 教育を考える
センター試験が終わった。この時期いろいろ考えさせられる。定員があれば選抜試験は仕方ないのかと思いつつ、当然のごとく受け入れられている受験体制を批判したい。


『根本的な入試改革を』

大学入試センター試験が終わり、本格的な受験シーズンを迎えた。少子化により、来年は志願者と入学定員が等しくなり、数字的には「大学全入」の時代を迎えるといわれている。しかしながら、知識の詰め込み学習や高学歴志向の受験体制は変わらず、いつまで続くのかと思うと、暗澹たる気持ちになる。 何のために学ぶのだろう。決して受験のための学習であってはならず、生涯にわたって常に学ぶ習慣こそが大切で、そうした正しい学習観の形成が教育ではないかと思う。本当に学びたいことを学べ、楽しくゆとりある豊かな学校生活でなければならないのに、これまで受験システムは、子供達の健全な成長、豊かな生き方、夢を奪ってきたと思う。 自然を愛し、その美しさに感動できる心、他人を思いやるやさしさ、人として生きる心は受験勉強からは育たない。そのためにも受験体制、さらには入試の抜本的な改革こそが教育改革の中核でなければならないと思う。


『EQを重視する「ゆとり教育」を』

 大学入試センター試験が終わった。高学歴志向の受験体制がいつまでも続くのかと思うと、暗澹たる気持ちになる。  数年前、ダニエルゴールマンの著した「EQ 心の知能指数」がベストセラーとなった。EQとは、自分の感情を上手にコントロールする能力であり、総合的な社会的知性と言われている。知識の詰め込み教育や受験体制の評価対象はIQであったが、これからはEQをもっと大切にすべきと思う。。 「ゆとり教育」が学力を低下さると危惧されているが、真の学力は、受験で問われる知識量ではない。それは、自ら考え、主体的にあらゆる課題を解決する力、創造性であり、豊かな情操や感性、そして人として生きゆく大切な心と考えるべきである。 学校や社会で、真の学力EQを重視し育成する、知育偏重のIQでない、ゆとりある教育活動が必要と思っている。

飯坂温泉に泊まる

2006-01-25 | 日々の生活
昨日、飯坂温泉へ泊まった。
あづま荘へ前日描いたばかりの「雪の磐梯山」のスケッチを贈った。
早速、フロントに飾ってもらった。
良い湯なので、ときどき泊まりに行く。

今日のエッセイ
(以下は、昨年春に飯坂散策の折りに書いたもの)

「小さなこころの旅をしたい」

 数年前から小さなこころの旅を楽しんでいる。ことさら遠くの名所旧跡を訪ねるばかりでなく、近在にも鑑賞したい数多くの豊かな自然や歴史、文化がある。郷土であればいっそう親しみも湧くものだ。
 今私の旅のキーワードは西行、芭蕉、山頭火、司馬遼太郎。これら学ぶべき先人の訪ねた同じ土地に触れ、はるかな時を超えて彼らの感懐を想像しながら思いを新たにしたい。
 先日飯坂温泉に宿を取り、久しぶりに医王寺を訪ねた。芭蕉は、義経に忠心を尽くした佐藤一族の家族愛に涙を流したという。湯につかり継信、忠信兄弟に思いを巡らした。
 翌朝、すがすがしい新緑の中を大鳥城跡へ登り、山あいののどかな湯のまちを望んだ。
 いずれの土地にも、目に映る光景の裏にはそれぞれの歴史や風土がある。それらは大切にしていかなければならない宝だ。しばらくは、近くにいながらよく知らない身近な歴史や文化を学んで行きたいと思っている。

厳寒の磐梯麗し

2006-01-23 | スケッチ
昨日、久々に磐梯山頂を隠していた雲が取れた。
急いでスケッチに出かけた今日は、横殴りの吹雪を窓越しにながめながら、
クラッシクをBGMに彩色している。

会津若松市内のどこからも、磐梯の雄姿はすばらしい。

「白銀の大地の彼方に街並みが浮かび、
 麗しの磐梯が厳寒に凛々しく聳える
 これ以上の豊かな風景があろうか
 厳寒にはるかに磐梯を仰ぐ
 せせらぎ、どこまでも清らかに流れ
 静寂に遠きカラスの鳴き声
 列車の過ぎゆく音さえざえし」。




雪道の散歩

2006-01-20 | 日々の生活

 昨夜まで降り続いた雪も一休み、久しぶりの陽ざしを受けながら散歩に出た。
 いつも、散歩の途中に考えたり感じたことをメモしているが、最近はデジカメ持参である。この時季、凍てつく寒さにペンを取る辛さが救われ、帰宅してパソコンでながめて、そのときの思いや情景を思い浮かべている。
 今朝は、会津五桜の一つ、近くの石部桜を訪ねた。春には見事に咲き誇り衆目を集める樹齢六百年の古木は、飯盛山を背にひっそりと雪に埋もれていた。周囲の田を覆う真っ白な雪原にウサギの足跡を見つけ、取り残しの柿がワンポイント、静寂に鮮やかだった。
 見上げる桜の梢に冬の空がまぶしく、眼下に広がる若松市街の雪景色がどこまでも澄み切って美しかった。
 ふと目を移すと、しばらく見ないうちに、辺りには新しい街ができたように住宅が建ち並んでいて、びっくりした。開発が進んで、もう、二,三十年前の、郷愁を誘う里山の景色だけを視野に入れることは難しくなったんだ、と思った。
   

平凡な時が流れる幸せ

2006-01-17 | 健康
健康があれば何もいらない。
毎日が平凡に流れていく。
健康を取り戻し、当たり前の生活ができる今の幸せを痛感する毎日です。


今日のエッセイ

「緩やかに流れる平凡な日々」

 退職後の妻と二人の生活、毎日、時が穏やかに流れている。
 朝食後、犬の散歩から戻り、私は机のパソコンに向かう。家事が一段落した妻はこたつで編み物、傍らには愛犬が寝そべっている。十時と三時のお茶請けは、秋に漬けた野沢菜。そのうち、近くにいる孫が遊びにきて、しばしにぎやかな保育園。台風一過か、その後突然訪れる静寂に、いろいろと思いを巡らす。
 これが平々凡々とした毎日の繰り返しだ。
 でも、静かに降り積もる雪に目をやりながら、こうした幸せな時もいつしか永遠の彼方に忘れ去られていくのかと思ったりする。すべてがひとときの幻か、つかの間の浮き草のごとき人生なのだろうかと。であれば、なおさらこの緩やかな時間を大切にしたいと思っている。
 何も言わない愛犬に話しかけた。皆が健康で生活できる今の幸せ、時が緩やかに流れる豊かさを。


露天風呂と雪見酒

2006-01-15 | 日々の生活
 久しぶりの暖かい日、雪片付けがはかどりました。
玄関前の踏み固まった雪(氷)を除きました。孫も愛犬もお手伝い。
 相変わらず、温泉を楽しんでいます。暮れは、柳津の月見ヶ丘で入り納め、1年間の汗を流し、お正月はサンピア温泉で1年の健康を祈念しながら暖まってきました。大手術から2年が過ぎ、お酒も少しづつ始めました。
健康第一で、少しの贅沢をしています。

今日のエッセイ
冬の贅沢

 私の冬の贅沢は雪見酒と雪の露天風呂だ。
 しんしんと降りしきる雪の中を、遠路、高郷村の温泉に車を走らせた。温泉行きはいつもストレス解消、自分にとって心を整理できる癒しの時間でもある。そして、大病後一年数ヶ月になる回復期の温泉巡りは大事なリハビリでもある。
 吹雪の中、頭に手ぬぐいを乗せて露天風呂に浸かった。自由に入浴を楽しめるほどに健康を取り戻した喜びを改めてかみしめた。休憩室で横になり、本を読んだりあれこれ思いを巡らし、自分の時間をゆったり堪能すことができた。温泉客は思い思いに漬物や煮染めなどを持ち込み、お茶飲み話に花を咲かせていた。
 最近、ドクターストップで忘れていたお酒を静かに楽しんでいる。今の時期のもう一つの贅沢は雪見酒、平安時代から続く雪を楽しむ風流な文化だと思う。これからも日々身体を気遣いながら、ほど遠からぬ春には元気で花見酒を楽しみたいと思っている。


こたつで秋を思う

2006-01-13 | 日々の生活
今年は元旦早々に雪道にはまった車を助けて、腰を痛め大変でした。ようやく治りかけたところでしたが、今朝、散歩の帰り、また同様のワゴン車に遭遇。1時間かかってやっと脱出。またまた腰痛です。
久しぶりに南からの風に、春を錯覚しそうでした。でも、おとといは当地、最低気温-14.5℃、今年は異常に寒い冬です。

今日のエッセイ
 「こたつで紅葉(もみじば)をながめる」

 読みかけの本から、しおり代わりにしている紅葉したソメイヨシノの葉が落ちた。秋の日に押し葉にして、透明フィルムでラミネートしたものだった。葉は赤から黄色のグラデーションが実に美しい。
 ルーペで覗いてみると、葉脈の網目や鋸状の縁取り、虫の食痕などが鮮やかで興味深く、不思議の世界だった。無限に舞い落ちた枯れ葉は、やがて分解されすべてが土へ帰る。でもその前の輝く生命を残したかった。何枚かのラミネートには、他にイロハモミジ、エノキ、ニシキギなど、それぞれに美しい新鮮な色合は秋そのままだった。これら、自然の造りものはいずれも美しく整い、あらためて感嘆させられた。
 冬、こたつに当たりながらの読書に、はからずも身近な自然の造形を見つめることとなった。ふと、ついこの間過ぎ去った季節を思い、時の流れに沿いながら生きる日々をぼんやり考えた。

スケッチに出かける

2006-01-12 | スケッチ
今日のエッセイ

「生き方考えた磐梯との対話」

 正月の朝、快晴に誘われスケッチに出かけた。高台からの眺めはすばらしく、会津盆地を朝霧が覆い、その白い海の上の澄みきった青空に飯豊山が雄大に聳えていた。
 車を捨て、踏みしめる雪鳴りを楽しみながら田の畦を進んだ。深閑とした雪原に枯れススキが揺れ、細やかな雪がキラキラ輝いていた。正に時は静かに流れていた。磐梯山は杉木立を前景にすがすがしく聳え、その敬虔さにただただ立ちつくすだけであった。何も言わず、泰然と聳える磐梯にまたも救われた。
 大病後二年数ヶ月になるが、まだ不安だらけで、いつもか細い身体をいたわり、静かに穏やかに、愛おしみ過ごしたいと思っている。そしてこれからの日々が心の豊かさを訪ねる旅でありたいと新年の思いを新たにした。
この、何を持ってしても表現できない美しい磐梯との数時間の対話は、私にとって生き方を見失いつつあるこころを整理する豊かなひとときとなった。


お正月に 会津の食文化を楽しむ

2006-01-10 | エッセイ

 お歳暮に従兄弟宅を訪ねた。お正月の準備にかかっていた奥さんが、味はどうと言って
棒タラを出してくれた。久しぶりの味に、懐かしくご馳走になった。小さいころ、この時期、魚屋の店先には新巻鮭が何本も吊され、バケツの水には大きな乾燥したタラがうるかしてあった。母が1匹ずつ品定めをして買い求めた暮れのにぎわいが懐かしく思い出された。
 会津のごっつおうには、棒タラの他、こづゆ、ニシンの山椒漬け、鯉の甘煮などが挙げられる。昔、海産物は新潟から阿賀野川を遡り、山国会津へ運ばれ保存食となった。そして土地の風土に育まれ、細々継承されて郷土の料理として残った。
 これらの料理は、地場の漆器や焼き物に盛られてさらに美味しくなる。さらに、これらを魚に地酒の一杯がたまらない。
 お正月には庭の雪を愛でながら、豊かな会津の食文化を楽しみたいと思っている。


見事なつらら

2006-01-09 | 日々の生活
近くのラーメン屋さんで、見事なつららを見ました。
今年の冬は、例年より1ヶ月ほど早いようで、現在、市内で積雪75cmとのこと、寒さも厳しく昨日は-13.5℃でした。
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今日のエッセイ

「雪道の散歩に思う」

 昨夜まで降り続いた雪も一休み、久しぶりの陽ざしを受けながら散歩に出た。
 いつも、散歩の途中に考えたり感じたことをメモしているが、最近はデジカメ持参である。この時季、凍てつく寒さにペンを取る辛さが救われ、帰宅してパソコンでながめて、そのときの思いや情景を思い浮かべている。
 今朝は、会津五桜の一つ、近くの石部桜を訪ねた。春には見事に咲き誇り衆目を集める樹齢六百年の古木は、飯盛山を背にひっそりと雪に埋もれていた。周囲の田を覆う真っ白な雪原にウサギの足跡を見つけ、取り残しの柿がワンポイント、静寂に鮮やかだった。
 見上げる桜の梢に冬の空がまぶしく、眼下に広がる若松市街の雪景色がどこまでも澄み切って美しかった。
 ふと目を移すと、しばらく見ないうちに、辺りには新しい街ができたように住宅が建ち並んでいて、びっくりした。開発が進んで、もう、二,三十年前の、郷愁を誘う里山の景色だけを視野に入れることは難しくなったんだ、と思った。