エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

かわいいスイセン

2007-04-27 | 日々の生活
                     《初めて見た珍しいスイセン》

 今朝、寝室のカーテンを開けると目の前にクマシデの若いみどりが美しく輝いていた。今年初めて新緑の季節を実感した。
ウメが咲き、桜が咲いて散り始めた。でも、今年はなぜかいつまでも肌寒く、冬を引きずっているようで何となく春らしさが感じられずにいた。いよいよ、待ちかねた新しい季節だの到来だ。

今、スイセンがいい。庭にもいろいろなスイセンがあり、品種の改良を楽しませてもらっている。
図鑑にはスイセンの品種は毎年200品種くらいずつ追加され、1万種を超えるほど膨大だそうだ。我が家のスイセンを写真に撮ってみた。散歩途中の庭に珍しい八重花を見つけた。スイセンは結構長く咲いている。スズランスイセンはスノーフレークと言うそうだが、つり下がる白いスズランのような花びらの端には緑色の斑点があった。よく観察すると実にきれいだ。また、ラッパズイセンのラッパは副花冠というそうだが、色や形がいろいろで楽しい。

 しばらく行かなかった山道へ踏み入りたいと思っている。
 辛夷が春霞に幽玄に浮かび、足下にはミヤマセセリやコツバメが舞っている。冬を越したテングチョウも春の陽を浴びて羽を広げているだろう。そんな想像する春の山道を静かに歩いてみたい。
 まもなくの連休、近くの里山に本当の春を散策してみたいと思っている。








蔵書の整理

2007-04-25 | 日々の生活

 物置にあった大量の書籍や資料を整理した。家の中の本棚に置けない資料のたぐいだ。
 学生時代のものの多くは専門書や勉強の跡だが、何度かの引っ越しの度にも捨てることができずに、もう40年が経ってしまった。文学書や教養、生き方を求めた数々の本を複雑な気持ちで眺めた。どれだけ自己の糧になっただろうかは知らないが、1冊1冊を手にとってそれなりの時間を共有した書籍を懐かしく思った。当時から書き連ねた大学ノート30数冊に及ぶ日記帳も、捨てる決心がないままに眠っていた。手に取りページを開くと、走馬燈のごとくに青春の、壮年期の日々が浮かんできた。
 また、34年間の教職で、その都度懸命に取り組んだ足跡が残る何十冊ものファイルも今は昔、退職して丸2年、今後残しておいてもと、一つの決断をした。これらの1つ1つの、その時々の考察、文章やメモ、データ、どれだけ時間をかけて、心込めて作ったものだったかを思うと気持ちは複雑だった。辛いこころの整理でもあった。

 定年を数年後に控えたある日、突然の発病、闘病生活を経て命を救われて今ある。それから4年、いま穏やかな日々を過ごしている。でも、片隅にはいつもこれでいいのかと焦る気持ちもある。昨今、団塊の世代の大量退職で、これからの生き方がテーマとして取り上げられている。たしかに、もっとやらなければならないことはあると思う。でも、先立つのはいつも自分の体調だ。できることをするしかないのだろう。
 静かに一人昔の資料を整理するこんな時、「生き方」が頭にもたげる。
 足るを知りつつ、慎ましい生活を送れる現在ではあるが、精神的にはやはり物足りない。身体を壊し、なんとか当たり前の生活ができるいま、それ以上焦る必要はないではないかと言い聞かせはする。でもいつも趣味だけでは生きられない自分を見ている。
 少し時間をかけて蔵書や資料を点検して、残すべきものを厳選してみたい。
    (2007.4.23)

花の散り始めるサクラ

2007-04-23 | 日々の生活
            《雨に散ったウメの花びら》


庭のソメイヨシノが満開だ。町内の八幡神社は花びらがはらはらと散り急いでいる。花の散り始めるサクラの枝が、淡いみどりに爽やかでとても美しい。この時期の桜並木の風情が好きだ。

「あわれ花びら流れ おみなごに花びら流れ・・・」
 達治の詩「甃のうえ」の情景が目に浮かんでくる。

 昨夜来の雨に濡れた庭の土の上に、盛りを過ぎたうめの花びらがうっすらと積もっていた。まるで雪のように美しい。そして今の時期、散る花びらに時の流れを重ね無常を覚えている。


甃のうへ』    三好達治

  あわれ花びらながれ
  をみなごに花びらながれ
  をみなごしめやかに語らひあゆみ
  うららかの跫音空にながれ
  をりふしに瞳をあげて
  翳りなきみ寺の春をすぎゆくなり
  み寺の甍みどりにうるほひ
  廂々に
  風鐸のすがたしづかなれば
  ひとりなる
  わが身の影をあゆまする甃のうへ

   

「菜の花」の疑問

2007-04-22 | 自然観察
 今朝、散歩中に、畑で忙しそうに働くYさんにまた青菜をいただいた。
 この前は「くきたち」だったが、今日のは、引っこ抜いたら丸い白い株が付いていた。「蕪みたいな株だね」と言ったら、これは「蕪」だと教えられた。隣の畝には少し長めのトウが立っていたが、これは「コマツナ」だと茎を折ってくれた。知らないこととはいえ、驚きだった。そう言われ、よく見ると葉の付き方や形や色などが微妙に違っていた。初めて知った事実に驚いた。

 ブログで調べたら『「そもそも「菜の花」という植物は植物学的にはなく、アブラナ科の植物の総称で、花びらが4枚で十文字に咲くことから十字花植物ともよばれている。」とあった。
そこには ● アブラナ科の植物 【アブラ菜、コマツ菜、白菜、キャベツ、ミブ菜(京菜)、カブ、カラシ菜、ブロッコリー、カリフラワー、葉牡丹、クレソン、大根 など】と。だから、トウが立って咲く花は根や茎が違っても菜の花でいいわけで、大根の花は白だから菜の花は黄色い花ばかりではない」ともあった。
 
一般に言うアブラナは、現在は食用としての栽培が主流だが、最近は、菜の花畑を作り、食用油を採って利用した後、その廃油を回収・精製して軽油代替燃料(別称:バイオディーゼル燃料)にする「菜の花プロジェクト」 としても注目されている。
アブラナは若い茎葉が食用になるときはアオナと、きれいな花をつけているときはナノハナと呼ばれ、種子ができたときはアブラナと呼ばれる。
 (*)[暮らしの歳時記](春の豆知識「これも菜の花?」と聞かれたら)
 【allabout.co.jp/family/seasonalevent/closeup/CU20060321A/index.htm 】

菜の花畑に、入り日薄れ 見渡す山の端霞深し
 蛙の鳴く音も 鐘の音も 夕月霞て 匂い淡し

  高野辰之の小学唱歌「朧月夜」だ。          

ブログ仲間の「マーヤン」さんによると(拙ブログ4/18「庭に芽吹くいのち」へのコメント)、飯山ではゴールデンウイークに「菜の花祭り」があるという。多分、高野辰之が飯山の菜の花畑を情景を歌ったもので、関連付けての故郷のまつりなのかと推測している。

今朝いただいた菜の花から、これまで何となく分からなかった黄色い花、「菜の花」について、ブログの解説に納得し、今までの疑問が氷解した。(2007.4.21)

カブコマツナ

クキタチ チンゲンサイ

鶴ケ城 のサクラ   街中散歩

2007-04-21 | 街中散歩
            《月見櫓跡から サクラの鶴が城を望む》

 本格的な春が来た。体調も何とか普通に元に戻った。明日の天気予報は雨降り、今満開のお城に行った。
三の丸から二の丸のテニスコート脇から、朱塗りの廊下橋を渡って天守閣に向かった。平日なのにやはり満開の桜、観光客でいっぱいだった。
廊下橋を渡りながら下の内掘りを覗いてびっくり、今まで見たこともない巨大な鯉が悠々と泳いでいた。周りの鯉が5~60cmであろう。とするとゆうに1m2、30あるのではないだろうか。お堀の主であろう。

 《廊下橋》                         《巨大な鯉》
   

桜の枝が内堀や石垣を背景に実に美しかった。
本丸の広場では地元の高校生がホームルームであろう、大勢で花見に来ていた。大きなゴミ袋持参だ。また物珍しい光景も目にした。観光客を案内する昔かたぎな人力車、また、どこから、なぜか、結婚式の最中に抜けてきたような花嫁・花婿が歩いていた。
  

 お城に来るといつも決まったコースで本丸を一周している。天守閣が一番絵になる眺めは月見櫓跡からだと思う。荒城の月の歌碑のある櫓だ。桜の枝越しに天守閣を配置する撮影スポットを探しながら花の鶴が城を撮った。
 鉄門から北出丸に向かう広場では植木市が行われ、周りの満開のサクラの林の中では花見客が塩ビのシートを敷いて宴会中だった。今夜はハナ金、最高の人手だろうと想像した。

《月見櫓跡から磐梯山が見える》              《鉄門から天守を望む》
 


  ● 鶴ケ城 (ネットから)
文禄2年(1593)年、蒲生氏郷が築いた7層の天守閣の姿が、鶴翼に似ていたことから名づけられた。 寛永6年(1627)加藤嘉明が伊予の松山から入府し、その子明成によりお城の大改修が行われました。二の丸・北出丸・西出丸から本丸への入り口に石垣を築き、枡形門が作られ、防備には備えました。寛永16年7層から5層に天守閣が改修され現在の白亜の天守閣が生まれました。現在の城は昭和40年に再建されたもの。


                      (2007.4.20)



健康の有り難さ

2007-04-20 | 健康
          《咲き始めたチョウジザクラ》

昨日、一昨日と2日続けて発熱、炎症によるものと思う。しばらくなかった胃痛を伴い、終日、熱に悩まされ辛い1日だった。後のため記録に留める。

 朝9時に37.0℃、いつもの抗生物質のF錠を服用。10時頃寒気が出てきたのでR錠を服用、炬燵に潜り震えていた。12時に39.7℃の発熱、こんな高温は最近にない。さすがに体が重い。いつも効く薬が効かないようだ。多少心配だったが、12時にR錠をもう1錠服用。12時半38.2度に下がる。
 食事は温かいおでんを摘む程度。本当に具合の悪い時は何も手につかないものだ。ラジオを聴きながらロッキングチェアにて、庭を眺めるのみ。午後1時半に体温は37.2℃にまで下がった。薬は有難いが、恐い気もする。
 陽が射し始めた庭に出る。風が冷たい。咲き始めた庭のチョウジザクラ?、ソメイヨシノを写真に撮る。
炬燵に当たりながら、4時から5時半まで寝てしまった。ほぼ平熱に戻り楽になり、食がすすまないが夕食をとる。風呂上がりに体重をチェックするが、今日は最低記録となる。

食後、娘から大好物が届いた。具合の悪い時に見舞いのつもりか、スイカだ。熊本県産、糖度12.5甘かった。勿論今年初めて、季節はずれの贅沢品、一切れ100円だ。高い、もったいないと思いながらも美味しくいただいた。

 早めに床についた。いつもは床に入り本を読んでいるが、最近はなんだか疲れて、ラジオを聴きながら目を閉じていることが多い。
 いろいろ不安がよぎる。ちょうど1年前、体調の悪い日が続き、また手術かと心配した。悪くなるといつも健康の有り難さに気づく。生欠伸が良くない。このときの生理的涙が精神的なものに変わる。入院は嫌だ。多少辛くても家で穏やかに過ごせることを念じたりする。なにしろ入院は自由がなくなる。庭の緑を見られないのが辛い。家族、孫、とのふれ合いがなくなる。何より愛犬ラックと離れたくない。だから、できる限り体調に注意を払いたい。とは思いながらも発熱は突然だ。このところ頻繁なので要注意だ。

 

庭に芽吹くいのち

2007-04-18 | 自然観察
              《部屋で咲いたチョウジザクラ》 

 数日前に、待ちきれずにチョウジザクラの枝を手折って家に入れた。翌日にはピンクのつぼみは開き、今満開、同時に芽吹いた黄緑の葉がきれいだ。庭のソメイヨシノは数日かかりそうだ。その根元にあるボケの開花は大分遅いのか、まだつぼみは青く堅い。

今朝は、寒いが穏やかな春の薄日が射している。丹念に庭の緑を巡りいのちの始まりを静かに見つめた。

 ウメとジンチョウゲの甘い香りが庭中に漂っている。それだけで爽やかな春を感じる。




 モミジやカエデも赤い手のひらが開き始めその芽吹きも趣がある。ベニカナメモチの鮮やかな真っ赤な新芽が空に伸びている。


 厳しい冬を越したかと気になっていたウスバサイシンを見つけた。もう小さな地味な花を付けていた。我が青春の思い出の花だ。かつてヒメギフチョウを飼育観察した独鈷山(信州上田市)での思い出が浮かんできた。


 昨年苗を植えたタラの芽も芽吹き、その下でアオキの雄花がきれいに咲いていた。これは雌雄異株で、横の一回りつぼみの大きい雌花もじき咲き出すだろう。




 

 これも昨年鉢植えを地に下ろしたシュンランがツツジの根元に咲いていた。
 ユキヤナギも一枝、二枝と、白い星のように輝いていた。きれいだ。

 いますべてのいのちの鼓動が聞こえるようだ。落ち葉を手でよけると、スズランやシオンの堅い芽が並んでいた。誰が教えるでもなくこうして季節が巡りマイペースで花を咲かせる。

この庭は私の救いだ。一年間、この救いの庭で恵まれた小さな自然を見つめて過ごしていきたい。

 昨日の夜は冷えた。最低気温が氷点下との予報に驚き、最近表に出した鉢類をすべて家の中に取り込んだ。冷え込みはさほどではなかったが、近くの山は雪だったようだ。
朝のうちにまた庭に出したが、今夜も取り込むことになるかも知れない。

バランスの取れた学力を

2007-04-17 | 教育を考える
            《 藤村 「人の世に三智がある」 》(ネットより)

 先頃、「ゆとり教育」下、平成5年度の高3の学力テスト結果が公表された。結果はある意味、「ゆとり教育」により学習意欲が増し、学力も向上したと言える。今、教育再生会議で性急な誤った学力観で、大切な「ゆとり教育」の方向転換が進められ、管理的教育への逆戻りが心配だ。

 私は、誕生した娘に「美知代」と命名した。美しいさわやかな感性・情操を備え、人間らしい知的で豊かなこころで人生を送って欲しい願いからだった。
 いつも教育のあり方が問われているが、それは人として生きることを基本に置かなければならない。
 先頃、従来の幾多の反省に立って提唱された「ゆとり教育」がいとも簡単に方向転換され、強制的な学習指導へ戻ろうとしている。
 もう一度、生徒が主体的に学ぶ側に立ち、個性を引き出し伸ばし育てる教育観に立たなければならないと思う。仲良く助け合い、認め合い、ゆっくりでも着実な、何より温かな教育であって欲しいと願わざるを得ない。
 藤村は「人の世に三智がある」と言う。学んで得る智、人との交わりから得る智、そして自らの体験により得る智である。。
 教師のこうしたバランスのとれた力、真の学力を育む、創造的な教育活動を期待している。


モネを鑑賞する

2007-04-16 | 文芸
         【モネの「カササギ」1869/89x130/オルセー美術館】

 いつもブログ「いづつやの文化記号」(http://izucul.cocolog-nifty.com/balance/)を楽しんでいる。今日は、タイトル《モネ大回顧展のサプライズ! その一 まばゆい光》と題して、六本木の国立新美術館で4/7からはじまった“モネ大回顧展”を紹介されていた。

 いづつやさんは【200%感激度】のモネ作品を3点を紹介されていた。
 ”かささぎ”と“ヴァランジュヴィルの漁師小屋”それに“積みわら:夏の終わり、朝”だ。
 これまで「睡蓮」や「ルーアン大聖堂」の連作や「散歩:日傘をさす女」はよく見かていたが、ここの3点は良く鑑賞したことがなかった。
 ○”かささぎ”は今回初めて見る作品だった。上野の西洋美術館にはモネの「雪のアルジャントウイユ」が常設展示されているが、雪の風景画は意外に少ないと思う。モネは雪の風景にも光の効果を追求した。この雪の風景を新鮮な気持ちで見た。張りつめた寒さの中、朝日の射す雪に凛とした影を落とす木々が本当にいいと思った。さわやかでこころ動かされた。
 ○「積みわら」については、いづつやさんは「積みわらにまぶしく日が差す描写が心を打つ。モネは光があたる明るいところをキラキラさせたり、うしろにのびる影にうすいピンクをまじらせたり、光の拡散効果を描くため、積みわらの周辺をぼかすなど光を実に丹念にとらえている。」と書かれた。調べてみたら、モネは光の効果によってこの積藁が印象を変えていく様子を捉えたいと24点を描いたという。

 我が家の美術関連の蔵書は 「現代世界の美術」全21巻(集英社刊)で、「その1」がモネだ。 第6回配本で60年8月2日とある。その画集の帯びには、「時を刻む自然の光の瞬間性を画布に捉え、同時に永続性をも表現する、風景がモネ」とモネの紹介があった。もう身近に20数年間も存在しながらほとんど開けられなかった全集でモネを鑑賞した。
美術全集で、彼は「光の変化は限りなく多様で、そのモチーフは瞬間性においてしか存在しなくなってしまう。」「私が探している”瞬間性”を手に入れようとすると、あまりの難かしさに絶望してしまう」と言っている。また、「私にとって風景とは、空気と光に包み込まれたものとして、永続的に変化しつつ生きているのです。」 と言っている。
また、「モネは実際に日本風の庭園に睡蓮を浮かべた池を作り、「睡蓮」の連作に没頭した。」とあった。昨年、西洋美術館で大きな「睡蓮」を鑑賞したが、ここでも、やはり時とともに変化する池の様子、水面の反映と花の美しさを捉えようとしたことを理解できた。。

 「光の画家」クロード・モネの絵は明るくて美しいと思う。そのうち、大原美術館やポーラ美術館へも行ってみたいと思っている。しばらく、好きな画家の人生をもう一度学んでみたい。
 いづつやさんのブログはそんな美術への興味・関心を時々呼び起こしてくれる。
 モネ大回顧展の続編を楽しみにしたい。

萌え出る緑

2007-04-15 | 自然観察
            【庭の豊後梅 今が一番きれいだ】



 朝、犬の散歩コースの畑でしばらくぶりでYさんに会った。田植えが始まる準備に忙しい様子だ。もう80才をとうに越えたのに、いつも元気で働いている。もう薹が立って花が咲いている[くきたち]を折って抱えきれないほどいただいた。いつも同じ会話だが、身体に気をつけてと別れた。

        《冬を越した「くきたち」》



 続々と萌え出ずる緑に先立って、年々増えているワサビの株に小さな花が咲き出した。一株を鑑賞盆栽にしようと鉢に上げた。地植えのプリムラも縁沿いに白い花を、ヒヤシンスが6弁の紫の花を咲かせている。また満開のチヨノドグサ・ルシリアの脇には、米粒ほどのつぼみだったスノードロップがいつしか下向きに咲いていた。スノーフレークももうじきだ。ジンチョウゲが満開で、庭中に香りを放っている。






 また、近所のハクモクレンが咲き出したが、少し高台にある我が家は、まだつぼみが堅い。八幡神社のソメイヨシノも一気にほころび始めたが、我が家は開花まであと2,3日と言ったところか。
 年々歳々、今年も間違いなく美しい季節が巡った。









母の誕生日

2007-04-14 | 日々の生活
 今日4/13は母の誕生日、大正2年の生まれだったから、元気なら今年満94才になる。夜中に降った雨で、今朝は庭がしっとりと落ち着いている。これから暖かいサクラの季節を迎える朝、母が思い出された。もう一度話がしたいと思った。

 2003年は嫌な年だった。この年の春、義母のお見舞いや看護の妻を送ったりで会津-松本間を月に3~4往復した。その甲斐なく義母は逝ってしまった。その直後に私が体調を崩し突然の入院、入院療養生活は4ヶ月に及んだ。秋に退院後、今度は長かった私の退院を見届けるようにして母が突然他界してしまった。
 この年、私の人生観が大きく変わった。

 母はいつもは人の気持ちばかりを考える、神様のように優しい人だった。生前は、毎年1、2度、兄の家を離れての郷里会津の私のもとで生活を楽しんでいた。今、その時々の思い出が浮かんでくる。
穏やかな春の朝に、母を思い、人生を思い、家族をそして身体を壊し穏やかに過ごしている自分を思った。なぜか込み上げるものがあった。
 いつも心の中にいる父や母を思いながら、我が子に、孫に触れ合っている。

 庭で真っ赤なツバキが次々に鮮やかに咲いている。     (2007.4.13)
 

孫の入園

2007-04-13 | 日々の生活
今日は孫の幼稚園の入園式だ。上の孫が2年保育に出ることになった。
 パパやママは張り切っているが、孫の武琉君はあまり気が進まない様子です。ワイシャツ、グリーンの制服、紺のハイソックスに黒い靴と、なかなかダンデイだが、何となく本人にはしっくりいかないのだろう。
 記念写真も照れて落ち着きません。緊張気味で、食事も取らずバナナを半分食べただけで出かけていきました。
 明日から登園だ。自宅から50㍍、園のバスが市道の入り口まで送迎してくれる。
30年も前、子どもたちも通ったころの同じ光景が浮かんでくる。
しばらくは午前中なので、バスまでばあちゃんが送り迎えとなる。バスが近くまで来るとメールで連絡が入るという。
 
 4歳半、ほとんどじいちゃんばあちゃんの家で甘えて何不自由なく育った孫だ。
明日から幼稚園となると何か寂しいような嬉しいような、いろいろ余計な心配をしている。    

この日、昼の庭の気温13℃、快晴。ほとんど風なく暖かい。
 本格的な春、今年初めて庭でチョウを見る。テングチョウ、モンシロチョウ。
  ウメ、レンギョウが咲きはじめた。                              (2007.4.12)




 今日は初めての通園:初めて一人でバスに乗った。行くのが嫌で多少ぐずったが、午前中元気で行ってきた。みんなでバスを迎えた。行く時とはまったく違って笑顔でお帰り。じきに慣れると思うけれど、朝見送りのときは、ばあちゃんは涙を浮かべていた。

【帰りのバスを迎えるばあちゃん】
 

誕生プレゼント

2007-04-12 | 日々の生活


3月末に若松から郡山へ引っ越した息子夫婦が、先週末来訪、私への誕生プレゼントを持って来てくれた。久々に夕食を共にした。

 プレゼントはデジカメと鉢植えの紫色のカラーをいただく。
 ポケットサイズのデジカメは7年ほど前にF社製のものを買った。当時はワイシャツのポケットに入るサイズのものが他になかったので気に入っていた。でもフタが閉まらなくなり数年前に同じものを購入した。ところがそれも2年ほどで同じ故障、その後は一眼レフのデジカメを使っていた。不便さを話していたので気を使ってくれたようだ。いただいたデジカメがあまりに小いさく薄いので驚いた。嬉しい贈り物だった。


 カラーは白や黄色は見たことがあったが、紫は初めてで、その後書斎に置いてじっくり観察していた。早速ネットで調べてみた。近くの畑でも栽培しているのを見かけたが、耐寒性もあり、会津でも栽培しているようで冬も越せそうだ。大事に育ててみたいとおもっている。








ネットより「JA会津」(出荷商品の紹介)

■カラーについて
学名:ザンテデスキア(Zantedeschia spp.)、英語名:callaもしくはcalla lily
 日本ではカイウ(海芋)とも呼ばれる。原産地は南アフリカ、サトイモ科で多年草で球根植物に分類される。カラーには大きく分けて湿地で育つ湿地種と畑地で育つ畑地種に分けられ、近年生産が盛んなのは畑地種で、外国産品種は夏季高温となる地方では球根の腐敗が発生しやすいため、会津地方の磐梯町や猪苗代町などの高冷地で主に栽培されている。 花言葉は「乙女のしとやかさ」、「清浄」、「夢のような恋」
■カラーの栽培体系
 会津地方では猪苗代町を中心として、水田の転作栽培の一貫として輸入球根を利用してカラーの栽培を行っています。海外の球根を購入し、春ハウス内に植え付け、6~10月に切花を出荷しています。収穫後の株はそのままにして球根を肥大させ、秋になって掘りあげて貯蔵し、翌年の栽培に利用しています。一部の農家では、秋になっても掘りあげないでそのまま越冬させる据え置き栽培を行っている。
■カラーの名前の由来
 ・すっきりとした草姿と香を持ち、カトリックのシスターの襟(カラー)に形が似ているから・ ギリシャ語のカロス(kallos)=美に由来しているから ・以前カラ属に分類されていたから、と言う説などいろいろあるようだ。


ツクシを味わう

2007-04-11 | 日々の生活
              【ツクシの卵とじ】

 萌え出ずるいのち暖か春うらら

昨晩は、北信濃のマーヤンさんのブログ「ブログに遊ぶ」(http://blog.goo.ne.jp/hasemasa1138/)をまねて、ツクシの一品料理を作った。
道路脇のツクシはもう穂が開き始めていたが、30本くらい摘んできた。
節の部分のハカマをはずしたが、穂の胞子部分も味わってみたいと思い何本かは付けたままにした。しんなりするくらいに茹でて、たっぷりの水に30分くらいさらした。
少し苦みを味わいたかった。醤油と砂糖で甘辛く煮付けて卵でとじた。
禁酒中だが、ぐい呑み半分ほどやってみた。
ほんのり苦い卵とじが実に美味しく感じられた。



 ツクシの脇には春一番のキバナノアマナがくっきりした黄花を開いていた。ちょうど4/9の松本・里山辺の hi-kanaiさんのブログ「常念が見える部屋から」(http://blog.goo.ne.jp/hi-kanai)で拝見したばかりだった。

【キバナノアマナ】


いつも、楽しく立派なブロブからいろいろ興味あるヒントをもらっている。


本当の春を感じた1日

2007-04-10 | 日々の生活
             【咲き始めた高田梅】

朝の内に孫の家の鯉のぼりを揚げた。ウメの枝を背景に春の陽に輝いた鯉に孫たちの成長を祈った。

 

春は名のみの冷たい風も止んで、春の陽が暖かかった。10時のお茶を済ませて、里山の田園と言った八田野の公園まで孫をつれて妻と遊びに出た。車で10分ほどの距離だ。
孫たちがブランコ、すべり台で遊んでいる間に周囲の土手を歩く。春の陽が萌え出ずるいのちを温めていた。
やっと本当の春を感じてきた。黒い大地やせせらぎ、残雪に似合う蕗のとうは、もう田の土手に頭花をもたげていた。遠くからは赤紫色のジュウタンのようにきれいなヒメオドリコソウやルリボシソウ(オオイヌノフグリを自分で呼んでいる)も満開だ。冬の寒さに耐えたそれぞれのロゼッタは淡い春の緑がさわやかだった。いよいよ春の訪れ、春霞に浮かぶ磐梯に向かって背伸びをして深呼吸をした。




 公園の桜はまだつぼみが堅い。いつもこの季節、サクラは咲き始めのころや散り急ぐ頃の風情が何とも言えず美しいと思う。徒然草137段の「花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは。」とあるが、これは真実だと思っている。特に満開のサクラはあまり好きでない。ウメの花もそうだ。ウメは香りも手伝ってちらほら咲き始めるころの雰囲気はとてもいい。
 庭のウメは、今ちょうどつぼみが膨らみ、弾けそうな花びらが見え始め、枝は何とも言えずきれいだ。春を待ち続けた気持ちもあるのだろう。
また1年ぶりに訪れたこれからの桜花爛漫の候を十分に楽しみたいと思っている。