エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

栗ごはん  

2008-09-29 | 日々の生活
       【ゴマダラカミキリ】

   イガ熟し孫等の追いしアキアカネ

 昨日は、この秋一番の冷え込み、肌寒い一日だった。
 わずかな青空を隠す曇り空だったが、自然の中でお昼を食べに、里山散歩に出かける。

 深閑とする林の際に、ブルーシートに座わった。
 栗の季節、丁度良く色が褪せ始めたイガを踏んで、妻と娘はクリ拾いに興じた。思いも掛けぬ収穫だった。
孫たちは元気はつらつ、アキアカネを追いかけてひとときの秋を楽しんだ。

 曇り空のせいもあってか、トンボもめっきり少なかった。先週まで産卵に忙しかったアオイトトンボはほとんど姿を消した。
 山の際にヤマハッカがシソ科特有の小さな唇状の花を付けていた。秋にふさわしい、清楚な可憐な花だ。
今朝は早速、栗ご飯を美味しくいただくことが出来た。


 
【清楚なヤマハッカ】

母のちぎり絵

2008-09-27 | 文芸

  父に先立たれた母は、月に1、2度ちぎり絵を習っていた。
 ときどき故郷会津の我が家へ来るとき、いくつかの作品を持ってきてくれた。

  母の作品のいくつかを壁に下げてある。本格的な額に入っている色紙をはずしスキャナーで取り込んだ。
階段の壁の紅い実の作品は、熟した柿と思っていた。身知らず柿が好きだった母が、故郷を思いながら制作したのだと思い込んでいた。でも、よくながめるとツルが見え、葉はブドウのようだ。そう言えば、鮮やかな紅い実は朱色だし、形も多少楕円形、これはカラスウリに違いないと結論づけた。

 母のちぎり絵の作品は、確かに年寄りの拙いものが多いが、この作品は素人の域を出た素晴らしいものだと思う。秋の自然を素直に見つめ、何日もかけて一生懸命つくったものだろう。たぶん母が米寿を迎えたころの作品だと思う。秋の自然に心なごむ、好きな作品だ。

 よく私のところに滞在するとき、母は私を真似て、スケッチブックに磐梯山を描き色鉛筆で染めていた。目も悪く、絵も上手いとは言えなかったが、絵心があったのだろう。そんな母の気持ちを嬉しく、懐かしく思い出した。

 母が一生懸命工夫して作ったちぎり絵をながめていると、元気なころの姿が浮かんで来た。



クモに捉まるチョウ、トンボ

2008-09-25 | 昆虫
暑さ寒さも彼岸までと言うとおり、半袖では寒いくらいになった。
 日当たりの良い庭にヤマトシジミが乱舞している。つい直前まで交尾中だったヤマトシジミが、気づいたらクモに襲われオスが頭をかまれていた。 



 青空にきれいな秋の雲が高い。見上げると2㍍も高いところに張られたジョロウグモの巣には、ようやく里へ下りてきたノシメトンボがつかまっていた。
 自然の摂理なれば、チョウやトンボを助けることは出来ない。本来、食うものと食われるものの関係、食物連鎖で成り立っている自然界、小さな虫の世界でも、残酷物語はいつも繰り返されているのだ。
 
我が家の庭には、夏の終わりから秋には庭中に大きなジョロウグモの巣が張られる。年によって違うのか、何時かはほとんどがオニグモだった記憶があるが、今、庭の大きなクモの巣はほとんどがジョロウグモだ。この前まで木々の間にあったコガネグモやゴミグモの巣は見あたらない。庭の奥で通路に張られるジョロウグモの巣は、毎朝邪魔なので切られるが、翌日はこりもせずに同じ場所にまた張ってある。オニグモの網は平面的だが、よく見るとジョロウグモの巣は立体的でとても複雑である。大きな丸い主網は平面的で糸は幾分黄色い。横糸を見ると丁度楽譜の五線紙のようだった。巣はどれも、大きなメスが網の中央に堂々と逆さに止まっていて、廻りに小さいオスを何頭も従えていた。
 ジョロウグモの大きな鮮やかな黄色縞、腹部の妖艶な赤い色が秋の空に美しく輝いていた。


SLばんえつ号

2008-09-24 | 日々の生活

我が家から駅までは約2キロくらい、ときどきレールを走る電車の音が聞こえてくる。
土、日曜日の午後の4時近くに、ポーっと汽笛が聞こえるのは、若松発のSLばんえつ号SLだ。もうかなり前から、土、日曜、新潟-会津若松間で1往復、SLが運転されている。

この前の日曜日の午後、孫たちを連れてSLを見に行った。
 R49の陸橋の踏切付近で磐越西線の新潟発のSLを待った。ところが、通過時間が過ぎても姿が見えない。駅に問い合わせると、列車に不都合があり45分遅れという。一度家に戻って出直した。
かすかに汽笛が聞こえ、遠くに黒煙が見えた。一直線にSLが近づいてくる絶好の場所でカメラを構えた。力強く近づくSLを望遠レンズで覗いた。歓声を上げる孫たちの目の前をごう音と共にSLが通過していった。あっという間だったが迫力満点だった。SLは49号陸橋をくぐり、会津若松駅構内に消えていった。しばらく、感動を鎮めるように黒いけむりが付近に漂っていた。

 マニアではないが、近いうちに秋の磐梯を背景にSLを撮ってみようと思っている。
雪の中をひた走るSLも魅力的だ。四季を問わず、美しい自然の中を走るSLを写真に納めたいと思っている。 
SLの魅力は、エネルギッシュな走り、もくもくと力強くはき出すけむり、吐き出す蒸気音、あの車輪の動きなどだろうか。黒光りした車体がまた魅力的だ。
 窓の隙間から煙や煤が入り込んだ思い出が、あの臭いとともにうっすらと浮かんできた。
 今度は実際にSLに乗って、もう一度かつての懐かしい体験をしてみたいとも思う。



会津秋まつり・歴代藩公行列

2008-09-23 | 街中散歩

会津秋まつり・歴代藩公行列を見に行った。孫たちに見せたいと娘に誘われ、重い腰を上げた。ブログ用に写真の1枚もあればと思って、娘の車に同乗させてもらった。
 市政便りで配布されたポスターで、行列のコースや通過時間を確認した。西出丸の石垣から市内に出るお濠の脇の狭い道路端で行列を見ることにした。
 お城の本丸で出陣式を見たのはもう20何年も前か、ここ数年は、健康だけが気がかりで関心もなかったし、十数年ぶりではないだろうか。良い天気に恵まれ、歴史の絵巻物が繰り返された。

【俳優の辰巳琢郎さん】
今年は会津親善大使でもある俳優の辰巳琢郎さんが参加した。“会津藩中興の祖”と称された名家老、田中玄宰役だった。
作家・早乙女貢さんは、今年も西郷頼母役になりきって参加していた。
 また、会津藩ゆかりの5市(*)(青森県むつ市・神奈川県横須賀市・新潟県長岡市・東京都日野市・三重県桑名市)の皆さんも参加し、沿道から温かい声援が飛んでいた。来年、NHK大河ドラマ「天地人」が放映されることを記念し、主人公の直江兼続(会津領主であった上杉景勝公の重臣)の上杉家最終の地となった米沢市からの応援参加もあった。
  【長岡藩のパフォーマンス】
出陣式では 白虎隊剣舞(市立一箕中学校)や娘子隊演舞(県立葵高等学校)があったようだが、神明通りでは、火縄銃演舞(会津藩鉄砲隊)や奥羽越列藩同盟に加わった長岡藩のガトリング機関砲の実演など、いろいろなパフォーマンスが披露された。
 保科公時代の姫や松平喜徳公及び白虎隊は北会津中学校、中野竹子を隊長とする娘子隊は葵高校が当番校だった。そう言えば、息子や娘たちも小学生のころ「日新館童子行列」や「鼓笛隊パレード」で街を練り歩いたこともあったっけ。はるか遠い昔のことが思い出された。

 何と言うことはないが、たまに昔の歴史に思いをはせるのも良いものかも知れない。今年は「戊辰戦争140年」、「会津藩による蝦夷地(北方)警備200年」に当たる節目の年だそうだ。

 【神明通りでパフォーマンス】

(*)ゆかりの土地
三重県桑名市
 安政6年に桑名藩主松平家の養子となった定敬公は会津藩主松平容保公の弟。兄の容保公とともに京都所司代として京都の治安維持に努めた。
神奈川県横須賀市
  会津領主・葦名公の祖 佐原義連公の生地。1810年、三浦半島の海防に会津藩が従事、藩士やその家族の墓が現在も横須賀市に残っている。
青森県むつ市
 会津藩再興の地。松平容大公を藩主として斗南藩が誕生したが、不毛の地での開墾政策は想像を絶し、飢えと寒さで病死者が続出した。福島県初の陸軍大将となった会津藩士の子、柴五郎がその過酷な開拓生活を著した「ある明治人の記録」は有名。
新潟県長岡市
 戊辰戦争時、会津藩を救うために結成された奥羽越列藩同盟の加盟藩。
東京都日野市
 会津藩が京都守護職時にその配下にあった新選組の副長・土方歳三の生地。



【今年の会津まつりの日程】
9月22日(月) 提灯行列(18:00~)
     会津磐梯山踊り(19:00~) 
9月23日(火) 先人感謝祭(8:50~)
     会津藩公行列(出陣式9:30~)
     会津磐梯山踊り(19:00~)
9月24日(水) 日新館童子行列(10:00~)
     鼓笛隊パレード(10:20~)

ザリガニ捕り

2008-09-22 | 教育を考える

たわわに実った稲が重たそうに穂をたれていた。
昨日、孫たちと前から約束をしていた、ザリガニ捕りに行った。
水のなくなった田の水路を探すと、赤いハサミが見えた。わずかに残る水たまりで、孫たちは喜々として網ですくってバケツに入れた。
 帰宅して捕獲してきたザリガニ3匹を水槽に入れた。ちょっと心配だが、ジョウやメダカと一緒だった。

今朝は大騒ぎ、大声で報告する孫、水槽を見ると、ザリガニがドジョウをハサミで抱え、食いちぎっているではないか。確かに、昨日は近づくメダカを襲うような仕草を観察していた孫から様子を聞いていた。
 獰猛なザリガニ、自然界の一端を見てどうしようかと考えている。
 カブトムシとついこの前羽化したノコギリクワガタも元気でいる。生き物にとても興味を持って観察する孫を見つめている。
 大変だが、孫たちから、毎日元気をもらっている。


趣味の焼き物

2008-09-21 | 文芸

 物置の焼き物を整理した。もう20年も前、楽しく陶芸に熱中していたころの作品に久しぶりに再会した。何枚かは食器棚に置いてよく使っていたが、かなりの数は眠っていた。
我が家では、浜田庄司風の益子焼きの湯飲みや織部焼のぐい呑みと共に、会津本郷の宗像焼の角皿、酔月焼の醤油射しなどを毎日使っている。いずれも旅行の折りに求めてきたものだ。

益子の浜田庄司参考館を訪ね、バーナードリーチ、、河井寛次郎等の名を知ってから、さらに陶磁器に関心が高まった。生活の中の美を追求した寛次郎の全てを知りたいと思い京都五条に二度、河井寛次郎記念館を訪ねた。それから大分遅れて民芸運動の創始者である柳宗悦の日本民芸館を訪ねたのは数年前、また、近くは本郷の特色ある各窯元を訪ね、技術やそれを越える感性を探しながら、やきもの楽しさを味わうことができた。
 とかく工芸作品として芸術領域での鑑賞が浮かぶが、実は焼き物こそ民芸運動の言うとおり、「使用しての価値が言われるべきもの」と思っている。雑器という表現があるが、用の美というものが焼き物本来の価値であると思う。柳宗悦は「美は用の現れ。用と美と結ばれるものが工芸」と述べ、雑器に虚心が生み出す美しさを見いだした。
そんな風に焼き物の鑑賞を楽しんでいたが、実際に創作することは難しかった。いろいろ学び、工夫して焼き物を作ったが、ろくろだけは習得出来なかった。ろくろはからりの経験がいるから、もっぱら作ったのは、手びねりの茶碗やぐい呑み、向付など、磐梯山の絵を板に彫った絵皿などだった。文鎮替わりの置物、箸置き、箱物などを楽しく作った。
 床の間には今も大皿の呉須で色つけした絵皿を飾ってあるが、機械ろくろで何とか作った大作である。

 もっぱら食文化との関連で陶磁器を眺めてきた。自作の磐梯の絵皿は、刺身を盛る時に使っている。いつも、ご馳走をよけながら、絵皿の風景を眺めながらの食卓は、自己満足の豊かさだった。自分の趣味で自作した食器を使い、祖先が営々と作った地方の料理を食べることの贅沢さをいつも考えている。


 【楽しく作った作品】
 

 

 

  



彼岸の入り

2008-09-20 | 日々の生活


     秋彼岸 シュウメイギクに 母想う

 今日は彼岸の入り、待っていたように庭のシオン、シュウメイギクが咲き始めた。
 彼岸には、父母、伯父や伯母のお墓に詣で近況を報告する。また、普段は忘れているお世話になった方々に思いをはせる。
 最近、若かったころ、もっとじっくり父や母と話をしておきたかったと、後悔の念が湧いてくる。[親孝行、したいときには親は無し]と言う。今、子供や孫たちの私や妻への対応も同じだろう。そう受け止めて、子どもたち、孫たちとせいぜい、しっかり話をして過ごしたいと思っている。
昨日のうちに、信州の両親、伯母へ彼岸のお供えを送った。お盆、お彼岸にはいつも会津のお菓子を食べてもらいたいと思っている。


珍客 ウラギンシジミ

2008-09-19 | 昆虫
   中秋の昼どき、今日もマダラナニワトンボの産卵を撮影にいつもの里山散歩へ。個体数は少なく4~5頭か、でもペアの産卵も見られ、どうにか来年も会えそうな気がしている。
この時期、例年よりも、まだアカネ類が少ないようだ。

 
 【連結して打空産卵をするマダラナニワトンボ】

 オオウラギンヒョウモン(分布からもウラギンヒョウモンかも知れない)が、土にお腹をつっこんで産卵していたのを初めて見た。草むらには小さなスミレの葉を確認出来た。また、最近見かけなかったコムラサキ♂が、スズメバチがあけたイタヤカエデの幹の穴にストローをさして樹液を吸っていた。遠かったが紫の発光が輝いて見えた。
 吸水に来た珍客ウラギンシジミ出会った。もう20年ほど前、いわきにいたときときどき見たが、会津では初めてだった。新しい発見だが、分布から土着は無理と思っていたがは、最近の温暖化の影響で、生物相の分布も大分北上しているようだ。 


  【オオウラギンヒョウモン(?)の産卵】

【イタヤカエデのコムラサキ】

  【ウラギンシジミ♂に出会う】

魅了された宝石

2008-09-18 | Weblog
暑い夏が終わった中秋の林道で、新鮮なハンミョウに出会った。久しぶりに出会う宝石の輝きにしばし魅了された。
春先よく林道を先導してくれる。いつか子供が小さいころワラビ採りに行った新鶴の林道で家族中で観察した思い出がある。近づくと少しずつ飛んで逃げ、一定の距離を保って道案内をしているようだ。そのため昔から「みちおしえ」と呼ばれていたようだ。
  チョウも美しい。特にミヤマカラスアゲハ後翅の緑がかった金属色、ミドリシジミ類やオオムラサキやコムラサキの発光色など、また、クジャクチョウの上翅の先端の紋も素晴らしい。しかし豊かな色彩はハンミョウには及ばない。このビロード状の色彩豊かな美しさを何と表現したらよいのだろうか。
ハンミョウほど美しい虫を知らない。頭から尻まで、足も触覚にも七色が施されている。誠に美しいデザインだ。つま先立ったポーズでこちらを見つめた。かわいいが、正面からは仮面ライダーで牙には獰猛さの一端を感じる。
いつもは2mほど近付くと逃げるのに、今日は望遠マクロで約50cmくらいまで近づいて写真を撮れた。




チョウやトンボの同定

2008-09-16 | 昆虫


  チョウやトンボ、小さい虫たちを写真に撮る。そして1匹1匹の特徴を図鑑やネットで調べる。そんなふうに小さな自然を見つめている楽しみの日々である。

 ときどきチョウやトンボの同定が難しいことがある。
 小さいころからチョウマニアだったので、チョウは大体は判別出来る。難しいのは、まずゼフィルスのミドリシジミ類だ。また、ルリシジミとスギタニルリシジミ、ウラギンとギンボシヒョウモンさらにオオウラギンヒョウモン、サトキマダラヒカゲとヤマキマダラヒカゲ、そして今もわからないヘリグロチャバネセセリとスジグロチャバネセセリの区別など。
 最近の図鑑をみると、キタキチョウとかウスバアゲハなどと呼び名が変わったもの、日本には棲息していなかったホソオチョウの繁殖、独立種となったヤマトスジグロシロチョウなどなど、むかしの昆虫少年としての知識は一変している。

 トンボの同定がまた難しい。トンボは数年前から興味を持ったばかりで苦労している。ようやくアキアカネ、ナツアカネの区別、またマイコアカネ、マユタテアカネ、ヒメアカネなどの見極めは出来るようになった。でもサナエトンボやイトトンボはまだまだ難しい。イトトンボでは、オツネントンボ、オオイトトンボ、キトンボ、アオイトトンボくらいはっきり断定出来そうだ。おまけに、トンボの場合は、幼年体や成熟体、♂や♀などとなると、さらに複雑になる。
 
  今朝はオオチャバネセセリの交尾行動を観察した。庭のアイやシモツケの花にイチモンジセセリと一緒になって飛び交っている。両者は、止まった後翅裏面の斑紋の多少のずれで種を判別出来る程度なのに、彼らは決して相手を間違えることはない。こうして種が保たれている不思議を思う。
 身近に見かけるチョウやトンボについては、まず名前を判定し、食草や分布、発生時期や特徴など、生態を知りたいと思っている。


 【アイの花に吸密するオオチャバネセセリ】


 【イチモンジセセリ】


   

消えた草原と「黒い赤トンボ」

2008-09-15 | 環境問題

【ほっとした マダラナニワトンボの産卵】

 この時期、いつものフィールドで細々生き続けている、絶滅危惧種のマダラナニワトンボの棲息が気がかりだ。初見は9/1、その後は会えなかった。今年は、それなりの理由があって、見られるかどうか心配していた。それは、フィールド近くのいつもの自然環境が、人為的に変えられたからだった。
 また、この春、カキツバタやノアザミ、ワレモコウ・・・、また、ヒョウモンやジャノメ、セセリ、その他数多くの虫たちの棲んでいた草原がなくなった。そこは、毎年虫たちの美しい姿を写真に撮りに訪れていた草原の楽園だった。小さな自然領域の緑がすっかり刈り取られ、いつの間にか建物が建ち、駐車場に変わってしまっていた。悔しく、残念でならなかった。追いやられた虫たちが、愛おしく切ない。



 今日、マダラナニワトンボの産卵を見ることができた。とても心配していたので、個体数は少なめだが、ペアになって産卵する姿を見て、ひとまず胸をなで下ろした。
 マダラナニワトンボは、オスに頭を挟まれ連結し打空産卵をする。ホバリングしながら、水のない池の縁の地上に、空中から卵のばらまきを繰り返していた。
 池の周囲でも産卵に適した場所はごく限られ、毎年、この狭い同じ環境で細々と生き続けていると思う。この、絶滅が危惧されている黒いアカトンボが、いつまでもいつまでも生き長らえていって欲しいと願っている。
(2008.9.14)


日記@BlogRanking

イタリアンランチ

2008-09-14 | 日々の生活
            【志田浜からの麗しの磐梯】


やはり秋の天気に誘われ、2日連続の里山の秋を楽しみに出かけた。
昨日は、磐梯町から川桁へまわりお昼を食べて帰ってきた。

磐梯山麓の旧道をゆっくり走り、所々車を止め磐梯を仰ぎながら、トンボやチョウの写真を撮った。山の際はどこも蕎麦の畑がさわやかに広がっていた。
 のどかな秋の昼まぐれ、ソバの花に集まったチョウは、イチモンジセセリ、ミドリヒョウモン、アカタテハ、ヒメアカタテハなどだった。

アカタテハ  
ヒメアカタテハ
キタテハ
ミドリヒョウモン♀
 ミドリヒョウモン♂

49号を通るのは久しぶりだった。ときどき郡山へ出るが、ほとんど高速道を利用しているので、久しぶりの志田浜だった。高速が出来てからは、志田浜は観光客も極端に減ったようで、お店も半分はシャターを閉ざしたままで閑散としていた。
 志田浜からの磐梯山は一番絵になる風景、いつものように砂浜の湖岸に立った。

 外食はいつもはラーメン、ファミリーレストランに決まっていたが、昨日は妻と二人だったし、久しぶりに上戸浜の『アンジュール猪苗代』で、イタリアンランチを楽しんだ。ここは湖畔のリゾート結婚式場で、式のない時にはレストランになっているようだ。もう20年も前の話し、ここはレストランだった。出張の際に、何度か立ち寄ったことがあった。ホットケーキとコーヒーを頼んで、ちょっとノート整理をした覚えがあった。
 妻はパスタ、私はメインディッシュに肉をオーダー。前菜は生ハムと見たことのない葉っぱが並んでいた。パンは自家製、デザートはペアのムース、飲み物はアイスコーヒーにした。室内の装飾が簡素でさわやかな雰囲気で料理も美味しかった。
 ウエイトレスに勧められてデザート、コーヒーは湖畔の林の下で湖水をながめながらいただいた。
 

 風が強かったが、水面がきれいに輝いていた。
 流れ来た人生が、何か走馬燈のごとくに廻り巡ってきた。ふと、昨年の体調を思い出し、回復した健康をあらためてありがたく思った。
 これから、静かに始まった秋を十分に楽しみたいと思っている。




秋の猪苗代湖

2008-09-12 | 日々の生活
              【猪苗代湖 長浜からの磐梯山】

 すがすがしい秋の朝、猪苗代湖をながめに車を走らせた。
 10時ころ、49号の強清水の電光掲示の温度は22℃、もうエアコンもいらない窓を開けてのドライブだった。
 山麓に広がるソバ畑から磐梯を望んで深呼吸をした。



 今、満開の蕎麦畑にセセリチョウが群れていた。また、畑の所々に純白のニラの花が美しく、セセリチョウやヒョウモンが密を吸いに飛び交っていた。羽の傷んだジャノメチョウも疲れを癒すように止まっていた。静かな秋の訪れだ。

【傷んだ羽を休めるジャノメチョウ♀】


【ソバに来た キタテハ】


 久々に見る湖水が穏やかに輝き、対岸に低い山並が浮かんでいた。
 遊覧船「かめ号」が浮かぶ桟橋に立つと、ひんやりした風が渡った。
 そこでばったり、懐かしいかつての同僚I先生と行き会った。2年ぶりくらいか、奥さんと里帰りの娘さん、お孫さんも一緒だった。
  互いの健康を喜び別れたが、ひととき、お互いが若かったあのころの溌溂とした職場の様子がよみがえってきた。(2008.9.12)



カラムシ属を知る

2008-09-10 | 自然観察
             【カラムシ】

 もう5,6年前の夏、穂高の田淵行男記念館を訪ねた時のこと。記念館の隣の店で信州蕎麦を食べた。その店の前に置いてあったイワヒバを衝動買いした。それはイワヒバの大きな株が10個ほど付いた石造りの盆栽だった。そのイワヒバの間から、毎年夏の終わりに茎から白い花の穂を咲かせる草が出ていた。今年は雨が多かったせいか、一段と大きく背丈ほどに育った。ずっと何年も、そのときを思い出しながらながめていた。
 図鑑で調べると葉の付き方、葉の特徴などからカラムシ、葉の裏面を確認すると綿毛がないのでアオカラムシらしい。

 もう一つ、これも買ってきた何かの盆栽に付いてきたものだが、そのカラムシに似た草にも関心があった。それはヤブマオらしい。また、ヤブマオは白い花穂だが、たまたま数日前によく似ていて花穂が赤い草に出会って、写真を撮ってあった。これはアカソと同じ仲間のクサコアカソであることがわかった。
図鑑のヤブマオの隣にはアカソが載っていた。アカソは【アカタテハ】の食草なので、前からそこで幼虫を見つけたりしてよく知っていた。
今回は、そもそもクサコアカソに出会い調べてみたのだが、いずれもイラクサ科のカラムシ属に属するよく似た仲間であることを学ぶことが出来た。

 【ヤブマオ】

 【クサコアカソ】

庭には、名前を知りたい、まだわからないものがいくつかある。
 その1つ、シソに似た紫色の葉で、今つぼみを付けたところ。花が咲いたら本格的に調べてみようと思っている。