エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

一升餅

2009-08-31 | 日々の生活

 孫の1才の誕生会に招かれてお祝いに行った。息子の嫁さんの実家にお世話になっての誕生会だ。いわきでは1歳の誕生日に1升餅を風呂敷で包んで背負わせてお祝いをする習慣があるという。会津にはない行事だ。
 こっちの孫も連れてみんなで行きたかったが、今回は末娘とジジ、ババの3人で出かけた。お祝いなのでお酒をいただく → 帰りは娘の運転というわけ。
 夏祭りに我が家で会ってから1ヶ月、紗英ちゃんは上手にハイハイが出来るようになっていた。
紗英ちゃんに一升の丸いお餅を背負わせた。一升の餅は約2キロ弱もあるからちょっと重すぎる。背負ったまま動けずに、困ったようなしぐさがとてもかわいかった。
 一生餅の由来は地方によって諸説あるようで、ネットで調べたら、地方によって、誕生餅、一升餅、一生餅や踏み餅、背負餅(しょいもち)などと呼ばれる伝統的行事とあった。

 あれから1年になったのか。
 誕生したとき病院にお祝いに駆けつけたころの、ちっちゃい赤ちゃんが浮かんだ。
生まれてちょっと保育器に入った紗英ちゃん。少し心配したけれど、すくすく育ち満1歳のお誕生日を迎えた紗英ちゃん。家族に囲まれお祝い出来る幸せが嬉しかった。

いわきのお父さんと杯を酌み交わした。しばらくぶりの昼のお祝い酒が美味しかった。いわきのカツオの刺身は、会津とはひと味違って新鮮そのものだった。皮付きの刺身も珍しくいただいた。ヒラメの刺身もあった。ナスの漬物、糸カボチャの酢の物、茶碗蒸し、カツオの煮付け、鶏の唐揚げ、手の込んだサラダ・・・、五目おこわ、美味しいお吸い物も格別だった。食べきれないほどのご馳走をいただき、しばしのなごやかな誕生会を過ごした。
 あまりに美味しいお酒に時を忘れたが、横のテーブルでは子どもたちや女性軍がにぎやかに笑いながらバースデーケーキを囲んでいた。
 健康を取り戻し、ゆっくり杯を重ねている自分を自覚しながら、あらためてありがたい幸せを感じた。
 若松まで約130キロ、高速代は日曜割引の1000円、後部座席でほろ酔い気分で我が家を目指した。台風が近づいているらしく、時折雨にあいながら無事帰宅した。
  (2009.8.30)


ホシミスジ

2009-08-28 | 昆虫
       ホシミスジの羽化 2006.8.29


ホシミスジはことのほか愛着のあるチョウだ。十数年来我が家の庭のわずかな空間で棲息しているチョウだから。いつもスイスイと、悠然と庭を舞っている。

 ホシミスジ

 最近。2つのホシミスジの蛹を確認していて、その羽化を楽しみにしていた。その矢先に、何物かに命を奪われてしまった。
 数日前に、色も変わり、明日は羽化かと待っていた蛹が尾の一部を残して無くなってしまったのだ。そして、きょうは、もう一つの、昨日最後の服を脱ぎ去って完全な蛹になったばかりの蛹も消え失せてしまった。垂れ下がったばかりの蛹は、終令の突起の跡がまだ残っていて、終令幼虫の尾に近い部分の緑色が印象的だった。

 いずれも、葉のない細い枝の先を選んで蛹化したもので、よく目立ってはいた。一頭が無くなったので、保護も考えた矢先であった。
 一体犯人は誰だろうか。クモを心配していたが、巣からは離れていたので大丈夫と思っていた。多分、ハチかトンボではないかと思われるが、分からない。

 蛹化 2009.8.25

 蛹化 2009.8.26

きょうも一頭が舞っていた。また産卵し、無事に育って来年も是非姿を見せて欲しいと願わざるを得ない。 庭にはユキヤナギが他にも数か所ある。また、シモツケも食べるようなので他にいないか、丁寧に探してみようと思っている。
 庭ではコミスジも見かけるが、食草のユキヤナギに蛹化しているのでホシミスジに違いない。いずれも、今年2化目の個体だったはずだ。一昨年、羽化を観察できたが、今回も楽しみにしていたのに残念でならない。
(2009.8.27)


ホシミスジの産卵 2005.7.15



磐梯町の龍ヶ沢湧水

2009-08-27 | 街中散歩

ラックがいなくなってからは、散歩はしていない。足が弱ってはと、里山を巡ってなるべく歩くようにしたい。
 ときどき行く磐梯山麓へ車を走らせた。いつもの西の山麓から約1キロ、龍ヶ沢湧水まで足を伸ばしてみた。



水源へは実に30年ぶりだった。ここは日本名水100選に選ばれた磐梯西山麓湧水群の代表的な湧水で、猫魔山系の火山活動によって生まれたらしい。
 湧水までの林の道の入り口には「クマに注意」の表示看板があった。通り過ぎる草むらにはマユタテ、マイコ、ナツアカネ、ノシメトンボなどが風に乗って舞っていた。すっかり秋の風情だった。

 マイコアカネ
 マユタテアカネ
 マユタテアカネ
 ナツアカネ

松林を抜けると薄暗いスギ木立の中を進んだ。途中地面が濡れてくると、クロヒカゲが数頭飛び出し、ヒメキマダラヒカゲが吸水していた。林の中の日だまりにはコミスジや鱗粉の落ちたウラギンスジヒョウモンが離れずに舞っていた。写真を撮りながら、約20分で水源に到着した。水源の脇には説明案内板が立てられ、きれいに整備されていた。



 ウラギンスジヒョウモン


 吹く風は涼しく、多少かいた汗が引いた。巨石の間からこんこんと湧き出る水で喉を潤した。登ってくる途中のミズヒキはすっかり咲いていたが、水源近くのミズヒキはようやく蕾が見え始めたところで、しかもどれも葉に茶色のVの字の模様があり興味深かった。
しばしくつろいでからすがすがしい気持ちで下った。途中、メスグロヒョウモンやカラスアゲハが勢いよく追い越していった。

Vの字が目立つミズヒキ

帰路、塩川のジャコウアゲハのポイントへ寄ってみた。ジャコウアゲハはこの時期に沢山いるのだが、♂1頭が柿の葉に羽を休めていた。畑のお花畑には、キタテハ、モンシロ、イチモンジセセリなどが飛び交っていた。中でも、翅のほとんど破れた痛々しいモンシロチョウが白いエゾギクを好んで選び密を吸っていた。

 ジャコウアゲハ

 オオチャバネセセリ

 痛々しいモンシロチョウ

 出発9時45分、帰宅12時半、合計3~4キロ程度歩いただろうか。毎日、せいぜい歩くようにしたいと思っている。

日記@BlogRanking



「求めない」

2009-08-26 | 日々の生活

日々が無為に過ぎ去っていく。きょうも実りのない一日が終わった。
何かが足りない日々、一日を、一時を反省して悔いている。
そう思う度に、焦るな、明日がある。疲れたら休め、と言い聞かせる。

そんなとき、詩集「求めない」の数行に目をやる。
とても、こころがやすらぐ。

● 求めない
  すると
  こころが静かになる
● 求めない
  ということは
  いまのままでじゅうぶん
  と知ることなんだ
● 求めない
  すると自分の別の顔が見えてくる
  それは
  柔らかい顔をしている


 久しぶりに良寛の詩を読んだ。「生涯懶立身」の漢詩に心が安らぐ。

生涯懶立身 騰々任天眞
嚢中三升米 爐邊一束薪
誰問迷悟跡 何知名利塵
夜雨草庵裏 雙脚等間伸


 いつの頃から良寛に魅せられ、師の教えは我が人生の柱になった。
 夜雨草庵はいつも我が身の回りの環境だ。また、いつでも双脚を等閑に伸ばせる現実がある。これ以上、ありがたいことはないではないか。

 きのうから孫たちの学校、幼稚園が始まった。
 幸せな家族に囲まれて過ごした孫たちの夏休みをふり返っている。



「信号」と言う詩

2009-08-22 | 日々の生活

 昨日、メールで山形の友人から、愛犬を亡くした同じ思いの慰めの詩が届いた。
 詩人Mさんも、昨年の秋に我が家と同じ愛情に包まれた家族の一員を亡くした。
 奇しくもラックと同じ16才だった。

 よく「時が解決してくれる」と聞くが、分かったふりをしてもそんなことはない。でも、ラックがいない悲しみを、楽しかった思い出にして行こうと思っている。

 Mさんの承諾を得ずに、氏の詩「信号」をブログに載せる。

反転を繰り返し 彼女の居ない日常に 帰っていくしかない
 この悲しい現実をしばらく認めながら生活していかなければいけないのか。


*******************
 信 号 

背後でクラクションが鳴った
信号機が青色に変わっている
慌ててアクセルを踏む
青信号へいつ変わったのか
とっさに思い浮かばない
何かがすこしずつ失われていく
何を考えていたのかは分る
夕べの事だ
稀弱になり始めていた黄色い点滅が
腕の中で赤色に変わった
十六年間の小さな命の事だ
赤信号のまま
柴犬の彼女の事を思っていたのだ
後始末を頼んで
出がけに冷たい骸を撫でると
老いて白さを増した毛並みだけが
いつもの手触りながら
ひんやりと指先に移った
フロントガラスの向こうには
燃え尽きようとしている
赤茶けた山並み
ここも間もなく
雪に覆われるだろう
勤務先まで
信号の繰り返しが続く
僕は少しずつ
反転を繰り返し
彼女の居ない日常に
帰っていくしかない

*******************


悲しみは深まるばかり

2009-08-18 | 日々の生活
         【顔の白い マイコアカネ】



ラックが逝ってしまってから、もう2週間が過ぎた。いつまでも立ち直れず、悲しみは深まるばかりだ。まだ、こころにぽっかり穴があいている。
 愛する者を失った悲しみは、切なく辛い。もう一度ラックに会いたい。目を閉じると在りし日の愛くるしいラックのしぐさが浮かんでくる。
 外出から戻るとき、寂しさが込み上げる。いつも喜んで帰りを待っているラックがいない。音楽を聞く、本を読む、いろいろ気を紛らそうとしても思い出してしまう。何もする気になれずに、ただただ、日々が過ぎていった。
 悲しみは癒えず。毎日うつろなときが流れている。
 でも、「いつまでも悲しんでいるな」とラックの励ましが聞こえてはいる。

 ラックがいないので、散歩もせずに運動不足だった。思い立って里山を一巡りしてきた。
 日だまりにナツアカネやノシメトンボがかなり出始め、ススキの穂も伸び、林も少しづつ秋の気配が感じらた。

 【チョウ】
 草むらからジャノメチョウが突然飛び出し、風に乗る。ミズナラの幹に、カブトやクロカナブンに混ざりヤマキマダラヒカゲやボロボロの翅のルリタテハや集まっていた。
 キタキチョウがちらほら、いつものクサネムの柔らかそうな芽にさかんに産卵していた。ヒメシロチョウが一頭、弱々しく舞ってツルフジバカマのツルの先の葉に止まった。産卵するのだろう。あまり見かけないゴイシシジミがクマザサの中に入っていった。

  ルリタテハ 翅の傷み

  キタキチョウの産卵

  ヒメシロチョウ 

 【トンボ】
 オニヤンマは多く日陰のギボウシの花に羽を休めていた。エメラルドグリーンの大きな目をゆっくり鑑賞させてもらった。オオアオイトトンボはこの林で見かけることはなかったが、近くに池や沼はないが、結構行動範囲は広いのだろうか。

  オニヤンマ

  オオアオイトトンボ

  マユタテアカネ

  ノシメトンボ

  ナツアカネ

  オオシオカラトンボ


しばらくぶりにいつもの虫たちと話しをながら、命の営みを見ることができた。


日記@BlogRanking

湖水浴

2009-08-12 | 日々の生活
       【ようやく湖水浴】



 朝からミンミンゼミが激しく鳴き、ようやく夏らしい日となった。日差しは強烈だが、午前中は風が涼しかった。孫にねだられて湖水浴に行った。
 今年は涼しい夏で無理かと思っていたが、午後は30度くらいまで気温が上がって、何とか水に入れそうな陽気になった。行くと決めたら早い、孫たちは浮き輪を膨らませはじめた。物置からビーチサンダルやテントを出し、出発の準備を始めた。
 ママが戻って、昼食をとってから中田浜を目指した。

 午前中は雲一つない快晴だったが、少し雲が出てきた。秋を思わせる雲だ。
 浜は他県ナンバーの車が多かったが、思ったより閑散としていた。子どもが小さいころよく行った中田浜、湖畔の松林の木陰に陣取った。
 テントを張っている間に、孫たちはもう歓声を上げて水浴びを始めていた。テントで昼寝でもと思ったが、しばらくぶりに一緒に水に入った。
二人ともスイミングに通っているだけある。意欲的だった。湖水の水温は場所によって急に冷たくなったりした昔を思い出した。思ったほど冷たくはなかったが、陽がかげると寒いくらいではあった。武琉は、上向きでバタ足でかなり泳げるので驚いた。スイミングではヘルパーを付けているらしく、きょうは浮くことを実感できてよかったようだ。

 久々に中田浜から崎川浜への峠を越えて帰ってきた。峠からの猪苗代湖、磐梯山の眺望は絶景だ。何日かぶりのよい天気のお陰で、素晴らしい一日を過ごすことができた。
 



特攻 やましき沈黙

2009-08-11 | 日々の生活
   特攻に散りし若者の辞世の句哀れ 母をふるさとを思う 


 武琉君の育てている朝顔。今朝は7つも咲いた。のどかな夏の朝の始まり、平和な社会を思った。

また終戦の日を迎える。毎年この時期に、散歩の途中、妙国寺のOさんのお墓の前に立ち止まって、ご家族の悲しみを思い、平和への思いを新たにしている。
 墓石には
 「大東亜戦争ニ勇戦奮闘セシモ遂ニ
  昭和十九年八月三十日南支那方面ニ
  戦死ス       行年三十三歳」 と刻まれている。



  昨夜 NHKスペシャル「日本海軍 400時間の証言 第二回 特攻 やましき沈黙」を視聴した。

確かにある「戦争責任」を誰に問えばいいのだろう。
「特攻」で亡くなった若者の映像を見ながら、あらためて、今の平和を思わざるを得なかった。
 これまで戦争を起こしてきた愚かなる人間、その一員としての責任と義務を思った。そして、いろいろなことを我が信念としてやらなければならないと、こころを明確に出来た。
 9条を守りたい。 膨大な軍事費は削減すべきだ。
 欲望の渦に飲まれる人間とどう戦えばいいのか。・・・・・



********************************* (NHKオンライン解説)
人の体を兵器代わりにして体当たりする”特攻作戦”。これまで現場将兵の熱意から始まったとだけ伝えられてきた。しかし、海軍反省会のテープは、「神風特別攻撃隊」の一年以上前から『軍令部』が現場の熱意とは別に、組織的に計画、特攻兵器を作り続けてきたことを赤裸々に語る。さらに『軍令部』の元参謀は「特攻」はあってはならない作戦と自覚しながらも、その計画を推進してきたことを証言する。

 海軍から始まり、陸軍にも広がっていった「特攻」で亡くなった将兵は5千人以上。そのほとんどは20代の若者たちだった。

過ちと分かりながらなぜ当事者は「特攻」を推し進めていったのか。反省会の議論から「特攻」を生んだ組織の姿を浮き彫りにする。
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病院の水族館

2009-08-09 | 日々の生活
朝起きたら腰痛がした。ぎっくり腰のような痛さだ。運動不足でごろごろしていたせいだろう。朝夕の散歩でラックに助けられていたが、散歩に出なくなってからもう2週間になる。運動不足にならないようにしないと。今更ながら、ラックに世話になり、健康を保っていた部分が大きかったように思う。

きょうは検診日、いつも当たり前に車で行っていたが、少しでも運動のためと、自転車で行くことにした。約2キロほど、できれば歩きがいいのだが腰にも自信がなかった。曇り空で、さわやかな風も吹いていた。久しぶりにクズの甘い香りが風に乗って、さわやかなサイクリングになった。

 今回は肝機能の不安があり、多少めまいもあって心配だった。でも検査結果は2ヶ月前の正常な範囲に戻っていて、ひとまず安心した。いつもより長めの会計待ちをして、名前を呼ばれた。ところが、財布を開けてびっくり、お札がないではないか。慣れない自転車になどしたからだ。処方箋だけをもらって、午後出直すことにした。しばらくぶりの失態だった。

 きょうは娘は結婚式のお呼ばれで、新潟にお泊まり、明日まで孫のお世話だ。病院へ支払いのついでに、孫たちを連れ、病院内に新しくできた水槽を見せたいと思った。6月に「おもてなし医療」を掲げ新棟が竣工した。心を癒やす医療をめざすという。大きな水槽に色とりどりの熱帯魚が悠々と泳いでいる。入院していれば、おそらく毎日飽かず眺めにきて、癒されるだろうと思った。

 以前から、長い入院生活で、こころのケアが大切なことは痛切に感じていた。病院は無機的な世界が常、窓からはコンクリート、ベットからは空も見えない生活が長く続くとせめて緑の潤いが欲しかった。何度もの入院の度に、病院では、病根を直すだけでなく、心の癒しや安らぎがより大切なのにと思っていた。いつも、何日も緑にふれない生活は私には考えられなかった。入院の度に、緑に囲まれた病室であれば、病の半分は直ってしまうのにと思っていた。

 その足で、いつもの山の公園で遊んだ。その後、足を伸ばして猪苗代湖畔を小石が浜から中田浜へドライブ、所々で里山を散策した。子どもたちが小さいころ、この時期に決まって湖水浴を楽しんだ中田浜はすっかり変わっていた。ヨットや水上バイクの桟橋がいくつもかかり、昔の静かなたたずまいはなくなっていた。
 湊から旧道の滝沢峠を通り帰路についた。帰路、孫たちは二人ともぐっすり寝込み、庭に止めた車の中で小一時間寝ていた。
 思わぬことから、孫たちには社会勉強の楽しい午後となった。
         (2009.8.8(土))

孫たちの夏休み

2009-08-07 | 教育を考える


 夏休みももう半分が過ぎた。ママのいない午前中は孫と過ごしている。
 ママは我が子をジジ、ババにあずけ、放任気味だ。つきっきりは大変だが、孫がかわいそうだし、少しでも規則正しい生活をと気を揉んで過ごしている。

 朝は涼しいところへ座らせて、萌香ちゃんには絵本の一部分を、武琉君には恐竜図鑑の解説文を写させたりしている。この課題は飽きずに楽しくこなしている。萌えちゃんがひらがなを読め、丁寧に書けるかを確認できた。武琉は、何でも興味を示し、自分でいろいろ本を読んで調べている。国語の後は、算数足し算だ。

勉強もどきの後、しばらくはDVD鑑賞、「トムとジェリー」を何度も観ている。これは飽きずに大人もみている。最近は、萌えちゃんは「プリキュア」、武琉は「カメンライダー」が好きだ。

 次は、ぱらぱら降る雨の中、孫たちと庭を一回り。今朝はセミの殻をみんなで7個見つけた。アブラゼミだ。武琉君はもう以上も20個も箱に集めている。萌香ちゃんも真似て、空き箱に集め始めた。
涼しいときは表で活動させたいと思っている。昨日は夕方、久しぶりに「ふれあい」の駐車場で自転車乗りをした。萌えちゃんは補助輪が完全にとれた。意欲とそれなりの援助があれば目標達成は早いものだ。

 何ごとも、教えればそれなりのことはある。教材を工夫して、基本的なことを身につけさせることが大事だ。いろいろなことに興味を持たせ、創造的な物の見方・考え方を育てる観点が大切だと思う。

  孫たちだが、親に期待出来ない現状であれば、少しでも助けになってやるしかないと思っている。残りの夏休み、心に残る何かを与えてやりたいと思っているが・・・。




夏の朝の臭い

2009-08-06 | 日々の生活

 きょうは広島平和記念日、原爆投下の8時15分、テレビの広島と一緒に黙とうをする。
 核廃絶、戦争、人間の愚かさ、人生とは・・・と、思いをめぐらせた。

 朝から強い日差しが照りつけ、ようやく暑くなる夏の朝の臭いがした。
裏のグランドから朝練の高校球児の声が聞こえる。ミンミンゼミが本格的に鳴いている。涼しい風に打たれながら、すだれ越しにムクゲや百日紅の花をながめていた。いつか、同じことをしていた夏が確かにあった。

 過ぎ去った何十年が何と短かかったことか。これからの日々もつかの間であろう。しばし、流れ来る季節をしみじみと楽しんでいきたいものだ。
 カレンダーを見たら明日7日は立秋、もう厳しい暑さはないだろう。何となくさびしいような気もする。
炎天下、ヤマトシジミがカタバミに産卵していた。


静かな夏の朝

2009-08-05 | 日々の生活
           【オニユリ】

 朝6時過ぎ、ラックに線香を手向けに庭に出た。どんよりした夏の朝の始まり、予報では真夏日になると言うが、どうだろうか。
 早朝からシロチョウが舞っている。スジグロシロチョウがハギの花にとまり密を吸っていた。



 色あせたアジサイに混じって、今鮮やかに咲き出した株もある。
 ムクゲが満開、春先に枝を切りつめた紫色、背の高い八重の赤、清楚な白、いずれも優しく咲いている。
 静かな夏の朝だ。

ゴージャスな花の名は?

2009-08-04 | 自然観察
 昨年、猪苗代の磐梯山麓を走行中、県道脇の農家の庭先に咲く美しい花を見つけた。
ダリアのような紫色の大きな花だった。初めて見る豪華な花だった。ふと表札を見るとKさんのお宅、遙か30年も前に家庭訪問をした記憶が蘇った。懐かしくなり声をかけたが、お留守だった。
 そのとき写した写真を頼りに名前を調べたが、分からなかった。秋も深まるころ、きれいに写った写真を持参し、もう一度お宅を訪ねた。表札のお父さんとは30年ぶりのご対面となった。お母さんとは初対面だったが、息子さんにそっくりで、当時の生徒の様子が懐かしく思い出された。

 その折りに、冬は葉を落とすその花の株を2~3本いただいた。その花は春にしっかりと芽を出し、つぼみもどんどん大きくなって、今朝待ちに待った花が開いた。
 中央の開き始めた花は、昨日縁に沿って咲き出した花びらとは違っていた。でも、夕方見ると、中央の花も花びらが反り返り、同じようにきれいに咲いていた。
花は大きな鞠状で散房花序と言うのだろうか、丁度隣に咲いているシモツケに似た感じだ。葉は対生で、紫がかった柄があってかなり大きな卵形になる。茎には白い点々が見える。調べてもなかなか分からないこのゴージャスな花は、何という花なのだろうか。

【2009.7.27】

 【2009.8.4】

【2009.8.4】

 数日前に百日紅が咲き始めた。何処が気に入ったのか、毎日、裏庭にオオシオカラトンボが飛び回っている。今5時、ヒグラシが鳴いている。何となくもの悲しく感じられる。
 
【2009.8.1】


【2009.8.4】


日記@BlogRanking

ラック 長い間ありがとう

2009-08-03 | 日々の生活
        【在りし日の愛犬ラック】

 ずっとせがんで欠かさなかった朝夕の散歩にも、最近は行きたがらなくなっていた。知らない人が来るとあれほど元気に吠えていたのに、ほとんど吠えなくなっていた。耳も大分遠くなっていたし、眼も片方は白く濁ってきていて、かなりの歳ではあった。
 一月ほど前から、食事をすると吐くことが多くなった。突然、何も食べられなくなってから約2週間、わずかの水を飲むだけなので痩せ細って、ほとんど寝たきりになった。
ラックとの残された日々を大切にしたいと思い生活してきた。あと何年か、何日か、自分の残された時間も同じと。何も言わず、何も求めず、ただ横になっているラックが不憫だった。元気に散歩していたころを思い出しては、目に涙の日々だった。
八幡様にもお願いした。ラックも頑張った。歳を取ることの辛さ、命の、健康の大切をあらためて思い知らされた。家族のみんなが、片時もラックを忘れられない日々だった。
 昨日はよたよた歩いておしっこをした。頑張ってもう一度元気なラックに戻って欲しかったが、今朝方、願いもむなしく逝ってしまった。

思えば16年前、木枯らしの吹く寒い日に、真ちゃんが生まれたばかりの泥だらけの小犬を拾ってきた。この出会いが幸運であるようにと「ラック」と名ずけた。雪の中を鞠のように転がって遊んだラックを、みんなでかわいがった。食事も寝起きも一緒、冬は寒がりで誰かの布団にもぐって寝ていた。彼女抜きにわが家の生活はなかった。

 ラックの具合が悪くなってからは、皆が沈んでいた。今、次第に衰えていったラックを思い出して涙があふれてくる。最愛のラックを失った悲しみは、辛い。そして家族一人一人の切なさを思うと、また、涙が止まらずあふれてくる。しばらくは思い出しては涙を流す日が続くのだろう。

 バスタオルにくるんで、最後のお別れをして庭の一隅に埋めた。みんなで泣いた。木切れに「ラックのお墓」と書いて、犬の置物を置いた。線香を手向け、お参りした。あたらしいお墓には、挿し芽をしたアジサイを植えた。また、黄色い花を付け始めた菊ややがてピンクの花を咲かせ、種がこぼれるだろうアイも移植した。
 彼女との楽しかった16年の生活を感謝した。ラックとのふれあいは皆の心に永遠に残ることだろう。涙があふれ見えなくなった。
 あらためて愛するものを失った大きな悲しみに包まれている。

 

 【思いでのラック】