エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

裏磐梯に往く夏を惜しむ

2007-08-28 | 街中散歩
                   【レンゲ沼からの磐梯山】 


                 【ゴールドラインから猪苗代湖を望む】

ママがお勤めから戻った昼すぎ、思い立って裏磐梯へ行った。
 夏休みも終わる先週末、しばらく運転手の体調が悪くあまり表に出なかったので、孫たちが楽しみにしていた久しぶりの山行きだ。網や虫かごを準備し、はしゃいでいた。
少しばかりのお昼を重につめて、クーラーボックスも準備した。

ゴールドラインで、檜原湖、五色沼を経由して曽原湖方面に車を走らせた。
 夏休みににぎわいを見せたであろう裏磐梯は、意外と車が少なく閑散としていた。
 曽原湖の手前のレンゲ沼でゆっくりすることにした。日陰の芝生に寝ころび秋の青空を眺め、しばらく往く夏を心に留めた。沼の周りをゆっくり散策、トンボをねらって網を振り回している孫を眺めながら、ひとときの幸せを感じた。
 林の向こうに、久しぶりに見る裏磐梯の眺めが広がっていた。磐梯山は裏側(北側)から見ると、かつての噴火により崩壊した荒々しい姿である。表磐梯(南の猪苗代湖側)の穏やかな表情とは対照的だ。



 磐梯山は1888年(明治21年)7月15日の噴火によって山体崩壊をおこし、そのとき長瀬川やその支流がせき止められ、桧原湖、小野川湖、秋元湖、五色沼などの、大小さまざまな湖沼が形成された。ネットによるとこの噴火は、長い間水蒸気爆発とされていたが、山体内部が火山ガスなどにより風化して脆くなっていたことが判明し、現在では数回の小規模な噴火に伴って山体崩壊した、という説が有力だそうだ。

帰りは五色沼に寄って、エメラルドグリーンの毘沙門沼越しに磐梯山を眺めてきた。


近いうちデコ平へアサギマダラを見に行きたいと思っている。

 微熱が続く

2007-08-27 | 健康

 今朝の体温は38.1℃。夜中に寒気がして厚手の布団を掛けた。
空腹での薬はあまりよくないから、朝食後いつもの薬に加えて、解熱剤を2種類飲んだ。
今回は微熱が下がらず、37から38℃くらいの熱が約一週間続いている。それに加えて、ここ4,5日は久しぶりに全身の痒みがひどい。特に、足の裏、手のひらは我慢できず、苦痛で夜はよく眠れない。身体の中に異変が起きているのは間違いない。
 地元の病院では、特別な問題がある時のみ診察を受けている。入院を勧められることは分かっているが、月末に3ヶ月1度の大学病院の診察があるので、それが終わってと思っていた。
大学病院では、3ヶ月記録してきた病状の経過を説明をして、地元病院との今後の治療の在り方を聞きたい。具合の悪い原因も分かり、何とも仕方ない状況がもどかしい。でも、心配をかけている家族のためにも、何とか普通の生活を取り戻したい。
 ともかく熱が下がれば、少しは意欲も湧いてくるが、ここしばらく辛い日が続いている。
毎日ぐったりして、庭に出るのもおっくうで、犬の散歩も途絶えがちだ。

 気分転換に、熱帯魚、金魚の清掃をした。朝、照明を付け餌をやる。毎日同じことの繰り返しだが、小さな魚も愛おしい。
 熱帯魚は30年来育てているが、金魚は飼い始めて3年くらい、孫に良いと思い小さい鉢に飼っている。リュウキンとオランダシシガシラで元気がいい。餌は孫たちの日課だ。

 お兄ちゃんは今日から幼稚園。自由気ままの夏休みだったが、いやがらずに通園バスに乗っていった。午前中、下の孫娘との生活が始まった。
  

届いた新鮮野菜

2007-08-26 | 日々の生活
 今朝起きて、カーテンを開けると縁側に沢山の野菜が置いてあった。
チャイムを鳴らさずにそっと置いていってくれる。これまでも何度かそういうことがあった。
 新鮮野菜は、大きなカボチャ、インゲン、トウモロコシ、プチトマト、ナス。ナスは赤紫のまだら模様の初めて見るものもあった。



一体犯人は誰だろう? 思い当たるありがたい主は3人だ。
妻が、早速一軒に電話を入れた。ブー。はずれ。しばらくぶりでもあって、長電話になった。本命は娘の友達だ。元、職場の同僚で、ときどき実家へ帰った折に野菜を届けてくれる。早速メール、電話で犯人と分かった。

野菜はすべてスーパー産、何でも買うものだ。妻もいただく度にうれしくありがたがっている。まだお会いしたこともないが、いつも、作っているおうちの方へお礼を言いたいと思っている。
早速、新鮮な茹だったトウモロコシを美味しくいただいた。

青空に似合う木槿の花

2007-08-25 | 自然観察
            【青空に似合うムクゲ】

 木槿(ムクゲ)が青空によく似合う。庭には白、紫、と八重の赤の3種類の品種があり、毎日沢山の花を付けている。この夏の酷暑にも元気で咲いている。
木槿は、朝開花した花が夕方にはしぼんでしまう「一日花」だ。この夏いくつ花を付けたのだろうか。毎日10~20個として1ヶ月では300~600個にもなる計算だ。
この花の短命から、古来から、はかなさの風情を『槿花一朝の夢』と表現されていると言う。

いつも木槿と芙蓉は似ていると思っていた。また立葵(タチアオイ)もそっくりだ。調べてみたら
同じアオイ科の仲間だった。いずれも、その雌しべと雄しべに特徴があり、1 本の雌しべの先端は 5 つに分かれ,雌しべの下の方に雄しべがついている。雄しべが突き出る、南国のイメージのあるハイビスカスも同じ仲間で、これらに付く学名のHibiscus~はアオイ科フヨウ属の総称らしい。また、木槿は樹木だが、芙蓉や立葵は茎を見て1年草と思っていたが、芙蓉は落葉低木で立葵は2年草のようだ。

【美しい芙蓉】

朝夕大分涼しくなってきたが、まだまだ沢山のつぼみを付けている。秋の青空にはいっそう似合うのではないだろうか。
 

秋立つ庭

2007-08-24 | 日々の生活

              【愛嬌あるマユタテアカネ】

 暦の上では立秋は8月初めだが、残暑が厳しく、半年が経ってようやく小さな秋を感じ始めた。
 穂を出し始めた尾花が夕日に輝き、萩の花がほころび風に揺れている。
 木陰にはいるとマユタテアカネが舞い立ち、赤と白を散りばめて風に揺れるミズヒキの細い花茎に止まった。まだ、行く夏を惜しむかのようにセミが激しく鳴いている。

白い実がいつしか紅から紫色に熟し、食べ頃のブルーベリーを孫たちと摘み取った。


『古今集』に「秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にもおどろかねつる」と言う句があるが、いま目の前にさやかな秋が見えてきた。
 見上げると、高い空に美しい綿雲が浮かんでいた。いつかこんな日があったように思えた。季節が巡り行く夏から秋の庭の自然を楽しんでいる。

短い人生

2007-08-23 | 日々の生活
 日曜論説「短い人生を長く生きるには」【福島民報(8/19) 宗像紀夫氏】を読んだ。久しぶりに、こころがすっきりするエッセイだった。

 そこにローマの哲学者の一文があった。「我々は短い時間を持っているのではなく、実はその多くを浪費しているのである」とあり、時間ではなく充実した有為な日々を述べていた。また、橘曙覧の句「たのしみは朝起きいでて昨日まで無かりし花の咲ける見る時」など、人生は小さな感動の積み重ねに勇気づけられ生きていくことでは、と述べていた。
また、元首相広田弘毅の句「風車 風が吹くまで 昼寝かな」が紹介されていた。

なるほど、いずれもその通りと思った。

 「幸せな、意義ある人生とは?」と問われれば、語り尽くせない解答があるだろう。もうしばらく、そんな問いを抱きながら限りあるつかの間であろう日々を過ごしていきたい。
 


フラミンゴ

2007-08-21 | 日々の生活
 フラミンゴが咲き出した。名前が、毎年豪華に咲く花にぴったりと思っていた。
数年前に従兄弟からいただいて、毎年挿し木で増やしてきた。冬は、他の観葉植物と一緒に家の中に取り込んでいる。
 ネットで調べたら、本当の名はフラミンゴプランツということが分かった。別名は「サンゴバナ」「マンネンカ」などと言い、原産地は南米、江戸時代に日本に入ってきたようだ。桃色の唇形の花を密に穂状につけた姿は実に豪華である。葉は長卵形で、裏面が淡暗紫赤色をしている。
 
たのしみは鉢植え緑に朝の水くれ
 毎日、黄に赤に咲く花を見る。こころ和むひとときを大切にしている。庭の緑がなければ生きていられない。そんな庭の草花だ。


里山散歩 アカネ・エゾゼミ

2007-08-20 | 昆虫
 ○マイコアカネ
 今日の里山散歩は、アカネ類を探してみた。家から車で10分程の里山を、1~2時間ほど歩いてくる。出かける時に妻に「里山散歩」と言って出る。
 我が家のアカネ類はナツアカネ、アキアカネ、ノシメトンボくらいだったが、最近庭で撮ったのは、顔に黒い印がありマユタテアカネであることが分かった。
 マユタテに似たトンボをカメラに納めた。胸の模様は図鑑で見ていたマイコアカネのようだった。近くにいたアキアカネはすっかり成熟し、全身真っ赤になって尾を垂直に立てて止まっていた。また、思いがけないミヤマアカネ(未成熟の♀)がこんな近くにいて驚いた。

《ミヤマアカネ》

《アキアカネ》

エゾゼミ

 いつもアブラゼミの羽化には何度か立ち会ったが、羽化間もないエゾゼミに初めて出会った。ササの葉にしがみついていた。いつも高いところで鳴いているようで、見たことがなかった。胸の逆M(ガンマγあるいは筆記体のi)模様で、すぐにエゾだと分かった。あの「ジーーーー」と言う声を聞くと、山奥に来た感じがするものだ。動かないのでじっくり観察をして接写で写真を撮った。透き通った羽、複眼の茶色、特徴ある胴の模様など、やはり神様の作りものだと思った。
庭に出ると蝉が飛び立つ。ほとんどアブラゼミだ。ミンミンゼミ、アブラゼミが、庭の林の中にやかましいくらいに鳴いている。それが仕事だから仕方ないし、蝉の声が聞こえなくては夏らしくない。いましばらく、やかましい蝉の声を楽しんで聞いていたいと思う。やがて涼しくなってしまう。
 最近はニイニイゼミは聞こえなくなった。朝方4時過ぎから合唱していたヒグラシの声も少なく、夕方などいっそう寂しさを感じさせられる。

《エゾゼミ》

○オニヤンマが交通事故で路上に死んでいた。いつかミヤマカラスがひかれていたのを見たことがあったが、トンボは初めてだった。腹部がぺちゃんこだった。たぶん高速車両にぶつかりその後ひかれたのだろう。オニヤンマの習性で、何匹もトンボ道を虫を求めてスイスイと飛んでいるのを見かける。炎天下に長時間放置されていたようだ。かわいそうだった。ほとんど反応のないトンボを拾い、日陰のフキの葉の上に横たえてきた。

今日の庭 小さな自然

2007-08-17 | 自然観察
             【すだれ越しに木槿 秋を思わせる空】


 一日に何度庭に出るか。しょっちゅう眺める庭にも、その都度の発見があり楽しいものだ。デジカメを持って一巡りの自然観察、いつも新鮮な虫や植物に出会う。
 本を積み上げ、ラジオをつけながら1日を庭で過ごす日もあった。風の通る日陰にテーブルを置いてある。でも風のない日はは駄目、半ズボン半袖で庭に出ると瞬く間に蚊が寄ってくるのだ。

 普段はあまり抜かない雑草のたぐいを少し抜いてみたら清々した。あちこちに蝉の抜け殻をいっぱい見つけた。蝉の這い出てきた穴を見ると、地面を敷石で覆わなくてよかったと思う。アブラゼミの行動もじっくり観察した。アブラゼミも、美しいとは言えないが、意外ときれいなものだ。写真を撮りに近づくと、桜の木の幹を上から下へ後ずさりしたり、カニのように横歩きをして隠れようとするのだ。しかもそれは鳴きながらである。接写で撮って見ると、やはり芸術品だと思った。今を盛りと、庭は蝉時雨である。


 今日の大発見は、一昨年発見したあのオオバコの奇形種が、我が庭にも生えていたこと。あのオオバコの種子を採ってきて、しかと記憶はないが適当に播いたのが発芽したのだろうか。前に発見したオオバコは、頻繁な路上駐車によって枯れて今年は出ていない。だから嬉しかった。注意して見ていたらアカネが止まった。アキアカネでも、ナツアカネでもない、マユタテアカネだろうか。少し小さいアカネだ。
 (参) 拙ブログ『3つの奇形植物』2006.9/21 


 ホオズキが色づき始めた。丈が伸びて茎が倒れていた。横になった茎に5,6個実が付いていた。アジサイの根元に、普段日の当たらない陰でヤブランがきれいな紫の花を付けていた。花の終わったアジサイの枝を払い日が当たるようにしてやった。


 植え込みから一匹のアリらしきものが出てきた。庭に多いムネアカオオアリかと思ったが、一回り大きい。けっこう速く移動する。枯れ葉の上に載せるとしばらくじっとした。どうもハネカクシの類のようだ。頭は黒、胴が紅く、腹部は真っ黒で、黄色い独特の縞模様があった。全身に短い体毛が生えていた。図鑑には載っていなかった。見たことのない虫だった。


 数日前から姿を見かけたノシメトンボが枝にとまった。また、どこで生まれたのだろうか、クロイトトンボ?がスイスイ飛んでいた。クロアゲハが飛んできて、紫の木槿の花を覗いた。なかなか止まってはくれない。サンショウを見つけて、忙しそうに卵を産んで行った。(2007.8.17)


終戦記念日

2007-08-15 | 日々の生活
 雲一つない青空から容赦なく照りつける真夏の太陽のもと、庭にいて、正午の時報と共に黙とうした。
 戦後生まれの自分が、例年繰り返すささやかな所作だ。そして、これしかできない後ろめたさを感じている。
 今日、62回目の終戦記念日。日本の平和のすべてが戦没者はじめ、戦争を体験された方々に負っていることをあらためて確認し、しばし戦争の切なさ、辛さ、悲惨さに思いを巡らせた。
【戦争について連想するもの】
  ・聞けわだつみの声   ・上田市にある無言館   ・中国残留孤児
   ・海ゆかば   ・平和  ・・・・・

 新聞の読者欄に、数々の戦争体験を見る。何と重々しい、あってはならない悲し事実が辛い。
 今の平和が、涙がでるほどありがたい。

以下は、地方新聞の記事

(1)『福島民報新聞のコラム「あぶくま抄」(8/14付)』
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〈御(お)母上様、いよいよこれが最後で御座(ござ)います〉旧日本陸軍の宇佐美輝夫少尉が死の直前、本県に住む母親へあてた手紙の書き出しだ。昭和20年7月1日、少年飛行兵だった宇佐美少尉は特攻隊員として都城東基地(宮崎県)から飛び立ち、沖縄沖で散った。

 太平洋戦争末期、日本軍は戦局を打開するため、飛行機や船艇に乗って体当たりする特別攻撃部隊(特攻隊)を編成する。基地を離れれば2度と戻れない必死の作戦だった。10代後半から20代の若者が要員となり、十分な訓練も受けず出撃していった。

 手紙は、終戦記念日に合わせて発刊される「いつまでも、いつまでもお元気で―特攻隊員たちが遺した最後の言葉」(知覧特攻平和会館編)の巻頭に掲載されている。〈国家の安泰の礎として〉〈一家の名誉にかけても〉の決意と同時に〈御優しい、日本一の御母様。…将来、最も幸福な日を送ることが出来るそうです〉〈山を眺めると福島の景が思い出されます〉など、家族や故郷への思いがつづられている。

 〈短いようで長い19年間でした〉当時、宇佐美少尉は18歳。現在、甲子園で熱戦を繰り広げている高校球児と変わらない年ごろだ。同書には、飛行服姿の幼顔も収められている。もし戦争がなければ、終戦が数カ月早ければ…。〈輝夫は本当は35歳以上は必ず生きるそうです〉
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(2)『日々の新聞』)第106号(8/1付)

「私にとっての8月15日」

 ノンフィクションで一番重要なのは「動機づけ」だ。なぜそれを追うのか、その意味は…。それが自分にとって大きければ大きいほど、より熱くなれる。吉田紗知さんの『8月15日の特攻隊員』を読んだあとに感じたのは、読み手めがけてまっすぐに向かってくる熱だった。

 戦争が終わった日、それも玉音放送が流れたあとに特攻として飛び立った「大木正夫」。その、祖母の叔父だという1人の人間の運命を思い、手掛かりを調べ始める。そこには時間の壁が存在し、戦争という得体の知れない山もあった。昭和54年生まれという自分の世代ではとうてい理解できない、当時の若者たちの思い。それを知りたいと思った。
 61年前に21歳で死んでしまった血縁の男性を知るには、同じ時代に生きた人の話を聞くのが一番早かった。それは、身近にいた祖父母であり、親戚 や近所のおじいさん、おばあさんであることが、いまになってやっとわかった。でも祖父も、戦争のことを話したがっていたおじいさんも、もういない。「あのとき聞いておけば」という思いが募り、後悔した。今回の作業を通 して、生き証人の話がいかに大事か、を痛感したのだった。

 「散る桜残る桜も散る桜」
 戦後生まれの、戦争を知らない子どもたちにとって、この句を本当に理解することはできない。しかし、吉田さんは「散る桜」も「残る桜」もみな同じでないことを知った。戦争という異常事態の中で、それぞれが違う思いを持ち、多様な考えを持っていたことを。それを、表面 には出せず、奥底にしまい込んでいたんだと。

 「もし戦争がなかったら、親戚の構成も変わっていたでしょうね。それが運命って言うのかも知れないけれど。身近なところから調べていくのが原点です。それはだれのためでもない、自分のため。だから、みんな、もっともっとおじいちゃん、おばあちゃんと話してほしいんです。そうすれば、少しは世の中が変わるかもしれない」
 イデオロギーも気負いもない真っ白い心のキャンバスに描かれた戦争。それが『8月15日の特攻隊員』だった。 
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猛暑のトンボ池

2007-08-14 | 昆虫
               【オオヤマトンボ?】

 久々の猛暑の中、トンボ池に行った。トンボの、それぞれの個性を観察することは実に楽しい。

 今日は、数日前にはいなかったチョウトンボが飛び始めていた。ヒラヒラと優雅に舞っていたが、なかなか近くに来てくれない。太陽光に輝く金属色が虹色に輝き、とても美しい。メスが単独で打水産卵を繰り返していた。



真っ赤なショウジョウトンボは水面から10cmくらい伸びた葦の先端に止まって、長時間じっとして動かなかった。近寄ると飛び去るが、すぐもとの位置に戻ってくる習性から撮影しやすい。



 ギンヤンマもなかなか近くへ来てくれない。遠くで連結して葦の茎やスイレンの葉に止まって長時間産卵を続けていた。

オオルリボシヤンマのきれいなルリ色を飽かず眺めていた。縄張りを何十回も行ったり来たりしていたが、その飛翔を撮すことはとても難しかった。(ピンぼけ写真)今までこんなにきれいなライトブルーの縞を見たことがなかった。
 



 花の終わったクルマユリにオオヤマトンボが止まっていた。コヤマトンボやキイロヤマトンボとよく似ていて同定が難しい。顔面の黄色条がオオヤマトンボは2本あるので、多分そうだと思う。

訂正 上の文中オオヤマトンボはオナガサナエのメスの誤りでした。

 日本自然科学写真協会(SSP)の質問コーナーでお尋ねしたところ、神奈川県在住の昆虫写真家、尾園暁さんよりオナガサナエとのご教示がありました。ありがとうございます。
 【尾園暁さんのブログ】「湘南むし日記」http://blog.livedoor.jp/photombo/

美しい黎明・磐梯

2007-08-13 | 日々の生活
               【嗚呼 黎明の空の色 :自室の窓から】

朝4時半、今朝も黎明の磐梯が美しい。ヒグラシの合唱が治まり、東山から日が昇るまでの青く、黒い磐梯は言い表せないくらい美しい。
 「枕草子」の冒頭には「春は曙。やうやうしろくなり行やまぎはすこしあかりて、紫だちたる雲のほそくたなびきたる」とある。夏の曙にも同じ情景が見られた。

 数十分で昇り始めた輝く太陽は明るく強い。朝早くからミンミンゼミが鳴き出し、いっそう今日の暑さを予見させた。でも、朝方のすだれ越しに吹きくる風はひんやりして、すがすがしかった。

 日々変化する自然の移ろいだが、毎年巡る季節に変わりはない。暑い夏から秋へ、そしてやがて雪の季節を迎え春を待つ。年々歳々花相似たり、でも歳々年々人は老いる。
 穏やかな日々を願いつつも、また1年が経ち何となく疲れるのは老いたせいなのだろうか。

 芭蕉は「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。」と言う。今日を生き、新しい日を迎える。ただ、この繰り返しの旅は永遠ではない。健康に留意し、毎日出会う自然に感動をもらい、小さな自然との対話を大切にしながら楽しい旅を続けたいと思う。


月に一度の検診

2007-08-12 | 健康

 今日は、月に一度の検診の日。ここ一ヶ月中の発熱は3度、ときどきの発熱は仕方ないと言われているがやはり異常だ。いずれも発熱の予感があると、すぐに抗生物質を服用する。普通は、その日1日だけで元に戻る。

 病院は相変わらず病人であふれていた。月に一度とは言え、待ち時間が長く嫌になる。血液検査の結果を気にしながら、静かに読書のひとときとなる。いつも適当な文庫本を持参している。また、いろいろこころの整理をする時間ともなっている。
待合室でしばしまどろんだ。ふと、「お父さん!」と妻の声に起こされたと思った。病院のベッドに寝ていて起こされたときの情景が浮かんできた。ついこの前のことのように、妻と子どもたちの看護の日々が思い出された。間違いなくそんなときがあったと思い直すと申し訳ない気持ちになった。家族の気持ちを忘れ、つい何不自由なく我が儘な生活を送る自分が情けなくなった。

 長時間待って診察を終えると、今度は会計待ちで待たされる。ようやく終わると次は薬局で薬を受け取る。今日は、家を出てから戻るまでに約4時間かかった。
 月末には3ヶ月に1度の大学病院での検診に上京する。いろいろ面倒だが、医者のおかげで生きていられることを感謝し、多少のことは我慢するしかないと思っている。(2007.8.11)

身近な蝶を撮る

2007-08-11 | 昆虫
              【ヤマトシジミ:カタバミに産卵】

 炎天下の乾いた庭でヤマトシジミが卵を産んでいた。食草はカタバミだ。ヤマトシジミはルリシジミ、ツバメシジミなどと共に、普通にどこにでもいるチョウだが、なぜか最近少ないような気がしている。ベニシジミはいつも見かけるが、食草の関係だろうか。

【ツバメシジミ】

【ベニシジミ】

 わが家の庭に棲息しているチョウは、ホシミスジ、クロヒカゲ、ヒメウラナミジャノメなど、産卵や羽化の様子を観察できる。庭に立ち寄るチョウは、思い出しながら挙げると、アゲハ、クロアゲハ、ウスバシロ、ヒメアカタテハ、イチモンジチョウ、イチモンジセセリ、テングチョウ、たまにヒオドシチョウ、ルリタテハ・・・などか。
 そして、今、日々訪れるチョウをデジカメで撮っている。思えば、毎年同じ季節に、何枚も同じ種類を撮している。でも、その瞬間が楽しい。

 チョウとのふれ合い、それは小学生の夏休みの昆虫採集から始まった。その後、飼育、観察、そして拙い少しばかりの研究へと発展した。険しい山へは行けなくなった今、写真撮影を楽しみ、かつて私の青春だったチョウとの数々の思い出をときどき浮かべている。(2007.8.10)

心中の賊

2007-08-10 | 日々の生活
 
 教育者であり書家でもあった母方の伯父から、自分で表装した何幅もの掛け軸をいただいた。ときどき取り替えて床の間に掛けてある。
 今掛けてあるのは「難破心中之賊」の書、掛けた時はよく分からなかったが、じっと眺めているうちに意味がつかめてきた。

 昨日、司馬遼太郎の長岡藩・河井継之助を書いた「風雲児」を読んでいたらこの言葉が出てきた。
 河井は、陽明学の行動主義に心酔していたようだ。そこには、「当時の官学であった朱子学が、自然・行動よりも知識偏重になっていたが、王陽明の儒教は、知ることと行うことは同じとしている。行動的なエネルギーを持った知識であらねばならず、その行動の主体である自分を作るのが学問であるとしていた。」とあった。
 そこに、王陽明の有名な句として、
 「山中の賊を破るはやすく、心中の賊を破るは難し」と書かれてあった。

 また、相田みつをの日めくりカレンダーには 「批判はしたけれど自分にできるだろううか」とある。同じことかと思った。
 
 自分の心の中のわがまま、弱さをいつも恥ずかしく思い生活しているような気がする。日々、この掛け軸の句を伯父の戒め、人生の戒めとして暮らしていきたいと思っている。

 伯父が逝って19年の歳月が経ってしまった。