生き生きした庭の花が美しい。正に百花繚乱だ。
気づかないうちにいつの間にか満開の庭の花を愛でた。
ジンチョウゲ、レンギョウ、ユキヤナギ、ヤマブキ、ライラック、ドウダンツツジ、ハクモクレン、キバナイカリ、スミレ、ツバキ、スイセン、・・・・。
精一杯咲く花々、清々しい新緑を次々にパチリ!
さわやかな季節を迎えた。すべてが美しいいのちの輝きだ。
オオシマザクラ
ナツツバキ ハリギリ(盆栽)
カイドウ 花芽が見えるサンショ
ライラック タラ
クマシデの花 (盆栽)
プラム ホウノキ
ワビスケ アケビ輝く
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
25日に末娘の嫁ぎ先の曾祖父が亡くなった。
いろいろお世話になった。美しいは花々を眺めながら、元気な頃の笑顔が浮かんできた。
こんな美しいときをもう一度見せたかった。 合掌 礼拝。
3日連続で芽吹き前の里山を歩いた。そのせいか急に鼻水が出始め止まらなくなった。
また花粉症が出たのかと思っていたが、その後微熱が出て、息苦しさもありどうも、忘れていた炎症と結論ずけた。
今日は月に一度の検診日、しばらく安定していた肝機能、血糖値が極端に悪化した。
身体もだるく悪寒もする。午後に予定していた「山菜の会」へは急遽参加を取り止めた。
いつものR錠と風邪薬を飲み窓際で横になる。庭で元気に遊ぶ孫たちの声がまどろみに消えた。
でも夕方には熱も下がったようだ。来月は「天ぷら蕎麦を食べる会」体調を戻して参加したい。
昨日は久しぶりにレク公園へ行く。
例年、ピンクのシデコブシを楽しみにしていたが、今年は出遅れてもうすでに真っ白に咲いていた。
シデコブシ
ホオジロ
眠りから覚めたシマヘビにも会えた。
帰りにD地点のヒメシロチョウに挨拶してきた。なんとか健在だ。ツルフジバカマの芽吹きはまだのようだ。
F地点のため池の水位を見に立ち寄った。ゆっくり遊んでいた水鳥たちの邪魔をしてしまった。
いよいよオツネントンボの産卵も始まった。 ルリシジミ、クジャクチョウ、コツバメにあった。
八田野の交差点の鯉のぼり、しばらくシャシャッターチャンスを狙ったが、思ったように風が吹かず泳ぎが下手だ。
今の時期が一番よく見える雪形、若松からのキツネ雪の雪形、猪苗代では虚無僧(袈裟を着て深編み笠をかぶり、尺八を吹いて修行)に見える。
2階窓から 翁島から
連休中に、西会津の山の神へ行ってみよう。春の女神に会えることを祈って。
昨年秋に束松峠に秋月悌次郎の「北越潜行の詩」の詩碑が建立された。その新聞報道以来、雪解けが待ち遠しかった。
初めて束松峠へ登った。49線を柳津のトンネルを過ぎて藤大橋を渡る。間もなく右、高郷方面へ向かって間もなく突き当たりを左へ。
天屋へはいると間もなく「福島県指定天然記念物 天屋の束松」の案内板があった。
「会津坂下町大字束松字天屋に、束松と呼ばれる特殊な樹形のアカマツが生育することが昔から知られ、束松という地名もこれに由来している。・・・・・
このような樹形はおそらく遺伝的なもので、成長するにしたがって独特の樹形を示すようになったものと思われる。」と。
ふもとに車を置き、約1時ほど旧越後街道の峠道を上った。
残っている「ひこ束松」をみたが、なるほど見事な松だった。
束松峠の頂上のは江戸時代に、また峠の途中に「養生のかいなく枯れたので平成10年6月空しく伐採」と看板があった。
所々に伐採した丸太がビニールにくるまれていた。
「松食い虫(マツノザイセンチュウ)とカシノナガキクイムシのくん蒸駆除作業中」と張り紙があった。大変な問題だ。
峠道は戊辰のころとそうは変わらないだろう。秋月悌次郎やあの山川健次郎も歩んだいにしえのこの峠道を踏みしめながら進んだ。
所々にコブシの花が風に揺れていた。峠の道にはショウジョウバカマが咲いていた。イワカガミはつぼみが膨らんでいた。
木々の芽吹きを撮りながら登った。
途中、オオルリに会った。梢に止まり盛んにさえずっていた。逆光で美しいルリ色は見にくかったが、真っ黒いくちばしが美しいさえずりを響かせてくれた。
峠近くには未だ残雪が道をふさいでいた。
オオルリ
アカネスミレ? オオイワカガミ
峠の頂上に、歌碑が建っていた。傘下の片門、丘の向こうに坂下、若松の街が見える。
遙かに霞む磐梯山が聳え、木々の間から西会津の山並みも見えた。悌次郎の思いを偲んだ。
悌次郎は戊辰戦争の敗戦後、会津藩の善処と藩の若者の教育を懇願するため、旧友であった長州藩士奥平謙輔がいた越後にひそかに会いに行った。
その帰り道に雪の束松峠の頂上から故郷を眺め、藩の行く末を案じて「北越潜行の詩」を詠んだとされる。
案内板 秋月も眺めた
「行くに輿なく帰るに家なし」 ・・・・ 「愁い胸臆に満ちて涙巾を沾す」
案内板の漢詩を声を出して読んだ。
峠には登りはじめには山王神社の鳥居や峠の六地蔵、軽石へ抜ける束松洞門など昔の遺跡があり、それぞれ地元高寺地区の保存会を中心に道も整備され、
案内板で詳しく説明されていて感心した。
六地蔵 洞門入口
帰りは片門から坂下へ抜けた。あちこちから飯豊の山並み、麗しの磐梯を眺めながら下道を帰宅した。
ようやく思いが叶った束松峠行きだった。 (2014.4.24)
(参)マイブログ 秋月悌次郎 http://blog.goo.ne.jp/tosimatu_1946/s/%BD%A9%B7%EE%C4%F0%BC%A1%CF%BA
【 正面からのシジュウカラ メス (今朝 庭の桐の木で) 】
今朝の福島民報に満開の石部桜が「会津五桜の最古参」と紹介されていた。
シリーズ「北関東・東北8新聞社共同企画の 桜紀行2014」で、いずれも見事な姿を楽しんでいた。
記事には「石部桜は樹齢600年と推定、合計8本からなる幹回りは約2.2m、全体の枝張りは20m近く、雄大に広がる満開の花が観るものを圧倒する」とある。見事だ。
曇り空だが昼前に里山へ。このところヒメシロチョウの分布を調べている。
一人では限界があるが、このところ見なくなってしまったチョウの一種だ。
芽吹きの始まった山にコブシの花が咲いていた。
ヒメシロチョウは現れなかったが、菜の花に集まる新生モンシロチョウを初見した。
この時期は落葉松の芽吹きやいろいろな桜が素晴らしい。
モンシロチョウ
カラマツ クロモジ ヤマザクラ ソメイヨシノ
《ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。
世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。 》
久々に見たくなった日橋川の流れ、しばし橋桁に佇んだ。
いつも横を通り過ぎるばかりの県道から猪苗代第4発電所を眺めた。この上の山にある取水口あたりへはよく行った。
発電所建屋は大正15年(1926)完成当時のままで近代土木遺産Bランクに指定されている。
変電施設前の日橋川には鉄橋がかかっていた。
「切立橋」の説明板によると,
「明治23年(1890)ドイツ・ハーコート社で製造され、翌年、九州鉄道(現・JR九州)鹿児島本線の矢部川(福岡県)に架設されたが、大正期になって
列車重量の増加に伴い架け替えられた。大正10年(1921)この地の移設され、貨物列車が通っていたが、発電所完成後はレールが撤去された。」とあった。
石積みの6連アーチの放水口の水の色はきれいだ。サクラの花越しに写真を撮った。
帰りオオルリ公園でもり案のSさんにあった。D地区のヒメシロチョウの保護について立ち話をした。
公園のソメイヨシノはつぼみだが、満開の造花のような美しいピンクは何ザクラだろう。
悠くんがじいちゃんから離れない。ばあちゃんに預けて隠れて出かけたが、
「じいちゃんが悠くん置いていった。ばかだね~」と泣かれた。
庭に出るといつまでも家に入らない。じいがこの前種を蒔いて新芽が出始めた土をシャベルで掘り返したり、シャワーで水遊び。もう何でも一丁前だ。
2歳半になる悠くん、家にいてもじいちゃんの邪魔をする。 パソコンが好きだ。
クリック画面もよく見ていて勝手にマウスを操作する。耳元で聞こえないくらい小さい声で「アンパンマン」「のりもの」などと動画をせがむ。自分の写っているスナップ写真もお気に入りで、写真を見ながらしばしの会話。
最近はスーパーのレジ遊び、本棚から文庫本をかごに取り出しては積んで図書館遊びを兼ねている。萌えちゃんからの知恵だ。日々、幼子の著しい成長に目を見張っている。
昨日はあっこちゃんの嫁ぎ先へ伺う。大きな鯉のぼりが泳いでいた。
新築中の悠くんの家を覗いた。来月中半には竣工だそうだ。
ゆうと!雄々しく泳げ!
午後、従兄弟会の相談に一人で柳津へ。年を取るとあちこち故障が出る。
互いにそんな身体の話で、健康第一で過ごさなければと再認識する。
切り干し大根、棒鱈の甘煮と大好きなお酒「夢心」をいただく。
帰りに月見が丘の温泉にゆっくり浸かった。
上り会津若松行き
今朝、母方の従兄弟たち総勢13名に手紙を書いて投函。計画が始まった。
市内の従兄弟宅へは自転車で届けに出た。
近くの八幡様や短大の桜が咲いた。昨年のブログを見ると、ほぼ例年通りだろうか。サクラがほころびはじめた。
蚕養神社の峰張り桜はつぼみは膨らんだが、未だ開いていなかった。
豊後梅はきょう開花、高田、白加賀も咲いた。
あれほどの寒さもいつしかゆるみ、温かい春の訪れだ。日に日に緑が萌え、このところの変化が大きくて驚かされる。
午前中は悠ちゃんを連れてばあちゃんとアピタへ。
悠くんお気に入りの「働く車」がデザインされているジュースはアピタにしかない。
時々娘たちは行き、悠くんも勝手知ったる・・・、じいはアピタへ行ったのは初めてだった。
午後は1人で里山へ、もうヒメシロチョウが姿を現した。例年より10日ほど早いようだ。
新生の初見したチョウはヒメシロチョウとルリシジミとなった。越冬したヒオドシチョウ、クジャクチョウの羽は大分傷んでいた。
フキノトウで吸蜜するアカタテハも越冬した個体だろうが、とてもきれいだ。
風に流されるヒメシロチョウだが、まだ緑の芽のでない枯れた土手を結構力強く舞っていた。
ヒメシロチョウもまた絶滅が危惧されているチョウだ。かろうじて局地的に生息しているが、いつも心配している。
ルリシジミ
キブシ ワサビ
カンスゲ アブラチャン
トサミズキ? タチツボスミレ
八田野より
カシラダカ(八田野) カワラヒワ 庭で
すべての生き物の春の躍動が始まった。(2014.4.15)
ようやく春らしい天気に、朝から悠くんと庭で土いじりを楽しんだ。
キバナアマナやスイセンがようやく咲いた。
思いついて多分咲来始めただろうミズバショウを見に行くことにした。
猪苗代方面へ向かったが、庭で遊んで疲れたのか、眠くなり始めた悠くん、先ず猪苗代湖畔の中華料理店・西湖へ直行した。
好きなラーメンを食べさせたかったが、いつも少食な悠くん、案の定、スープはのむが麺は少々・・・。
西湖前の湖畔にはオナガガモが未だ結構な数残っていた。岸から離れユリカモメが集まり浮かんでいた。
ユリカモメは岸から離れて群をつくり漂っていたが、頭が黒褐色の夏羽の個体と、真っ白な冬羽のままの個体が観られた。
【まだ冬羽】 【中間】 【夏羽】
その中に、北へ帰らないコハクチョウが1頭いた。近づくと何とも悲しい鳴き声を繰り返した。羽でも傷めたのだろうか。
また、一回り大きいカモメが数羽浮かんでいた。くちばしは真っ黒で、茶っぽい羽毛はセグロカモメの幼鳥かと思われた。
オオセグロカモメかも知れないが、幼鳥は判別が難しい。成鳥の羽根になるには4年ほどかかるらしい。
カモメは普通、海や河口付近が相場だが、厳寒期に内陸部の淡水域に入る個体もいるらしい。鳥も、幼鳥や成鳥、夏羽・冬羽もあり、判別しにくい。
セグロカモメ?
ユリカモメ
目的地の湿原にミズバショウは咲いていた。群生とは行かないがさわやかな春の花だ。
他にはフキノトウが満開だ。ばーちゃんと悠くんは開きの遅い株を一つかみ採っていた。
トンボ池は、この時期としては池の水位が低かった。アオサギは用心深い、遠くても舞い上がり旋回して飛び去った 。
強清水までの旧街道を進むと、途中、倒木もあり未だ雪で道路がふさがれていた。
八田野から、飯豊連峰、磐梯を望んだ。
虚無僧像はまだはっきりしない。
(2014.4.9)
【 ミスミソウ 】 【 ミスミソウ 】 【 チオノドグサ 】
今朝の‘福島民報’こだま欄で「犠牲教訓にして全原発廃炉訴え」(大玉村・門間氏)を読んだ。
事故による犠牲を教訓に原発廃炉を訴える彼の涙の意味を共有した。
3年前の3・11以来、震災そして福島第一原発事故の悲劇が頭から消え去ることはない。
最近、第2ドイツテレビが福島原発事故を調査し取材作成したドキュメント映像「フクシマの嘘」をネットで観た。隠された真実を報じていた。
また、科学的な真実により原発の脱原発を訴える京都大学原子炉実験所の小出裕章氏の講演を聴き、
今も毎日、地下水を通して予測を超える高濃度の放射能を含む汚染水が海に流出している事実をあらためて知らされた。
安倍首相の「コントロールされている」発言が白々しい。
アベノミクスや集団的自衛権論議よりも原発問題こそが政治の取り組む最重要課題だと思う。政治は何をしているのだろう。
国や国民は、安全神話により引き起こされたこの環境汚染を全世界に、地球上に住むすべての生き物に謝罪し、
その気の遠くなるような解決に取り組まなければならない。
例年モートンイトトンボが見られる田んぼのあたりを歩いた。
猪苗代湖からの水は清らかで、川底の土砂は透き通ってきれいに見えた。野鳥のさえずりが聞こえ、あらためて里山の豊かな自然を感じた。
【トラクターが出た 農作業が始まっていた。】
今の時期は林の中の地形がよく分かる。葉が繁るとなかなか歩けない小川の辺にショウジョウバカマの花が開きはじめていた。
春一番のショウジョウバカマはまだつぼみのもの、開きかけのもの、咲き出した花も花茎は未だ短かった。
花びらはピンクの濃いものから白に近いものもあった。葉の色が紅いものもあった。この色素は低温による凍結を避けるため蓄積したアントシアンらしい。
雌しべの柱頭のクローズアップ。雄しべは未だ花の中に入ったまま。濃い紫色は雌しべだ。
【つぼみが出てきた】 【 開いてきた 伸びている柱頭】
【未だ花粉を出していない雌性期】 【花粉を出している両性期。】
小川の岸には青々したシシガシラから枯れた実葉が伸びていた。 どこにも目立つフキノトウ麗し。
サンシュウの枝にホオジロ ヒュウガミズキか
サンシュウの実と花 コブシ
銀白色のネコヤナギ(雄花)が逆光に輝いていた。 鱗片が黄色いのは何というヤナギだろうか。 新芽が出るころ、花を詳しく観察してみよう。
数年前に、同じような豊かな林の中を流れる小川に、上流の工業団地開発に伴いコンクリートのU字溝が敷設され、暗澹たる気持ちになったことがあった。
当然、川底に石や砂がないので植物も水生生物も棲めなくなり、おまけに、流域の雑木も伐採され蝶の集まる樹液もなくなってしまった。
また、一昨年は、町内にわずかに残る田んぼも住宅造成工事で無くなってしまった。田の脇を流れる小川にはドジョウやサワガニが棲み、ときどき孫を連れて観察していたものだ。
春の里山で、この自然環境がいつまでも残って欲しいと思わざるを得なかった。
会津地方は気温が20℃の予報、風も弱く最高の陽気になった。
午後、越冬したチョウに会いに里山を巡った。あわよくば、ホソミオツネントンボも、と。
我が家でも咲き出したキクザキイチゲ、いつもの群落を覗くと、わずかに数本が咲き始めていた。未だほとんどは葉の開いたばかりの状態だった。
陽の当たる林道を上ると未だ雪が残っていた。日だまりにヒオドシチョウが止まっていた。
先日はキタテハだけだったが、今日は越冬したチョウがほとんどすべて顔を見せてくれた。
シータテハ
ヒヨドシチョウ
テングチョウはアブラチャンの花の蜜を無心に吸っていて、数センチ間近に近づいても逃げようとしなかった。
アブラチャンはダンコウバイに似ているが、最近はきちんと区別できる。
【ダンコウバイ】の花には「花柄」がないのが特徴。これに対して【アブラチャン】は花と枝の間に花柄があるので区別が付く。また、庭で咲いている【サンシュウ】は花びらの先が米粒のように丸くなっているからすぐ分かる。
アブラチャン テングチョウ
チョウはそれぞれテリトリーがあり、ルリタテハはじっとすることなくシータテハと追いかけっこばかりしていた。
クジャクやルリタテハは年を越したのに美しい輝きを残していた。越冬したタテハの仲間はこれから数百個の卵を産んで天寿を全うするのだ。
クジャクチョウ ルリタテハ ルリタテハ
そう言えば、何年か前、拙ブログに載せたルリタテハの写真、翅の付け根に蒼い斑紋があった。
スバル斑紋
拙ブログ 春の里山 (2012-04-19 )
ブログ仲間のヒメオオさんからそんな個体を「スバル斑紋付」といい、珍しいとの情報を得た。ほとんどの図鑑にこれらの記載はないが、以来注意して見るようにしていた。
今日もわずかに斑紋らしき鱗粉が見られる個体がいた。地域の遺伝的なもので今後も注目していきたい。
清流の際にワサビが早春の花を付けていた。かなりの株のワサビで、例年のことながら葉と大きな葉っぱをひとつかみ分頂いた。
その脇にはネコノメソウが咲いていた。
今月末にはヒメシロチョウが舞う里だ。今埋もれた雪も消え、一面枯れた状態の土手のどこかに羽化を待っている。無事に冬を越したであろう蛹を思った。
畦のたまり水にイモリやマツモムシを見つけた。息継ぎに上がってくるイモリを写した。
イモリ マツモムシ
未だ草も芽が出ない。ほどなくホソミオツネントンボが産卵に訪れるだろう。
【雪解けが進み 雪形が楽しみ】
麗しの磐梯もくっきり、清々しい春の到来だ。きのうは旬の天ぷらを味わう。
じきに誕生日を迎えるからではないが、息子から花束が届いた。転勤の送別会で贈られたものが回ってきた。
庭の落ち葉を取り除いた。雪の下で伸びたツルニチニチソウやシバのツルをむしった。
気づかずにいた福寿草が咲いていた。もう数十年も前に信州から移植したものだが、土が会わないのかほとんど殖えなかった。
ミスミソウも開きそうだ。エゾエンゴサク、クロッカスも咲いた。昨年採っておいた草花の種をランダムに蒔いた。
昨年は剪定しなかったサンシュウが沢山の花を付けた。来年もっと立派に咲くように、丈を伸ばさずに剪定は控えようと思う。
まだ風があり、春爛漫とは言い難かったが、十分春を感じることが出来た。