エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

図書館の利用

2008-10-31 | 文芸
 
 今日、午後から、シンポジューム「再発見!図書館inあいづ ~図書館さこらんしょ。」に参加した。先日、会津大学図書館へ行ったとき、司書の方からポスターを見せられ、良かったらと誘われた。平日でもあり参加者が少ないようなので、消極的ながら参加を希望した。
 これは福島県内の大学図書館連絡協議会の企画事業で、今回は会津若松市内にある3図書館(会津若松市立図書館、会津大学付属図書館、同大短期大学付属図書館)の魅力や連携の可能性を探るパネルディスカッションだった。
 参加者は各大学の関係者の他、一般の参加者を含めて総勢30人くらいだった。
 パネラーは、各図書館の館長3人で、それぞれに施設の概要。歴史や蔵書、さらに地域との活性化をはかるにはどうすれば良いかなどの意見が述べられた。
 この中で、会津図書館は日本で最初に出来た市立図書館であることを知った。それにしても現在の図書館はかなり貧弱であり、図書館の使命から言ってももっとそれなりの環境の整備が欲しいと思っていた。
 そもそも私は、大学図書館は閲覧室の静寂な環境が気に入って利用している。だからそんな市立図書館であって欲しいと思っていたが、幸いこの会議で、会津市立図書館が平成23年に竣工の計画で建て直されることを知った。

公立図書館と大学図書館とは、それぞれに目的や利用対象が違う面があるし、蔵書の中身は違って当然だ。例えば、会津大ではコンピュータ関連領域の専門書が多く文学書が少ないのは当然だ。利用者はそれぞれ必要性を感じて利用するわけなのだ。いずれにしても、それぞれの施設が地域住民にも最大限利用しやすい図書館であってほしい。
 アンケートを求められ、いくつかの要望を書いた。会津大学には、もう少し人文科学や教養を高める蔵書が必要と思った。コンピュータの専門技術教育以前に、一個の心豊かな人材を育成することが第一である。あらたまって、大学図書館の意義の一つを考えさせられた。

パネルディスカッションの後、図書館内を見学した。各図書館の特色ある資料が展示されていた。
 会津大では月周回衛星「かぐや」のデータ解析をしていて、それらの資料が展示され、学生が説明してくれた。
 会津図書館については、会津風土記や日新館教育で使われた四書、錦絵・猪苗代湖図、会津千代松袖鑑、会津藩諸氏系譜など、所蔵の貴重な歴史的資料の現物を見せていだき、とても興味深かった。

 ネット社会で、図書館の連携も変化した。今は一図書館だけでなく、図書館間の横断検索が計画されているようだ。関係者ではないが、活字離れも言われる今、図書館の1冊1冊の書籍が宝の持ち腐れにならないような有効な利用を考えなければならないと思った。
 

3年遅れの礼状

2008-10-30 | 文芸
【 詩集「ノスタルジー」 -昭和30年代への回想- 】

 今日、何気なく一冊の詩集「ノスタルジー」を手に取った。それは、3年前に著者の松田達男氏から突然送られてきた詩集である。そのときに添えられた手紙を読むと、私が山形の新聞に投稿した佐藤總右氏に関する駄文(*)を読まれてのことであった。松田氏は詩人・佐藤總右氏のご子息であった。

 添えられた手紙には日付がなかったが、その詩集の出版は2005年4月とあった。おもえばその年は、退職した年の春であった。5年前に大病を患い、翌年にどうにか生かされて職場に復帰したものの、精神的にもまだまだ心の整理が付かない折りであった。
折角恵送いただいた詩集であたったが、礼状も差し上げずに、そのうち忘れ去ってしまっていた。書棚の詩集「ノスタルジー」の脇には、總右氏の詩集「無明」がある。箱入りの立派な装丁の詩集で、山形に總右氏の奥様を訪ねた折りにいただいたものであった。
 今日、気になっていたお礼の手紙を3年遅れで認めた。

 今も、磐梯の冬景色を描くとき、余白には きまって總右氏の詩
 「そこは新しい風の通り道 吹き抜ける風の中で ふるさとの雪はめざめる」
 を書き続けている。




(*)「山形新聞」掲載文
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○念願かなった總右を知る旅 (山形新聞:2002.6.4付)

 数年前、山形県羽黒町の今井繁三郎美術館で一枚の古びた藍染めの布に出会った。
 「そこは新しい風の通り道 吹き抜ける風の中で ふるさとの雪はめざめる」
 東北の冬からの爽やかな力強い宣言に感動を覚え、以来、作者佐藤總右という人物とこの布について知りたいと思っていた。
總右さんが山形市の詩人で、未亡人が駅前の小路で居酒屋を営んでおられると今井先生からお聞きした。雪の季節にと思いながらも、桜の季節に念願のお店を妻と訪ねた。
旅の目的はこの詩に魅せられた自分がいることを知ってもらうことであったが、この詩を添えた磐梯山の布絵と、感激した思いを納めた拙著「麗しの磐梯」を土産にした。近くに宿を取り、夕刻お店を訪ねた。彼の書斎を改造した部屋で郷土料理をいただきながら、胸につかえていた總右さんのことを伺うことが出来た。
翌朝、桜花爛漫の霞城公園にこの詩が刻まれた詩碑を訪ねた。読み上げると改めて素晴らしい感動が蘇った。

 ○一芸術家知り思わぬ「収穫」 (山形新聞:2002.9.30付)

 出羽国の羽黒山に参拝した帰り道、今井繁三郎美術館に立ち寄った。田や畑の間を縫いながらたどりついた柿畑の中に、鶴岡から移築されたという三百年も前の土蔵が見えた。背丈ほどの壺がいくつも並ぶ庭はヤマゴボウの黒紫の実が印象的な不思議な空間であった。
 監視人などいない館内には大きな絵画が並び、壁には民族衣装やお面が架けられ、屋根瓦やドライフラワーが床に置かれていた。美術館の主は個展開催に上京していたが、これら世界各地の民芸品の数々は、彼の心動かされた宝なのであろう。
 特に早春の月山の風景画に魅せられたが、小さなタンスに何気なくかけらた古ぼけた藍染の布の文字が心に残った。
  「そこは新しい風の通り道 吹き抜ける風の中で ふるさとの雪はめざめる」
 通りすがりに尊敬できる一芸術家を知り思わぬ収穫であった。そしてここに本当の美術館のあり様を見た思いがした。      
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日記@BlogRanking

真っ赤なアイの茎

2008-10-29 | 自然観察
        【真っ赤なアイの茎】

この秋も咲き終えしアイの実たわわ

 庭の植え込みの際一杯のアイが一生を終える。
春、昨年のこぼれた種から新しいいのちが生まれ、きれいな清楚な葉を茂らせ、タデのような花を咲かせた。やがて秋のはじまり、イチモンジセセリが訪れ、花穂に揺れながら吸密した。この小さな緑のいのちを見つめながら、また1年が経とうとしている。数十年同じ繰り返しの秋の終わりの庭である。

 鉢に育ったアイの真っ赤な茎に気づいた。きれいな深紅である。
 水と空気から作られた有機体が、光のエネルギーを得てそれぞれの秋の自然を彩る。藍の身体の中のインジゴと茎に見たアントシアニンとはどんな構造の違いがあるのだろうか。

 庭の植え込みの際一杯のアイが一生を終える。春、昨年のこぼれた種から新しいいのちが生まれ、きれいな清楚な葉を茂らせ、タデのような花を咲かせた。やがて秋のはじまり、イチモンジセセリが訪れ、花穂に揺れながら吸密した。この小さな緑のいのちを見つめながら、また1年が経とうとしている。数十年同じ繰り返しの秋の終わりの庭である。

 水と空気から作られた有機体が、光のエネルギーを得てそれぞれの秋の自然を彩る。藍の身体の中のインジゴと茎に見たアントシアニンとはどんな構造の違いがあるのだろうか。


愛おしいハクチョウに再会

2008-10-27 | 環境問題

 午後から晴れ間が出てきたので、猪苗代へコハクチョウに会い行った。
 稲刈りの終わった田で20羽ほどのコハクチョウがさかんについばんでいた。でも、コンバインでの収穫では落ち穂はほとんどない。
 一年ぶりの冬の使者に、よく来たな!と呼びかけた。



ニュースで「冬の使者」の飛来を報じられたのが10日、「猪苗代湖の自然を守る会」の調査では、昨年より4日早かったと言う。会のHPのデータでは昨年2007年11月20日にはコハクチョウの成鳥が1348羽、幼鳥が165羽で、ピーク時には約3000羽になるらしい。
数日前に、夜の我が家の上空をハクチョウが「コーウ コーウ」と鳴きながら猪苗代湖方面に向かって飛んでいった。暗闇に飛翔するハクチョウの雄姿は感動的だった。その美しすぎることったらなかった。またも雄大な自然の美しさに畏敬の念を覚えた。

 そう言えば、今年はあちこちでハクチョウに餌をやらないようにしようということだ。今年に入り、北海道や秋田県などで見つかったハクチョウの死骸(しがい)から鳥インフルエンザが検出され、その危険性が指摘されていた。
先頃のニュースで、毎年1万羽近くのハクチョウが来る、日本一の飛来地の酒田市では「白鳥を愛する会」が今シーズンの餌付けを自粛するらしい。また、福島市でもハクチョウなどの野鳥に近づいたり、餌やりなどをしないよう訴え、例年催していた「白鳥の歓迎会」や里親募集も休止すると言う。猪苗代湖ではどうするのだろうか。

鳥インフルエンザ問題とは別に、以前から「野生の動物への餌付けは生態系を崩す危惧も言われていた。自然のままと言うが、人為的に変えられている地球環境をどう保全していくべきなのだろうか。

 冬鳥たちには、例年よりも厳しい冬になるのではないだろうか。気温10度、冷え冷えする夕闇迫る田にコハクチョウが点々と何かをついばんでいた。これから迎える厳寒の雪の季節を元気に生き延びて欲しいと願った。
雄大な磐梯山を背に、3羽4羽とハクチョウが飛んでいる。
今年も愛おしい冬の使者に会いに、ときどき猪苗代を訪れたいと思っている。





キノコ採りの思い出

2008-10-25 | 日々の生活

知り合いからムキタケをいただいた。
食べ方を教えられたが、知らないキノコだった。ネットで調べたら、晩秋のキノコで、特徴は、【晩秋のころブナなどの広葉樹の枯れ木や、倒木、切り株上に多数重なりあって発生する。ツルッとした舌ざわりが親しまれ、味噌汁、煮物、野菜炒めなどにあう。】と。また、原木も売られていて、普通に親しまれているキノコのようだ。

 沢山いただいたので、いろいろ料理していただいた。傘の表面の皮が剥けやすいからムキタケと言うらしいが、剥かないでそのまま料理した。

お吸い物は、豆腐を一緒に入れたすまし汁、煮物はタマネギとの卵とじ、またそのままおろし醤油も美味しかった。肉厚で癖がなく食感が良く、ボリュームのあるキノコだった。

キノコ採りの思い出は、川俣にいたころセンボンシメジを採ったことや見事なイノハナを乾燥させ、薫り高いイノハナご飯をたべたこと。またサクラシメジやスギヒラダケを採って油炒めにしたことなどか。数年前まで、我が家ではオオイチョウダケが沢山採れたこと。丁度クロチクが殖えてきたころ突然生えてきたが、竹とスギが必要だったようだ。これは数年間、場所を徐々に移動しながら収穫できたが、今は、全く出なくなった。
 今は、確か一昨年、娘が友達からもらったシイタケの原木を庭の前の林に置いてあるが、今年はと期待していたが今のところ出てくる気配はない。久々に、林を覗いてみたら、ツチグリが結構見られた。


 誘われることもなくなり、とんと御無沙汰だが、年に一度くらいはキノコ採りに行ってみたいと思っている。


秋の深まる庭

2008-10-24 | 日々の生活


 しばらくぶりの雨音に、庭でカエルが元気を取り戻したかのように鳴いている。
雨の日は落ち着いていい。傘をさして庭に出てみた。

 サザンカが数輪、濡れた緑の葉の間で清楚に咲いている。これまた、つぼみの成育を楽しんできたミゼバヤが満開に咲き、厚い葉も真っ赤に色付いている。
菊の季節が始まる。黄色や赤といろいろ咲き出したが、小菊のつぼみは星のように鮮やかにそしてしっとりと輝いている。この白い小菊は霜が降りるころにはほのかにピンクに変色し、凛としてとても清楚だ。
 いくつも付けたホオズキが透け、網の袋の中の丸い実が見えている。盆栽のハゼやナンキンハゼがきれいに色付いている。ナンテンハギの黄色から赤へのグラデーションはなんときれいな神秘的な色合いだろうか。



 これから一斉に咲き出す秋の花々、花を咲かせ、しっかり実を付けまた春を待つ緑のいのちもある。カエデやモミジ、モクレン、柿・・・あらゆる緑が庭を美しく彩ってくれる。 今、すべての命が、精一杯に生き、秋を迎えている。佇んで色づきはじめた庭を眺めるとき、人生の晩年を見る思いがした。


  【きれいなハゼ、ナンキンハゼ】

静寂にこころを整理する

2008-10-22 | 日々の生活
     目を閉じて静寂に聞く我が心

穏やかな小春日、深まった秋の街を会津大へ自転車を走らせた。構内のケヤキが見事に色付いていた。ケヤキ並木の隣り合う1本1本が緑、黄色、赤と色とりどりに美しかった。

 【会津大学のケヤキ】

 月に一、二度、大学図書館の静寂の中で、本を読みながら思いを巡らすことにしている。
閲覧室の広い窓越しに秋の空が広がっていた。植え込みの刈り込まれたドウダンツツジの赤と、サツキの緑が美しいコントラストで、小さな芸術的な庭だ。梢が色づき始めたイロハモミジが数本、風に揺れている。



久々に静寂に身を置くと、あらためて、諸々に心の整理が必要だと思った。
 思えばときどき立ち止まって明日を考え、悩みながら長い道を歩いてきたように思う。しばらく自分の健康ばかりに気を取られ、立ち止まり自分の心を静かに見つめることがなかったと反省した。

 焦ることはないが、流されてきた時を少し止めて、たとえば今さらながら、人生とは何なのかなど、あらたまってこころを整理するときを持ってみたい。



晩秋の背あぶりへ

2008-10-19 | 日々の生活
      【背あぶり山 関白平で】

 昨日は朝から身体がだるくて、孫たちの遊びを傍観しながら、静養の一日だった。
今日も秋晴れに恵まれ、おにぎり、飲み物、果物、お菓子をバッグに詰めて背あぶり山へ紅葉狩りに向かった。

  山頂のアスレチックをしばらく楽しんだ。シラカバの林の向こうに青空が広がっていた。もう雪囲いが済んだ周囲のヤマツツジは、黒く紅葉していたが、そのうちの1本がオレンジ色の花を満開に咲かせていた。春と間違えたのだろうか。


 林を抜けて、頂上の高台へ向かった。しばし磐梯山と猪苗代湖の見える絶好の眺めに見入った。秀峰は、ぼんやりかすんでいたが、2年ぶりに見る雄大な眺めだった。

冬の間は閉鎖される高原道路を、歌を歌いながら関白平へ下りた。
 芝の広場にシートをひろげ、のんびりおにぎりをほおばった。
 時折、流れる雲が暖かい陽を隠すと、風が冷たく、みんな一枚羽織った。
 芝の坂を転がる孫たちをながめながら、30年も前3人の子どもが寝ころび転がる様を8㎜に写したこと、さらには、東山からロープウエイがあったころ何度もスキーに訪れたはるか50年も前の情景が脳裏に浮かんできた。

 わずか数時間の滞在だったが、秋を家族で楽しんだ。こんなささやかな幸せを感じながら秋が過ぎていった。


【背あぶり山頂より】





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いのちのドラマを撮る

2008-10-18 | 昆虫

数日前のこと、傍らの日の当たる石の上に何かかたまりが下りた。何と、ノシメトンボがオオアオイトトンボの羽にかみついているではないか。次の瞬間、羽をかんだまま飛び去った。初めて見る共食いだ。

 姿を見せ始めたオオアオイトトンボが、あわれクモの巣にかかり餌食になっていた。

よく見る光景だが、自然の摂理とはいえ残酷だ。
 
 今楽しいことは、里山の小さな自然を見つめること。ときどき、小さな虫たちの生活の一瞬を切り取っている。そこには確かないのちのドラマがある。これからも、偶然に出会えたいのちのドラマを撮っていきたい。

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イワシャジン

2008-10-17 | 日々の生活


 いつも、いつも、小さな自然をながめて過ごしている。
 庭の草花を見つめていると、心が安らぎ、豊かな気持ちになる。
 黄色や赤のバラのつぼみが、一つまた一つと時間をかけて秋咲きしている。
 楽しみに待っていたイワシャジンもすっかり真っ白な釣り鐘を下げた。
 散り急ぐ桐の葉を、一枚一枚拾う。小菊も星のようにほころび始めた。
 深まる秋、やがて色あせ、枯れて土へ帰っていく緑の自然。
 一日一日それぞれの微妙な変化を見つめ、心動かされている。

     秋の空鈴の音冴えてイワシャジン



日記@BlogRanking

幼稚園の祖父母参観

2008-10-16 | 教育を考える

 孫たちの通う幼稚園の祖父母参観に行った。昨日は年長組の武琉君、今日は年少の萌香ちゃんと二日続きの参観だった。

武琉君の方は、触れ合い遊びやゲーム、じいちゃんやばあちゃんのコマまわしやお手玉の特技披露もあった。みんなの育てたジャガイモをみんなで美味しく食べた。
萌香ちゃんはペットボトルやプリンのケースを使ってマラカスを作った。中には黒豆、大豆や隣の会津大学でみんなで拾ってきたドングリを入れて、テープやシールで飾り付けた。作ったマラカスで元気よく歌を歌って過ごした。
 
 我が家では、隣にいる孫とは食事も寝るのも一緒だから、あらためてスキンシップどころではないが、孫たちそれぞれ家とは違う顔を見ることができてとてもよかった。二人とも、伸び伸び良い環境で楽しい幼稚園生活を送っているようだ。

 昨日は帰りに、年中組のさつま芋掘りや、年少組のお散歩に行き会った。
 広々した、自然に恵まれた静かな環境の中で、子どもたちが日々、楽しく成長し人格の基礎が育まれていく。あらためて幼児教育の意義を考えさせられた。




秋の深まる里山

2008-10-15 | 自然観察
 【中腹まで色付いた磐梯山】

 3連休の3日目、この秋一番の天候に恵まれ、孫を連れていつものお弁当持参の里山散策を楽しんだ。
【日向ぼっこしていたシマヘビ】
 今日の孫たちの収穫は、小さなメダカを沢山、そしてヘビとの出会いだった。
 ヘビは、いつも抜け殻をよく見かけていたが、今日は、池の廻りでシマヘビ4匹に出会った。武琉が見つけたヘビをしばらくのあいだ一緒に観察した。
 ヘビは、先日はミズナラの幹に這い登っているジムグリに出会った。また、春先、わが家の庭では子どものアオダイショウをみた。武琉君はヘビもあまり怖がらなかった。ときどき日向ぼっこに現れるカナヘビをつかまえて遊んでいるし、また、ドジョウも手づかみ出来、飼っているザリガニも触れる。ジイは、なかなかいいぞとほくそ笑んでいるところだ。

【オオアオイオトンボ】
 池の周囲も秋が深まり、トンボもすっかり減った。今日はネキトンボやノシメトンボ、アキアカネ、そして、もういないと思っていたオオルリボシヤンマが一頭、さかんに産卵していた。一週間ほど前に、アオイトトンボに替わって出てきたオオアオイトトンボが、葉を落とし始めたエゴノキの枝に産卵していたが、今日は少なかった。時間の関係だろうか。
また、久々に、オツネントンボに出会えた。

【オオルリボシヤンマの産卵】

【オツネントンボ】


 木々の紅葉が進み、エゴノキはすっかり葉を落としていた。松の木の下に群生していたハナイグチもかなり崩れていた。
 池のまわりの里山は静寂に包まれ、そろそろ冬の備えが始まりつつあった。
(2008.10.13)




三人目の孫

2008-10-13 | 日々の生活

 9月に3人目の孫に恵まれた。日曜日、娘や孫たちと、いわきに里帰りしていた紗英ちゃんに会いに行った。
昼前にいわきに到着、息子の嫁さんの実家近くの石森山フラワーセンターで遊んだ。
 ゆっくり昼を挟んで広々したセンター内を散策した。よく、新潟の植物園へ行ったが、こんな良いところがあるとは知らなかった。
 広い温室で、初めてパピルスを見た。花の楽園でいわきのチョウを撮った。孫たちも伸び伸び遊んだ。
2週間ぶりだったが、紗英ちゃんは一回り大きくなって迎えてくれた。離れている孫たちは、珍しそうに関心を示し「かわいい!かわいい!」を連発した。

 帰路は、小野まで下道国道41号、夏井川渓谷沿いを走った。まだ、紅葉には早いが、しばらくぶりの渓谷の流れはすがすがしく、懐かしかった。いわきに単身赴任のときは、まだ高速道もなく、帰宅はほとんど石川、須賀川廻り、たまに49号を通っていた。
のんびり地域の自然をながめながらのドライブもなかなか良いと思った。
 長距離だったが、運転を娘に任せて、車窓から通り過ぎる秋の景色を楽しく眺められた。夕暮れ迫る磐梯山をながめながら、息子、娘、孫たちの将来を思った。
 (2008.10.12)



豪華絢爛に咲き誇るキンモクセイ

2008-10-09 | 自然観察


さわやかな秋の風にのって、庭中に甘い香りが漂っている。今年のキンモクセイの花は見事だ。

 この時期になると、毎年キンモクセイについて書いている。(
 (*)拙ブログ
・「キンモクセイの季節」(2007-10-03)
・「キンモクセイの香り」(2006-9-20)
・「キンモクセイは2度咲く」(2006-10-02)

「キンモクセイの香り」(2006-9-20)には、
《今日、庭にほのかな秋の香りが匂った。》の書き出しで、《キンモクセイの薄黄色の1番花が咲き始めた。》とある。また、《この初秋の香りには込み上げる思いがある。・・・・今生かされて、今年もこの香りを一杯嗅ぐことができた。・・・》と書いた。キンモクセイは、私にとって健康の有り難さを思う花になった。

 また、キンモクセイというとブログ仲間のデンさんを思い出す。
 《やがて、本格的な2番花が咲くと、庭から、家中一杯に甘い香りが広がる。》と書いたところ、デンさんから「2度咲くのか?」とのコメントがあり、昨年はあらためて2度咲きを確かめた。するとやはり2度咲いたのだ。
 今年はすこし様子がちがうようだ。例年は少ない1番花が終わってから、一斉に2番目の開花だったが、今年は最初の開花なのに例年にない豪華絢爛な咲きぶりだ。この花が終わってから、また咲くのか見守ってみたい。

秋の幸が届く

2008-10-08 | 日々の生活

 
先日は思いがけない大収穫だった栗を楽しんだばかりだったが、今日は、従兄弟から秋の幸が沢山届いた。驚くほど立派なマイタケ、自分の家で育てたシメジ、そしてサツマイモやカボチャをいただいた。
 今夜はマイタケご飯に舌鼓を打った。豆腐、ネギの入ったシメジのすまし汁も最高。マイタケのふんだんに入ったシチューも美味しかった。
 ついこの前は栗ご飯やイモご飯、季節のめぐみをその季節に味わえるなんて、最高の幸せだと思う。そして、何よりも体調がよく、食欲の秋でもあり、食事も毎食が美味しい。
 退院後4年間、少しづつ減り続けてきた体重だったが、この春から徐々に増えてきた。このまま再発もないかも知れないと自信も出てきた。
 ともかく ○規則正しい生活。○極力身体を動かす。○何事も求め過ぎず。を心がけ、穏やかに過ごしていきたい。