最近、ふとしたことで手にした「啄木の悲しき生涯」(杉森久英著 河出書房新社刊)を一気に読んだ。
そこには、薄々知るにはあまりある赤裸々な悲しい生涯があった。
彼自身の日記や作品、与謝野鉄幹、金田一京助や知人、友人への書簡等から明らかになる生々しい辛い日々が、
あった。天才啄木の生活苦に追われる生き様があった。
かつて「遠き落日」を読み、知りたくなかった若き日の野口英世の日々に落胆したことがあったが、
その比どころではない。
「石を持て追わるる如く・・・」 渋民でのいきさつ も知ることが出来た。
髙田雀林の法用寺に啄木の歌碑が2つある。
小樽日報の小林事務長とのけんかの事実を知った。(小林寅吉は高田雀林の出身)
敵として憎みし友と
やや長く手をば握りき
わかれといふに
あらそひて
いたく憎みて別れたる
友をなつかしく思ふ日も来ぬ
法用寺境内の会津五桜の一つ、虎の尾桜もほどなく咲き始めるだろう。
鑑賞し、また啄木に触れたいと思っている。
啄木の、苦もなく水が湧くように詠む3行の詩の才能、
感嘆する天才啄木の悲しい生涯があまりに切ない。
26歳の短い人生、いずれの詩も涙なしでは読めない。
**** いくつかの詩を思い出す ****
そのかみの神童の名の かなしさよ ふるさとに来て泣くはそのこと
かにかくに渋民村は恋しかり おもでの山 おもいでの川
石をもて 追はるるごとくふるさとを 出でしかなしみ消ゆる時なし
ふるさとの山に向かいて言うことなし ふるさとの山はありがたきかな
しらしらと 氷かがやき千鳥なく 釧路の海も思出にあり
たはむれに 母を背負ひてそのあまり 軽(かろ)きに泣きて三歩あゆまず
東海の 小島の磯の白砂に われ泣きぬれて蟹とたはむる
はたらけど はたらけど猶(なほ)わが生活(くらし) 楽にならざりぢっと手を見る
ふるさとの 訛なつかし停車場の 人ごみの中にそを聴きにゆく
頬につたふ なみだのごはず一握の 砂を示しし人を忘れず
やはらかに 柳あをめる北上の 岸辺目に見ゆ泣けとごとくに
砂山の 砂に腹這ひ初恋の いたみを遠くおもひ出づる日
己が名を ほのかに呼びて涙せし 十四の春にかへる術なし
いのちなき 砂のかなしさよさらさらと 握れば指のあひだより落つ
友がみな われよりえらく見ゆる日よ 花を買ひ来て 妻としたしむ
ふるさとの なまりなつかし 停車場の人ごみの中に そを聴きに行く
不来方の お城の草に寝ころびて 空に吸はれし十五の心
石をもて 追はるるごとく ふるさとを 出でしかなしみ 消ゆる時なし
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いつか、憧れて電車で旧渋民村の啄木の母校の小学校や
北上川沿いの「やわらかに柳あをめる北上の・・・」の歌碑を訪ねたことがあった。
また、盛岡の「啄木新婚の家」や不来方のお城も。
もう半世紀も前のこと、全てが遠い思い出となってしまった。
多分、いずれも石川啄木記念館の出来る前だったような気がする。
いつかもう一度訪ねたいと思っている。
やわらかに柳あをめる北上の岸辺目に見ゆ泣けとごとくに