全国良寛会での講演会を聞きたかった。
演題は 前新潟県知事の平山征夫氏の「良寛と漱石・鴎外、そして私の良寛」
急遽、その足で妻に実家への小旅行を計画した。妻の日々の疲れ解消、気分転換のための癒しが旅の目的。
【 会津 ~ 上越 (1泊) ~ 妻の実家(松本の田舎 1泊)~ 松代 ~ 新潟(講演を聴く) ~ 会津 】
しかし、帰路アクシデント発生で、目的の講演は聴くことなく帰宅した。
会津 ~ 上越
新潟県立植物園で
植物園の池で出会った ウシガエル コシアキトンボ
上越で
林泉寺周辺を歩いた。何度目かだったが、この時期は初めて、実に美しい境内で癒された。
山門 謙信公の墓
ホテルの部屋からの市内を望む ホテルには至る所に名画が飾ってあった。
上越 ~ 長野・松代 ~ 安曇野 ~ 妻の実家へ
途中妙高高原に遊ぶ予定だったが、あいにくの雨模様、妙高高原は10メートル先が見えない濃霧の高速の長野道だった。
松代に立ち寄った。 川中島八幡原史跡公園、長野市立博物館、海津城祉、真田屋敷、象山地下壕などを見学した。
川中島八幡原史跡公園裏に、初めて長野市立博物館を見学した。立派な博物館は創立30年という。
博物館のパンフレットには「長野盆地の歴史と生活」とある。ちょうど、ものがたり「川中島の戦い」の特設展示があり、
戦いに関わる錦絵や古文書の展示を見ることができた。すばらしい資料小冊子「川中島の戦い 史実と虚構の世界」を求めた。
長野市博物館
海津城祉(松代城祉)は謙信との戦いに備えた信玄の重要拠点だった。
近くの真田文武学校、真田邸を周り、往時の松代10万石の歴史を垣間見た。
つい、酒屋へ立ち寄る
近くの地下壕を見学した。第二次世界大戦末期、軍や政府中枢機関を松代に移す計画のもとに掘られた大地下壕だ。
平和の尊さを思わざるを得なかった。長野県内の高校生は、沖縄への修学旅行前の平和教育の一環なのか、この地下壕を見学していると聞いた。
約500メートル先まで入った。突き当たりに、千羽鶴がいくつも飾られ、平和をアピールした中高生の見学の祈念が残されていて、目頭が熱くなった。
近くの象山神社へお参り祉、佐久間象山生誕の地に立った。神社脇でホシミスジにあった。
妻の実家へ向かう途中、安曇野の義姉宅へ。 1年ぶりの再会、ゆっくり話ができた。
ちょうど明科アヤメまつりが開催中、きれいなハナショウブを観賞できた。
妻の実家へ、田の脇のハナショウブを手折って、墓参り。両親に今の生活を報告できた。
昨年9月以来の深緑の妻のふるさとは麗しかった。
田の畦に オツネントンボ ホソミオツネントンボを多数見かけた。ホタルブクロが懐かしさを誘った。
ニリンソウ
夕食のおいしかったこと。 地元のタケノコ・ハチク(淡竹)と鯖の味噌汁、手造りの海鮮ちらし寿司に、お酒が進んだ。
ごちそうさまでした。突然の訪問、いろいろご心配をかけてしまった。
玄関の「麗しの磐梯」
庭には初夏の花々が生き生き咲いていた。
妻の実家 ~ 妙高高原 ~ 会津
朝は寒いくらいで、半袖は無理だった。またの再会、互いの健康を祈って帰路へ。
信州からの帰りによく立ち寄る妙高高原、 長野を過ぎる頃から曇り始め、妙高山は雲の中だった。
池の周りにはわずかに クロイトトンボ、モノサシトンボを見ただけ。
ビジターセンターへ立ち寄った。
湖畔のそば屋さんで昼食 手打ちそば大盛り 売り物の絵画
イモリ池で美しい花に見とれる。
クリンソウ センダイハギ
? チョウジソウ シモツケソウ
2時からの新潟での講演会に間に合う計画を立てたはずだったが、ここでアクシデント発生。
無駄な、無情な時間が流れてしまった。 それでもと、高速道を飛ばしたが小一時間の遅れ、初期の目的の講演を聴くことはできなかった。
でも、信州への小旅行は、普段忙しすぎる妻への息抜きのプレゼントとなり、数々の思い出を作ることができた。