エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

名残りの雪

2006-03-31 | 日々の生活
    【ようやく咲き始める雪の中のクロッカス】  

 昨日は季節はずれの雪だったが、妙に落ち着いた一日を送った。久々の氷点下の寒さだったが、風がなかったためか身体全体で春の温かさを感じるほどであった。でも、気温が低いので淡いふわふわした春の雪ではなく、小さな粒が静かに、こころを沈めるように降り続いていた。   
さくら前線が動き始めいよいよ春という時期に、もう一度冬景色を楽しむことができた。 雪が消え、行ってしまった冬に一抹の寂しさを感じていたので、この大雪には驚きながらも嬉しいものがあった。
イルカの歌った「なごり雪」を口ずさみ、春の中の冬を味わった。いつも庭の自然と一緒なので、久々に雪に包まれた庭が本当に美しく感じられた。目の前に降るこの雪は、私にとっては、まさに冬の季節との別れがたきを思う名残りの雪だ。 静かに最後の冬を楽しみたいと思う。  

弥生3月も今日で終わり、今朝は名残り雪と言うより本格的な真冬の吹雪で、寒い一日となりそうだ。

東北学を学びたい

2006-03-29 | エッセイ
 最近、書店の郷土コーナーには地域を掘り起こす数多くの本が並んでいる。「会津学」や「会津の群像」など興味深い本を求めた。
 「東北学」という科学を知ったのはいつのことだったろうか。地域や時間軸を変えて、東北地方の自然や人文、すべての科学を認識した地域学の目的は何なのだろうか。
  数年前、山形県羽黒町の今井美術館を訪ねたことがあった。そこで出会った一枚の藍染めの布が、今も印象深く心に残っている。
 そこにはローケツの白抜きの文字で
 「そこは新しい風の通り道 吹き抜ける風の中で 故郷の雪は目ざめる」と書かれてあった。
 これは、東北地方の忘れてはならない心やこれからの時代の方向性を示しているように思えた。
 
 私は、これから東北地方を隅々まで旅して、各地の風土を肌で感じ、我々を育て培った故郷の山河の恩恵に感謝しながら、歴史や文化、人間を見つめ、そこで学んだすべてを自分のものにしていきたいと考えている。

http://www.imaimuseum.net
拙ブログ ・ 2/14 今井繁三郎美術収蔵館(鶴岡市) ・ 2/19 ▽色彩の画家・今井繁三郎▽

いい顔で過ごしたい

2006-03-28 | 健康
  【http://page.freett.com/o00o/より】

  昨年春、大病して退職後つかの間の一年が過ぎた。朝夕概ね、巡る季節の様々な庭の自然を楽しみ、閑居読書に明け暮れてきた。
ときどき微熱を出したりするが、身体の概ね良好な快復を喜んでいる。
たまに見知らぬ土地に、知らない歴史や文化を訪ねたりもしている。
  今朝、ふと庭で書斎の硝子窓に映った痩せ細った自分を認め、込み上げるものがあった。頬がこけ、しわの増えた貧相な顔を見て、もっとさわやかでいたいと思った。
 リンカーンは、「男は四十才になれば自分の顔には責任を持たねばならない」と言った。
 目や鼻の作りは親からもらったもので如何ともしがたいが、確かに長い日々を生きてきた証が、その人らしい人格が顔に表れるのだろう。また、顔の表情からは日頃の生活ぶりも伺えるような気がする。多少具合が悪くても、良い顔になるように日々をおおらかに楽しく過ごせるように心がけて生活したい。

 険しい顔はいやだ。いつも穏やかな表情でいたいと思っている。
 
《広隆寺の弥勒菩薩像》

父の残したアルバム

2006-03-26 | エッセイ


 父は三人の子供達それぞれに数冊のアルバムを残してくれた。アルバムを整理しながら自分の小学校時代の一冊に見入った。
 その見返しには、父の字で「十年、二十年、あるいは三十年を過ぎた暁にこのアルバムは価値あるものになるであろう。何も贈り物らしい贈り物を出来ない貧しいお父さんの残す唯一の記念品です。幼き日の思い出が成人ののちに何らかの詩情を併せてほのかに浮かぶとき、人間の美しい魂がよみがえる。歌を忘れたカナリヤにはなりたくないね。いつの時代にも永遠にロマンチストであることが大切だよ。」と書かれてあった。
 一枚一枚の写真の傍らには、父のコメントが書かれていた。セピア色の写真を見ながらその文字をたどると、清らかに精一杯に生きた少年の日々が、また、それらを見つめる在りし日の父の姿が想像され胸が熱くなった。
 人生をさりげなく歌う陽水の歌「人生が二度あれば」をCDで聴きながら、ふと父の人生を、そして自分の人生を思った。

楽しい孫との夕食

2006-03-25 | 日々の生活
 隣に住んでいる娘の孫と夕食を一緒に食べることが多い。
ときどき、ママがいろいろ工夫して手作りのおかずを持参する。
孫たちはいつも楽しみにしているが、実は密かにジジ、ババも楽しみにしているのだ。
 今日は、武流くん(3才半)はタイヤ3個のハンバーグ車だ。
 ハンバーグ車の窓はハム、タイヤはちくわキュウリでタイヤは絶対3個でなければならない。いつもなぜか3個にこだわっている。
 萌香ちゃん(2才)は大好きなアンパンマンのハンバーグ。
 顔はチーズに鼻がハム、ほっぺがちくわキュウリで黒い目はのりだ。
 デザインがいい。よく上手に、美味しそうにかわいくつくるものだ。楽しい。
 武流は食べるのがもったいないときは、他のおかずで食べて、作品にはラップを要求するのだ。
 
 にぎやかな楽しい夕飯を見つめながら、もう忘れてしまった我が子の幼児期の夕食風景を思った。

3月に1度の診察旅行

2006-03-24 | エッセイ
 大病から救われ2年半になる。3ヶ月に1度大学病院で診察を受けるために上京している。
 いつも乗り継ぐバスや電車の車窓を眺めながらの明日に不安を覚える病院通いだった。思うと涙があふれてくる。
でも、この病院通いは各地の美術館、記念館などの芸術鑑賞などを楽しむ年中行事でもあったと思っている。
 丁度1年前のこの時期、日野市の百草園にウメ、ロウバイを鑑賞したことが浮かんできた。他に箱根、鎌倉、伊豆半島、横浜などの各地の観光を楽しみ、四季折々の思い出の小旅行となった。
 これからも通院を良い機会と捉えて、明るく前向きに病気に立ち向かっていきたと思っている。
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エッセイ

 「退院後の診察に上京
 三ヶ月に一度の診察を受けに、朝一番の高速バスで上京した。平日でもあり、バスは数人の貸し切り状態だった。色あせた紅葉の磐梯山麓は、この冬初めてうっすらと雪化粧、上空を、今年も訪れた冬の使者が十数羽、並んで力強く飛んでいた。静かな冬の朝の始まりだった。
 死の淵をさまよった大手術から、もうすでに二年が経つ。上京の折にはいつも、ぼんやりと車窓に目をやりながら、過ぎし闘病の日々をしみじみと振り返るのが常だった。
 身体を気遣いながら、大都会の雑踏に身をゆだね病院に向かった。診察を終えて、久々に、かつて長い間お世話になった病棟を訪ねた。スタッフは誰もが私の元気になった姿に驚き、喜んでくれた。病状に一喜一憂して過ごした入院中の生活を思い出し、感謝の念を新たにした。
 予後不良の病に一度は諦めたいのちだったが、今、選ばれて当たり前の生活に戻ることができた幸せを感じている。だからこそ、新しい目標に向け前向きに生きていかなければと思っている。 (2005.12)

 「 生を喜び、愛おしみ過ごしたい
 三ヶ月に一度、診察のために上京している。
 新しい夏の一日の始まり、高速バスの車窓から麗しの磐梯を望んだ。目に飛び込む美しい緑の山野を心に焼き付けた。いつも私に呼びかける故郷の山河を、来年も見ることができるのだろうか。そう思うと目頭が熱くなった。
 退院後は常に不安を抱きながらの療養の一年だった。診察を受けるたびに、病床にあった辛い不自由な日々を振り返り、あらためて大手術であり、よく生還できたと思っている。ならば、生きているうちにこの生を喜び、愛おしみ過ごしたいと思う。
 昨年は病床にあって梅雨も夏の暑さも知らなかった。今、庭に蝉時雨を聞き、吹き出す汗を拭いながら暑い夏を実感している。この暑さがありがたくさえ思え、幸せをかみしめている。いつも健康でありますように祈り、一日一日を大切に生きて行こうと誓っている。残りの人生を静かに心豊かに送りたい。(2004.8)
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雪の下からミスミソウ

2006-03-22 | 自然観察
          《つぼみのミスミソウ》

 わが家の庭で、春一番に早く咲くのは、可憐なミスミソウだ。
もう咲く寸前で春の大雪に見舞われ、かわいそうだった。今朝は朝から快晴、降り積もった雪を取り除くと、眠っていた薄紫色のつぼみが、モミジ、クマシデ、ケヤキの枯れ葉の間から元気に顔を出した。しばらくすると、早春の穏やかな陽に少しずつ開きはじめた。
 5,6年前に園芸店で購入して、その後地におろしたもので、少しずつ増え、毎年楽しませてくれる。別名、雪割草と呼ばれるミスミソウは本当に清楚で美しい。
 図鑑には、本州中部以西から九州にかけて分布する多年草とあるが、まだ実際に山地に自生する様子を見たことはない。いつか見てみたいと思っている。
イチリンソウやニリンソウ、そしてキクザキイチゲも同じキンポウゲ科に分類される。
もうじき山野に咲くキクザキイチゲは、このへんでは白い花しか見たことがないが、ミスミソウのように薄紫色から白そして濃い紫色もあるようだ。
 葉身が三浅裂し、先が尖っているため三角草(ミスミソウ)と呼ばれ、花の色、八重咲きなど変種が多く、江戸時代から愛好家に人気が高かったそうだ。
寒さの中に春を感じさせるミスミソウをしばらく楽しみたい。
      春彼岸 雪割草の 風に揺れ
   

会津彼岸獅子

2006-03-21 | 日々の生活
 今日は彼岸のお中日、朝から降り始めた春の雪は、終日降り続き大雪となった。
普段なら、長い冬が終わりを告げ、穏やかな春の彼岸に市内を周る彼岸獅子なのだが・・・。
 会津彼岸獅子は、3体の獅子が笛と太鼓の音色に合わせ古式ゆかしい舞を披露しながら豊作と家内安全を祈り春の訪れを喜び合う会津の伝統行事だ。
 彼岸の時期、市内各所を巡る獅子だが、今日はお城に伝統の舞いを見に行った。大雪のため、本丸で行われる予定が急きょ武徳殿で行われた。古くは会津地方に
30数カ所あったようだが、時代と共に次々と途絶え、現在では約10の保存会が継承されている。
久しぶりに、天寧獅子保存会の舞を見せていただいた。外はしんしんと春の雪が降り続いていたが、笛や太鼓の音色は春の訪れを感じさせるように響いた。

 午後は、磐梯神社に長く続いている伝統の舟引きまつりを見に行った。
大雪の中、わずかな人混みが本殿を覗いていた。果てしなく降る雪の中、一人遠くから本殿を拝した。笛の音に合わせて舞う巫女の舞が人混みの間に見えた。神々しい静寂に大自然の崇高さを感じ、あらためて営々と続いてきた人々の祈りを思った。


こうした伝統行事にふれ、いつまでも決して無くしてはならないと思った。

       笛太鼓 春の訪れ 彼岸獅子

孫と温泉に泊まる

2006-03-20 | 旅行
 丁度一週間前になる。3歳半の孫を連れて飯坂温泉に泊まった。
もう数字を覚えはじめた孫は、1ヶ月も前からカレンダーを見ながら、祖父母との温泉行きを楽しみにしていた。
 その日天気は久しぶりの冬型で雪降り、また冬へ逆戻りだった。高速道が、昼過ぎ若松から熱海まで吹雪で止まっていたので、3時過ぎに出かけた。その数日前は気温が13度まで上がり、もう冬タイヤを交換する人が多かったが、交換しなくて良かった。
 孫は家を離れて、環境の違う旅館で大はしゃぎだった。昼寝もしなかったので、
風呂に入り夕食の時にはもう眠くて、身体のやりようがなかった。食事も好きなものだけを少しつまんだだけ、ばあちゃんの横で寝てしまった。
 部屋に戻ると元気が出てきた。窓から外を眺めたり、物珍しいスタンドのスイッチや貴重品金庫の鍵をいじったりして一人遊んだ。
 やがて眠くなったが、なかなか眠れない。そのうち、お家に帰りたいと。ママは?と。
毎晩我が家で、ばあちゃんと寝ているのに、孫のそんな一言に驚き、寂しいような愛おしいような気持ちだった。普段見せないいろいろな感情が芽生えていることを知り、嬉しく、また胸が締め付けられるような複雑な気持ちがした。
 大好きな祖父母との温泉宿の一夜がこうした暮れた。

     飯坂の 湯気に静かに 朝の雪

春彼岸

2006-03-19 | 日々の生活
 今朝は静かに春の雨が降るっている。お彼岸を迎え、何となくこころがやすらぐような気持ちがする。
 彼岸の入りの昨日、妻と墓所へ行きお参りした。モミジやケヤキがいつしか大木になり、いつもかなりの落ち葉が降り積もる。広い墓所なので小一時間かかって秋の落ち葉をかたずけた。お花を供え線香を焚いた。
 日頃ゆっくり話すことはない両親との、年に何度かの語らいだ。しっかり生きるから、いつも温かく見守って下さいとお願いした。
 昨日の夕飯は、おはぎに舌鼓。なぜおはぎなのかなど考えながら、漠然と亡き両親のことや家族、家について考えた。
 ほどよい疲れだが、気持ちがさっぱりした。

 暑さ寒さも彼岸までという。今日も天気予報は朝の雨が雪になるという。
時折やわらかな日も射している。間違いなく木々の芽が膨らみ、庭のミスミソウもまさに咲こうとしている。さわやかさを感じる季節の変わり目に、あたらしい気持ちでスタートしたいと思っている。



「ルリボシソウ」と呼びたい。

2006-03-18 | 自然観察
 今朝、春一番の畦の土手に群舞する空色の花をみつめた。
8時にはまだ寒くて開けません。9時半、春のやわらかな陽を浴びてオオイヌノフグリは開花。本当の春到来を感じさせた。
厳しく長い寒さに耐え、今清楚に美しく咲きはじめたるり色の花を見つめと、愛おしささえ感じた。重い雪の下に耐え、あるいは霜をすべてに受けた葉を思った。
 ようやく、風もない日だまりに可憐な小さな花を咲かせた。少し濃い青色の筋が入った水色の4枚の花弁は、真ん中に白い雄しべ2本を包んでいる。
 オオイヌノフグリは明治初期に渡来したヨーロッパ原産の帰化植物だそうだ。
でも名前がどうもいけない。いつももっと可憐な名前を付けてやりたいと思っていた。
俳人虚子は「いぬふぐり 星のまたたく 如くなり」と詠んでいる。
私もこの輝く星の様なイメージを考え、これからは「るり星草」と呼びたいと思っている。

たそがれを愛でる

2006-03-16 | エッセイ
昨日の夕方、思いたって夕日に映える秀峰磐梯山を写しに出かけた。
通りを少しそれると、そこは静寂の、眠り続けた田んぼ、残雪に切り株が幾何学模様に美しかった。
 日の入りは5時40分、太陽がすべて山の端に隠れ、茜のひかりがいっそう明るさを増したようだ。
 早春の夕暮れ時は思った以上に冷え込んできた。
 高台から薄暗い若松の向こうにまばゆい夕日を望んだ。
 夕映えにカラスが数羽ねぐらへ急いでいた。
 (夕日の赤みが薄いようで、磐梯山の頂は想像ほどに染まらなかった)

今日のエッセイ
 今日、久々にたそがれの美しさに心を奪われた。茜に染まる夕暮れから日没の、刻一刻と変化する色合いが何とも言えず美しかった。一日の終わりにカラスの集団が巣へ帰っていくいつもの光景が、なぜこんなにも胸を打つのだろうか。
 思えば、地球を取りまく大気で散乱した光は、毎日営々と幾万年も続いた神秘の色なのだが、改まって鑑賞するゆとりは少ない。
 急に寒くなった今の季節に戸外へ出る元気はないが、あけぼのも同じ感動を与えてくれた思い出はある。「ああ黎明の空の下 牧場の草は雫して・・・」と、いつか高らかに歌った寮歌の一節に青春の日が蘇ってきた。
 大空を仰ぎながら、いつも、朝にあけぼのを、夕べにたそがれを愛でるゆとりが欲しいと思った。そして、、朝に一日の平穏を祈り、夕べに一日の平穏を感謝するような、おおらかな、穏やかな日々を過ごしたいと思った。        (2005.11)
 

相田みつを美術館で自分を見つめる

2006-03-14 | 文芸
 東京丸の内に相田みつを美術館*を訪ねた。
 美術館展示室の入り口には「お約束として」の看板が掲げられ、そこに《感動は小さなお声でお願いいたします》とあった。私も一つ一つの作品の文字を辿りながら、感動を静かに心にしまいながら歩いた。
 我が家にも彼の著作や作品の日めくりカレンダーがあるが、作品のすべてに心動かされる美術館の雰囲気がとてもすばらしいと感じた。
 「裸の木蓮」には《寒風の中にただ黙って立っています》とある。「いのちの根」や「だれにだって」などの詩を読んで、これまでの自分の弱音を恥じた。もう辛さや苦しさを口にしないようにしようと思う。いつもそんな弱音を聞かされてきた妻に本当に済まないと思った。
 廊下を歩くとそこは自然の小道、自然の風景の映像が揺らいでいた。薄暗い廊下の所々に小さな椅子の空間があり、一人座して静寂に心を見つめることができた。
道元の「正法眼蔵」の文庫本がすり減る程に読まれ、彼の思考の過程を見た思いがした。
「ただいるだけで」には、良寛の座右の銘と言われる「一生成香」(生涯いい香りを発しながら生きよ)を思い浮かべた。
相田みつをのすべての作品が、至らない自分への諭し、戒めに思えた。
 廊下の見えるカフェでアイスコーヒーを取り、静かに余韻に浸り自分の心をもう一度見つめた。
 限りある生をしっかり生きようと思った。
*http://www.mitsuo.co.jp/museum/index.html

*だれにだって*

だれにだって
あるんだよ
ひとにはいえない
くるしみが

だれにだってあるんだよ
ひとにはいえない
かなしみが

ただだまっている
だけなんだよ
いえばぐちに
なるから


*ただいるだけで*

あなたがそこに
ただいるだけで
その場の空気が
あかるくなる

あなたがそこに
ただいるだけで
みんなのこころが
やすらぐ

そんな
あなたにわたしも
なりたい

風俗画を鑑賞

2006-03-12 | 文芸
 《写真はパンフレットに使われた桜下弾弦図屏風(部分)》

 東京丸の内の出光美術館*で「風俗画による日本の暮らし-平安から江戸-」を鑑賞した。(3/4~4/23)
 日常生活の有り様を主題に描かれた「風俗画」という一つのジャンルを認識しながら見るのは初めてだった。
 風俗画は、古くは奈良時代から始まるようだが、平安時代末期の「伴大納言絵巻」は庶民の生活を伺える代表的な描写。室町時代から桃山時代にかけて、添景ではなく風俗表現が一つの画材として独立し「風俗画」として描かれるようになった。多くの絵巻や屏風に描かれた当時の生活の様子は歴史の貴重な資料でもある。
 暗く地味な作品が多かったが、様々な職業を描いた「職人尽絵巻」や当時の京の都の様子が描かれた「洛中洛外図」は興味深かく印象に残った。当時の庶民の生活をいろいろ思い巡らした。
 風俗画は、この「洛中洛外図」を母体にして、季節の行事や歌舞伎の鑑賞、遊郭での遊びなどのいろいろな主題へと発展していったという。
 今まで気づかなかった日本画の1ジャンルを楽しむことができたが、これからはここに描かれた絵の背景を少しずつ掘り下げてみたいと思った。
*http://www.idemitsu.co.jp/museum/gaiyou.html 

蕎麦と温泉を楽しむ

2006-03-11 | 日々の生活

厳しい雪の季節の終わりに、春の山々の眺めを楽しんだ。若松から喜多方へ、どこからも美しい磐梯山だが、塩川を過ぎると小国の山々に遮られ見えなくなった。そして、壁のように屏風のように聳える雄大な飯豊山が近くに迫ってきた。


 喜多方から大峠を米沢へ、道の両側はまだ背丈以上の雪の壁で、田沢の辺は一番積雪が多かった。
 蕎麦が好きで各地の蕎麦を楽しんでいるが、信州安曇野、戸隠や会津宮古の蕎麦と比べても、米沢街道の田沢の蕎麦はとても美味しい。かれこれ10年程になるか、月に1,2度、お昼にこの蕎麦を味わい小野川温泉に浸かってくるのが休日の行動だ。
 そして、米沢の雪の多いのには驚いた。若松市内では雪が消えつつあるのに、米沢市内の家々の庭は、まだうずたかい雪の山だった。リンゴ畑も深い雪に覆われ、リンゴの太い枝が何本も折れていてとても無惨だった。