エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

久しぶりの買い物

2007-10-31 | 日々の生活
 小春日が暖かい昼下がり、妻と孫を乗せて近くのホームセンターまで車を出走らせた。いつも買い物はほとんど娘と妻任せなので、街へ出るのは久しぶりだった。
 ホームセンターの入り口は、冬のシーズンに到来を思わせるような品物が所狭しと並んでいた。雪囲いや除雪の用具、スノータイヤなど、また、店の灯油スタンドには何人もの客が灯油缶をいくつも並べ、順番を待っていた。そして店に入ると、また驚き、もうクリスマスか、サンタさんの人形が踊りクリスマスツリーのネオンが賑やかに光っているではないか。 そうか、今年もあと2月なんだ。もうそんな時期かと思うと、なんだか気忙しささえ感じられた。
 店は棚卸しか、あちこちで商品の入れ替えに忙しそうだった。
 有り余る生活用品が並び、あらためて豊かな物質文明社会を思った。
 帰りに冬越しの植木類を見ていたら、丈の長いピンクの花が美しいベゴニアが目にとまり、つい衝動買いしてしまった。名前は木立性ベゴニアのアリス・フェイと言うらしい。


 木立性ベゴニア〈アリス・フェイ〉

 来月はほとんど病院暮らしとなる。退院のころは木枯らしが吹き始めるのだろう。



豊かさと時間

2007-10-30 | 日々の生活

 豊かさのキーワードは時間という概念だと思われる。ゆとりや安らぎも、その横軸は時の流れだろう。
いつもゆっくり流れる時間を求めて、スローライフを思っている。

 あと何年続くか分からない終点までの動く歩道に乗り、周囲を見回している。ゆっくりと動いて欲しいと願う。たまに途中下車して自然を見つめる。 たとえば、色づいた山々を眺め、スケッチブックを広げ、チョウ、トンボにピントを合わせ瞬間を撮る。これ以上の幸せはない。
 あとへは戻れない一方通行、急がずにやりたいことが出来る幸せを感じながら、こころを癒したい。

 静かな縁側でコーヒーを味わいながら、自転車に乗る3歳の孫を眺める。穏やかな庭に、この季節を待ちわびた菊が咲き誇り、色付いた木々が小春日に明るい。

 不安な健康を常に意識しながらも、愛する家族となごやかな時を共有する幸せを感じている。





ようこそ 冬の使者

2007-10-29 | 自然観察
再会を待っていた、冬の使者が飛来した。遙か彼方より飛来した水鳥が愛おしくてならなかった。

 台風一過の快晴の秋の夕方、妻と娘と孫と一緒に、猪苗代の翁島へ白鳥に会いに行った。コハクチョウが稲刈りを終えた田に数十頭が集まり、落ち穂をついばんでいた。見ていると、今朝方までの大雨でたまった水を飲み、落ち穂を流し込んでいるようだった。
 この時期は、日中は田に来ているようだが、夜は湖で寝ているのだろう。
3月の北帰行まで、この会津の地で一緒に生活することになる。思えば、半年もの長い間の滞在となるのだ。
 
「こーう こーう」 何とも愛おしい鳴き声だが、別れの時は実に悲しく寂しい思いで聞いたが、しばらく一緒にいると思うと喜んでいるように聞こえた。

 帰りに長浜に寄ったら、オナガガモが数百頭浮かんでいた。夜明け頃に長浜に来たことがあるが、コハクチョウはそのころ湖を飛び立って行くようだ。
 孫は貯めておいたパンの耳をちぎって与えていた。

 これから雪の季節を迎える。雪の中で水鳥に会うのが冬の一つの楽しみだ。
 この冬も、春まで何度も水鳥に会いに行くことになりそうだ。

(2007.10.28)

 
 【磐梯山を背に悠然と舞うコハクチョウ】






 【半年ぶりのオナガガモ】

深まる秋 人生を思う

2007-10-28 | 日々の生活
           【色付き始めた雑木盆栽】

 我が家の裏に新しく学校が建った。高台にある庭から、新築の校舎、広々したグランドが一望できる。普段、気に止めていないが、チャイムの音が聞こえ、グランドから若い歓声がこだまするとき、教職にあった頃の情景が懐かしく思い出された。思えば、あのころ一人グランドに佇みいろいろ思い巡らしたものだ。ぼんやりと流れる雲を目で追い、色づいた木々を眺めながら、そんな昔を思い、時の流れ、人生を思った。
 いつか存在した光景も、今ある現実も刻々と流れ、いつか夢か幻となって過ぎ去っていくように思われた。
ふと我に返り、放課後の部活動に打ち込む高校生の姿を見つめた。秋の深まりの中、純真な青春を羨ましく思い、彼らの前途を祈った。

アカネ舞い 若人の声 高々と





蝶の日向ぼっこ

2007-10-27 | 昆虫
                【夜露に濡れたヤマトシジミ】


 今朝も、散歩道で色が褪せ種を散らし始めたキンエノコロの穂に、ベニシジミとヤマトシジミが何頭も止まっていた。

 ベニシジミはほとんどが翅を半分広げ、昇り始めた陽の光を受けているようだったが、ヤマトシジミはすべてが翅を閉じたままで、夜露が羽に付いていた。
 ベニシジミは羽の色からもいかにも光を吸収して体温が上昇しやすいように思えた。

 
【朝日を浴びるベニシジミ】 

昆虫は変温動物だから、気温の低下と共に体温も下がり活動が鈍くなる。夜が明け、気温の上昇につれて体温もあがり、暑いくらいの日中はさかんに元気に飛び回っている。この時期、アキアカネの動きも緩慢になり、手に止まっても逃げない。そして、暖かい小春日にいっぱい日向ぼっこをしている。

 昆虫の気温と行動の関係はとても興味深い。
 蝶も冬越しは卵、成虫、蛹と種によって違う。蛹のじきに寒さを経ないと、その後成長できないようだ。

 春の山道で、越冬したミヤマセセリやクジャクチョウ、ルリタテハなどが春の陽に日向ぼっこをしている光景を思い出した。

(2007.10.24)

愛おしき夜露輝くチョウの羽


30年のトウカエデ

2007-10-26 | 日々の生活

 冬を迎えるこれからの季節、7,8㍍ほどに育った南側の門柱脇のトウカエデが、丁度昼頃玄関に影を落とす。夏には日陰を作ってくれてありがたい木だったが、思い切って太い枝を4,5本払うことにした。
 
 30年前、家を建てたときトウカエデを植えた。このトウカエデは寄せ植え盆栽にしていたもので、太さはわずか5,6ミリほど、丈は14,5センチ位で14~5本あった。川俣で春日神社の秋祭りに買い求めた思い出の盆栽だった。それを庭に下ろし、家の廻りに適当に植えた。

 あれから30年、ときどき邪魔な枝を払っていたが、トウカエデの枝は折りやすく、丈夫ですぐに芽吹いた。大きくなったものだ。2階の屋根を越すくらいの太い大木になった。毎年、今の季節は黄色、赤に色付き美しく彩ってくれている。 
 
 病弱の身、無理をしないように梯子を掛け、電動ノコギリでの大変な作業だったが、玄関にいい陽が当たるようになった。これからだんだん陽が傾き、冬の間家の中に取り入れた植木にもやわらかいいい日が射し込むだろう。

(2007.10.25)

冬支度の季節

2007-10-25 | 日々の生活
 昨日の朝、会津若松市で初霜、初氷が確認されたという。例年より数日早かったとのことだ。いよいよ秋も深まり、冬の気配を感じた。

 数日前に寒さに弱い鉢物の植物を家に取り込んだが、いよいよとばかり、小春日となった秋の真っ只中、本格的にほとんどを取り込んだ。どんどん増やした小さな鉢の観葉植物が数え切れないほどになってしまった。
 廊下の日当たりのよいところに一回り大きくなったカネノナルキやベコニア類を並べた。大きなプランター類も玄関脇の風防室に取り込んだ。サルビアの類も冬を越せば、一年を通してよく花を咲かせてくれる。
 
 植物に囲まれた部屋も落ち着いていいものだ。しばらく、暖かい日には鉢を移動させ陽に当ててやるが、これから半年間、暖かい室内で静かに春を待ってもらうことになる。

 じきに冬の訪れ、雪囲いが大仕事だ。11月の入院前にやれることを急がなければと思っている。

 クコ(枸杞)の花

2007-10-24 | 自然観察
 庭を出た路傍にクコが咲いていた。大分前から気づいていたが、よく見たら枝が不規則にかなり広がっていた。
「クコ(枸杞)」の名は、中国の本によると「枸(からたち)のようなトゲがあり、杞(こりやなぎ)のように枝がのびる」から名が付けられたそうだ。なるほどと思った。
 夏にはニジュウヤホシテトウやハムシ類がいっぱい葉に集まっていた。よほど美味しいのだろ。

 ネットのWikipediaには
『果実は、血圧や血糖の低下作用、抗脂肪肝作用などがある。精神が萎えているのを強壮する作用もある。また、視力減退によい、抗がん剤や放射線の副作用を抑制すると言われている。根皮は、抗炎症作用、解熱作用などがある。葉は、血圧の低下作用などがありクコ茶にする。 』とあった。
 クコは健康食品としても加工され、販売されている。また、クコの種苗販売の解説には《クコの特徴》が載っていた。
【 □葉は煎じて薬用として飲む □若芽・葉・果実が食用になる □若芽は4~6月と秋に摘み採る □果実(クコの実)は晩秋から冬にかけて枝に鈴  なりにつけます □若芽や葉はゆでて食べる □実は酒に漬けて果実酒にする □実は中華料理などに利用する □若芽と葉の天ぷらが美味しい □実は乾燥させてから、粥やスープとして薬膳料理になる 】

素晴らしい漢方薬だと思った。少し利用してみたいと思っている。

ナニワマダラトンボに再会

2007-10-23 | 環境問題
 9月下旬に今年もナニワマダラトンボを確認できた。ペアになりホバリングしながら、池の畔の湿った土の上に打空産卵を繰り返していた。

 マダラナニワトンボは日本の特産種で、今絶滅の危機にあるトンボだ。
 環境庁や福島県が共に絶滅危惧種第Ⅰ類(CR+EN)()に指定している貴重な種である。

)
○「絶滅危惧IA類(CR)・・・ごく近い将来における絶滅の危険性が極めて高い種
○「絶滅危惧IB類(EN)・・・IA類ほどではないが、近い将来における絶滅の危険性が高い種


マダラナニワトンボの体長は約4cm位、とてもかわいい。風に流されるように飛び、やっと止まっても警戒心が強くなかなか近づけない。

 今年も棲息を確認できて本当に嬉しかった。
 ひっそりと生き長らえているこの貴重な種がとても愛おしく感じられた。

 この小さないのちは常に絶滅の危機に瀕している。小さなトンボが、いつまでも生息できる自然環境の保全をいつも願わざるを得ない。心配はきりがないが、これまで生息し続けてきた、常緑樹、広葉樹に囲まれたこの池の理想の立地環境が変化しないことを祈っている。


太古より続く空舞うトンボかな

 【絶滅の危機にあるナニワマダラトンボ











ファーブルにまなぶ

2007-10-21 | 文芸

何年ぶりだろうか、検診の帰りに上野の国立科学博物館へ寄ってみた。

 博物館の入り口にはシロナガスクジラの実物大模型像と蒸気機関車D51が置かれていて、見学の小学生が集合して記念写真を撮っていた。
 今年はファーブルが「昆虫記」を著してから100年になり、日仏共同企画の展示「ファーブルにまなぶ」が開催されていた。

「昆虫記」は全10巻、最後の第10巻が刊行されたのが1907年だったそうだ。かつての昆虫少年としては見ないわけにはいかなかった。南アフリカの荒れ地でひたすら虫の生きざまを追い求めたファーブルの足跡をゆっくり見て歩いた。初めて見るファーブルが実際に集めた1世紀前の昆虫、糞虫や狩りバチ、貝の標本に見入った。
いつものように図版を求めたので、しばらくは楽しめる。また、我が家の蔵書「ファーブル昆虫記」奥本大三郎訳・解説(集英社)はいい。小さい頃に読んでいたら・・・と思っていた。あらためて、もう一度読んでみようと思っている。いずれ虫に興味を抱いている孫も読むであろう。ファーブルから学ぶ喜びを共有したいと思っている。
 博物館の常設展示も一通り駆け足で見た。特に、地球館の展示〈-恐竜の謎を探る-〉のしっかり見てきた。今孫が最も興味を持ている恐竜についての知見を得ようと思ったからだ。また、孫へのお土産にスタッグビートルのフィギュアを買った。5歳の孫は世界中のカブトムシやクワガタの名前をほとんど覚えてしまった。

小春日和のお昼時、科学博物館のとなりの西洋美術館前でゆっくりした。
 ロダンの像「考える人」や「カレーの市民」「弓を射るヘラクレス」、「地獄の門」などを鑑賞し、しばらくの間、ベンチに座って行き過ぎる人を見つめていた。何か豊かな気持ちになった。
(2007.10.12)

老いた今 虫の標本 胸おどる


「カレーの市民」


「弓を射るヘラクレス」

那須岳の秋を楽しむ

2007-10-20 | 旅行
            【秋風に揺れるススキ?の穂】

 久しぶりに晴れた休日、思い切って那須へ出かけた。
退院した翌日であり、妻は反対したが、どうしても行きたかった。体調は少し辛いが、以前からの思いは願望に近くなっていた。
 夏から、少し高い山の空気が吸いたいといろいろ計画を巡らせていた。でも、体調を崩したり、天気が悪かったりでどうしても素晴らしい季節を楽しむことができなかった。
そんな思いが募っていた矢先に、再入院しなければならなくなった。今度の入院は長くなりそうだ。折角巡り来た素晴らしい秋が、少しも楽しむことなく過ぎて行ってしまう。

 運転の心配をして妻は娘を誘った。私も孫に秋の山を歩かせたかった。牧場でソフトクリームを食べさせてやりたかったし、ロープウエイに乗せてもやりたかった。
 那須の茶臼岳は小学校のとき登った。もう半世紀も前のこと、ロープウエイはおろか、今走る高原の有料道路もなかった。麓から殺生石を見て、数時間かけての登山だった記憶がある。それが今は歩くことなく、ロープウエイで茶臼岳9合目まで登れるのだ。
 
 東北高速道の那須インター出口からかなりの車だった。子どもたちと牧場の秋を楽しもうと想像して南が丘牧場へ向かった。ところが、何と駐車場は満車では入れそうにない。
牧場の入り口付近は大勢の行楽客でかなり混雑していた。諦めて、今日のメインのロープウエイ駅を目指した。ところが、ここも途中の殺生石付近から渋滞が始まっていた。のろのろ運転でようやく大丸温泉付近へ着くと、この先約10キロなのにロープウエイ麓駅まで1時間の表示だ。考えれば、3連休の秋の行楽シーズンで当然なのだった。はやる気持ちできてしまった。でも折角ここまで来たのだからと、あと500m付近に路上駐車することにした。そこから歩いてロープウエイ駅へ向かいすぐにロープウエイに乗ることができた。案の定、麓の駅の駐車場は満車で、車はほとんど止めることができずに動きが取れない状態だった。

 山頂駅まで少し早い紅葉の林の上をゴンドラで4分、孫は初めてのロープウエイに乗った。山頂へ着くと肌寒い風が秋の深まりを感じさせた。 那須岳が5つの連山からなる総称であることを今回初めて知った。
 付近にはガンコウランなど高山帯の背の低い緑が広がっていた。コケモモかと思ったが、よく見るとそれは花ではなく、白い多肉質の球形果で、葉も似ていたが縁に細かい鋸歯を持つシラタマノキだった。ぽつりぽつりと背の低いエゾリンドウがまだきれいに咲いていた。
   【シラタマノキ】

 茶臼の丸い山頂を仰ぐと、稜線の青空に秋の雲が浮かび、一面風に揺れて輝くススキ?の穂が特に印象的で美しかった。ススキにしては丈が短く、穂も短い。
 右手の稜線の手の届くところに、穂高の山に似た、少し低い朝日岳が聳え、頂きには米粒ほどの人が確認できた。

  【茶臼より朝日岳】

3歳、5歳の孫を連れ、病気上がりの我が身では山頂を目指すことはできなかった。ロープウエイ山頂駅付近のガレ場で、取り急ぎ準備したおにぎりのお昼を広げた。大喜びの孫たちは生き生きして、岩に上ったり滑り易い斜面を散策して遊び廻っていた。
 久々の高原の空気に癒され、少し心を残しながらロープウエイで下った。

 帰路はもう一つの有料道路で羽鳥湖を廻って下郷方面から若松へ戻った。
 翌日は朝から終日の雨降りとなった。ゆっくり那須高原での思い出をふり返りながら身体を休めた。
 ほどなくの入院を前に、一つの願いの叶った思い出に残る、楽しい一日だった。
(2007.10.7)


病身に願い叶いし茶臼岳

   【茶臼岳で】

深まる秋 トンボの産卵

2007-10-19 | 昆虫
           【連結して産卵するマイコアカネ】

 久しぶりに、秋の深まるトンボ池へ行った。チョウもトンボも秋の深まりと共に少なくなり、少し寂しい気持ちがした。
 下の孫と妻同伴だ。お兄ちゃんが幼稚園に行っている間、萌香ちゃんはばあちゃんを独り占めできてご満悦。途中、いつもの里山の公園でブランコに興じた。孫は二人とも、愚図る時はママでは駄目、ばあちゃんは付きっきりで大変だ。
 じいちゃんは写真撮り。今日のねらいはキチョウとトンボの産卵風景だ。

 キチョウは日中温かい時はなかなか止まってくれず、けっこう撮影がしにくい。正しくはキタキチョウ、最近の図鑑を見ると、何年か前に食草の違いで石垣島産のキチョウと区別してキタキチョウと命名されたようだ。
  【キタキチョウ】

 トンボ池では、アキアカネ、マイコアカネ、キトンボが連結して打水産卵を繰り返していた。
連結してホバリングしながら産卵する光景を撮るのはとても難しかった。

 トンボの同定は実に楽しい。あとからわかりやすいように、最近は、トンボを正面から顔の表情を、側面から胸の模様を撮るようにしている。写真は、胸の模様や顔の色からヒメアカネだろうか。
 いずれもなかなかピントが合わないで困っている。でも、撮影のときが一番楽しい。
【ヒメアカネ(成熟♀)だろうか?】

 今年もチョウ、トンボの観察はあとわずか、11月の入院前にもう少し秋を楽しみたいと思っている。 (2007.10.18)

【アキアカネの交尾】

【アキアカネの産卵】


【連結し産卵するキトンボ】


池の畔トンボの羽音ものがなし

秋の深まり ヤマトシジミ

2007-10-18 | 昆虫
 
散歩道に、夜露に濡れたキンエノコロが朝日に輝いている。
毎朝、そこにヤマトシジミが何頭もじっと止まっている。多分,昨日はここで寝たのだろう。今朝はベニシジミも朝日に羽を広げていた。
朝夕めっきり寒いくらいになり、秋の深まりを感じさせる光景だ。

ゆったり時が流れる田舎の生活

2007-10-17 | 日々の生活
          【色づきはじめた身知らず柿】

 先日、大学病院での検診のため上京した。その折、朝の通勤風景に都会の生活の一端を見た。吊革につかまりほとんどの人が目を瞑って寝ている。座席で熟睡している人もいた。現代人は疲れきっている。こんな多忙な生活が一生続くとは思わない。また、通勤のこの時間帯を仕方なく受け入れ耐えている人も多いだろう。でも、電車に揺られる都会人に、哀れな、気の毒な姿を垣間見た思いだった。

 病院の待時間に、自分の田舎での今の生活を思い、豊かさとは何だろうと考えた。
 価値観の違いもあろうが、私は自然とのふれ合いなしには生きられない。
 庭の小盆栽に水をやり、巡った季節の自然を楽しむ。
柿が色付き、ススキの穂が秋の陽に輝き揺れている。静かにゆったりとした時が流れている。そんな今を大切にしていたい。これ以上の幸せはないと思っている。


不安な病にも 穏やかに過ごしたい

2007-10-16 | 健康
 
 しばらく、自分の病状に関わる多忙な日々だった。
 8~9月、10月と2度の入院、数えると20日間の不自由な日々だった。
 4年間、いつも突然の発熱に苦しみ、また術後の炎症か、と半分諦めていた。
 今回、8月末はかなりひどく、正直言って危ない状態での緊急入院だった。その際、少し根本的な治療に入り、現在もその経過を観察中である。
 今後の治療についての神奈川の大学病院と、地元の病院の医師の手紙のやりとりや説明から、いろいろなことを考えて、今回は地元の病院にお世話になることにした。今日の診察で11月初めに約3週間の予定で入院が決まった。

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 自分の患っているガンは予後不良で、退院の際には、5年後の生存率は0%と知った。頻繁に入退院を繰り返しながらも、すでに生かされて満4年が経過した。この間、こころは不安定ながらも充実した日々だった。
 でき得ればこのガンに克ちたいとの思いは年々強くなっている。それは、家族と別れたくないから、そして、もう少しの間身近な自然を見つめ、こころ豊かな安らぎが欲しいからだ。
 でも、如何ともしがたい、いのちに関わる病状に不安を感じながらも、これも定めと思っている。主治医から、病気の現状や治療の説明を聞く時でさえ、身体のすべてが何と精巧に機能していることか、生命の神秘に感心したりした。
 いかなる状況にも動じることなく騰々と過ごしていきたい。
 何も急ぐことはないと、ときどき自分に言い聞かせながら平穏な心境でいる。
 神に祈りつつ、家族に感謝し心配をかけないように、今を大切に過ごしていきたいと思っている。
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