エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

お城を模写する孫

2010-04-30 | 教育を考える

ジーちゃんのスケッチが家じゅうに飾ってある。ピアノの上には2L版のお城のスケッチ画が飾ってある。
 なぜかわからないが、2年生の武琉君がそのお城のスケッチ画を見ながら模写していた。
30分もかけて、何もかも忘れて描いていた。
 出来上がりの作品を見て驚いた。小学2年生にしてはどうなのだろうか、とても上手に描けていると思う。
 どうしてお城の絵なんか描いているのかと聞くと、お城を造りたかったからという。描いた絵をコピーして、貼り合わせて立体のお城を作るアイディアのようだ。聞いて、その発想が分からないでもなかった。
 その時は聞き流してしまったが、ボール紙で四角垂の様な形を作り、模写した絵を張り付ければ・・・、なるほど、と考えている。そのうち、詳しくい聞いて造らせてやろうと思っている。
 また、実際のお城を前にしてのスケッチもさせてやりたいと思っている。




芽ぶき

2010-04-29 | Weblog
  
庭の芽ぶきを観察した。
じっと寒さに耐えた芽が、膨らみ手を広げる。
いとおしい緑のいのち、その誕生もまた愛おしい。
萌えるという字は草かんむりに明るいと書く。
なるほど、見る者の気持ちを明るくする春の訪れだ。
堅かったつぼみが柔らかにほぐれ、日一日と膨らんでいた。

ホウノキ


ナツツバキ


キリ


ユキヤナギ



ナナカマド


バラ


ウコギ


カイドウ


サンショ


ミヤマカタバミ


ワサビ


シラン




日記@BlogRanking

シデコブシを愛でる

2010-04-27 | 自然観察

 例年どおり里山にシデコブシを見に行ったのは4月中旬、今年の春は寒く、思いの外つぼみは小さかった。
でも、あれから約2週間、着実に季節は進み、すがすがしいシデコブシが変わらぬ美しさで咲き始めていた。
残雪白き山肌によく似合うシデコブシを飽かずにながめた。







冬を越したルリタテハが石の上に舞い降りた。まるで羽化したばかりのように新鮮な羽に驚かされた。
フキノトウに蜜を吸うコツバメのさわやかさは言葉に表せない。今、いのちの躍動が始まるのだ。


 【早春のチョウ コツバメ】

 長浜に回ってみた。ほとんどが北へ帰った水鳥たち、冬は見なかったスズガモが多く、季節の違いを思った。
いつか見た足にけがをしたコハクチョウが一羽、たぶん猪苗代湖で夏を越すのだろう。
  (2010.4.25)


 【残雪の川桁山方面】

  
【スズガモ メス(左) オス(右)】






開成山で花見

2010-04-25 | Weblog
   郡山の息子から、お花見の誘いがあった。
今朝も氷点下まで下がったが、でも日中は暖かく16℃まで上がったようだ。
 朝日燦然と輝き、小鳥たちも春を喜ぶさえずりが聞こえた。
 妻はママと朝からお弁当作りで大忙し。孫たちも朝ご飯そこそこに、それぞれに準備をしていた。
 高速を使い40分、息子たちのところへ寄って、車1台で開成山公園に出かけた。
 少し離れた臨時の駐車場はすで満杯近かった。開成山大神宮境内にはたくさんの出店が並び、かなりの人出だった。みんなお賽銭を持って、順番を待ってお参りした。



神社の前の開成山公園も、みんなサクラの木の下に敷物をして、にぎやかだった。



サクラはこのところの低温で長い間楽しめ、ちょうど満開だった。時折吹く風は冷たかったが、日差しは強かった。
公園のサクラは若い木が多いようだ。公園内でゆっくりするのは初めてで、中央に開拓者の群像のモニュメントがあった。
 広場には、鯉のぼりいくつも泳ぎ、春爛漫の最高の花見日和に恵まれ、家族で半日ゆっくりと花見を満喫した。





じいは持参したビールをいただき、のんびりくつろがせてもらった。
 会津若松のサクラはこれから、いつものようにまたサクラのもとで孫たちとゆっくり遊びたいと思っている。


日記@BlogRanking





春に口ずさむ青春の歌

2010-04-24 | 文芸


この時期、口ずさむ歌がいくつかある。
 いずれも燃える青春に出会った歌で、今、しみじみと歌う自分がある。

○一つは山の歌。題名は知らないが、詩歌は忘れずにいる。
四季を詠う信州での山の歌だった。ゆったりしたメロディも何とも言えない。
山の友に教えられたが、どこのだれが作ったのだろうか?
*************************
緑が淡く野に萌えて 残雪白き山肌を
友よ登らん 信濃の山に 友よ忘れじ 信濃の山を

可憐な花が咲き出ずる 黒い岩肌 青い空
友よ登らん 北アの峰に 友よ忘れじ 北アの峰を

秋の時雨(しぐれ)に濡れる道 落葉を友に一人行く
友よ歩まん 峠の道を 友よ忘れじ 峠の道を

粉雪の峰滑り行く 日々の思い出 遠い日の
友よ語らん 燈火(ともしび)の もと 友よ語らん 燈火のもと
 
*************************

○これまた学生のころよく歌った、旧制松本高校の寮歌「春寂寥の」だ。
”春寂寥の ~ ” ”あわれ悲し 逝く春の ~”
 もの悲しく、青春の寂寥感漂う旋律が 心を揺さぶる。
*************************
春寂寥の 洛陽に
昔を偲ぶ 唐人(からびと)の
傷める心 今日は我
小さき胸に 懐(いだ)きつつ
木(こ)の花蔭に さすらえば
あわれ悲し 逝く春の
一片毎に 落(ち)る涙

岸辺の緑 夏木立
榎葉蔭(えのきはかげ)の まどろみに
夕暮さそう 蜩の
果敢(はか)なき運命(さだめ) 呪いては
命の流れ 影あせて
あわれ淋し 水の面(も)に
黄昏(たそがれ)そむる 雲の色

秋揺落(ようらく)の 風立ちて
今宵は結ぶ 露の夢
さめては清し 窓の月
光をこうる 虫の声
一息毎に 巡り行く
あわれ寒し 村時雨
落葉の心 人知るや

嵐は山に 落ち果てぬ
静けき夜半の 雪崩れ
榾(ほだ)の火赤く さゆらげば
身を打ち寄する 白壁に
冬を昨日の 春の色
あわれ床しき 友どちが
あかぬまどいの もの語り 

*************************

○もうひとつ、サクラ吹雪のころ、さわやかな初夏を肌で感じる詩は、三好達治の「甃(いし)のうへ」だ。
教職にあったころ、専門外のこの詩を板書して、生徒にノートさせるのが常であった。
*************************
甃(いし)のうへ

あはれ花びらながれ
をみなごに花びらながれ

をみなごしめやかに語らひあゆみ
うららかの跫音空にながれ
をりふしに瞳をあげて
翳りなきみ寺の春をすぎゆくなり
み寺の甍みどりにうるほひ
廂々に
風鐸のすがたしづかなれば

ひとりなる
わが身の影をあゆまする甃のうへ
 
*************************

 今、過ぎ去りし若き日のまぼろし、時の流れを静かに見つめている。 


(参)拙ブログ 『甃のうへ』(2008-04-24)


日記@BlogRanking
  

雨の日に

2010-04-22 | 文芸
                              【日向ミズキ咲く】

雨の日は、何となく心落ち着き、自分を見つめ、取り戻すことができる様な気がする。
終日、冷たい雨降り、午前中は、普段点けているラジオを消して、昨日、寝床で読みかけのページを広げた。
中野孝次の「清貧の思想」に、三好達治の詩が取り上げられ、達治ももとより「清貧の人」であったと書かれている。
本棚から達治の詩集を手に取り、長い詩「冬の日」全文を声を出して読んだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「冬の日」 -慶州仏国寺畔にて

ああ智慧は かかる静かな冬の日に
それはふと思ひがけない時に来る
人影の絶えた堺に
山林に
たとえばかかる精舎の庭に
前触れもなくそれが汝の前に来て
かかる時 ささやく言葉に信をおけ
「静かな眼 平和な心 その外に何の宝が世にあらう」

秋は来り 秋は更け その秋は巳にかなたに歩み去る
昨日はいち日激しい風が吹きすさんでゐた
それは今日この新しい冬のはじまる一日だった
さうして日が昏れ 夜半に及んでからも 私の心は落ちつかなかった
短い夢がいく度か断れ いく度かまたはじまった
孤独な旅の空にゐて かかる客舎の夜半にも
私はつまらぬことを考へ つまらぬことになやんでゐた

さうして今朝は何という静かな朝だらう
樹木はすっかり裸になって
かささぎの巣も二つ三つそこの梢にあらはれた
ものの影はあきらかに 頭上の空は晴れきって
それらの間に遠い山脈の波うって見える
紫霞門の風雨に曝れた円柱には
それこそはまさしく冬のもの この朝の黄ばんだ日ざし
裾の方はけぢめもなくあいたいとして霞に消えた 
それら遥かな頂の青い山々は
その清明な さうしてつひにはその模糊とした奥ゆきで
空間てふ 一曲の悠久の楽を奏しながら
いま地上の現を 虚空の夢幻に橋わたしてゐる

その軒端に雀の群れの喧いでゐるへん影楼の甍にうへ
さらに彼方疎林の梢に見え隠れして
そのまた先のささやかな集落の藁家の空にまで
それら高からぬまた低からぬ山々は
そこまでも遠くはてしなく
静寂をもって相応へ 寂寞をもって相呼びながら連なってゐる
そのこの朝の 何といふせう条とした
これは平和な 静謐な眺望だらう

そうして私はいまこの精舎の中心 大雄殿に縁側に
七彩の垂木の下に蹲まり
くだらない昨夜の悪夢の蟻地獄からみじめに疲れて帰ってきた
私の心を掌にとるやうに眺めてゐる
誰にも告げるかぎりではない私のこころを眺めている
眺めている―
今は空しいそこそこの礎石のまはりに咲き出でた黄菊の花を
かの石燈の灯袋にもありなしのほのかな陽炎のもえてゐるのを

ああ智慧は かかる静かな冬の日に
それはふと思ひがけない時にくる
人影の絶えた境に
山林に
たとへばかかる精舎の庭に
前触れもなくそれが汝の前にきて
かかる時 ささやく言葉に信をおけ
「静かな眼 平和な心 その外に何の宝が世にあらう」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 中野孝次は、ここで達治の言う「智慧」について、
「魂に関する出来事を知覚する心の働きを的確に表現するには、この言葉しかなかったのだろう。
ここに描かれた光景は世の光景でありながらすべて魂の中の光景であった。」と述べている。
また、この達治の詩は、従然草の「一生は、雑事の小節にさへられて、むなしく暮れなん。」(第112段)の、自分の魂の平安と充実のために生きようとの心に通じると書かれていた。

私は、≪ああ智慧は かかる静かな冬の日に それはふと思ひがけない時に来る≫の一節が好きだ。
 この詩を読みながら、同じような豊かな心が、今日の雨の日に、≪それはふと思いがけない時に来た≫と思った。
本当に「静かな眼 平和な心 その外に何の宝が世にあらう」と思う。

 これからも、雑事の小節から離れて、時に良寛に、また藤村に、達治に触れながら静かに過ごしていきたいと思っている。 今を大切に、清貧な生活を心がけながら。

早春の里山

2010-04-20 | 自然観察
 
 近くの里山を歩いた。
 春から秋まで、ときどき行くなじみの場所を静かに歩いた。
 畑や田の畔には、一面にナズナ、ハコベがびっしり生え、最近勢力を広めたヒメオドリコソウが紫色の絨毯のようだ。また、オオイヌノフグリの空色が美しかった。フキノトウはすっかり伸び、遅い春も徐々に進んでいた。

 オオイヌノフグリ

チョウはルリシジミを2,3頭、少し奥に行くと冬を越したクジャクチョウを1頭見かけただけ、まだ虫の季節には少し早いようだ。キブシの花に止まっていたのはべニシジミか?と思いきや、イカリモンガたった。色があせていたので、たぶんこれも冬を越したのだろう。

  ルリシジミ

  イカリモンガ

 小川の脇にショウジョウバカマとアズマイチゲが清楚に咲きいていた。まだ遠くは見渡せる林に、芽が吹き始めたヤナギがさわやかだ。春一番のマンサクは終わり、あちこちに垂れ下がる黄色いキブシの花がよく目立っていた。大きなつぼみはクロモジだろうか。少し経ってから訪ねたいと思った。

ショウジョウバカマ
 
   アズマイチゲ

  キブシ

 クロモジ?
  
林のしげみから群れをなして飛び立ち梢に止まったのは、冠羽が見えたのでカシラダカだろうか。今の時期は野鳥も観察しやすい。でも、望遠も300ミリでは物足りないと思った。


 カシラダカ?

これから1年間、いつも同じ面々だろうが、たくさんの虫たちと会えることを楽しみにして
いる。



日記@BlogRanking




梅にメジロ

2010-04-19 | 日々の生活
 
 花壇をいじっていると静寂にウグイスが鳴いた。実にのどかな春の訪れだ。
数日前におぼつかない鳴き声を聞いたが、今朝はしっかり鳴いていた。

 妻が、梅の木にウグイスが来てるよと呼んだ。
満開の白加賀梅に小鳥が数羽飛来、花をつついていた。逆光でよく見えなかったが、さっきまで来ていたカワラヒワよりの少しスマートでとがったくちばしが見えた。
近づいて、望遠レンズを覗くときれいなウグイス色と、少し怖いあの目の周りの白い輪がはっきり見えた。メジロだった。

撮ったばかりの写真を、妻に見せたら「ウグイスってきれいね」。確かにウグイス色をしていて、「梅にウグイス」と言うし、鳴き声まで聞いては間違えざるを得ない。
 帰ってきたばかりの孫に写真を見せ、この鳥はウグイスじゃないよ、メジロだよと教えた。


日記@BlogRanking

サクラのもとで植木市

2010-04-18 | 日々の生活

昨日の春の雪が裏庭に残る。所詮春の雪、あらかたが解け、春の日差しが柔らかだ。
娘から電話が入る。「図書館わきのシルバーセンター前で植木市をやっているよ。私に、カラタチの鉢植えを買ったから。」と。若いのに、彼氏が盆栽に興味があって寄ったらしい。いい陽も当っていたので、久しぶりに植木市に行ってみようとなった。妻と出かけた。

【カラタチバナ】
 驚いたことに、図書館前の桜は咲きだしていた。植木市も結構にぎやかだった。
 待っていた娘から鉢植えをもらっうと、赤い実と白い実が付いているそのカラタチ?は、棘もなく、黄緑色の葉は細長く、キョウチクトウのようだった。確かにカラタチではないその木の名札を見ると、下に「バナ」と文字が土に埋まっていた。「カラタチバナ?」万両や南天のような、白と赤い実が付いていた。

 安いので小さなベニシタンの植わった苔玉と、初めて聞く『トナレ』と言う鉢植えを買ってきた。1000円を500円の負けてもらった。杜松の様な『トナレ』はあとから調べてもわからなかった。図鑑でみると、「ホンドミヤマネズ」に似ているようだ。
 妻は、お年寄りの手芸でサクラ柄の小銭入れ、キクイモの酢漬け、炊きたての赤飯などを買っていた。

家に戻り、調べると面白いことが分かった。
<カラタチバナ(唐橘)> ヤブコウジ科ヤブコウジ属 別名:百両(金)、コウジ、タチバナマンリョウ 原産地:本州の茨城県以西の本州、四国、九州、沖縄、中国、台湾(山野の林下に自生。個体数が少なくあまり見かけない。)性状:常緑性小低木。枝分かれが少ない。高さ:30~40cm。葉は互生。花期:7月繁殖は種まき、接ぎ木。管理:水はけのよい土、半日陰で栽培。「センリョウ 、 マンリョウ は正式名だが、ヒャクリョウ(百両)がこのカラタチバナの別名。またジュウリョウ(十両)は ヤブコウジ の別名。なおイチリョウ(一両)は アリドウシ(蟻通し)の別名。実の白いものは シロミノカラタチバナ とよばれる。」

『トナレ』って、なーに?








日記@BlogRanking

桜隠しの雪

2010-04-17 | 日々の生活
                              【豊後梅】

今朝の雪には驚いた。庭の気温は0℃だが、降りはひどく真冬並み。
咲き始めた梅の花に春の雪が重く積もった。
こんな雪を桜隠しの雪というそうだ。
庭に、満開近い小田原小梅と咲き始めた高田梅、まだつぼみの豊後梅と、それぞれにサクラならぬウメ隠しの雪が積もり、また違った風情を感じさせてくれた。

 昨日の散歩、少し張り切りすぎか。たった5キロ程でふがいないが、足の甲が筋肉痛だ。ちょうどかなりの雪降りだし、それも口実に日課にしようと意気込んだ散歩、今日は中止とした。 



【高田梅】


【小田原小梅】

久しぶりの散歩

2010-04-16 | 街中散歩
                               【石部桜 もうすぐ】


 ラックを亡くしてもう半年余り、本当に歩かなくなった。ラックのための散歩だったが、おかげで健康に過ごせたと思っている。
今朝も、春とはいえ冷え込んだが、散歩しなければと出かけることにした。
デジカメを持って春向きのスニーカーに履き替えて颯爽と出かけた。
コースは、自宅 → 妙国寺 → 石部桜 → 一箕中学校 →自宅 約5キロ。

妙国寺は、戊辰戦争のとき藩主松平容保父子が一カ月間謹慎した寺、また白虎隊士の仮埋葬された寺である。今日もお花が供えられていた。

 

 石部桜は会津5桜の1つで、昔ブログに書いた。
会津五桜鑑賞記(その1)石部桜』2006-04-23
 このサクラの季節にできる臨時の駐車場に、もうバスが止まっていた。畑の中を石部桜へ向かうと、遠くのあぜ道を観光客が団体で歩いて行くのが見えた。岡山から来たという観光客だったが、サクラはまだつぼみで肌寒くもあり、そそくさとバスの方へ戻って行った。樹齢600年のエドヒガンの巨木で、このところの冷え込みになかなか咲けないようだった。何年か行かないうちに、桜の周囲はきれいに整備され木道までできていた。

 【石部桜】

滝沢の浄水場の下道を一箕中学校へ出た。この道を通ったのはもう20以上前になるか。途中の松林で数本のカラマツの下にきれいな松ぼっくりを見つけた。

 【松ぼっくり カラマツ】


 子どもたち3人が通った中学校のグランドでは、体育の授業で50メーター走の記録を取っているようだった。3方がなだらかな山に囲まれた高台の校舎から、遙かに真っ白な壁のような飯豊山がそびえ、市内が見渡せた。

 【一箕中学校で】

 約1時間、吹く風は少し冷たかったが、萌えだした早春、ところどころに黄色いスイセンをみながら、また久しぶりに人々の生活の一端を垣間見ながらの散歩は快適だった。
 愛犬はいないが、健康のために、また散歩を日課にしたいと思っている。


日記@BlogRanking





神のような人 秋月悌次郎

2010-04-15 | 文芸
                                【高田梅開く】

   
 何年か前に、中野孝次の『「生き方の美学』を読んで、幕末の会津人、秋月悌次郎の人間性に触れた。これは拙ブログ「北越潜行の詩」2006-02-13にも書いた。
 先日、月に一度の検診日に本棚から持参した本だ。待ち時間に、斜め読みしてもろもろ思いを巡らした。

秋月悌次郎は、幕末の京都で守護職を務めながら時代に翻弄され、逆賊の汚名を一身に集めてしまった会津藩主・松平容保公のそばにあって、公用方を務めた一人だ。この幕末史のなかでの一文官の生き方は感動である。

 生き方の美学の『第19話 徳・・・ハーンと秋月悌次郎』には、熊本五高で同僚だったラフカディオ・ハーンが、悌次郎を「神様のような」人と呼んで尊敬したこと、熱意ある教育者として、学生に慕われたとが書かれている。そして、中野孝次は「百年たった今、この明治日本を担う新興青年が何が何でも古い日本の価値を否定して、西洋の実学を取り入れるしかないと言い張る、こうした-徳よりも実利の学を-、という国家を導いてきた結果、現代日本はまさに世界でも珍しく「徳」というものがない国になってしまったのではないか」という。また、ハーンは、「旧体制の下で育った日本人は礼儀しく、利己的でなく、善良でみなのびやかであった。それはいくら褒めても褒めたりぬ美徳である。」と書いている。

病院の帰りに短大図書館に寄り、松本健一著『秋月悌次郎 老日本の面影』(1987年 作品社)を借りてきて一気に読んだ。「生き方の美学」に紹介されていた本だ。
 ハーンに与えた印象を手掛かりに、幕末から明治に生きた秋月という人物の持っている意味、歴史における革新と伝統の関係、そして秋月に係わった人物たちの像が書かれていた。秋月の人格的な温和さ、それを支える思想的中庸のエトスは、維新史の動乱をかいくぐって手に入れた「常民の心」だと述べられていた。
五高での秋月翁の古希のお祝いで諸氏が語る秋月の人間像に、人として尊いものを再確認した。それは、「教育は結局教える人の生き方の問題に凝縮される」という言葉にあるように、地位とか名誉ではなくその人の人間性だと思った。尊敬されるものはその人となりである。

 数年前に読んだ、中村彰彦著『落花は枝に還らずとも 会津藩士・秋月悌次郎』でも同じような感動を得た。 著書名「落花は枝に還らずとも」は、文中にあった。
「一度枝を離れた落花は、その枝に還って咲くことは二度とできない。しかし、来年咲く花の種になることはできる。
 会津滅藩に立ち会い、亡国の遺臣と化した悌次郎は、自身を落花になぞらえることにより、逆風の時代になおかつ堪えて生きる覚悟を初めてあきらかにしたのである。」

 また、いずれの本にも、二人の詩人の素晴らしい漢詩が紹介され、あらためて二人の感懐がよくわかった。
特に、長州藩・奥平謙輔との往復書簡にはこみ上げるものがあった。秋月は、会津藩落城後に藩の寛容な処分を訴えに旧知の長州藩士奥平謙輔のもとへ、猪苗代から新潟へ秘かな雪中行の折り、の胸を打つ「北越潜行の詩」を残した。

有故潜行北越帰途所得 会津 秋月胤永
--------------------------------
行無輿兮帰無家 行くに輿無く 帰るに家無し
國破孤城乱雀鴉 國破れて 孤城雀鴉乱る
治不奏功戦無略 治は功を奏せず 戦は略無し
微臣有罪復何嗟 微臣罪あり 復た何をか嗟かん
聞説天皇元聖明 聞くならく 天皇元より聖明
我公貫日発至誠 我公貫日至誠に発す
恩賜赦書応非遠 恩賜の赦書は 応に遠きに非ざるべし
幾度額手望京城 幾度か手を額にして京城を望む
思之思之夕達晨 之を思い之を思うて 夕晨に達す
憂満胸臆涙沾巾 憂は胸臆に満ちて 涙は巾を沾す
風淅瀝兮雲惨澹 風は淅瀝として 雲は惨澹たり
何地置君又置親 何れの地に君を置き又親を置かん
--------------------------------

戊辰戦争において会津藩降伏を取り仕切った秋月悌次郎は、維新後は死者の影を背負い、≪自己を主張することを価値とした近代日本のなかでは永遠に失われてゆかざるをえないような、伝統を守って生きる人間の生き方の正道を踏もうとした懐かしい人≫であった。

以下は松本健一著『秋月悌次郎 老日本の面影』(勁草書房)のネットの内容説明である。
≪ラフカディオ・ハーンをして「神様のような人」といわしめた会津藩士秋月悌次郎。その生涯を描いた本書は、「司馬遼太郎さんとわたしの人生」が「交叉」した地点となった。

戊辰戦争において会津藩降伏を取り仕切った秋月悌次郎は、維新後は死者の影を背負い、≪自己を主張することを価値とした近代日本のなかでは永遠に失われてゆかざるをえないような、伝統を守って生きる人間の生き方の正道を踏もうとした懐かしい人≫であった。──「懐かしい」は司馬遼太郎さんが使う最大の褒め言葉である。(あとがき)≫


日記@BlogRanking



シーダーローズ(その2)

2010-04-14 | 自然観察
   

昨日、雪の消えた里山へ水芭蕉を見に行った。
三度目の正直で、清楚な水芭蕉にあうことができた。
群生地ではないけれど、だれも訪れることのない静かな山里にひっそり咲いていた。
 近くのフキノトウに、今年初めて見るルリシジミがとまった。少し暗い羽色はヤマトシジミだろうか、まだ春浅い山里だ。
これもわざわざ見に行くシデコブシも、例年でもサクラと同じ4月20日前後、この寒さではまだつぼみも小さかった。

【シデコブシ】

昨日の目的は、今井美術館からいただいたシーダーローズの確認だった。ヒマラヤシーダーの大木の周囲を丹念に観察した。
今まで気付かずにいたシーダーローズが、いくつも、雪解けの水をたっぷり吸ったつぼみ状態で見つかった。
実は、家に戻り、いただいた【薔薇の花】をコップの水につけておいたら、15分ほどで傘を閉じ、小さなつぼみになった。
 拾ってきたつぼみも、徐々に乾いて、ひとひらふたひらと開き始めた。

  【雌花の鱗片】

 【雄花の松ぼっくり】

 去年の10月の拙ブログに、ヒマラヤスギの雄花、雌花の写真を載せた。雌雄異株である。
これを見ると、球果は茶色で、これがはじけてやがて雪に埋もれたのではないだろうか。
美術館から送られたサンプルはいろいろな状態があったが、昨日大木を見上げても大きな球果は見られず、とがった軸だけが付いていた。
たぶん、秋も深まる頃にカサが開き、球果の付け根部分を残して種が飛び散って、先端部分がローズの塊で落ちるのだろう。

 【雄花 松ぼっくり 2009.10.15撮】

 【雌花球果 2009.10.15撮】
 
ネットで調べると、≪球果は前の年から作られ始め、夏に伸びた枝の上面に雌花芽ができて、その翌年の初夏に「雌花」が開花するようだ。
受粉が終わると球果は体積・重量ともに大きくなり、開花した年の秋に種子が飛び散る≫ことが分かった。

 球果で思い出すのは、夏の吾妻で見たオオシラビソだ。あの青い松ぼっくりをはじめて見た時は、一瞬鳥がとまっているかと思った。
高い山で見るオオシラビソは何とも言えぬ美しさだが、より大きいヒマラヤシーダーの球果は見事だ。







シーダー・ローズ

2010-04-12 | 文芸
                       【送っていただいたシーダーローズ】


昨日、今井繁三郎美術収蔵館の館長さんから宅急便が届いた。
前日に、「びっくり ? という段ボールを送りました。此方の勝手な おしつけ・・・・自然の不思議なワンダーワンダー程ではないのでしょうが、5~6年前から落ちて来る様になりまして。」とメールをいただいた。

 段ボール箱には、「下積み厳禁」、「ガラス、ビン、セトモノ」、「天地無用」の貼り紙がされ、中にはヒマラヤシーダーの、枝に付いたままの大きな固い球果と、かさが開き始めた松ぼっくり、そしてはじめて見る沢山の【薔薇の花】が入っていた。
 まだ固い昨年の雌花の球果は縦10cm、横5cmくらいあった。 「今後の夢、楽しみを壊すようですが、・・・・美術館の庭に6本のヒマラヤシーダの大木がある・・・」と、便りが添えられていた。



最近ブログやメールで、ヒマラヤシーダーとその雌花の球果のことが話題になり、現物を送ってくださったのだ。その気持ちがとても有難かった。

 手元の図鑑によると、ヒマラヤスギについて、「マツ科、ヒマラヤスギ属。和名がヒマラヤスギ、別名ヒマラヤシーダ-。20~30メートルになるが、原産地のヒマラヤ、アフガニスタン東部では50メートル、直径3メートルに達する。10月から11月に開花、翌年10~11月に成熟し果鱗が落ち、果軸だけ残る。」とあった。
時々行く近くの公園にも大木があり、先日はまだ残る雪の上に茶色く枯れた雄花が沢山落ちているのを見たが、雌花の松ぼっくりは見つけられなかった。
卵型の球果は翌年の秋に成熟し、鱗片が一枚ずつ剥れ種が拡散する。球果の先っぽが地面に落ちたものが【薔薇の花】なのだ。
ネットで調べていたら、この【薔薇の花】が『シーダーローズ』と呼ばれていることを知った。なるほど、いい命名だ。これは普通のマツボックリの様にブーケやリースなどの材料として使われているらしい。

かつて一度だけ訪ねた美術館は、江戸時代に建てられた土蔵が鶴岡から移築された建物だった。前庭のあちこちに大きな甕が置かれ、ちょうど紫色の実を付けたヨウシュヤマゴボウが印象的だった。美術館のHPの写真からみると、どうも遠くに車を置いて、裏の方から桑畑を通ってたどり着いたような記憶がある。
昨年、開館20周年を迎えた美術館は、数年前に「次代につなぐやまがた景観賞」の最高賞を受賞している。展示される美術品だけでなく、貴重な蔵の建物やそれを取り巻く雑木林や足元の小さな自然など、さらには画家・今井繁三郎氏の心が息づく空間が一体となって、すばらしい今井美術館があるのだと思う。

 土に帰ってしまう自然の造形シーダーローズを机に置いてながめている。送っていただいた館長さんのお心を有難く思った。




日記@BlogRanking

今年は春が遅い

2010-04-10 | 自然観察
 
 
 今日、会津若松の気温が21度を超えた。一気に初夏の陽気になり、それぞれにあわてて目を覚ましたようだ。忘れていた鮮やかな黄色いキバナアマナが咲いた。頭を下げていたチオノドグサが横を向き花びらを開いた。
 雪割草は数日前から咲きたくて仕方なかったが、今日の気温に満開、エゾエンゴグサも咲き誇り、春の風に吹かれた。いつもは咲いているスイセンやニオイウチワももうすぐになった。

【ミスミソウ】

【キバナアマナ】


【チオノドグサ】

 でも、今年の春は寒く心配していた。数日前に、冬の間家の中に取り込んでいた鉢物をすべて庭に出したが、朝晩はまだ冷えるので、夜は心配で取り込んでいた。
 ブログで過去の記録を見ると、2006年の春が極端に遅かった。その年、庭のウメが咲いたのが4月20日前後、今年もつぼみが堅かった。でもようやく小田原小梅がちらほら開いた。例年は、高田梅や、白加賀も開いていたから、今年は例年から4,5日遅れであることがわかる。

 【小田原小梅ほころぶ】

 だいぶ前に桜の枝に見つけた蛾の卵の様子を見に行ったら、黄色から茶色に変色、そろそろ孵化しそうな雰囲気だった。さくらのつぼみも一段と膨らんでいた。足元にカエルを見た。 体色変化したニホンアマガエルだろうか。また、今日、べニシジミやヤマトシジミを初見した。いよいよ、そこここに春が動き始めた。 






日記@BlogRanking