エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

町内 研修視察 

2012-09-29 | 日々の生活

  

 午後から町内研修会がある。台風の近づく今日一日、なんとか晴れの予報だった。

25日に初めて、それも思いがけないところでマダラナニワトンボに出会った。

いつも見るポイントへ急いだが、時間の早いせいもあったのか、やはり見ることができなかった。

池の周囲にはキトンボが連結し打水産卵を繰り返していた。

  

 午後の研修会に間に合うように帰宅した。

 研修会は、講師に会津若松市文化課 小島克則氏をお招きして、 「遺跡から見た歴史」と題して、大塚山古墳、墓料遺跡、石部桜を巡り、現地でわかりやすい説明をいただいた。 

 涼しく晴天に恵まれた秋の一日、町内12名が参加、とても有意義な研修会を過ごした。

 お持ち頂いた文化財は、珍しい特徴的なものだった。

  
  土偶       人面付き土器   変わったデザインの土器     特徴的な木葉文土器の破片

(1)大塚山古墳
  さわやかな木漏れ日の中を古墳頂上へ、遙かに磐梯山が聳えていた。4世紀中頃、古墳に葬られた人物は大和朝廷と密接な関係にあったらしい。

また、晩秋に訪ねてみたい。モミジが散ると古墳の全景がよく見られるようだ。

  

 (2)墓料遺跡                        、
 いつもの散歩道の下、この畑で 昭和46年に弥生時代の壺が まとまって見つかったと言う。

(3)秋の石部桜
  幾つもの歌碑に、昔時の人々の 暮らしに思いを馳せた。
       
 (4)質疑応答
 3時過ぎに会館へ戻り、参加者からの熱心な質問に、講師から詳しくわかりやすいお答えをいただいた。    

            

 夕方、研修の反省懇談会が行われた。この席で、町内には、多種多彩な経歴の持ち主がいることを知った。

 そんな提案もあり、来年からは町内住人の講義をいただくことになりそうだ。

 今日は盛りだくさんの一日だった

              
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松陰の東北遊学紀行

2012-09-28 | 文芸

                                     【 心清水八幡神社 参道に建つ 松陰 「東北遊日記】の碑 】


 また、会津と長州とのかかわりに思いをはせた。
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 「松陰と会津」2010-03-16
    http://blog.goo.ne.jp/tosimatu_1946/e/1470e23a65793593e0cb5b1df414dc0d
 「会津と長州」2010-03-18
    http://blog.goo.ne.jp/tosimatu_1946/e/96f00492bc8ce4409d0970d8d46eb033
  と題して、拙ブログに書いた。
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その考察の始まりは、坂下の心清水八幡への参拝から始まった。神社参道に建つ吉田松陰の「東北遊日記」の碑に気づき、以来、参拝の度に碑文を読んでいた。

 最近、図書館で、滝沢洋之氏の著作になる「吉田松陰の東北旅行」(歴史春秋社刊)を眼にし、借りて一気に読了した。
  著者は、松陰を知る会津人はいるが、松陰が会津を訪ねていることを知る人は少ない。それは会津と長州の怨念により、松陰について記すことがタブー視されていたからと書き、松陰が東北遊紀行で、行きと帰りの2度も会津を訪れていることに注目して、旅の目的や意義を考察している。
(参:遊紀行のコース
 (江戸 → 水戸 → 白河 → 会津若松→ 新潟(出雲崎,佐渡)→ 碇ヶ関→ 弘前→ 竜飛崎 → 青森→ 八戸→ 盛岡→ 仙台→ 米沢→ 会津若松 → 日光→ 館林 → 江戸 )

 読了して、あらためて会津と長州との交流と、その後の不幸な戊辰の戦い、そして現在に至るわだかまりに一つの歴史の流れを思わざるを得なかった。
  著書には、松陰が神社を訪ねた詳細が書かれていた。坂下から片門へ戻り、束松峠を越え越後へでは、「雪甚だ深く行歩甚だ難し」とあり、雪を知らない松陰のこの時期の峠越えがいかに難しかったことか。会津訪問は、兵学の山鹿素行(会津出身)に関心も持ったことや北辺の警備状況の視察が目的だったようだが、何よりも実地に各地の名士を訪ねて話を聞き、得た知識、識見はどんなにか大きかったことだろう。
 本の終わり「会津と長州の接点を知る」の項には、・日新館と明倫館 ・吉田松陰と山鹿素行 ・山川健次郎と奥平謙輔 ・「泰西王侯騎馬図」と前原一誠など、会津と長州の深い関わり、歴史の一端が書かれていて感懐にふけった。また、・旅の終わり にはこれからの長州人との関わりを考える心を読み取ることが出来た。

 会津と長州は、過去の不幸な歴史を乗り越えて、もっと相互に理解し合うことが必要だ。大学生のころ、長州出身の同級生には近づかなかった。戊辰戦争の悲劇の歴史、会津を攻めた薩長土肥の仕打ち、「勝てば官軍」の意識などへのわだかまりがあったと思う。今思えば、馬鹿らしい話だが、150年の時の流れをしても、会津の人たちの被害者意識はなかなか消えないことも事実だ。

 来年のNHKの大河ドラマ「八重の桜」がクランクインした。
過去にとらわれ過ぎることはないが、これを機会に、郷土会津の長い歴史や先人、自然の育んだ会津の精神を見つめなおしてみたいと思っている。
 孫たちを見ながら、新しい時代の会津の心が育たなければならないと思う。

 

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ホオズキを鳴らす

2012-09-26 | 日々の生活

 

 裏庭にホオズキが数本、きれいに赤い実を付けていた。
しばらく眺めようと鉢に移した。茎を掘り起こすと、地下茎がかなり深く張っていた。
 秋の終わりに見る、中に赤い実の入った網の袋は趣がある。春先に雪の中から出てくることもあった。このホオズキ、てっきり1年草と思っていたが、図鑑で確認すると多年生とあった。
 淡黄色の花を下向きに付ける。やがて実を付け、萼が大きくふくらんで、その中に液果を包む。液果とは、水分の多い肉質の果皮をもつ果実で、ウメ・モモ・カキ・ウリ・ナス・トマト・ミカンなどがある。液果の中に小さな種がいっぱい入っている。
 
 小さいころほおずきを鳴らした覚えがある。子供たちにも教えた。
 ほおずきの袋を?き、液果を揉んで中の種を爪楊枝で取る。その小さな袋の口を唇に当て、上の歯をこすって鳴らした。「ビュービュー」「ブィブィ」となった。
 今度孫たちにも伝えてみようと思う。

 さわやかな庭にヤマトシジミが乱舞している。 涼しくなり、友禅菊を皮切りに、キクの仲間がが咲き始めた。

  b  

 

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待ちに待ったマダラナニワトンボ

2012-09-25 | 昆虫

 

  9月になり、三日にあげずマダラナニワトンボの現れるのを待った。

今日は、月末の検診日、内科と久々に眼科の受診だった。相変わらずだが、年に1度で良かった眼科、2ヶ月後にまた来なさいとのこと。

何とか元気に過ごしているが、すっかり病人であることを再認識させられた。

 

  昼過ぎ、曇り空から晴れ間が覗く。例年からもう3週間も遅れているマダラナニワトンボの姿が浮かんだ。また、いつも見かけるポイントを目指した。
 池の辺に昔の面影を抱きながら近づくと、シマヘビがとぐろを巻いていた。とぐろを巻くシマヘビは初めて見た。すっかり冷え込んできた秋の陽にのどかなくつろぎの姿勢か。

 午後3時近く、アキアカネ、ノシメトンボが少し増えたか、でも、待ち焦がれている黒い赤トンボはお出ましにならない。また、ウラギンヒョウモンが産卵していた。

マユタテアカネ ♂                                    ノシメトンボ ♀

   

 

アキアカネ ♂                                        ♀

 

 場所を変えて、アマゴイルリトンボの里へ回ってみた。まさかここで彼女に会えるとは思ってもいなかった。ヒョウモンチョウを追いながらソバ畑のあぜ道を歩いた。

 秋の静けさを堪能しながら数百メートルのソバ畑の畦を往復した。帰り道、ふと黒く熟してきたソバの実の上の赤トンボを見ると、なんと愛しの君ではないか。

 待ちに待ったマダラナニワトンボが目の前に。 嬉しかった。 よくぞ姿を現してくれた。

 例年より2週間ほど遅い発生だ。ひょっとしたら今年は駄目かと、不安がもたげてきていた。思わぬ再会、15,6分しっかり撮影させてくれた。

  

  


 マダラナニワトンボはマユタテアカネよりまた小さく、翅の基部の橙色斑からメスのようだった。

 先ずは、たった1頭だったが幸運にも出会うことが出来た。発生がこれからで、じきにペアになって産卵する光景を見たいと願っている。

 今回撮影は午後3時半を回っていた。

 

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動けば何か感じる

2012-09-23 | 日々の生活

                                         【オオルリボシヤンマ  上♂  下♀】

  今日は会津まつり3日目、藩侯行列がある。毎年秋晴れのもと、どこかで行列を眺め先人に感謝の念を持った。

 今朝はあいにくの雨降り、でも出発の花火があったので予定通り行われたのだろう。家中で外出せずに過ごした。

 きのうは市内小学校の鼓笛隊パレードと日新館童子行列があった。家人はみんなで出かけた。

 武琉くんの学校は鼓笛隊パレードは5年生が出場するので、来年担当する楽器を視察すると張り切ってでかけた。

 我が輩は、天気も回復してきたので、馬鹿の一つ覚えで写真撮りに出かけた。
 そろそろウラナミシジミに会える柿畑に寄った。しばらくぶりにHさん夫婦に会って大きなカボチャをいただいてきた。久しぶりにほくほくの甘いカボチャが夕飯に出てきた。

 驚いたことに、畑のいつもヒメアカタテハが乱舞しているキクがすっかり雑草におおわれ消えてしまった。残念だった。

 数年前にコンクリートの流水溝に変わって、恵の森が失われてしまった林道を行くが、わずかに、キチョウ、メスグロヒョウモン、イチモンジセセリなど、チョウもトンボも少なかった。

 Yくんのじいちゃんがハクサイの消毒をしていて、しばし立ち話をした。

  キチョウ   モンシロチョウ 

 

池では、相変わらずオオルリボシヤンマが元気だ。

メスを狙いホバリングする♂を撮った。よくシオカラトンボなどで見るメスを守る行動ではなく、メスに交尾を迫る行動だった。

メスが産卵中に襲いかかり、飛び去った。

 

ナツアカネの交尾態を撮った。

雄が雌の頭をどのように挟んでいるか興味深かった。写真でよく分かった。

 

 キトンボも多くなってきたが、アオイトトンボは少ない。いつか集団で産卵するアオイトトンボに驚嘆したことを思い出した。 

また、同定できないイトトンボがいたが、腹部の第9節の青色斑が目立つので、アジアイトトンボのオスらしい。そのメスらしいのもいた。

アジアイトトンボか?  

 ♂  ♀

 マダラナニワトンボにはまたしても会えなかった。もう2,3週間発生が遅れているので、とても心配だ。

  写真を撮っていたら、珍しい人にあった。リュックを肩に、片腕にノートパソコンを抱え、缶ビールを片手に芝生にあぐらをかいてパソコンを開いた。

 写真を撮っていた我が輩と眼と眼が合って軽く会釈した。興味が湧いて近づいて話しかけた。 年の頃は我が輩くらい、いわきの仮設住宅から来たそうだ。

 大自然の中でパソコン画面の文章を読む、奇異な光景に思えた。と共に、原発近くの住まいに戻れず、すっかり生活の変わった境遇を思わざるをえなかった。
 

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 帰宅してひとりで食事。午後は自転車で墓参りに行った。
墓地では、我が家の南隣のH家の娘さんに会い初めてお話しをした。
墓誌には「天明」と言う文字もあり、幕末は会津藩士で敗戦後斗南へ送られたという。
その方の従兄弟が我が家の分家に嫁いでいることが分かった。いろいろ話していると、2,3代前にさかのぼると、どこも親類同士になるほどの縁組みがあると思った。
 また西隣のIさんは神道、娘さんが足の不自由なおばあちゃんを伴って墓参りに来ていた。我が輩も墓前までばあちゃんの腕を抱えて歩いた。
 広い墓地には、あちこちに荒れ果てた墓が見える。それぞれに家にそれぞれの歴史があるのだろう。先祖に、両親にお参りして、やっと心が落ち着いた。

 

 

 帰路、浄光寺の山門で教えを読んだ。
 「生まれたときから死は始まっている。」間違いない。でも、「老いは更に美しい」 そうだろうか。... などと、いろいろ考えながらペダルを踏んだ。

  きのう22日の日めくりに
  ”ともかく具体的に うごいてみるんだね 
  具体的に動けば 具体的な答えが出るから
                         みつを ”とあった。
  今日は一日家の中で過ごしたが、きのうは何かしらを感じた一日だったような気がしている。

 つまらない、細かい体験だが、たまには書いておこう。すぐに風化、記憶の彼方に忘れ去られていく。

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今日の涙

2012-09-21 | 日々の生活

 最近涙もろくなった。
 秋になったから?ではないが、小さなことにも心動かされる。

○ 先ずは、ラジオ深夜便、3時台は伊藤久夫の懐かしい歌を静かに聴いた。
 4時からは「明日への言葉」、きょうはアルツハオマーを患ったご主人との心の交流、多賀洋子さんの「もう君を幸せにできんと泣いた夫」だった。明日第2回目がある。
 しっかりご主人との思い出を話す多賀さん夫婦の9年間の闘病生活に涙が流れた。
  話に出てきた「多賀洋子さん」「もう君を幸せにできんと泣いた夫」についてネットで検索した。彼女の著作には『ふたたびのゆりかご サブタイトルは-アルツハイマー型認知症の夫と笑い合う日々-』があった
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 《大学教授だった夫が若年性認知症を発症する。夫の病状の経過を見守りながら、著者本人のガン疑惑、愛犬の死等を乗り越え、前向きに介護を続ける日々が綴られている。
 夫の性格を考えつつ、夫の気持ちを傷つけないように介護していく日々の中で、夫が自分らしさを尊重され、著者自らを看護疲れさせないケアハウスを見つけるまでが第1回。
「生きている喜びがない、洋子を幸せにしてあげられん、もう生きていても仕方ない」と口走る夫の言葉、その言葉を聞いて著者は結婚に至るまでのことを思い出して啼く。
そんな幸せを夫にもらった私だったのに、今の私は夫を幸せにしようと思ってなかった。自分が今までどおりの安穏な暮らしができないことに、不満を募らせてばかりいたのだ。》
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  今日の話のタイトルは、多賀さんが詠った、介護百人一首に選ばれた句からだった。
  『もう君を 幸せにできんと泣いた夫(つま)惚けてもなお優しいあなた』
 明日の第2回の話は、介護で苦しい思いをされている人達へのアドバイスを語られるという。
  ラジオを聞きながら、あらためて、家族のお互いが健康でありたいと願った。

○ 午前中、妻を病院へ送る。毎月末の検診だ。
 昼前に迎えに行き、久しぶりに2人での昼食をとった。悠人くん、きょうはパパがお休みで、我が家への訪問もお休み。
 朝方久しぶりの雨、その後の曇り空の隙間から陽が差してきた。そうなると、じっとしていられない性分。黒い赤トンボが心配で、急遽里山へ出かけた。
 

  急に涼しくなり、オオアオイトトンボが一斉に飛び出した。いたる所にペアになって産卵の準備をしていた。

 

 

オオアオイトトンボ                  アオイトトンボ(♂の胸に粉が吹いている)

キタテハの秋型も元気なところを見せてくれた。彼女は雪の季節を乗り越え、来春も姿を見せてくれる。

 

クマザサの周囲にはゴイシシジミが三々五々、産卵場所を探して葉の裏を見ながら舞い続けていた。あのササコナフキチュノアブラムシを探して休み無く飛び続けていた。どうか見つかりますようにと願った。いかにも疲れ切ったミドリヒョウモンがクマザサの葉に舞い降りた。また、オオウラギンスジヒョウモンやウラギンヒョウモンがあたりを構わずに産卵している。近くに食草のスミレの仲間はあるのだろうか心配になる。
   ゴイシシジミ                        ミドリヒョウモン                              産卵するオオウラギンスジヒョウモン   

   

マユタテアカネの産卵

  

キトンボの産卵  キトンボの産卵弁は大きい これは一度打水して腹端に水をためて、水際へ移動して卵を含んだ水滴を打ち付けるらしい。

 

池の上を旋回するオオルリボシヤンマは、いつ休むのかなと考えていたら、突然自分の方に向かってきて背後の松の木の幹に止まった。

マユタテアカネの眉は小さいものから大きなものまでまちまちだ。また、ノシメトンボには眉斑がある個体もある。

これから出てきて欲しいマダラナニワトンボのメスも、眉状斑がある。

      

 静かな里山では、精一杯のいのちの営みを見つめ、はからずも秋の季節、じきに訪れる雪の季節を思い浮かべたり、また急に胸が詰まった。

○ 数日前にママ、きょうは武琉君満10歳の誕生日を迎えた。
 じいは彼の前途を祈りながら、美酒に酔った。ひとり、杯をかたむけながら取り戻した健康につい涙が込み上げた。孫たちには、あらためて精一杯の心をそそいでやりたいと。

○ おまけの涙は、テレビの「きらり!えん旅 」だ。きょうはジャズシンガーの綾戸智恵さんの南三陸町訪問だった。被災地の応援コンサートに涙が流れた。  

 涙はいい。この感動はいろいろ教えてくれる。
これからも、心動かされ、いっぱい涙を流していきたいと思う。(2012.9.20)

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残暑にも秋近し

2012-09-15 | Weblog

 

今年の残暑は厳しい。
朝夕大分涼しくなったが、日中の太陽は真夏と同じ、季節が止まったようにも思える。
今日も、マダラナニワトンボに会いたい一心で、里山へ出かけた。

 

  やはり、秋の訪れを感じる。林道脇のクモの巣に犠牲になったトンボが巣に磔になっていた。

トンボ池は相変わらずオオルリボシヤンマの楽園だった。
  飛翔するトンボの撮影を何度も試みる。数打てば当たるが、習性を飲み込んで、何とか連写するが、なかなか難しいものだ。

単独で産卵を繰り返すオオルリボシヤンマにときどきオスが邪魔をする。

 産卵 

 

 ♂  ♂

 気づけばいつしかチョウトンボもいなくなった。クロイトトンボもオオイトトンボも姿を消し、ペアになったアオイトトンボがアシの間をスイスイ飛び交っていた。

 産卵 

キトンボが出始めた。この辺りはノシメトンボ、マユタテアカネが多い。

   マユタテアカネ

ノシメトンボと少し違う。リスアカネではないだろうか。?

   キトンボ 

 ギンヤンマ♂飛翔  ノシメトンボ

 

 静寂の水面に蜂が吸水に止り、池の端の草むらにはウラギンヒョウモンが産卵していた。

 歩いて移動しながら、腹部を垂直に立てて、土や枯れ枝や草に産卵している。彼女らの食草はスミレ類、間違いなく近くにあるのだろう。

 ウラギンヒョウモンの産卵

付近のクマザサの回りをゴイシシジミが舞っていた。なかなか止まらず、ササの葉もきれいだ。

彼女は、ササの葉に寄生するササコナフキチュノアブラムシを探しているのだ。どうか見つけて早く産卵して欲しいと願った。

寒地でも、2,3回発生するようだ。

 ゴイシシジミ

 こうした例年の光景にも、待ちわびている黒い赤トンボは姿を現さない。例年に比べてもう10日以上も遅れている。

 生息環境はデリケートだ。ほんのわずかの環境の変化で営々と続く種の存続が脅かされる。

 いろいろな種の絶滅が報じられるが、もっと真剣に受け止めなければならないのではないか。
 チョウやトンボにとって、当たり前の条件が整って初めて来年の種の存続が維持されるのだ。

 黒い赤トンボ、マダラナニワトンボは絶滅危惧第1類に分類され、貴重な昆虫である。何としてもその生息を守らなければならないと思っている。

 いつも立ち寄る池に行くと、この干ばつの影響で水位は多分1メートルくらい下がっているのではないだろうか。

 普段の岸からは分からない浅瀬の砂地が十数メートルくらい地面が現れていた。

 何となく磯の香りがする狭まった水面まで踏み込むと、大きな二枚貝が転がっていた。

いくつか見つかるカラスガイのような大きく、薄い貝殻は風化していて弱く、大分以前の産物ではないかと思われた。 

 

 

近くの林に、ほおじろの親子がきた。怖さを知らない子供を気遣って親が盛んにさえずっていた。 

  ホオジロ 幼鳥

 一瞬、この暑さのなか季節を間違えそうだったが、山道の両脇にススキの穂が輝き、虫の音も聞き、ほどなく秋の季節を迎えるわびしさがただよっていた。

ソバの実も黒くなる                                                  イガも膨らむ

  

キンエノコロ                                             秀峰磐梯 ススキ揺れ

  

 会津盆地に実りの秋 

 秋の入り口、残暑厳しい里山に、今日も興味をそそわれる自然観察ができた。

 

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震災と「銀河鉄道の夜」

2012-09-12 | 文芸

  先日、ラジオで、宗教学者 山折哲雄氏の講演「震災と日本人の心」を聞いた。 【拙ブログ 「斎藤茂吉、石川啄木、宮沢賢治」 2012-09-03 | 文芸】

 いつも身近な「茂吉、啄木、賢治」の話だったので、耳をそばだてて聞いた。

 さっそく本棚から、茂吉、啄木、賢治の本を持ち出して、ページをめくった。かつての心躍らせた青春の日々が甦ってきた。

 あらためて豊かなこころに触れながら、講演の大震災との関わりを考えた。

 震災、さらに原発事故に見舞われ、今切ない気持ちで過ごしている被災者を、そして人生を考えた。

 そこで、どうしても賢治の思想を辿ってみたいと思った。

  昨年末、ロジャー・パルバース氏のテレビテキスト「銀河鉄道の夜」を求めた。【100分de名著12月号。】

 その表紙タイトルの脇には、《悲しみを、乗り越えよ》 《ほんとうの幸いとは》 とあった。 【拙ブログ 「賢治をもう一度見つめてみたい」 2011-11-30 | 文芸】

 まずは、賢治の「銀河鉄道の夜」を読み直した。 あらためて人間の生き方について考えさせられた。

 ・「我々はいずこから来て、どこへ行こうとしているのか。」
  ・「人が他人と協調して生きて行くには何が必要か。」
 ・「どうすれば人間は一度しかない人生に意味を持たせることができるのか。」
 ・「自然と共存していくために我々は何を為すべきか」

  かつて引いた傍線に若き日を思いつつ、いままた心をとらえた箇所に傍線を付け加えた。
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  先生はまた云いました。
 「ですからもしもこの天の川がほんとうに川だと考えるなら、その一つ一つの小さな星はみんなその川のそこの砂や砂利の粒にもあたるわけです。またこれを巨きな乳の流れと考えるならもっと天の川とよく似ています。つまりその星はみな、乳のなかにまるで細かにうかんでいる脂油の球にもあたるのです。そんなら何がその川の水にあたるかと云いますと、それは真空という光をある速さで伝えるもので、太陽や地球もやっぱりそのなかに浮かんでいるのです。つまりは私どもも天の川の水のなかに棲んでいるわけです。そしてその天の川の水のなかから四方を見ると、ちょうど水が深いほど青く見えるように、天の川の底の深く遠いところほど星がたくさん集って見えしたがって白くぼんやり見えるのです。この模型をごらんなさい。」
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  するとどこかで、ふしぎな声が、銀河ステーション、銀河ステーションと云いう声がしたと思うといきなり眼の前が、ぱっと明るくなって、まるで億万の蛍烏賊の火を一ぺんに化石させて、そら中に沈めたという工合、またダイアモンド会社で、ねだんがやすくならないために、わざと穫れないふりをして、かくして置いた金剛石を、誰かがいきなりひっくりかえして、ばら撒いたという風に、眼の前がさあっと明るくなって、ジョバンニは、思わず何べんも眼を擦すってしまいました。
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   河原の礫は、みんなすきとおって、たしかに水晶や黄玉トパースや、またくしゃくしゃの皺曲をあらわしたのや、また稜から霧のような青白い光を出す鋼玉やらでした。ジョバンニは、走ってその渚に行って、水に手をひたしました。けれどもあやしいその銀河の水は、水素よりももっとすきとおっていたのです。それでもたしかに流れていたことは、二人の手首の、水にひたったとこが、少し水銀いろに浮いたように見え、その手首にぶっつかってできた波は、うつくしい燐光をあげて、ちらちらと燃えるように見えたのでもわかりました。
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  「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない。」
 「うん。僕だってそうだ。」カムパネルラの眼にはきれいな涙がうかんでいました。
 「けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう。」ジョバンニが云いました。
 「僕わからない。」カムパネルラがぼんやり云いました。
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  「カムパネルラ、僕たち一緒に行こうねえ。」ジョバンニが斯う云いながらふりかえって見ましたらそのいままでカムパネルラの座すわっていた席にもうカムパネルラの形は見えずただ黒いびろうどばかりひかっていました。ジョバンニはまるで鉄砲丸のように立ちあがりました。そして誰にも聞えないように窓の外へからだを乗り出して力いっぱいはげしく胸をうって叫びそれからもう咽喉いっぱい泣きだしました。もうそこらが一ぺんにまっくらになったように思いました。

    ジョバンニは眼をひらきました。もとの丘の草の中につかれてねむっていたのでした。胸は何だかおかしく熱り頬にはつめたい涙がながれていました。
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 懐かしいジョバンニ、カムパネルラ、ザネイ、赤ひげの鳥捕り・・・、
 銀河ステーションの鋼青の野原の表現、 「青白く光る銀河の岸に銀色の空のススキが、もうまるで一面、風にさらさらさら、ゆられて・・・。」 「ごとごとごと汽車はきらびやかな燐光の川の岸を進みました。」
 カムパネルラがいなくなったときの、ジョバンニのこころに胸が詰まった。

  ロジャー・パルバース氏の思いを参考に、心を整理した。

 ○ 「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない
    自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する
     ・・・・・・・・
      新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある
    正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くこと」 【農民芸術概論綱要】

 ○ 人間にとっての本当のさいわい(幸福)とはなんなのか?

  ○ 『銀河鉄道の夜』には、大切な人を失ったという死に対する悲しみが描かれているのと同時に、

   悲しみの乗り越え方、その先の明日への歩みを進めるためのヒントが書かれている。・・・死をテーマに描きながら、それを乗り越えていく希望の物語。

  ○  一番伝えたかったことは、「私とあなたは別々の存在ではなく、すべてのものはつながっている。」    

 ○ 他人の悲しみや苦しみを十把一絡げにするのではなく、その一人ひとりと向き合って、その人の悲しみを聞きなさい。
   「行ッテ」という言葉は、彼の生涯を見事に象徴する言葉。

      東ニ病気ノコドモアレバ
    行ッテ看病シテヤリ
    西ニツカレタ母アレバ
    行ッテソノ稲ノ束ヲ負イ
    南ニ死ニソウナ人アレバ
    行ッテコワガラナクテモイヽイトイヒ
    北ニケンクワヤソショウガアレバ 
    ツマラナイカラヤメロトイイ
                     
       --------------------

   年老いて、あらためて読む哀しい物語は、気づかなかった賢治の心を教えてくれた。

 この美しくも哀しい旅をして、賢治の描く「天上」を想像した。それは何と、これまで 思っていた世界そのままのような気がしている。

  賢治の思いを胸に、この震災に、原発事故に被った幾多の悲しみを、自分なりに受け止めたい。

  そして、出来ることを行動に移したい気持ちでいる。       

 

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白露

2012-09-07 | 自然観察

  ネットの暦便覧には

『 白露(はくろ) 9/8頃      陰気ようやく重なりて露こごりて白色となれば也

  野には薄の穂が顔を出し、秋の趣がひとしお感じられる頃。

  朝夕の心地よい涼風に、幾分の肌寒さを感じさせる冷風が混じり始める。』とあった。

もう露も消える10時頃、里山巡りへ出る。このところ2,3日おきに里山歩いている。

目当ては、「マダラナニワトンボ」だ。そろそろ現れる頃だが、数回空振りだった。

絶滅危惧種1類のトンボ、その無事の出現を待っている。彼女らの棲息を祈るばかりで、何もできない。

なんとか棲息し続ける環境を保全したい思いでいっぱいだ。

 

稲の穂が垂れ、稲の葉にわずかに露が残っていた。

 

稲穂には、真っ赤なマイコアカネが鮮やかな白い顔を見せてくれた。

  

山間の田には、稲穂の間に、コナギやオモダカが可憐な花を付けていた。

この山際の田には、いつも水をためていた。冷たい水を一時プールして温めるためのようだ。

そのためにオモダカが群生していて、日陰にもなっていてコナギの花も一層きれいに見えた。

  

コナギについてネットで検索すると、稲作には困る雑草のようで、駆除方法の記事が沢山載っていた。

これまでの認識が少し変わった。でも、あのイトトンボたちには欠かせない生息環境に間違いない。

同じ仲間のミズアオイは絶滅が心配されているようだが、田の脇の水路にはこのコナギも残っていて欲しいと思った。

 

池では、未だあの【黒い赤とんぼ】は現れなかった。

オオイトトンボが産卵していた。 アオイトトンボも増えてきた。イチモンジセセリが吸水にきていた。

  

  

 

さわやかな秋の空が広がり、ソバの花が満開だ。

  麗しの磐梯

鳥のさえずりも、さわやかに聞こえた。同じ木に、3種の鳥が飛んできた。

多分、カワラヒワ、モズ、もう一種はホオジロだろうか。

     

 

週明けにでも、またお友達に会いに行きたいと思う。

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オオルリボシヤンマの産卵

2012-09-06 | 自然観察

  

  初秋のトンボ池は、チョウトンボが少なくなりキトンボが現れ始めた。

  キトンボ未成熟

 

オオルリボシヤンマの産卵   (メスにはブルーの見える個体と緑色の個体がある。)

      

おもしろい光景を見た。産卵を繰り返していたオオルリボシヤンマに、旋回してきたギンヤンマの♂がおそった。連結しようとしたのだろうか。

絡み合って、一瞬オオルリボシヤンマは水中に沈んだが、何とか飛び上がった。 

  ♀

 オオルリボシヤンマは単独で産卵する。

 ギンヤンマはペアで連結態のまま、水面の植物に産卵していた。

  近似種のクロスジギンヤンマは普通単独で産卵している。 

 アキアカネやオニヤンマは飛翔しながら打水産卵する。ナツアカネやこれから現れるマダラナニワトンボは空中から土の上に卵を落とす。

 種によって産卵方法が違うのは興味深い。

  オオルリボシヤンマ♂の腹部のブルーが美しいが、なかなか飛翔しているところは撮りにくい。

 下は、以前に撮った自然界の摂理、ゲンゴロウの餌食になっていた美しいオオルリボシヤンマ。 そして 羽化したてのオオルリボシヤンマ。

    

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恐竜展へ

2012-09-04 | 日々の生活

   

  一昨日の日曜日、萌ちゃんはガールスカウトの集会があった。
 武琉君を連れて県立博物館へ、夏休みに行けなかった企画展「恐竜時代のふくしま ~化石が語るふくしまの古環境~」を見てきた。


 
 福島県は日本有数の化石産地、相馬地域(相馬中村層群)やいわき地域(双葉層群)の中生代の化石が多数展示されていた。
 双葉層では有名な海生ハ虫類フタバスズキリュウの化石が発見されている。

  館内には、全長7mのアマルガサウルス(群馬県立自然史博物館蔵)、全長10.5mのマイアサウラ(国立科学博物館蔵)、全長7mのマラウイサウルスなど、大型恐竜の全身骨格が展示されていた。ついでに常設展示も駆け足で見てきた。

 

 武琉君は恐竜博士、図鑑を見ていてその知識量は半端じゃない。いわき石炭化石館へは何度か行ったが、いずれ福井恐竜博物館へもと考えていた。

 彼は戦国時代博士でもある。常に「日本の歴史・人物辞典」を手から離さず、特に戦国時代の歴史に詳しい。

 愛読書は「コミック版 日本の歴史」シリーズ、あらかた読破している。ときどきジイの居合い刀を持ち出して困っている。

まあ、いろいろなことに興味を持つことはいいことだ。

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斎藤茂吉、石川啄木、宮沢賢治

2012-09-03 | 文芸

  昨夜、ラジオのダイヤルを回していたら、「斎藤茂吉、石川啄木、宮沢賢治」と聞こえてきた。普段あまり聞かないNHK第2放送、偶然に出会った文化講演会だった。
 途中から聞い講演会は、宗教学者 山折哲雄氏の「震災と日本人の心」だった。
  **  NHKの番組解説 **
 【少年の日の記憶につながる東北の震災地に立った時、山折さんは「地獄」という言葉を思ったという。しかし猛威をふるった自然はあまりにも美しく、人々は柔和で穏やかな表情だった。日本人の心性は自然とどう向き合うかによって形成されて来たのではないか。大震災が日本人の心に与えた影響を考えつつ精神の行方を探る。 】

   メモをとりなが耳を澄ませた。
---- メモから -----------
《斎藤茂吉、石川啄木、宮沢賢治》
『3人に共通するもの・・・「盆地的世界」、「閉鎖的社会」』
   ・盆地:美しき自然、山、川
   上山 ・・・最上川、蔵王、鳥海山
   渋民村・・・北上川 岩手山
      花巻 ・・・
○茂吉のキーワードは「赤」
 第1詩集は「赤光」:出所は阿弥陀教典にあった。
  「あかあかと一本の道とほりたりたまきはる我が命なりけり」(あらたま)
    浄土教のイメージ
○啄木のキーワードは「心」
   「不来方のお城の草に寝ころびて 空に吸はれし 十五の心」
   一握の砂、悲しき玩具・・・徹底的に「こころ」を歌っている。
  その心の在り方・・・人の心の有り様は西行と同じ
            万葉集(挽歌 相思歌)の人間観に共通
       風葬:死者の魂は山に登る、神になり、雲、霧 
        もとの遺体に戻らない・・・死
○賢治のキーワードは「風」 作品にはいろいろな風が吹いている。 
   「注文の多い料理店」、「銀河鉄道の夜」・・・文中の「風」
    風とは何か :妹トシ:「永訣の朝」
          「オホーツク挽歌」にトシが現れる
● 3人の近代詩人のキーワード「赤」「こころ」「風」の持つ世界、思想は同じ。
  万葉以来の死生観である。
  ---------------
 講演を聴きながら、豊かなこころの世界が広がった。
 この講演内容を、興味深く聞くことができる自分のこころを幸せに思った。
  再放送は9/8にあるようだ。途中から聞いたので、震災との関連について、もう一度しっかり聞いてみたい。

 

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