エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

初冬の猪苗代湖畔

2009-11-30 | 街中散歩


 白鳥はどうしているか、久々に猪苗代の湖畔を散策した。あれほど楽しませてくれた里山の小さな自然が、物寂しいモノトーンの沈黙の世界に変わっていた。でも、落ち葉を踏みしめながら進む雑木林は、葉がすべて落ちて見通しが良く、湖畔に沿う道から、夏の間は見えない湖水がよく見え趣ある景色が広がった。
 いつもコハクチョウ4~50羽が、静かな入り江に浮かぶ笹山浜へ寄ってみた。残念ながら、今の時期は一羽もいなかった。たぶん田に出向いているのだろう。三城潟付近の田へ行ってみたが、ここにもいなかった。帰路につく頃、コハクチョウが浜から山麓へ飛んでいった。なんと雄大な光景だろうか。



 白鳥の飛来数は、猪苗代湖の自然を守る会の情報では11/20現在で、コハクチョウ:成鳥 1,188羽 幼鳥 146羽とある。時間帯によって、移動して生活しているのだ。

日が落ち始めていたので、長浜のカモを見て帰ることにした。
大分冷え込んできた湖畔にはほとんど人影はなかった。
砂浜へ降りるとカモたちが急いで近づいてきた。昨年から餌をやれなくなったが、パンくずをやる人がいるのだろう。数十羽のオナガガモに混じって、キンクロハジロやホシハジロが浮かんでいた。ここにはいつも羽を痛めたハクチョウがいる。


【今年はキンクロハジロが多い】





 毎年、やがて来る雪の湖畔で冬鳥たちと飽かず話をするのが楽しみである。厳寒に,遙か磐梯を眺める崎川浜が最高のロケーションだ。雪が降ったら水鳥たちに会いに行ってみよう。
 夕方のわずかな時間に、かけがえのない風景にふれてきた。

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猪苗代湖の水質保全

2009-11-29 | 環境問題
【猪苗代湖・裏磐梯湖沼フォトコンテスト入賞作品 ネットより】

 先頃、08年度の全国の湖沼水質ランキングが公表され、2年連続ランク外だった猪苗代湖が2位に入った。猪苗代湖は05年度まで4年連続で全国1位だったが、大腸菌が環境基準を超え、2年連続で最初から評価対象外となっていた。ランク1位は支笏湖(北海道)、3位は倶多楽(くったら)湖(同)、4位は有峰湖(富山県)、5位は草木湖(群馬県)だった。
 トップから「ランク外」への転落は、猪苗代湖を本県の自然環境のシンボルに据える県に大きな衝撃を与え、県は関係市町村、各団体と20年2月に猪苗代湖水環境保全関係団体等連絡会議を設立、生活排水対策、環境に優しい農業などを強化してきた。また、専門家で構成する猪苗代湖水質保全対策検討委員会も発足させた。また、民・産・学・官が一体となって実践活動に取り組むこととし、清らかな湖、美しい猪苗代湖の水環境研究協議会が発足した。
猪苗代湖は、流入河川の水質変化で中性化が進み、大腸菌類が生息しやすい環境になり、水環境保全活動の重要性が増しているという。

平成20年度猪苗代湖の水質測定結果等が詳しく報告されている。
http://www.pref.fukushima.jp/kance/invest/report/H20inawasiro.pdf

猪苗代湖はこれまで、安達太良山周辺の酸性温泉や旧硫黄鉱山からの硫酸が長瀬川を通じて流入。酸性の水で溶け出した鉄イオンなどが、環境悪化の原因となる水中のリンなどを付着させて沈殿する自然の浄化システムで水質を保ってきた。湖水の水素イオン濃度は90年代前半まではpH5程度だったが、徐々に酸性度が弱まり、昨年度は年間平均6・5と中性化が進んでいる。
 
 会津若松市でも、大切な資源を守るため「猪苗代湖水環境保全推進計画」を策定し、○自然汚濁の低減 ○人為汚濁の低減 ○水辺環境の保全・整備推進 ○市民参加による水環境保全活動の活性化 ○水環境保全思想の啓発推進 ○水環境保全に関する調査研究の充実などを具体的に実践している。 湖畔のヨシなどが枯れ、富栄養化の原因の1つと考えられ、最近では刈り取りが進められている。

 時々眺める美しい猪苗代湖にいつも癒されている。ランク付けよりも、水質改善が急務である。個人でできることは限られるが、湖の周囲で生きとし生ける野鳥や魚、植物や昆虫など、壊れやすい生態系がいつまでも保全されていくことを願っている。

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柿の木

2009-11-26 | 日々の生活


 郊外を車を走らせると、きれいに実った柿の木をよく見かける。今の季節の風物詩だろう。いつも虫たちを撮りに行く里山の畑にも、何本もの柿の木が大きな実を付けていた。霜が降りるようになっても、それらは多くが採られずに、そのまま熟して雪を迎える。
いつももったいないと眺めている。採るのが面倒なのだろうか。あまり食べたくないのだろうか。取り手がいないのだろうか。人様のもの、採らせてくださいとも言えない。
 まあ、カラスやヒヨドリには春までの格好の恵みとなるには違いないが・・・。

我が家では妻が大の柿好きで、身知らず柿の出始めには知り合いに送るついでに一箱余分に買ってくる。スーパーに行くと、まだ残っているのに、いつも品定めしているほど、柿には目がない。柿はすぐに柔らかくなってしまうが、妻一人、風呂上がりにすっかり柔らかくなった柿をおいしそうに食べている。

 我が家にも毎年収穫を心待ちにしている柿の木が2本ある。でも、日当たりも悪いせいか実を付けない。数年前から、一本の身知らず柿が花を付けて、4~5個実を付けるが、いつも色づくまでに落ちてしまう。来年こそなって欲しいものだと淡い期待を抱いている。



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日本画家 小野竹喬

2009-11-25 | 文芸
    【秋 小野竹喬】

先日の毎日新聞の余録で、日本画家、小野竹喬を知った。いま、大阪市立美術館で、「生誕120年 小野竹喬展」が開かれている。彼が芭蕉の心境を追った一連の「奥の細道句抄絵」について書かれていた。

 日本画家といえば、東山魁夷、平山郁夫が馴染みだった。いつか桜の季節に東京の山種美術館で奥村土牛作品を鑑賞したこともあった。長野市の東山魁夷記念館へは静かに雪の降る日だった。そうそう、いわきに単身赴任中には隣町の茨城天心記念五浦美術館へも何度か足を運んだ。

ネットで、初めて知った小野竹喬について調べた。
「小野竹喬(おの ちっきょう:1889~1979)は、近現代日本画を代表する日本画家。14歳から89歳にいたる75年間の画業を通して、日本の自然の美しさを描き続けました。
竹喬芸術のかけがえのない清らかさ、柔らかさ、温かさ、それは多くの人が語るように竹喬の温厚で誠実な人柄によって生まれたものです。」などとあった。
 
初めて見る作品は、何ともいえない独特な絵でほのぼのとした、独特な気品が感じられすっかり気に入った。出身の笠岡市に笠岡市立竹喬美術館があることを知ったが、ちょっと遠い。いつか訪ねてみたいと思っている。


【奥の細道句抄絵より 荒海や佐渡に横たふ天の河 】

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余録:おくのほそ道 毎日新聞(2009.11.23付)
 元禄2(1689)年夏、みちのくの旅を続ける松尾芭蕉は日本海岸の名勝で足を止めた。浅い海に無数の小島を浮かべた浜辺で、ひそやかに咲く薄紅色の花を、古代中国の伝説の美人が目を閉じた姿に見立てて<象潟(きさかた)や雨に西施(せいし)がねぶの花>の一句を残す▲現在の象潟(秋田県にかほ市)は、江戸時代後期の大地震で地盤が隆起し、平野に小山が点在するひと味違う風景に変わっている。1975年、この地を訪れた日本画家が、旅の途中で見かけたネムノキに発想を得て、芭蕉が見たはずの、雨に煙る幻の海景をよみがえらせた▲大阪市立美術館で開かれている「生誕120年 小野竹喬(おのちっきょう)展」で出合ったこの作品に、心ひかれる。「奥の細道句抄絵」連作の一点だ。別の一点、<あかあかと日は難面(つれなく)もあきの風>は、ぎらつく夕日が空を朱に染め、すすきの野に濃い闇が迫る。澄み切った空気感に魅了される人も多かろう▲若い日の竹喬はセザンヌに傾倒し、立体的な構図と鮮やかな色遣いを取り入れて、自然を切り取ってみせる勢いで新しい風景画に挑戦した。だが、日本画の技法や画材で表現し切れない壁にぶつかり、満足しなかったという▲「虚心になると自然は近づいてくる」。竹喬が語っている。自然に身をゆだねていれば、筆を誘うささやきが聞こえてくるのか。芭蕉の心境を追った一連の作品は、年ごとに無駄をそぎ落として陰影を深めた画家の仕事の総決算といえる▲大阪展は12月20日まで。その後岡山県・笠岡市立竹喬美術館、東京国立近代美術館を回る。竹喬はさまざまな日本の四季を描き残した。自分だけの心に刻む作品が、きっと見つかるだろう。
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冬支度

2009-11-24 | 日々の生活
【小春日に誘われて サザンカ】

 今朝も、ブログ「常念の見える部屋から」にお邪魔した。
 テーマは「冬支度」、(小春日和の中で懐かしく思い出す事柄)が書かれていた。心に残る珠玉の文章だ。小さい頃の私にもあった思い出、若い母の姿と共に思い出され、目頭が熱くなった。すぐにブログにコメントを書かせていただいた。

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コメント
懐かしい豊かさ (会津マッチャン)

小春日和の中で懐かしく思い出す事柄。
名文に、涙がこぼれました。
「洗い張りされた布」「張り板」今は見ることのできない、目に浮かぶ貴い光景です。
我が家でも野沢菜を漬けました。
心に残る文章をありがとうございました。
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以下、ブログ日記として「常念の見える部屋から」の文章をコピーさせていただく。 【冬支度 2009年11月24日 季節の便り】

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冬支度

冬支度(ふゆじたく)秋の取り入れが終わって穏やかな日が続く今頃、母は冬支度を始める。
沢庵漬、野沢菜漬は大仕事だ。
冬の間、炬燵の周りでする針仕事の材料は古着をほどいて洗い張りをする。
日当たりの良い場所に立てかけた張り板に、きれいに洗濯して糊付けされた古布を手際良く布の隙間に残った丸い空気のふくらみを押し出しながら張られた。
冬日に照らされて、洗い張りされた布から、白い湯気が澄んだ青い空に立ち昇ってゆく。
乾いた布はしっかりと、張り板に張り付いて、それをはぎ取ることを子供たちは競い合った。
小春日和の中で懐かしく思い出す事柄である。
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 最近とみに、忘れていた昔のこころ豊かな思い出に浸ることがある。時が止まった懐かしい情景が浮かんでくる。


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冬への備え 春の準備

2009-11-23 | 日々の生活


 秋から冬へ、このところ天気がめまぐるしく変わる。世の中は3連休、初日は雨降りだったが、昨日は快晴、ラジオでは今日も行楽に良い暖かい日と言っているが・・・
 昨日、今日と寒い。でも、すがすがしい朝の始まりだ。
 ・今日見つけた俳句
  やや寒の今日の始まるお味噌汁          外山智恵子

 2F窓から、朝日に燦然と輝く磐梯を望んだ。麗しの磐梯が凛々しく聳えている。
 今朝は西高東低の冬型、日本海側は雲が多いようだが、朝方の雲もすっかり無くなって、木々の梢が青い空に伸びている。
 アキノキリンソウやマルバフジバカマのそう果が趣深い。思えば種も来春の芽吹きを待っているのだ。ハクモクレン、ジンチョウゲ、桐の木、それぞれに冬への備えと言うより、つぼみをふくらませ春の準備に入っている。

【ハクモクレン】

【桐のつぼみ】

【アキノキリンソウのそう果】

まだきれいに色づいた木々が葉を落とさずにいる。雪に覆われる前の庭を、また美しいと思った。
 これから寒も厳しくなりおっくうになりがちだが、自然の命に学び、少しずつ体を動かしながら、春を待ちたいと思っている。

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冷たい雨の土曜日

2009-11-21 | 日々の生活
          【ばあちゃんのスイートポテト】

 冷たい雨降りの土曜日、寒い。炬燵に当たってお茶を飲みながらTV鑑賞。毎週土曜は【NHKアーカイブス】、なるべく番組表を点検している。今朝は午前10時台は「白くまピース まもなく10歳」を見た。2005年にも見た番組で、今も大きくなったピースを見て安心した。つい、ラックを思い出してしまった。続いて、新日本紀行ふたたび「ふるさと 牛と守る~岩手 岩泉町安家」久々に心休まるテーマ音楽を聴いた。

ママは午前中おつとめ、末娘は早くからお友達と出かけた。孫たちは二人仲良くDVD「トムとジェリー」を見ていたし、ばあちゃんは菓子を作っていた。
孫たちにきどきつくってくれる【スイートポテト】だ。サツマイモの焦げ目と色づいたモミジの葉が季節感を感じさせてくれた。
 午後からは、我が輩は、ラジオを聞きながら久々に絵筆を執った。リンゴ畑の向こうに、冠雪した吾妻小富士が晩秋の山の色に美しく映えていた。


【冠雪 吾妻小富士】

信州の姉から、野沢菜を送ったから明日届くよとTELがあった。何年も繰り返される冬を前にした年中行事だ。明日は冬晴れのもと、野沢菜漬けの予定だ。と言っても、妻の作業を見守るだけだが。どうか晴れの穏やかな日でありますように。

今年は冬の訪れが早いような気がする。

晩秋の飯坂温泉郷

2009-11-18 | 旅行
 【飯坂のりんご園の彼方に、吾妻小富士の雪景色その奥は東大顛?】

昨日、飯坂温泉に1泊してきた。月曜日に突然予約の電話を入れた。
子供たちから温泉旅行にでも行きなと、結婚記念と妻の誕生日のお祝いにと小遣いをもらった。しばらく神棚に上げておいたが、急に思い立って出かけることにした。

 しばらくぶりの晩秋の飯坂温泉郷はやはりよかった。いつも家事に忙しすぎる妻へのくつろぎの旅だ。
 宿のフロントには、いつか差し上げた私のスケッチ「冬の磐梯」が飾ってあった。今度は、春や夏の磐梯を持参しようと思っている。

  【フロントのスケッチ】

 この前行ったのは3月だった。ついこの春のことも忘れていたが、ブログを見て、旧友に会い、花見山を見る小旅行だったことを思い出した。(「春を訪ねる3 早春の花見山」2009-03-12)


 岐路、飯坂フルーツラインで収穫の始まったリンゴ「フジ」を沢山買って帰った。
昨晩はかなりの雨降りだったが、吾妻小富士が真っ白に冠雪して美しい眺めだった。

ばあちゃんがいないかったので、昨日の晩は孫たちが泣いたという。ママがいなくてもだめ、ばあちゃんがいなくてもだめ。ばあちゃんの方も一晩だけなのに孫たちに会いたいと。まあ、それが当たり前の家族、家庭なのだろう。今度は孫たちも連れて行きたいと思っている。


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季節はそれぞれに美しい

2009-11-16 | 日々の生活
【庭の紅葉 2009.11.16】

今日は午前中、広がっている枝を紐で括った。ジンチョウゲやシャクナゲは来春の花芽が大きく育っていた。ツバキのつぼみも明日にも咲きそうだ。夏から庭をさわやかに彩ったシオンや伸びて頭をたれたキクの茎を切った。いつ大雪が来てもいいくらいにきれいになった。そのせいか、午後から急に気温が下がってきたような気がした。

 今年のモミジはいつになくきれいな気がした。毎年紅葉はこんなにきれいだったろうか。
昨年のブログを見てみた。やはり美しいモミジを愛でているではないか。
どうも、すぐ忘れるようだが、自然はいつも美しくすばらしいと改めて断定できた。

昨年の拙ブログ2008-11-25には「晩秋の夕日に輝く モミジ 磐梯」と題して
麗しい磐梯山の様子が書かれていた。
『・・・・ 夕日の磐梯をながめに書斎へ上がった。急に冷え込んできたが、窓を開けてしばらく秀峰をながめた。陽が落ちるにつれ、手前のめっきり色あせた山々がかげり、雪を被った磐梯山が夕日に照らされいっそう輝きを増した。やがて、輝く秀峰の山頂が雲に隠れた。山容は雲の流れに見え隠れし、刻々と変化した。・・・』とあり、挿入写真はうっすら白くなった磐梯が、これまたとびきりに美しい紅葉の東山の彼方に聳えていた。


【麗しの磐梯 2008.11.25】



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母七回忌

2009-11-15 | 日々の生活
身罷りし垂乳根の母 霜月に 我にふたたび生を与えし

母が亡くなり満6年になる。そして、長い闘病から自分が生かされて満6年になる。
今朝の目覚めは早かった。いろいろな思いが巡った。
床の中で涙が頬を伝った。母への感謝の涙だ。
久々に兄弟家族が遠路会津に集い、母を思う日となった。
嬉しかった。

体調管理

2009-11-13 | 健康

            【磐梯 晩秋】

 しばらくぶりに消化器科の待合室で診察の順番を待っていた。
3Fの待合室の窓から、あわただしく行き交う国道の車がみえる。その先の大学構内には黄色く色づいたポプラが天に伸びている。さらに向こうに盆地を囲む低い山々が連なり寒々しく見える。初冬の朝の始まりに病院にいる事実を思った。
 
 昨夜、突然具合を悪くした。急に息がつけなくなり、しばらく辛かった。3~4年までは、ほとんど毎週くらいに熱を出していたが、ここ2年間は、発熱もなく元気に過ごしていた。忘れていた昔の症状だ。熱はないが、多分いつもの炎症だろうと、すぐにF錠とR錠を飲んだ。数時間体を起こして目を瞑り我慢した。寝苦しい夜があけるとだいぶ落ち着いてきた。早めに、食事をとらずに消化器科へ急いだ。
 しばらくぶりの外来受付の看護婦さんから、I医師がやめられたことを聞いた。7年前からお世話になっていた命の恩人だった。個人情報の保護か、行き先は教えてもらっていない。
 M医師の診察を受けた。超音波でお腹の様子を診てもらった。思った通りで、対応も正解だった。最近心配していた肝機能もだいぶ戻ってきているようだった。
 血液検査で、数年は3ヶ月毎だったマーカーチェックも半年になり、最近は年1度でいいといわれていた。M医師は、2年前に大がかりな治療をしていただいた先生で、温厚で何よりも説明がわかりやすい信頼できる医師だ。
 しばらく熱も出さず、良好な体調に少し調子に乗っていたかもしれない。のど元過ぎればではないが、久々の体調不良が警鐘となった。注意しなければと思っている。


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花はさかりに

2009-11-12 | 日々の生活
                【何の実?】

 すっかり寒くなった。かなりの雨を降らせた低気圧も通過して、庭のトウカエデが青空にきれいに色づいている。これまたきれいな鮮やかな赤に色づいたニシキギの木陰に、ヤブコウジの真っ赤な実を見つけた。雪に埋もる赤い実が浮かんできた。また、ヒイラギが小さい花を咲かせていた。鋭い鋸歯に気をつけながら鼻を近づけたが、ほとんど匂わなかった。冬を前にして、それぞれがそれぞれに生きている。

 【トウカエデ】

 【ヤブコウジ】
 【ヒイラギ】

  
《 花はさかりに 月はくまなきをのみ見るものかは。・・・ (中略)・・・
咲きぬべきほどの梢 散りしをれたる庭などこそ 見所(みどころ)多けれ
・・・ (中略)・・・ 萬(よろず)の事も 始終(はじめおわり)こそをかしけれ 。》
 
『徒然草』(百三十七段)の書き出しである。

 満開の花ばかりではない。身近な植物を見ながら、いつもそう感じている。
芽吹きの頃や、今目にする紅葉もしかり、はらはら落ちた葉もとても趣があるものだ。

この前里山で撮った、晩秋の命である。これらの実はどんな花をつけたのだろうか。何という名なのだろうか。こぼれた種から、来春どんな植物が芽吹くのだろう。とても興味がある。

  【何の実?】

  【何の実?】
 

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雨に濡れるモミジ

2009-11-11 | 日々の生活


 梅雨を思わせる本降りの雨に、モミジがきれいに色づき濡れている。
お昼を済ませて、窓際のマッサージ機に横たわり、ぼんやりと庭の色づいた木々を眺めていた。FM放送から心地よい音楽が流れていた。
 トウカエデがすっかり黄色く色づき、散り始めている。真っ赤なモミジ、ハクモクレンは黄色から褐色に、それぞれに個性的な色合いが美しい。

 午前中は、傘の雨音を心にとめながら短大図書館で過ごした。発売の文藝春秋も12月号だ。静寂にページをめくりながら、去来するいろいろな思いをふくらませた。
 妻のこと、家族のこと、遠い昔のこと、自然のこと、明日からのこと・・・、
 しばらく忘れていた心を整理してきた。
 
 春から秋に、小さな自然を見つめながら過ごしてきた。苦しみを、辛さを癒し、感性を磨き、生きている喜びを感じたりした。いつまでも美しい真理を見つめる心を失いたくないものだ。これから寒くなる。灯火親しむ候、家での過ごし方もこんな風になるのだろう。


晩秋のチョウ

2009-11-10 | 昆虫
         【Vの太字のキタテハ】

秋も深まったが、里山、山間の畑の菊の花には、無数のハナアブが飛び交い、キタテハ、ヒメアカタテハ、キチョウが菊の花に吸密に訪れていた。
 あとわずかの暖かい日差しを受けながら、同じ顔ぶれに飽かずにカメラを向けている。

 ヒメアカタテハは両性の区別が付かない種だが、いつも見ていると、ふくやかな♀と少し細めの♂の区別が付くようになった。最近、食草のゴボウの栽培が減ったことで少なくなっているらしいが、会津ではいつも変わらず年中見られる。
 裏面の後翅の蛇の目や幾何学模様がきれいだ。


【ヒメアカタテハ】

 時々シータテハを見かけるが、キタテハが多い。キタテハの秋型はかなりシータテハに近いが、外縁部の切れ込みや亜外縁の黒班の中に青く輝く鱗粉で区別できる。シータテハはヨーロッパではコンマバタフライというようだ。カメラを向けていると、キタテハのC字はむしろVの太字に見えた。

 それにしても、相手を間違えることはないのだろうか。食草はキタテハがカナムグラ、シータテハはニレ科のクヌギやハルニレなどだが、イラクサ科のホソバイラクサは両種とも食するようだ。また、たとえば非常に似ているミスジチョウの仲間もそれぞれに食草が違う。オオミスジはウメやアンズなど、ミスジチョウはカエデ科植物を食草とし、コミスジはマメ科やニレ科、また、ホシミスジはシモツケやユキヤナギを食べる。何とも不思議だ。進化の流れを知りたいと思う。

 タテハチョウの仲間のヒョウモン類や、シジミチョウ科のミドリシジミなど、なかなか同定しにくいチョウがいるが、判別の根拠となるチョウの斑紋はとても興味深い。

 【キタテハ】

 【シータテハ】

 【シータテハ】

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良寛 乙子神社草庵

2009-11-09 | 文芸

 
 最近、良寛を訪ねたい心境だった。
朝霧が晴れ、いい秋日和、明日から天気が崩れそうなので、モミジの季節に分水町の国上山に五合庵を訪ねた。かつては雪のある季節、桜の時期に訪ねたが、この季節に是非良寛の見た景色を眺めたいと思った。

 高速割引も魅力だったが、皆同じ、どこも混んでいてがっかりした。
 国上山は観光地化していて、良寛を偲ぶ雰囲気ではなかった。散る落ち葉を楽しみにして遠路訪ねたが、駐車場は満車で入れず、結局五合庵の下にある乙子神社に、傍らの草庵と、あの石碑を見て山を下った。


 
 杉の林に囲まれ、昼なお暗き小庵がひっそりたたずんでいた。
良寛も歩いたであろう山道をたどった。大きな杉の切り株を見ると、遙か代は変われど、約200年前も同じような雰囲気であったろうと想像できた。
 草庵は当時の間取りを参考に昭和62年に再建されたものだ。
良寛は、老朽化した五合庵から少し下ったこの小庵に10年間住み、ここで円熟した作風を見せた。
 乙子神社の良寛歌碑は安政5年(1858年)良寛が示寂して27年後に建立されたもの。流麗な筆致をたどり、解説板の文字と見比べた。なんとか、「生」[立」そして小さな「懶」も確認できる。良寛の人生観「騰々」の文字も読めなかった。
 あらためて、良寛の貴い心を思った。





寺泊によりおいしい魚で昼食をと考えていたが、広い駐車場も入れず、魚市場も人混みで歩けないほど、またの機会にすることにした。
 人が少ないだろう落ち葉の頃に、また訪ねてみたいと思っている。
(2009.11.8)

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