エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

愛おしき水鳥

2015-01-24 | 日々の生活

                                              遙かなる
                                                  湖水に浮かぶ磐梯に
                                                   流れる鴨の
                                                             叫び切なし

 朝日に庭の雪が眩しい。
 朝10時半、みいちゃんの車で久々にハクチョウを見に崎川浜へ出かけた。
 いくらか寒さはゆるんだか、強清水の電光掲示板0℃だった。

 上空は冬の青空だったが、残念なことに磐梯山の頂はずっと雲に隠れていた。
道すがら、原から崎川浜までの道路は除雪車が3台組になって道を拡げていた。

  赤井から

 

 いつもの浜は訪れる人もなくひっそりしていた。何十年も変わらない風景が広がった。
暮れには見られなかったコハクチョウが磐梯山を背に絶景の猪苗代湖に流れていた。

 泣き叫ぶコハクチョウ、オナガガモの声が静寂に響いた。
彼女たちとの別れまではしばらくあるが、いつも切なく悲しい。
美しい純粋な水鳥たちを前に、豊かなときを過ごした。
孫たちはパンくずをちぎって投げると、遠くの群れが寄ってきた。

 

 

笹山原を通り長浜へ。レク公園への入り口も分からないほどの雪だった。
シーズン中は月に3~4回は行く西湖で昼食を取った。

僕はいつも決まって五目あんかけ拉麺、武くんが特製チャーシュー拉麺、萌ちゃん麻婆豆腐、妻とみーちゃんは海老入り五目塩拉麺を頼んだ。 

顔なじみのお姉さんがウーロン茶をサービスしてくれた。

   

                                                     店内の絵画

 長浜駐車場の半分はうずたかい雪の山、例年より雪が多い。
オナガガモが圧倒的に多いが、キンクロハジロ、ホシハジロ、スズガモ、ユリカモメが見られた。

  駐車場

 ホシハジロ  キンクロハジロ

 オナガガモ  スズガモ 上メス 下オス

孫たちはパンくずを二袋も買ってきてしばらくカモたちと遊んでいた。ばーちゃんはいくらか膝の具合は良いようだが、」一人車の中でコーヒーでした。

感動の一日を過ごすことが出来た。

 


雪の季節の日課 いつも清々しい

2015-01-20 | Weblog

  

 このところ夜半に目覚めることが多い。そんなとき、目を瞑って心の中を巡らすひとときは豊かでもある。

 しんしんと降る雪の音が微かに聞こえるような気がする。

 それほどの悩みではないが、頭から離れないことはいくつもある。そのまままどろんでいればじきに眠りに就くのだが、ここでラジオのスイッチを入れたり小さなライトを付けたりしてしまうのがいけない。

今朝もさらに覚醒してしまい、仕方なく暗い居間に入りストーブに火を点けた。やがて何事もなかったように白々と障子戸が明るくなる。

 窓を開けて雪の降り具合を見る。多少睡眠不足で頭が重くても、厳寒の朝の空気はいつも清々しい。

お茶を入れ、暗いうちに届いた新聞を拡げる。雪が積もれば雪かきに出て市道まで一本、道をつける。そんな、雪の季節の日課だ。

やがて寒さもゆるみ、新しい季節を迎える。
                               
                           


嬉しいことがあった

2015-01-19 | 日々の生活

 

  昨日、武くんの祝いごとがあり、家族で彼の要望のかっぱ寿司へ。吹雪がひどかったが、あまり混まない夕方の少し早い時間に家を出た。
 ときどき誘われて行くが、このお店にはビールはあるが日本酒はないので少し残念だった。ところが昨日は、何気なく店内のケースをみるとお酒が入っていた。恥ずかしながら、頬がゆるんだ。
 育ち盛りの武くん,見る間にお皿が重なっていく。ジイの「味わってゆっくり食べろと!」の言にも,驚きの食欲だ。忙しくていけない。ジイは早速お酒を頼んだ。
杉玉」という純米酒の1合瓶、青森のお酒で美味しかった。
 はじめに取ってくれたマグロと貝は,ずいぶん廻っていたのだろう。いずれも見た目も乾燥し,魚もしゃりも皿にくっついていてはがして食べた。廻っている寿司は気をつけないと!

やはり新鮮な握りを注文し新幹線で運んでもらうべきだと思った。 好きなウニ、エンガワ,鉄火巻きを美味しくいただいた。

払いは、バーちゃんからのお祝いでした。ごちそうさま。 (2015.1.18)

 


一ヶ月ぶりの磐梯

2015-01-14 | 街中散歩

 

   学鳳中/高校グランド

   久々の快晴、磐梯の雄姿を望んだ。  
   毎日窓を開けては待ち望んでいた磐梯が、一ヶ月ぶりに顔を見せてくれた。

 はがきサイズのプリンター用紙が切れたので歩いて買いに出た。
 車道の雪は溶けたが、歩道は未だ厚い氷の状態、気をつけながら歩いた。
  しばらく歩くと汗ばんで来た。スノー帽、手袋を脱いだ。長靴が重い。
 街中から磐梯山を楽しみながら歩いた。

扇町交差点 

磐越西線高架橋の橋桁には、あまり注意して見なかったが、身知らず柿、白虎隊、お城などの陶板がデザインされていた。

  → 

 

 横道はまだまだ  

  午後2時 2Fから

 快晴も長続きせず、午後には雲が出始め下り坂、明日はまた雪降りになりそうだ。


大吟醸 「冨國論」

2015-01-13 | 日々の生活

 

 かつてお世話になったAka先生宅へご年始に伺った。毎年お邪魔し楽しい話を伺っている。

 もう退職されて25年とのこと、懐かしい在職の頃の話に花が咲いた。

 少し長居をした帰りに、珍しいお酒「国富論」をお土産にいただいた。 奥様が西会津のご出身で、同町の栄川酒造の製造のお酒だ。

 家に戻りネットで検索した。(http://www.junmai.com/mart/sakaegawa003.html

この大吟醸「富国論」は福島県新酒鑑評会で2年連続金賞のお酒であること、そして石川瑛作なる人物を知った。 

アダムスミスの国富論、名前だけは知っていたが、その翻訳者が西会津出身の石川瑛作で、彼は酒造元の先祖とのことだった。


 4合瓶の「冨國論」には格調の高いユニークなラベルが貼ってあった。 

    明治15年4月  英國 亜當斯蜜 著                   アダム・スミス・・・亜當斯蜜  なるほど
                        日本 石川暎作 譯   
     瓶には白い短冊に「うすにごり」、金ラベルの「大吟醸」が、また裏のラベルには解説 が、

  「暎作は、15歳まで学業の傍らこの地で酒造に従事しました。     ・・・   15代目 石川屋 市十郎 敬白」とあった。

    近々おいしいお酒をご馳走になるが、あらためて「富国論」についても少し勉強してみたいと思っている。  

 

(参)ときどき呑んでいるのが榮川酒造(若松)、西会津のは栄川酒造

 


荒れる十日市

2015-01-10 | 文芸

 

   荒れる十日市と言われるが、朝から良い陽が当たっている。でも、強い風が吹きまくって寒かった。
 久々に磐梯山が見えるかと何度も雨戸を開けたが、残念ながら終日雲の中。

 麓から上は白い雲に覆われ、磐梯の雄姿を見ることは出来なかった。極寒の冬の間、北側の雨戸は閉めっぱなしだ。

 
 お昼のニュースで十日市の様子を伝えていた。午前中からすごい人出だ。

   

  昨年は腰を痛めて行けなかった十日市、どうしようか迷っていたが、伝統の風物詩を眺めてこようと思った。

 いつも夜出かける十日市だが、3時過ぎ、ドッジボールの練習を終えた萌えちゃんと友達を送る車に便乗することにした。

 僕は駅前で降りて別行動、賑やかな十日市の巷へと繰り出した。

 昼までの穏やかな天候は一転、瞬く間にすごい雪降りとなった。

 神明神社へお参りして、賑やかに混雑する人波に流された。

 椿餅の伊勢屋前 

   縁起物の店が並ぶ

 神明神社 

市役所通りから元の長崎屋や裏通りから蒲生氏郷の墓へ参った。十日市には必ず詣でていた。

墓は空風火水地の五文字を刻した五輪塔で、遺髪が納められている。初市の喧噪をよそに、豊かな静寂の空間だ。

 辞世の碑に「限りあらば吹かねど花は散るものを心みじかき春の山風」 

  

 ここまでは、いつも辿る道だった。 途中目に入った赤提灯に誘われた。氏郷候の墓所の裏にある虚空蔵尊にお参りしたあと、赤提灯の暖簾をくぐった。

天満虚空蔵菩薩 

 久しぶりの居酒屋、もつ煮込み、奨められたこんにゃくを頼んで、美味しいお酒を3つおかわりした。

  

  マスター

  お隣さんは常連のNemoさん、すっかり意気投合してしまった。

  家で心配しているだろう、店から携帯を借りた。ほどなく娘の運転で、妻が飛んできた。

  たまたま立ち寄った居酒屋で、愉快な十日市の思い出となった。
 

 


検診へ

2015-01-08 | 日々の生活

 7時20分、孫たちが元気で登校した。今日は、武くん最後の3学期始業式だ。

 「マッサン」を見終えて8時20分、小雪の舞う中を病院へ急いだ。月に一度の検診だ。

早足で25分、雪道を急いだ。いつも予約は10時、1時間前に採尿、採血を済ませた。

採血室の前を、点滴瓶を吊した入院患者がストレッチャーで運ばれていった。

ふと、ずっと昔、ストレッチャーで手術室に向かう自分が思い出された。いつしか健康を取り戻し、いま健康でいられる幸せをかみしめた。

待合室に看護婦が飛んできた。血液検査の結果が出たのだろう、低い血糖値を心配してブドウ糖持参だ。

 僕はときどき低血糖症状を起こすが、すでに対応していたので大丈夫だった。理由は分かっている。

 ところで、血液検査の結果は同じ傾向だったが、案の定,AICはまた上がった。暮れからお正月、あまり気にせずに少し食べ過ぎたかもしれない。

 自己計測の血糖値も最近高い傾向にあった。

 おいしく食べられるし、いくら食べてもコレステロール値は3つとも(総、HDL,LDL)いつもL値だし・・・。  

 データがもっと悪かった頃の気配り、食事療法が必要なのだろう。気をつけなければ・・・。反省、反省。

〈新しい病棟建設中〉                           〈熱帯の美しい魚をゆっくり眺める〉                 〈近ごろフロアーにピアノが〉

  

 
11時半、薄日が差し始め、少し寒さがゆるんだ雪道をもう小学生は下校だ。

 

 今日の診察は順調に進んだ。 

 今日の検診日、あらためて健康こそが宝であることを思い知ることとなった。

 お正月も終わる。ここ1週間、PCに向かって町内会総会資料作りに明け暮れた。


懐かしい 雪の裏道

2015-01-05 | 日々の生活

 

  遅まきに年賀状のデザインを考えプリントした。3が日ゆっくり賀状を認めた。
  切手がなかったので、今朝、郵便局が開くのを待ってようやく投函した。
 出たついでに、両脇にうず高い雪の道をお城へ向かった。
 思えば毎冬、車が出ない2、3日は歩いて通勤した。通算して17年間通った裏道を懐かしく歩いた。

 途中、蚕養様、お八角様にお参りし、すっかりきれいに変わった穴澤病院へ出た。

蚕養神社  八角神社

 懐かしの会工裏門から粉石鹸プラントが見えた。プラント製造に全力を注いだ頃が懐かしく思い出された。30年ほど前のこと。

  

 自然観察授業でよく行った2中の裏の雑草繁る広場はもうなく、仮設住宅が建ち並んでいた。
 鶴ヶ城会館のお店の中を通って西出丸へ出て、武徳殿から登城した。

   

  

  観光客もちらほら、雪吊りの美しい多行松に囲まれたお城を写した。いつもきれいなお城だ。

 

 ヤドリギ健在 ドイツトウヒの実

 お堀は結氷してカモは見られず、期待した野鳥にも会えなかった。
 帰路、豊岡のお墓を覗いた。雪が深くて入れず、聞いていた雪で倒れた松の大木の倒れ具合を確かめた。

 歩きにくい雪の歩道を時間をかけ帰宅した。市道を折れると、キジが歩いていた。
 時折雪の上を歩いているキジだが、何とか生き延びているようだ。また会おう。

    

 さすがに疲れたが、新年の清々しい街中を歩けた健康に感謝している。
 今年も精一杯がんばろう。


吉永小百合の祈り

2015-01-04 | 日々の生活

 

今日、TVで「NHKアーカイブス」  - 戦後70年 吉永小百合の祈り -  を視聴した。
  これまで吉永さんの”原爆詩”朗読の活動を知らなかった。
彼女の”原爆詩”朗読への思い、平和への祈りを知った。
  「生ましめんかな」「電子雲の下より」「慟哭」そして「ヒロシマの空」・・・といくつもの”原爆詩”を朗読する吉永さん。涙が溢れた。
  「祈るように語り続けたい」1997年放送、「思いを受け継ぐ子どもたちへ」2007年放送などを視聴し、あらためて戦争の惨禍を思った。
 いつも平和すぎるのだろう、戦争の悲劇を考えるのは8/6や8/9の原爆の日、8/15の終戦記念日くらいだ。
  二度と戦争は起してはならない。平和を祈りたい。
 
 ******************************:
  ヒロシマの空   林 幸子   (主婦、23歳、原爆で両親と弟を失う。)

”夜  野宿して
やっと避難さきにたどりついたら
お父ちゃんだけしか  いなかった
――お母ちゃんと  ユウちゃんが
死んだよお……

八月の太陽は
前を流れる八幡河(やはたがわ)に反射して
父とわたしの泣く声を  さえぎった

その  あくる日
父は  からの菓子箱をさげ
わたしは  鍬(くわ)をかついで
ヒロシマの焼け跡へ
とぼとぼと  あるいていった
やっとたどりついたヒロシマは
死人を焼く匂いにみちていた
それはサンマを焼くにおい

燃えさしの鉄橋を
よたよた渡るお父ちゃんとわたし
昨日よりも沢山の死骸(しがい)
真夏の熱気にさらされ
体が  ぼうちょうして
はみだす  内臓
渦巻く腸
かすかな音をたてながら
どすぐろい  きいろい汁が
鼻から  口から  耳から
目から  とけて流れる
ああ  あそこに土蔵の石垣がみえる
なつかしい  わたしの家の跡
井戸の中に  燃えかけの包丁が
浮いていた

台所のあとに
お釜が  ころがり
六日の朝たべた
カボチャの代用食が  こげついていた
茶碗のかけらが  ちらばっている
瓦の中へ  鍬をうちこむと
はねかえる
お父ちゃんは  瓦のうえに  しゃがむと
手  でそれをのけはじめた
ぐったりとした  お父ちゃんは
かぼそい声で指さした
わたしは鍬をなげすてて
そこを掘る
陽にさらされて  熱くなった瓦
だまって
一心に掘りかえす父とわたし

ああ
お母ちゃんの骨だ
ああ  ぎゅっ  とにぎりしめると
白い粉が  風に舞う
お母ちゃんの骨は  口に入れると
さみしい味がする
たえがたいかなしみが
のこされた父とわたしに
おそいかかって
大きな声をあげながら
ふたりは  骨をひらう
菓子箱に入れた骨は
かさかさ  と  音をたてる

弟は  お母ちゃんのすぐそばで
半分  骨になり
内臓が燃えきらないで
ころり  と  ころがっていた
その内臓に
フトンの綿が  こびりついていた

――死んでしまいたい!
お父ちゃんは叫びながら
弟の内臓をだいて泣く
焼跡には鉄管がつきあげ
噴水のようにふきあげる水が
あの時のこされた唯一の生命のように
太陽のひかりを浴びる

わたしは
ひびの入った湯呑み茶碗に水をくむと
弟の内臓の前においた
父は
配給のカンパンをだした
わたしは
じっと  目をつむる
お父ちゃんは
生き埋めにされた
ふたりの声をききながら
どうしょうもなかったのだ

それからしばらくして
無傷だったお父ちゃんの体に
斑点がひろがってきた

生きる希望もないお父ちゃん
それでも
のこされる  わたしがかわいそうだと
ほしくもないたべ物を  喉にとおす

――ブドウが  たべたいなあ
――キウリで  がまんしてね

それは九月一日の朝
わたしはキウリをしぼり
お砂糖を入れて
ジュウスをつくった

お父ちゃんは
生きかえったようだとわたしを見て
わらったけれど
泣いているような
よわよわしい声

ふと  お父ちゃんは
虚空をみつめ
-風がひどい
嵐がくる……嵐が
といった
ふーっと大きく息をついた
そのまま
がっくりとくずれて
うごかなくなった

ひと月も  たたぬまに
わたしは
ひとりぼっちになってしまった

涙を流しきった  あとの
焦点のない  わたしの  からだ

前を流れる河を
みつめる       

うつくしく  晴れわたった
ヒロシマの
あおい空    ”
 
             当時、市内昭和町(原爆地から二キロ)に在住。
            「原子雲の下より」1952・9

   *******************************


穏やかなお正月

2015-01-02 | 日々の生活

 小雪の舞う中、八幡神社拝殿に座る。鳴り響く太鼓、初詣客の鈴の音や柏手と共に、町内会役員数名と新年のご祈祷を受ける。
 明けて2015年元旦、燦然と輝く朝の光に新しい年を迎えた。幸い予報は外れ、穏やかなお正月だ。
 元旦にはあっこちゃん一家が、今日は真ちゃん一家が年始に、皆健康で迎えるお正月はいい。それぞれに良い年でありますようにと乾杯!。
 朝からいただくお酒も健康ならではのこと、有難いことだ。
 
 お正月とはいえ、特別の感懐はない。でも、年賀状を手に取ると新しい年を意識できた。
 賀状も一時は300通を超えたが、いつしか、届いた賀状の返事だけを書くようになった。
 それでも約100通、なかなか億劫だがゆっくり書こうと思っている。

  にぎやかな孫たちを眺め、ときどきTVの箱根駅伝中継に目をやりながら若者から勇気 をもらう。
 久々に息子と盃を酌み交わした。
 

 ともかく、健康が一番だ。

 [飲みすぎに注意、多くを求めないこと。] とりあえず、年頭にあたり今年のモットーとしよう。