エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

この命なにをあくせく

2008-05-31 | 日々の生活
     【清楚なシコタンソウ】

 梅雨の季節も間近だ。
「しとしと」という表現がぴったりの雨の中、いつものように、朝食前に犬と散歩に出た。ここ数日、嵐のような風の強い日が続いたが、今朝は風もなく、緑の田に降る雨は穏やかだった。
巡った梅雨の風情を楽しみながら歩いてきた。

 帰宅して傘をさして庭を一巡りした。
花びらを落とし始めたヒメウツギの横に、シコタンソウが清楚に咲いている。アジサイもようやくつぼみが見せ始めた。シランは半分開きかけ鮮やかな紫が見えた。
 庭のすべてがそぼ降る雨に美しい緑の中だ。


 佇み、雨に濡れる小さな緑をながめ、ふと口をついてでた詩
 「このいのち何をあくせく・・・・」
 誰の句だったろうかと思い巡らした。藤村だっただろう。
 藤村詩集をひろげると、思った通り、落梅集・千曲川旅情の歌に一節を見つけた。

 「千曲川のほとりにて」の第一節に
   昨日またかくてありけり
   今日もまたかくてありなむ
   この命なにをあくせく
   明日をのみおもいわずらふ


決してあくせくしてはいないが、こんな句が浮かぶ心境を思った。
 本当にゆったりした爽快な気持ちであろうか。静かに我が生き方を問うた。

ささやかな菜園

2008-05-29 | 日々の生活

 去年は小さな菜園でミニトマトが大収穫だった。今年は、連作を考え菜園は賑やかな花壇になっている。今年は場所を変えてナスとミニトマト、そしてためしにスイカの苗も植えてみた。また、プランター3つにミニトマト、唐辛子、パセリを植えた。
 これらは、いずれも娘の家の庭の一隅に置いた。菜園もそうだ。
 我が家の庭はいつしか花木に埋まって、菜園を作る場所は無くなった。また、周囲の大木に遮られ、庭に射す陽は場所によって午前中か午後からと、一日中射すところは少ない。
 ミニトマトはもう黄色い花を咲かせている。収穫に備えて支えの手をやった。
 孫たちと野菜の成長を楽しみに見守っていきたい。



 

黄色いバラ

2008-05-28 | 日々の生活

 今年も薔薇の季節を迎え、黄色いバラが咲き始めた。
 5年前、新しい人生のスタートに赤、黄、ピンクの3本のバラの苗を求めた。
 黄色とピンクは庭の西側に植え、黄色は剪定しなかったこともあるが3㍍にも茂って、今年も沢山のつぼみを付けている。今度は少し剪定を考えて樹形を整えてみたいと思っている。
 東側の庭に植えた赤いバラは、モミジやモクレンの下で朝陽だけしか当たらない。雪にやられたりして育ちも悪いが、大きなつぼみを3つ付けている。ピンクはさらに成長が遅い。ウメやサクラの下でほとんど日陰だ。如何に陽当たりが必要かを思い知らされている。
 環境で育ちは違っても、いずれも愛おしいバラたちだ。

初夏 庭の虫たち

2008-05-27 | 昆虫



 咲き出した清楚な薄紫の花はミヤコワスレだろうか、さわやかな初夏の花だ。その花の上で、虫たちのドラマを見た。ハナグモがハナアブを捕らえた瞬間を見た。庭を巡ると初夏のいろいろな虫たちが、それぞれに精一杯に生きている。

【ヤホシゴミムシ】
【クロオオアリ♀?】

 ヤホシゴミムシ(オサムシ科)は、じっとしていない。葉の上を歩き回ってすぐに飛び立つ。全体にオレンジ色で翅に4対の白色の円紋が鮮やかだ。ハエトリグモが他のクモを捕らえていた。共食いだ。また、桜の幹に大きなアリを見つけた。定規を当てたら17~18㎜あった。胸のあたりは褐色だがムネアカオオアリより一回り大きく、多分、交尾が終わり翅を落としたクロオオアリの女王アリだと思った。テントウムシがマーガレットの黄色い管状花の上でもう蛹化していた。

 それぞれの虫の行動をしばらく観察し、写真に撮る。図鑑で名前を調べ、その生活史を知る。そんな一連の楽しさに浸っている。
身近な庭で小さな生き物たちが命がけの生活を展開しているのかと思うと、のんびりしてはいられないと思った。


    
【テントウムシの蛹化】



南国のプール

2008-05-26 | 旅行


 昨日、楽しみにしていたハワイアンズへ行ってきた。
 2006年の話題を独占した映画『フラガール』は、日本アカデミー賞の主要5部門を獲得した。あまり興味がなかったので見なかったが、これは、昭和40年の炭鉱閉山から「常磐ハワイアンセンター」の誕生を支えた人々の物語だ。ネットでストーリー(*)を見たらいつか観てみたいと思った。最近、その舞台化が決定したらしい。

 日曜日でもありかなりの人出だった。3000台収容という駐車場もほぼ満杯状態だった。観光バスで東京からのツアーがとても人気があるそうだ。
 孫たちは初めての本格的なプールだった。子どもたちはお昼も要らないと水に興じた。特に、流れるプールが気に入って、浮き輪で浮かんでママや叔母ちゃん、バーちゃんと何十回も回った。



 シアター前のレストランで昼食、パイナップルを丸ごと1個ジューサーで搾った「パイナップルジュース」を頼んだ。お値段も良いので1個を回し飲みした。
しなやかで繊細なフラダンス、勇敢なサモアの火の踊りなど、ポリネシアの島々の民族舞踊が繰り広げられた。プールサイドには常夏の植物が植えられ、しばし南国の雰囲気に浸った。
 温泉プールにも入った。水着を着てはいる温泉は初めてだった。でも、裸で入った露天風呂が私には一番良かった。
 約4時間の滞在、孫たちの面倒はやはり疲れた。でも、孫たちは今日の体験で水にも慣れたようだ。この夏は猪苗代湖で湖水浴に連れて行きたいと思っている。



(*) 《 ストーリー 》 (ネットから)
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昭和40年代、福島いわき市の炭鉱町。
“求む、ハワイアンダンサー”のチラシを見せ、ここから抜け出す最初で最後のチャンスだと早苗は親友・紀美子を誘う。男たちは、数世代前から炭坑夫として、女たちも選炭婦として働いてきた。だが、時代は石炭から石油へとエネルギー革命が押し寄せ、閉山が相次いでいる。この危機を救うために炭鉱会社が構想したのが、レジャー施設「常磐ハワイアンセンター」だった。
 紀美子の母・千代も兄・洋二郎も炭鉱で働いている。父は落盤事故で亡くなった。母は“ハワイ”構想に大反対。それでも紀美子と早苗はダンサー説明会に出かけ、他の娘たちがフラダンスの映像を見て逃げ出してしまう中、残った子持ちの初子、大柄な小百合とフラダンスに挑むことになる。そんな中、娘たちにフラダンスを教えるために、ハワイアンセンターの吉本部長は平山まどか先生を招く。本場ハワイでフラダンスを習い、SKD(松竹歌劇団)で踊っていたダンサーだ。最初は田舎町を軽蔑し、ド素人の娘たちに踊りを教える意欲もないまどか先生だったが、娘たちの熱心さに次第に真剣になっていく。
 実はまどか自身が母親の借金を背負い、半ば自暴自棄になっていたが、ひたむきな娘たちと接するうちに、夢を持つ大切さを思い出していた。そんな彼女の教えは、どんなに辛いときでも「スマイル」、笑顔を忘れないこと。しかし世間の風当たりは強く、さらに予期せぬ出来事が起こり・・・。
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マーガレットの奇形

2008-05-24 | 自然観察
 

今朝、散歩の途中で、きれいに咲き始めたマーガレットの中に奇形の花をみた。
 白い花びらに囲まれた内側の黄色い管状花が楕円形をしていた。初めてみる奇形だった。
 植物には、何らかの原因で、本来の形とは異なる奇形が生じることがあるようだ。これまでにも結構いろいろな奇形を見つけている。

 以前、拙ブログに「3つの奇形植物」をアップした。(2006-09-21)
 その3つは、何本も花茎を伸ばしているオオバコ、ケイトウの花のように帯状の花序になって咲くノアザミ(写真参)、花びらの付き方が違う変わったユキノシタだった。そのブログにもらったコメントの中には、携帯基地局の影響による植物の異常を懸念したものがあった。

 成長過程で何らかの影響を受けたのか、あるいは遺伝的なものなのか、とても興味がある。 
 

【ノアザミの奇形】

野口英世を思う

2008-05-23 | 文芸

今朝の新聞で、今日「第1回野口英世アフリカ賞記念」の切手が発行されると知った。
手紙の投函もあったので、早速郵便局へ行った。結構切手は使うが、何時も記念切手をもらうことにしている。記念切手は2種類で、肖像画と、もう一つはアフリカの地図と顕微鏡がデザインされていた。アフリカ地図の上にhideyo noguti と自筆のサインがあった。
 野口英世は郷土の偉人だ。ときどき記念館を訪ねている。その都度、彼の生い立ち、生き様を見つめていた。何時も目標に向かってくじけず努力する英世の姿勢には感銘を受ける。
夏目漱石からバトンタッチした野口英世の千円札をあらためてながめていたら、彼の「忍耐」の書が浮かんできた。

 以下はずいぶん前に書いたエッセイ。
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 「野口英世の生涯に思う」
 もう十年も前になるか、従来の見方とは一変した赤裸々な人間野口を描いた渡辺淳一の原作「遠き落日」を、驚き、つらい気持ちで読んだ覚えがある。伝記や小学生のころ見た映画の感動などから、自分の中のものが崩れていく思いがあった。
同名の映画「遠き落日」を見た。欠点のない完璧な人格はない。見たくない、隠しておいてほしい心配もあったが、そしてあらためて英世の生きざまを考えさせられた。
 間をおかず猪苗代湖畔の野口英世記念館を訪ねてみた。上京のとき柱に刻した「志を得ざれば、再び此地を踏まず」の決意文、ふるさとの小学校に書いた「忍耐」の書、顕微鏡や試験管を前にした白衣姿の肖像画などに接するとき、映画にない感動がこみあげてきた。貴重な資料の数々から、常に目標に向かいくじけず諦めずに努力する英世の生涯を思った。
 白雲なびく秀峰磐梯を望み、改めて「頑張らなくては」と勇気づけられ記念館を後にした。 (1992.7.28民報掲載)
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1年ぶりのオオイトトンボ

2008-05-21 | 昆虫
         【今年もオオイトトンボ】

庭にカワトンボが飛んできた。いよいよトンボの季節かと、約1時間、トンボ池の里山の自然を観察に出かけた。
【カワトンボ】
 強清水付近もようやく田の代掻きが始まっていた。赤井谷地へ到る林道にはふわふわとウスバシロチョウが舞い、たまに黒いアゲハが勢いよく通り過ぎていった。小ぶりの、春型のオナガアゲハの♂だ。後翅付け根の黄色が鮮やかに見えた。





【春一番のミヤマセセリ】 
池につくと、まずミヤマセセリがお出迎え、懐かしい数十年ぶりの再会だった。
池のまわりの石には数頭のシオヤトンボが止まっていた。これは春のトンボで、そろそろ姿を消すのだろう。今代わってあらわれたのはオオイトトンボだ。

【シオヤトンボ♂】
羽化したばかりのオオイトトンボの♀だろう、弱々しくカゲロウのように舞っていた。池のスイレンの葉には早くも連接した個体がいくつか止まっていた。♀の羽化はチョウと同じように、少し遅れるのだろうか。
 少し池から離れたツツジの下草に、単独の♂が沢山、音もなくスイスイと飛んでいた。小さな虫を捕らえると、近くの葉上に止まり咀嚼している。これから無数のペアが出現するだろう。
 【オオイトトンボ】

ちなみに図鑑によると、「オオイトトンボの産卵は、雌雄が連接したまま水中に潜っていく。この場合雌が産卵をしながら徐々に後退して水の中に入っていくが、水底につくと植物から離れて、水底を歩きながら植物の根などに産卵する。産卵が済むと一気に浮上して飛び立つ。」とあった。

初夏とはいえ、池のスイレンの葉もまだ小さく、カンガレイなどもまだまだ丈が短かった。
これから徐々に姿を見せる小さないのちを、楽しみに見つめていきたい。





やがて阿賀野川となり日本海へ

2008-05-20 | 街中散歩
          【日橋川の清流】


 広田街道を喜多方へ向かうと塩川へ入る手前に橋がある。下の流れは日橋川、猪苗代湖からの清らかな清流が流れている。昔、喜多方からの勤め帰りによく土手に車を止めてその流れに見入っていた。その上流の磐梯町には発電所が3つあり、その放流によって水かさが変化するが、放流時の水の流れの美しさは例えようもなく美しい。飽かずに眺め入ってしまう。

 広々した空のもと、深みのある水の色に白い波が美しすぎる。この川の流れの美しさは、水質はもちろん、周囲の風景、川の深さ、流れの速さ、川底の状態などに、また天候、空の明るさにも影響されるだろう。そして流れを見つめるこころにも。

 日橋川は猪苗代湖戸ノ口を水源に、喜多方市塩川で大川(阿賀川)へ、さらに山都町付近で只見川が合流し阿賀野川となり日本海へと流れている。

 ネットの地図で水脈を辿ってみた。新しい発見があった。
大川、宮川が湯川村で合流し阿賀川となり、大塩川や姥堂川が、さらに日中ダムからの押切川や濁川が、日橋川と共に塩川で合流、会津坂下町青津では田付川や宮川(鶴沼川)が、と普段よく知らないでいた小さな川が合流を繰りかえしながらやがて大河に。
様々な川から地域の地名を再認識しながらの楽しい旅が出来た。

初夏の女神 ウスバシロチョウ

2008-05-19 | 昆虫

 今年も庭にウスバシロチョウが舞ってきた。
 さわやかな初夏の晴天、1時間ほど、滝沢峠にウスバシロチョウの観察に行ってきた。
今年もいつもそこにはウスバシロチョウの楽園があった。爽やかに吹く風に乗りふわふわと飛翔するウスバシロチョウをゆっくりと観察した。何とか飛翔しているところを撮りたいと思っているが、なかなか難しい。セイヨウカラシナやタンポポに無心に吸密する姿を何枚も撮した。
よくギフチョウやヒメギフチョウを春の女神と呼ぶが、私には、ウスバシロチョウは初夏の女神に見える。最新の蝶類図鑑にはウスバアゲハと載っているが、私の思い出は何時までもウスバシロチョウだ。

 【フキの葉上で一休み】


 冬を越し翅の傷んだシータテハ、テングチョウも迎えてくれた。すでに、垂れ下がったフジの花は色あせ、桐の花が満開だ。卯の花ももう咲いていた。
 帰りにフキを一掴み採ってきた。家に戻り整理していたら、ミドリヒョウモンの終令幼虫が出てきた。庭のスミレに移したが、じき蛹化するだろう。

【ミドリヒョウモンの終令幼虫】

【滝沢峠麓から会津若松市内を望む】

【桐の花】

 ウスバシロチョウは私の風物詩、昨年、一昨年もブログにその感動が載っていた。
 峠沿いの林の下草には食草のムラサキケマンが生い茂っている。そろそろ花が終わり実が膨らんでいた。今のままの自然がこれ以上悪化しないように願った。
(5/18日曜日)

初夏 飯豊の山並み

2008-05-18 | 日々の生活

 喜多方市から雄大な残雪さわやかな飯豊の山並みを眺めた。飯豊の山並みが田に映え、緑いよいよ初夏の装いだった。 ときどき、田植え間近の水面に映る飯豊山を撮りたいと思っているが、なかなか条件に恵まれない。よく晴れた雨上がりで、風が無く鏡のような水面が欲しいところだ。山と田との上手い配置、撮る位置や明るさも影響する。
 夏らしい雲がたなびき、初夏のさわやかな空気が写真に反映されないといけない。所々でさわやかな空気を吸い込み、山を眺めた。

大峠を越え、田沢に蕎麦を食べに向かった。
 大峠の道路沿いにはわずかに雪も残っていた。夜は冷え込むのだろう、毎年ヒメシジミの写真を撮りに行く林道に入ると、ようやく八重桜が満開だった。そこではニリンソウも可憐に咲いていた。また、思ってもいなかったワラビを一掴み収穫できた。


 【愛と義に生きた兼続】
 道の駅・田沢には、上杉の智将「直江兼続」を紹介する幾種類ものパンフレットが置いてあった。来年NHKの大河ドラマ「天地人」の主人公だ。米沢は「直江兼続」でまた脚光を浴びるだろう。兼続は会津とも縁の人物だ。豊臣政権下で有力大名に成長した景勝は、関東・東北支配の拠点として、会津120万石に転封される。会津では、兼続は陣頭指揮をして城や道路の整備を進めた。パンフレットのデザインは直江兼続所用の「愛の兜」。「愛と義に生きた兼続」とある。どんな人物であったのだろうか。
 

「冬夏春秋」

2008-05-17 | 日々の生活

手紙を出しに郵便局へ自転車を走らせた。帰り道、新緑のツツジが美しい大塚山の墓地公園脇を通り過ぎた。ふと気になる墓石が目に入った。
 洋風のデザインの墓石に「冬夏春秋」と刻まれてあった。裏の墓誌をみると二〇〇三年92才の女性名が刻まれていた。新しい墓石の建立主のお母さんだろう。私も母を二〇〇三年に同じ歳で亡くしている。何か不思議なものを感じた。
 建立主の名前を電話帳で調べて、「冬夏春秋」について尋ねた。それは、魯迅の詩からとったものだと言う。先方も忙しく、上辺のはなしだけで電話を切った。
 また、住まいが母の実家のあった近くなので、ひょっとしたらなくなられた方と知り合いではなどと、大正、昭和初期の考えたこともない若き日の母を想像したりした。

 ネットで調べてみたら、魯迅の「自嘲」という詩があった。
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自嘲       自らを嘲る 

運交華蓋欲何求  私は華蓋(悪運)にとりつかれ
未敢翻身已硴頭  身をかわすこともなく壁に当り
破帽遮顔過鬧市  破れ帽子で顔を隠し雑踏を抜け
漏船載酒泛中流  酒を積んだボロ舟同様危うい
横眉冷対千夫指  千人の指弾にも心を動かされず
俯首甘為孺子牛  家では子供のために牛になって
躱進小楼成一統  小さな家族の平和に満足し
管地冬夏与春秋  外界の四季などはどうでもよい
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多分、家族を大事にしたお母さんを思っての表現なのかと思った。



さわやかな初夏

2008-05-16 | 日々の生活
          【ナナカマド】

 今朝は快晴、ようやく初夏のさわやかな始まりだ。さわやかな空気に気持ちまで晴れ晴れする。散歩道のほとんどの田で、田植えが終わった。きれいに苅った畦の一隅に、スイバが赤い穂を水面に映していた。畑の際にラッキョだろうか、きれいに並んで紫の穂がほころび始めた。



帰宅すると萌香ちゃんは、パジャマのままで台所で、楽しそうにお弁当作りを手伝っていた。今日は楽しみにしていた初めての遠足だ。武琉君は毎朝の日課、マイペースでDSの恐竜キングで闘っている。

朝食前に庭を一巡りする。ボタン、ナナカマド、スズラン、マイズルソウ、ヒメウツギ、シロキリシマツツジと白い花が目立つ。あの白いバオカウツギやフタリシズカの花芽もふくらみ、次の出番を待っている。朝日の当たるブルーベリーのつり下がった花にクロマルハナバチが夢中で密を吸っている。

 【ブルーベリーにクロマルハナバチ】
 【ヒメウツギ】

 見るものすべてがさわやかな朝、初夏の日常の始まりにこの上ない幸せを感じた。
 





受験産業教育はいらない

2008-05-15 | 教育を考える
                 【サクランボ膨らむ】

 昨年度末、東京の区立中学校で大手進学塾の講師による夜間有料授業を実施するというニュースに接した。できる子をもっと伸ばそうという試みと言うが、こうした発想に大きな疑問を感じた。
 新年度になり、希望する生徒に授業を拡げるという。
知育偏重の是正が叫ばれ、ようやくゆとり教育の理念に行きついた。今そのゆとりが方向転換、また以前の受験競争社会に戻ってしまう危惧を覚える。
 この塾教育も、大学受験のため、さらに一流会社へと言った親の愚かさが、子どもたちを洗脳し犠牲にしているものに思えてならない。
 頭でっかちな人間は要らない。こころ優しい、協調できる「優しい社会」を支える社会人に育って欲しい。子どもたちが心豊かな人生を送るための基盤を培うための教育であって欲しい。
 学校は、とりもなおさず知育、徳育、体育のバランスの取れた全人格的、総合的な教育の場である。営利目的の受験産業との連携が、子どもたちの豊かな学校教育をゆがめる受験競争社会を助長してはならない。あらためてそう思っている。


親はらからのここち

2008-05-14 | 日々の生活
          【庭の桐の花咲く】
 
 今朝の読売新聞の「編集手帳」を読んだ。心に響いた。
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 与謝野晶子が関東大震災で詠んだ歌がある。〈誰みても親はらからのここちすれ地震(ない)をさまりて朝に到れば〉。被災者の誰を見ても親のように、はらから(兄弟姉妹)のように思えると◆晶子の昔に限るまい。「阪神・淡路」で「中越」で身をもって震災を経験した人がいる。そうでない人もいつか、いや明日は被災者にならぬとも限らない。地震ほど、ひとの悲しみが身に惻々(そくそく)と迫る災害はないだろう◆「高き岸は谷となり、深き谷は陵(おか)となる」。中国の古典「詩経」の一節が、ふと脳裏をよぎる。中国四川省で発生した大地震による死者が1万人を超えたという。そのひとりひとりに親がいて、子がいて、兄弟がいて、友がいて、人生の夢があった◆近代化という地殻変動のなかで中国にはいま、富豪の「陵」と貧者の「谷」が生じ、格差のひずみが拡大している。政府が震災への対応をひとつ誤れば、民心の不満に火がつき、政権の安定が揺らぐもとにもなる。政治的な余震からも目が離せない◆いまはただ、瓦礫(がれき)と土砂に埋まった人々の一刻一秒も早い救出を、「親はらからのここち」で祈るばかりである。(2008.5/14)
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テレビで報道される中国の大地震の被害は甚大だ。地震の規模は中越地震の20倍とも30倍とも言う。被害者の救出の様子をみながら、切ない悲しい気持ちで一杯だ。
本当に「親はらからのここち」がした。
 人間はだれも同じだ。一方で、愚かな戦争をしている人間社会がある。なぜなのだろうか。