エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

眠れない夜

2009-02-28 | 日々の生活
                【春めく磐梯  河東・広田】

嫌な性格で、眠れないことが多い。まず運動不足が原因と思うが、日々が無為に流れていくことへのストレスも大きい。惰性に流される日々を悔いる気持ちだ。たしかに、死を意識しながらの生活があった。そのころの一日一日は何と精一杯の日々であったことか。
 また、最近は夜半に目ざめることが多い。そのまま寝ていればいいのに、ラジオのスイッチを入れる。2時台ならロマンティックコンサート、3時台なら日本の歌こころの歌だ。続いて「こころの時代」となる。どうしても冴えてしまうと、傍らの本に手を伸ばして、深夜の読書となることもある。やがて、白々夜が明け始めると、新聞を取りに行き、寝床で目を通すことになる。こんな日が続くと体調もいまいちである。
 時の流れに身を任せるながらも、健康第一を肝に銘じている。そのための規則正しい生活を取り戻したい。


雨のちみぞれ、のち晴れ

2009-02-23 | 自然観察
     【ウスバシロチョウの食草 ムラサキケマン】


 朝方は、庭にわずかに残る雪に雨がしとしとと降り、まるで梅雨を思わせた。
やがてみぞれに変わり、空から真っ直ぐに糸を引くように音もなく落ちていた。
 みぞれの空は何と寒かったことか。
 雪が消えあざやかに見えるわずかな緑は、もうしばらくの寒い季節をじっと耐え得ているようだ。ユキノシタ、黄金シダやワサビの葉が青々しく春を待っていた。
 ウメや、サンシュもわずかばかり膨らんだような気もするが、まだまだつぼみは堅い。
夕方、雲の間から大きなお日様が顔を出し、木々の陰が長く尾を引いていた。

 

     【ユキノシタ】            【黄金シダ】

「日本が拠って立つものとは?」

2009-02-22 | 日々の生活
             【北帰行を前に 猪苗代湖 笹山浜】

 今朝のサンデープロジェクトは1000回記念で、討論があった。テーマは「日本が拠って立つものとは?」
最近は政権がらみのテレビ番組が多いが、普段はストレスばかり感じていて、政治不信に陥ってしまっている自分には、いい討論だったと思う。
 与謝野大臣が出演した。田原さんはさかんに消費税を無くせと言っていた。大臣は、一応は検討はするとは言うが、まず駄目だろう。羽田の第5滑走路構想については進めると断言していた。

その後の討論会が良かった。西部邁氏、中谷巌氏、櫻井よしこ氏、姜尚中氏の4人の多様な認識論にいろいろ考えさせられた。
 討論の導入は、出演者の「私のよりどころは?」だった。
 櫻井氏は「武士道」を中谷氏は「日本人の美意識」、姜氏は「地域の歴史的認識」を上げていたが、共通して歴史を知ることはたしかにひとつの解ではなのかと思った。それらをノスタルジックに回帰するのではなく、それら歴史を遺産として、日本の進むべき方向ビジョンを打ち立てなければと思った。

スクラップしていた新聞で、オバマ大統領就任演説の全文を読み返した。
「我々の祖先が支払った犠牲を心に留めながら、・・・」
「新しい責任の時代」「我々が問うのは、政府が機能しているかどうかだ。」
「我々のつぎはぎ細工の遺産は強みであって、弱みではない」
 等々の一節が心に響く。
 かつての繁栄と現実の苦悩を国民と共有するアメリカのリーダー、その姿にある種の感動を覚えた。それに引き替え日本の政治家は・・・と。

 グローバル化した現代社会は複雑すぎる。ここ数年間で日本の社会が変わってきたように思える。それは貧困な政治の結果のような気がしている。日本をどうしていくのかビジョンが示されない。政治家は日本の行くべき道を真剣に考えていかなければならない責任がある。誰もが、地域社会を構成する住民一人一人を大切にする政治を望んでいるのに、今の政治家にそうした自覚や使命感、気概が感じられない。自己の保身、名誉ばかりを求める政治家像しか浮かばない。命がけさが感じられない。オバマのような本当に国を愛するリーダーは現れないのだろうか。
 
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名残惜しい雪

2009-02-16 | 自然観察

凛として吹雪に紅しヤブコウジ


昨日の春を思わせる日から一転、今朝から寒い北風が強い。午前中は薄日がさしていたが、昼を過ぎたあたりから吹雪いてきた。

 細い雪が舞い始め、緑の葉を白く替えて行った。瞬く間に冬の厳しい世界を演出していく雪は美しい。今の時期は、これ位が普通、寒い時期は寒くなければ駄目だ。
 カメラを持ち庭にでた。顔に当たる雪がすがすがしく感じられた。ほんとうは冬が好きなのかも知れないと想いながら、雪が積もりはじめたキンモクセイやツバキの葉を撮った。ヤブコウジの紅い実がいっそう美しく感じられた。

 三寒四温と言う。いつも行ってしまう季節が名残惜しく思われる。
 少し積もるのだろうか。静かに移ろいゆく季節の美しさをしばらく見つめていたい。


そこまで来ている春

2009-02-15 | 自然観察
           【午前中は風もなく、のどかな春の日にラックも気持ちよさそうだ。】

 嘘のように雪の少ない冬だ。昨日は関東以西は春一番、県内もぽかぽか陽気だった。
今朝の散歩は、雪の消えた畑に温かな朝日がほんとうの春を感じさせた。

庭には、春を喜ぶシジュウカラのさえずりが一段と大きく響いていた。
ツンツンと何かを突く音が聞こえた。車のサイドミラーに来て、鏡に映る敵?をつついているではないか。しばらくシジュウカラの楽しい行動を観察した。
 多分、自分の姿を眺めたり、遊び気分でいるのだろう。しょっちゅう来ているので、止まってゆっくり鏡を見れるようにダンボーで台を作ってやった。



所々に、黄緑色のスイセンが濡れた落ち葉を持ち上げて芽を伸ばしていた。クマシデの新芽もかなり大きくなっている。青空にナナカマドの新芽が紅く映え、ナツツバキは銀色に輝いていた。庭のすべてが生き生きと感じられたのは気のせいばかりではない。


天気予報では、今晩からはしばらく雪の日が続きそうだ。3月はじめに猪苗代でフリースタイルスキーの世界選手権が開催されるが、雪不足で、スカイラインあたりから雪を運んでいるようだ。春はそこまで来ているが、いい大会ができるように、もう少し雪が降って欲しいと思っている。

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月に一度の検診日

2009-02-14 | 文芸

        【バレンタインデー  娘と妻に義理チョコ?をいただきました
            私の好きな 〈大吟醸〉と〈10万円札〉でした。
               ありがとう!】

 月に一度の検診日に、いつも思うことは同じ。長い待ち時間にストレスがたまる。今日も、病院滞在4時間ほどだった。
 でも、健康のためにと諦めて、少しでも腹を立てずに流れに身を任せていた。
 前にも書いた。【拙ブログ:「病院の待ち時間は読書」2008.7.15】

 いつも何か小冊子を持参するが、たまたま今日は、加島祥造著「タオ 老子」だった。
 これは『老子道徳経』全81章の全訳の創造詩だが、ゆっくり構えろと教えられたようだった。
1章づつ、ゆっくりページをめくり、老子のこころを想像した。でも、時折目を閉じて思い巡らすとき、待ち時間の空間にある苦痛とともに、早く家に戻り、庭の自然に包まれて過ごしたい思いが湧いた。
 何とか健康を保ちながら、月にたった1度だからと諦めている。それでも、《たった》が辛いのだが。この長い待ち時間、過ぎにし日々を思い、来るべき明日を思ったりもした。

ウィキペディアで道教の世界を覗いた。道(タオ)という宇宙と人生の根源的な真理の世界で道の字はしんにょうが「終わり」を、首が「始まり」を示し、道の字自体が太極にもある二元論的要素を含んでいる。日本においては、気づきをもって各人の生活の場面でその身に付いたものをそれぞれに生かし、大切に思うことを清く保ちつづけて生きてゆくこと、などとあった。

 33章
  ・・・・・・
自分を知ることこそ
ほんとうの明るい智慧なんだ。
・・・・・・
道(タオ)につながる人は、
  今の自分に満足する、そして
  それこそがほんとうの豊かさなのだ。
・・・・・・
 44章 
  ・・・・・・
  なにを失い、なにを亡くすかだって?
  静けさと平和さ。
  この二つを得るには、
  いま自分の持つものに満足することさ。
・・・・・・


結局、今日もまた「足を知る」を教えられた。

DVDで「街道をゆく」

2009-02-13 | 文芸

 月に1,2度大学図書館でDVDで、司馬遼太郎の「街道をゆく」を視聴しながら全国を旅している。至福のひとときを過ごしている。
 テーマ音楽が流れ、ナレーションが入る。何度見たことか。
「土を踏む。声を聴く。そして遙かなる時を見る。今、日本の国を知る。」

そもそも、司馬遼太郎にとって、「街道」は空間的存在であるが、時間的存在でもある。そして、彼はその過去という膨大な時間の世界へ旅立ち、それぞれの土地の風土や人々の営みの中で・日本はどういう国か、・日本人とは何物か、・国家・文明・民族とは何か・・・という問いに対する答えを見いだしたかった。

 まさに私も、そんな旅をしてみたいと思っている。これからの限られた時間に、自分の足で、耳で、肌で感じる旅をしてみたいと思っている。そんな希望を少しずつ実現出来ればと思う。

 きょうは、またプロローグ「時空の旅人・司馬遼太郎」を視聴し、司馬の紀行の思考を鳥瞰した。そして「長州路・肥薩の道」を歩い、明治維新の原動力になった長州藩、その風土、歴史を見た。そして、幕末の時の流れ、会津に思いを巡らせた。

 かつて学生のころに、萩、山口を一度この目で見てみたいと小さな旅をしたことがあった。当時、戊辰戦争の敵地との思いを抱き、萩城址、白壁の柚子、松下村塾を巡ったことを思い出した。のんびりしたいいい時代、寝袋を担いで、いわゆる蟹族と言われた一人旅だった。新潟から北陸を巡り、山陰、山陽と鈍行で廻ったが、泊まりは金沢大学、鳥取大学、山口大学の寮にお世話になった。懐かしい思い出だ。

 何年か前に、文庫本「街道をゆく」を全43巻そろえた。約20街道くらいの旅をしただろうか。中でも「北のまほろば」「白河・会津の道」は何度も繰り返し読んでいる。最近は、DVDで視聴した後に、その道を掲載する巻を本棚から持参して、斜め読みするのが楽しみである。しばらくそんな旅を楽しみたいと考えている。

・(参)拙ブログ【「街道をゆく」 プロローグ 時空の旅人 】2008-01-30
・ 昨日、2月12日は司馬遼太郎の命日だった。
 【1996年、腹部大動脈瘤破裂のため国立大阪病院にて死去。享年72。
  従三位に叙され銀杯一組を追賜される。忌日は生前好きだった菜の花に因み  「菜の花忌」と呼ばれる】(ウィキペディアより)
 

しばしの別れ コハクチョウの北帰行

2009-02-12 | 自然観察
            【コハクチョウ北帰行間近 猪苗代翁島にて】
 
信州では、もうコハクチョウの北帰行が始まったようだ。
 今シーズンも何度かハクチョウとの交歓があった。鳥インフルエンザ問題の影響で、皆がハクチョウを心配して過ごした冬だったのではないだろうか。ハクチョウも少し大変だったかも知れないが、大自然の流れに餌付けは要らないのかもしれない。でも、孫を連れて何度か水鳥たちに会いに行った。愛鳥の心も大切だが、大自然の一端に触れさせ、美しさ、厳しさを教えたいからだった。
 あまり人のいかない笹山浜にお別れに行った。静寂に水鳥の声が響いていた。湖面のさざ波にコハクチョウが流されていくように浮かんでいた。まだハネが灰色の幼鳥もいる。長い旅立ちを前にして、準備運動なのだろうか。あちこちで、さかんに羽を広げる仕草をしていた。いつも愛くるしい水鳥たちとの別れはさびしい。

磐梯山をバックに飛翔する姿を写真に撮りたいと思っている。翁島の田に行くと、雪が溶けた畦に集まって並んで休息していた。シベリアを目指し旅立つコハクチョウたちの無事を祈った。シベリアはどんな自然景観なのだろうかと想像した。これからの元気で帰れよと叫んだら、「分かったよ、また寒くなったら来るから」と答えてくれた。なぜこんなにも切ない気持ちになるのだろうか。

 いつ、どんな時にも磐梯は麗しく聳え、こころ癒される。
 啄木の句を呟く。これ以上の表現はない。
”ふるさとの山に向かいて言うことなし ふるさとの山はありがたきかな。”


<■ふるさとの山はありがたきかな ■>
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【かわいい足跡】
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ひな人形を飾る

2009-02-08 | 日々の生活

 昨日、穏やかな日にお雛様を出した。ケース飾りの裏には、昭和48年3月とあった。長男誕生の際に、信州から出産の手伝いに来ていた妻の両親からの贈り物だ。以来、繰り返し36年間飾ってきたことになる。
一人だけ遠くに嫁いだ末娘の初めての子の誕生を、両親はどう喜んだだろうか。
ひな人形を見つめていたら、そのときの様子や、その後の3人の子どもたちの成長の跡が、走馬燈のように浮かんできた。

娘の家でも、昨日飾ったという。
 紗英ちゃんにも、同じようなケース入りのお雛様を準備した。来週、届けに行く予定でいる。先日、息子たちから初節句のお祝いのお招きがあった。
 華やかに座るお雛様は、部屋を一段と明るくしてくれた。一足早い春が訪れたようだ。



春を感じさせる庭で遊ぶ

2009-02-07 | 日々の生活
 

 幼稚園が休みの土、日は、朝から孫の子守りだ。
久しぶりに外で遊んだ。家に閉じこもり、DVDだDSだ、では不健康だ。
 

庭の隅に残るザラメ雪を手でかき分けると、凍った濡れ落ち葉が剥がれて、黒い土に黄緑色のスイセンの芽が見えた。まさに春近しを感じさせた。
孫たちは、まだ雪の残る裏庭でスキーを履いた。
一汗かいて、テーブルを庭に出して10時のお茶、気温は2度だが風もなく穏やかな日が温かかった。
 続いて、今の時期には考えられない自転車に乗って遊んだ。まさかこのまま出はないだろうが。
 つかの間にお昼、ママのお帰りだ。
 午後はおひなさまを出すという。我が家もそろそろ飾らなければ。
 

  雪消えてほのかに紅しジンチョウゲ

お譲りの勉強机

2009-02-06 | 日々の生活


 外はチラチラ雪が風に舞っているが、陽も射していた。こう言う雪を風花というのだろうか。暦の上ではもう春、縁側では心なしかやわらかな陽にサクラソウがよく咲いている。
ラックともしばらくぶりの散歩だった。昨日は厳しい寒さに、庭に降りたの霜がとてもきれいだった。今朝は気温はさほどでもないようだが、北風が強く体感温度はかなり寒く感じられた。この冬一番ではないだろうか。

【厳寒のサツキ】

【マウス ON】
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 しばらく腰を痛めて気が重い日が続いていた。大分楽になった。
先日、息子が使っていた勉強机を娘の家に運んだ。翌日から腰痛、昔傷めた古傷もあったのに、一人で多少の油断をしたようだ。
 この春は、武琉くんもぴかぴかの1年生、環境だけでもそろそろと考えた。
 2階の何年も使っていない息子の部屋から、引き出しの整理を済ませきれいにした机を下ろした。一人で娘の家まで運び、あらかじめ決めておいた場所に移動出来た。
 とりあえず電気自動の鉛筆削り器や、孫と組み立てた小さい恐竜の5,6体、新幹線の置物などを本立ての前に置いて体裁を整えた。お譲りの机はほとんど傷もなく立派なものだ。もう30年も前、息子が小学校に入学したころを思い出した。
 幼稚園から帰った孫は喜び、萌香ちゃんは何でもお兄ちゃんと張り合ってうらやましがった。どうせだから、そのうち娘の使っていた机を萌香ちゃんにお譲りしようと思っている。


日記@BlogRanking

「歌に思い出が寄り添い、思い出に歌は語りかけ」

2009-02-01 | 文芸
  
昨日の晩は眠れない夜だった。そんなときは自然にまかせ、いつものように目を閉じて「ラジオ深夜便」を聴いた。
〔人生私流〕はフリーアナウンサー 押阪忍の出演「阪を押して忍べ」で、懐かしい人の半生を聴いた。1時台の深夜便アーカイブズは、中西龍の懐かしい「日本のメロデイー」今日は偶然にも5回目で最終回、久々に「中西節」を聞くことができて幸運だった。昭和60年の6/14、5/15、6/26放送のものだった。
にっぽんのメロディー」は、1977年~1991年3月まで放送された。いつも聴いていた。あれからもう20年の月日が流れたのか。
オープニングの口上
 「歌に思い出が寄り添い、思い出に歌は語りかけ、そのようにして歳月は静かに流れていきます。皆さんこんばんは、日本のメロディー、中西龍でございます」
 流れる懐かしのメロディ、そして紹介される俳句の解説、その豊かな心を打つ口調を聴くこの1時間は懐かしの至福の時間だった。思えばいつも心に響いた番組だった。

 人間は懐かしさに生きているのではないだろうか。懐かしさにいろいろな思いが去来し涙が流れた。決して後ろ向きではないだろう。懐かしさは心のよりどころで、明日の元気をもらうことが出来る。
 最近、昔を思うことが多い。沢山の楽しい、悲しい思い出がよみがえる。特に世話になった人々や会いたい人たちの面影が沢山浮かんでくる。家族の成長の後も懐かしく思い出す。

今回の曲は伊藤久男の「夕月の歌」、 松平晃の「急げ幌馬車」、舟木一夫の「高原のお嬢さん」など。

伊藤久男「夕月の歌」>は、メロディー、歌詞共々が切々と心に響いた。
 3番の歌詞
   思い出は はるかなる
   浮き雲の なお彼方
   夕月の
   うるんでいつか 消えてゆく
   ああ・・・