エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

いい日旅立ち

2010-03-30 | 日々の生活
                           【 サラサドウダン 】

 

今朝、谷村新司のCDを聞いていた。
”雪解け 間近の 北の空に 向かい~”
 昨夜降り積もった庭の雪景色に朝日が輝き、
「雪解け 間近の」すがすがしい気持ちに浸った。
 何気なく歌っていたが、じっくり詩を鑑賞した。

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いい日旅立ち    作詞・作曲: 谷村新司
(1) 雪解け 間近の 北の空に 向かい
  過ぎ去りし 日々の夢を 叫ぶ時
  帰らぬ 人たち 熱い胸を過(ヨ)ぎる
  せめて今日から 一人きり 旅に出る
    ああ 日本のどこかに
    私を待ってる 人が居る
  いい日旅立ち 夕焼けを探しに
  母の背中で聞いた 歌を道連れに
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もう20年も前のこと、若い同僚の結婚式に職場のグループでこの曲を歌ったことがあった。
確かに曲名はふさわしいが、落ち着いた曲で、何かさびしい感じの曲だと思った。
今朝、じっくり歌詞を味わうと、あらためて結婚式にふさわしい曲ではなかったような気がした。
 在職中の今の時期、幾多の別れと出会いがあった。新学期が始まる。
1番の歌詞を声に出して歌うと、そんな過ぎ去りし日々が浮かんできた。
 晴耕雨読の生活だが、改まって新しい気持ちで再出発しよう。
それにしても、すばらしい詩だ。            (2010.3.30)


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飽食の時代を反省したい

2010-03-29 | 日々の生活
                  【ナガバユキノシタ】

ワシントン条約の締約国会議で、モナコやEUが提案した大西洋クロマグロの禁輸案が、予想外の大差で否決された。
政府、世論はこぞって胸をなでおろしているが、それでいいのだろうか。
 マグロの無秩序な乱獲や日本の過剰すぎるマグロ消費は事実である。
海の豊かな生態系は未来に残されなければならないし、そのためのマグロ等の資源管理が必要となる。

 マグロの刺身は好きだが、御馳走は少しでいい。テレビの番組で見る大食いの愚行は、だれも目にも恥ずかしいことだ。
相田みつをの名言「にんげん 我欲のかたまり にんげんのわたし」をつぶやかざるを得ない。
 「嚢中三升の米、炉辺一束の薪」の慎ましい良寛の生き方に思いをはせた。
今日の贅沢な飽食の時代に、食の有難さを感じることは少ない。


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穏やかな時を過ごせる幸せ

2010-03-28 | 日々の生活


春らしい暖かさが欲しいが、なかなか気温が上がらない。
毎日、春休みの孫たちに付きっきり、昨日も今日も、午前中は短大グランで遊んだ。
グランドを一周してからキャッチボールだ。投げ方もだいぶ様になってきた。
二人は、それぞれマリナーズとヤンキースのグローブがお気に入りだ。

ほとんどだれもいない構内で自由に自転車乗りを楽しんでいる間、
とぼとぼと周辺の自然観察だ。
今日はユキヤナギのひと枝が咲いていた。構内のシロワビスケは咲き続けている。
雪の中も咲いていたのだろう、もうかなりの花弁が地面に落ちていた。



 大分膨らんできた桜のつぼみの周りにきれいなクリーム色の蛾の卵塊を見つけた。
 芽の吹くころ孵化するのだろう。時々観察して種類を特定したいと思う。
 あと3日で4月だ、そろそろ虫たちを見ることができるだろう。



時折顔を上げ磐梯を眺める。
遠くの早春の山並みを眺めながら確実に老いてゆく自分を思いながら、できれば孫たちがいつまでも小さいままでいてほしいと。
 孫たちとこんな穏やかな時を過ごせる幸せを大切にしたい。


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春を待つ雑木林を歩く

2010-03-26 | 自然観察


午前中、近くの里山の雑木林に水芭蕉を見にでかけた。
9時過ぎ強清水の道路温度表示は1℃、磐梯の頂は見えないが、ふもとは輝いて見えた。
 農道は何とか開いていたが、山の林には、想像以上に雪が多かった。
 道の両脇の林には、まだまだ膝近くまでの雪が残っていた。でも木の根元の周りは丸くへこみ、春近しを感じさせた。



 静寂の林の中を歩くと、ところどころに、とぼとぼと歩いたであろう野ウサギ?の足跡が続いていた。
雪の上には、折れた小枝がいくつも横たわり、見上げると、ヤマハンノキだろうか、吹雪に耐えた雄花の穂と、雌花の実が垂れ下がっていた。

 【ヤマハンノキ?】

 春を迎える水辺の辺りの雪は消えていたが、お目当ての水芭蕉は大きな芽を出し始めたところだった。
また、小川のほとりにフキノトウを見つけた。
春の恵みをつまませてもらい、雪の上に並べた。輝く雪の上でほんのり春の香りがした。
 虫たちが現れるまでにはまだしばらくかかりそうだ。

【ミズバショウの芽】
 

 足を延ばして、長浜の水鳥たちの様子を見に立ち寄った。カモたちはまだかなりの数が残っていた。
数百羽のオナガガモに混じってキンクロハジロ、ホシハジロなどが春の日を浴びながら浮かんでいた。
コハクチョウも十数羽がまだ残っていた。中に羽根に怪我をした個体を見つけた。たぶん今年は北へ帰れないだろう。





 【キンクロハジロ ♂(手前)と♀】

 帰路、しばらくぶりに十六橋へ寄った。初めて橋を渡って戸の口側から眺めてみた。
十六橋のほとりのファン・ドールン像と、記念碑を読みながら、ふと戊辰戦争の戸の口原、十六橋の戦いを思い浮かべた。
 金の橋から猪苗代湖がみえ、名倉山が舞い始めた雪に煙った。

 時折日も当たるが吹き来るそよ風はとても冷たく、寒かった。
 春を間近にした林を巡り、水鳥たちと別れを告げることもでき、すがすがしい気持ちで帰路についた。

【十六橋水門】 【ファン・ドールン像】

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芽越しの雨 

2010-03-25 | 日々の生活



みぞれの降る庭に、カメラを片手に傘をさして春を探した。
 今時分の雨降りを菜種梅雨というらしいが、緑の芽が出始めたユキヤナギの向こうに
霙が静かに落ち、枝にしずくがキラキラ輝いていた。
芽起しの雨と聞いたことがある。ようやく雪が消えた庭が、日々青々してきた。
こんな至福の時を持てて幸せだ。



矢のごとく過ぎ去る日々を意識する毎日だが、決して焦ることはないと言い聞かせる。
世の中の喧騒をよそに、隠遁生活を送る日々を素晴らしいと思う。
それも、救われ、取り戻した健康があればこそだ。




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のどかな春の訪れ

2010-03-23 | 日々の生活

北側の窓の外に張った風除けの波板を一気に外した。全部で10枚、冬の厳しい風雪をまともに受けてくれた。波板に木の枠を付けたのは、もう20年も前だ。
暮れに張って、春の訪れとともに外す。毎年毎年、同じことの繰り返しだ。

波板に囲まれたユキヤナギの花芽が見えた。ここで、ホシミスジがまた育つのか。
 朝はまだ氷点下まで冷え込む。毎日覗いているが、ミスミソウもアズマイチゲも咲きそびれている。
隣の高校グランドで、野球部の春練の若者の声がこだましていた。
リンゴの皮を置いたら、早速ヒヨドリが飛んできた。
のどかな春の訪れだ。


 

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会津彼岸獅子と磐梯の巫女舞

2010-03-21 | 文芸
 今年も長い冬に終わりを告げ、春の彼岸入りとともに彼岸獅子が街に繰り出している。
 彼岸のお中日には、例年みんなで墓参りに行っていたが、
今朝は昨日とうって変わっての雨降り、寒かったので一人で出かけた。
 暑さ、寒さも彼岸までというが、数年間は荒れ模様だったと記憶している。
昨年はいい天気に恵まれ、墓参りのあと、町内を巡る彼岸獅子を見て、孫たちと記念撮影をしてもらった。
 お城の本丸で彼岸獅子が舞われるが、雨降りのときは西出丸の武徳殿に変更になる。
 豊岡墓地に墓参りを済ませ、帰りに武徳殿に立ち寄って見ると案の定彼岸獅子の舞いが披露されていた。

 

そうそう、4年前のこの日は大雪だった。やはり武徳殿で彼岸獅子の舞いを見たあと、雪の中を磐梯町の舟引き祭りに向かった。
今日も、行くことにした。
 磐梯神社に到着する頃、雨は雪に変わっていた。寒い中、社殿の外から厳かな巫女舞を見ることができた。
長い間練習を重ねた町内の小中学生による古式の舞の奉納だ。



 舟引祭りまでは間があったし、あまりの寒さに帰ることにしたが、思わぬ幸運に恵まれた。
 磐梯町そば打ち愛好会が提供してくれる暖かい手打ちそばをいただくことができた。
 冷えた身体が温まり、本当にありがたかった。
 この舟引き祭りは、最近県指定重要無形民俗文化財に指定されたこともあり、
年々見物客も多くなり、道路沿いに車が何十台も止まっていた。

 会津彼岸獅子舟ひき祭り、ともに豊作と家内安全を祈る会津の伝統行事である。
あらためて、春の訪れを実感することができた。

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春が来た

2010-03-20 | 自然観察
                               【ようやく咲いた福寿草】

今日は朝から快晴、孫たちは食事がすむと自転車に乗り始めた。
久々の自転車乗りの感覚を楽しみながら歓声を上げていた。
終日、庭のかたずけをした。
木々を括っていた荷造り紐や、添えておいた木の棒などをすべて取り除いた。
午後は、地面を覆っていた落ち葉を気をつけながら取り除いた。
ところどころに、モグラの堀ったトンネルがあった。いろいろな芽が顔を出していた。
 まだと思っていたフクジュソウが開きまぶしく輝いていた。サンシュウも花火の玉が見えはじめた。
ミスミソウも、もう紫色に色づいたつぼみがたくさん見え、すぐに咲きそうだ。

  【サンシュウ】

 【ミスミソウ】

 【つぼみも見えるエゾエンゴグサ?】

 午後4時、庭の気温は16℃、最高気温はどれくらいだったろうか。
 朝方は、すっきり晴れ渡り真っ白だった磐梯が、夕方眺めると大分雪が溶けたのだろう、
山頂付近は黒い雪形が見えはじめていた。

   【朝 輝く真白な磐梯】

   【夕 雪形が現れた】

 しばらくすると鼻がムズムズしてきた。
この気温で、裏の杉の木が花粉を飛ばしたのだろう。
眼も何となくかゆみも出てきた。明らかに花粉症の症状だ。
いよいよ本格的な春の訪れだ。


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会津と長州

2010-03-18 | 文芸
                           【もうじき 福寿草】

  

先日、心清水八幡神社を参拝の折、松陰の東北遊学考察(3/16のブログ)から、≪長州と会津のかかわり≫に思いをはせた。

 その後、松陰は江戸に戻った後、脱藩の罪で萩に送還されることとなる。
 松陰の才を惜しんだ藩主から10年間の国内遊学の許可が出て2度目の江戸遊学へ。
 松陰は学問を「人間とは何かを学ぶことである」、また「学者になってはいけない。実行しなければならない」と言い、
志を立てて貫くことの大切さ、学問を実行に移すことの大切さを繰り返し説いた。
自らは幕府の弱腰外交を厳しく非難し、尊皇攘夷を実現するべく行動を起こそうとして、安政の大獄で捕縛、享年30で処刑された。
 松陰は死を前に、遺書に「親思ふ こころにまさる親ごころ 今日の音づれ何と聞くらん」を、
そして辞世の句「身はたとひ武蔵野の野に朽ちぬとも留め置かまし大和魂」で始まる「留魂録」を残し、門下生に自らの志を託した。
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 そののち、明治維新を迎えるが戊辰戦争の悲劇の歴史を残すことになった。
立場の違い、考え方の違いを暴力に訴える不幸が幾多の歴史を作ってきたが、戊辰戦争もその一つだった。
会津戦争中の様子は祖父から父、父から子へと聞き継がれた。
戊辰前の平和な城下町ことごとく壊された。郭内の1/3は戦火に焼きつくされ、町家や農家の財産は略奪されたという。
戊辰戦争以降の喪失から再出発した明治の会津の先人たちの生き方を思った。

 最近、「会津と長州は和解すべきだ」といって、市民レベルの交流が話題になるが、
140年の時の流れをしても、会津の人たちの被害者意識を消すことはできない。
会津を攻めた薩長土肥の仕打ち、「勝てば官軍」の意識への怨念すらも色濃く残っていると思う。
 その悲劇、犠牲の上に今の会津人がいるが、実は、若い世代は戊辰戦争すら知らない現状である。時間が解決するのだろう、
会津に生きる人たちのそういう意識もますます薄れていくだろう。
 でも、過去にとらわれ過ぎることはないが、郷土会津の長い歴史や先人、自然の育んだ会津の精神を再評価し、
新しい時代の気風を作っていかなければならない。まさに、温故知新である。
そのための会津の青少年の教育が最も大切に思われる。


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淡雪と宿雪

2010-03-17 | Weblog

今朝は昨日とうって変わって雪の朝だ。開きかけた椿にも雪がかぶった。
 庭に敷き詰めたレンガに、今朝の淡雪がきれいな模様を描いてくれた。

  【椿に淡雪】
  【淡雪の模様】

 昨日のこと、近くの山で、背の低い杉の林に宿雪を見た。
 小野竹喬の作品「宿雪」を思い出した。
【小野竹喬の作品「宿雪」ネットより】

 ようやく春の気配が感じられる季節を迎えた。
 春の青空に躍動し始める木々を見上げた。さあ、新しい季節だ!
  【市内で】




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松陰と会津

2010-03-16 | 文芸
      
 昨日、所要ありて会津坂下まで行った。その折、塔寺の心清水八幡神社に参拝した。
神社参道に吉田松陰の「東北遊日記」の碑が建っている。神社に参拝するたびに読んでいた。
 
碑には「若松を発し、高久、坂下を経て塔寺に至る。行程三里廿四丁、皆平坦の地なり」など、
松陰の直筆本を拡大した銅板がはめてある。その脇に「吉田松陰東北遊日記碑文解説」の解説板が建っている。
 松陰は、嘉永4年(1851年)12月から4月にかけて、松陰が満22歳のとき、肥後藩士宮部鼎蔵らと東北諸藩を歴訪している。
旅のコースは
(江戸 → 水戸 → 白河 → 会津若松 → 新潟(出雲崎,佐渡) → 碇ヶ関 → 弘前→ 竜飛崎 → 青森 →
八戸 → 盛岡 → 仙台 → 米沢 → 会津若松 → 日光→ 館林 → 江戸 )
 心清水八幡神社を訪ねたのが1852年旧2月6日(今の暦で2/29)とある。
会津若松では、七日町の「清水屋」旅館に宿をとり10日間に渡って滞在し、日新館なども熱心に見学している。
松陰は山鹿流兵学をも学んでいて、当時の会津藩に惹かれるものがあったのだろう。
旅行に往きと帰り、2度にわたり会津若松を訪ねている。
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会津あたりの記録には (嘉永4年12月)
廿九日 朝雪、已にして晴れる。
勢至堂を発し、坂を登り、少くして山巓に至る。是れを勢至嶺と為す。
嶺は磐梯山と対す。三代・福良・赤寸・原・赤井を経て、若松に宿す。
会津侯松平肥州の都なり。原・赤井の間に坂あり、黒守と為す。
赤井を過ぎて二坂あり、沓懸と為し、滝沢と為す。
滝沢は城外の村名にして、以て坂に名づけしものなり。
坂上より城市を下瞰すれば、一望瞭然、田野も又甚だ濶し。
土人云はく、十八万石許りと。果して然るや否や。
其の日、郡を経ること二、安積と曰ひ会津と曰ふ。行程九里
晦日 晴。朝少しく雪。井深蔵人を訪ふ。
蔵人既に没し、其の次子某と孫茂待つに逢ふ。
志賀与三兵衛・黒河内伝五郎を訪ふ、共に在らず、
伝五郎の子百太郎に逢ふ。
会津の法、
外套の紐の色を以て士人の等級を分かち、
衣の領の色を以て軽卒の等級を分かつ。
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 『東北遊日記』による 『東北遊日記』の冒頭には、「有志の士、時平かなれば則書を読み道を学び、
経国の大計を論じ、古今の得失を議す。一旦変起こらば則戎馬の間に従い、敵を料り交を締び、長策を建てて国家を利す。是れ平生の志なり。
然り而して天下の形勢に茫乎たらば、何を以って之を得ん」と、心境を述べている。
また、「東北地方は東は満州に連なり、北はロシアに隣接する。国を治めるのには最も重要なところであるが、
自分は一歩も足を踏み入れたことがない。この機会を逃せば後に悔いを残すことになるだろう」という憂国の思いが認められているという。

戊辰戦争は、松陰が会津を訪れてから16年後に起こっている。
 長州と会津のかかわりに思いをはせた。

 
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末娘の結納を祝う

2010-03-15 | Weblog
 
 大安吉日、末娘の縁談が決まり、結納を交わすことができた。
 本人たちの出会い、それ以前の先祖の関わったご縁もいただき、今日の良き日を迎えることができたと思っている。
 やさしい彼氏、温かな家庭に嫁ぐことができた娘に、心から祝福を送りたい。

 仲人を立てない略式ではあったが、素晴らしい結納を交わすことができた。
 両家の家族も集い、固めの杯をした。我が家の孫も加わり、微笑ましい結納式と引き続いての会食ができた。
 宴席のあと、春の穏やかな日差しに恵まれた庭へ出て、喜びの心を撮った。
 二人には、幾久しく、仲良く心豊かな家庭を築いてほしい。
 家族一同、心からの喜びの日となった。(2020.3.14)


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春真近か 雪原を歩く

2010-03-13 | 街中散歩

久々の春の陽に、ハクチョウに会いたくなった。
三城潟の田に向かったが、長浜にはまだかなりの数のオナガガモが砂浜に上がっていた。
少し前まで頂きまで見えていた磐梯山も、
雲がわき中腹から上が見えなくなっていた。
 橋の手前の、まだ雪におおわれている農道に車を置いて、雪原を湖畔まで歩いた。
風もなくいい日が当っていたが、いつまでも寒い。
でも、歩くうちに体が温まり、手袋を脱ぎ、マフラーを取り、ときどき周囲の美しい山々を振り返りながら、広がる雪原をゆっくり進んだ。
わずかに土の見えた畔の土手らしき土にフキノトウが顔を出していた。
 湖畔に近づくと茫々たる枯れたカヤの間にきらきら光る湖が見えた。
夏には行けそうにない湿原に積もった雪の上をおっかなびっくり進んだ。時々ズボっと膝まで長靴がもぐってしまった。





磐梯を背に羽ばたく雄姿を想像して来たが、どこにもハクチョウの姿はなかった。
静寂に振り返ると、湖畔まで行って戻った我が足跡が雪に続いていた。


 野口記念館の裏手に出たので、塀の外から英世の生家跡をのぞいた。
 久しぶりに記念館入口の英世に会った。「しばらくだったが、どうしていたと尋ねられた。」
車に戻る途中、英世の菩提寺長照寺の山門をくぐった。
野口英世夫妻の墓所(遺髪塚)が雪の中にひっそりたたずんでいた。
隣にある母シカさん、父佐代助さんのお墓に手を合わせてきた。
 寺の後ろに磐梯山を背に、かつて英世の通った翁島小学校が建っていた。



 笹山浜へ向かう途中、名倉山のあたりから小石が浜に群れるハクチョウが見えた。
コハクチョウにお別れがしたくて、誰もいない小石が浜へ立ち寄った。
旅立ち前のコハクチョウが2~30羽、静かに浮かび漂うもの、羽を繕うもの、
首を折って休んでいるもの、いよいよ旅立ちか羽ばたきを繰り返すものと
、静寂の湖にそれぞれい長旅の準備をしているようにみえた。
ハクチョウたちに、幸多かれと祈り、別れを惜しんだ。
今日も、静寂の猪苗代湖は美しかった。 (2010.3.12)






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映画「戦場のピアニスト」

2010-03-11 | 文芸
            【紙粘土の花束】

 いつか話題になった映画「戦場のピアニスト」をPCで視聴した。
 1939年ナチスの侵攻を受けたポーランドでの、実際にあった惨劇の物語。
 天才ピアニストがドイツ兵から逃げ隠れながら戦火を生き抜く恐ろさが切なかった。
 150分がとても短く感じられた。
 ドイツの将校に見つかり、その前でピアノを弾くクライマックスシーンは、涙が止まらなかった。
あらためて、戦争の悲惨さ、そして戦争を起こした人間の愚かさを教えてくれた。 
 

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戦場のピアニスト』 (The Pianist) 【ウィキペディアより】

 フランス・ドイツ・ポーランド・イギリスの合作(2002年)。ナチス・ドイツのポーランド侵攻以後、ワルシャワの廃墟の中を生き抜いたユダヤ系ポーランド人のピアニスト、ウワディスワフ・シュピルマンの体験記を元にしている。
 カンヌ映画祭では最高賞であるパルムドールを受賞した。また、アメリカのアカデミー賞でも7部門にノミネートされ、うち監督賞、脚本賞、主演男優賞の3部門で受賞。
 主演のエイドリアン・ブロディはこの作品でアカデミー主演男優賞を受賞した。
また、映画の中でシュピルマンが弾き、象徴的に使われたショパンの夜想曲第20番嬰ハ短調「遺作」がよく知られるようになった。
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魅せられた写真

2010-03-10 | 文芸
                【孫のスティッチ】
   

 最近、ブログ「信州・浅間山麓から」(投稿者 蒼山庵さん)を訪問した。http://sozanan.cocolog-nifty.com/mount_/
写真に魅せられ、バックナンバーを少しづつ鑑賞している。
どれも今まで見たことのない素晴らしい写真だ。
いづれも心に響く、哲学を秘めた写真に、すばらしい感性を感じた。
また、いくつもの背景が真っ白な静物写真が、驚きだった。

ブログから驚きの写真をコピーさせていただく。
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【 ブログ「信州・浅間山麓から」より】

 【 ブログ「信州・浅間山麓から」より】

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 蒼山庵さんにコメントして、どのように写すのか尋ねた。
≪写真の背景ですが、これは単純にバックに白い紙を置いただけです。
影ができないように強い光を避けた平準的な光の中で撮っています。
また暗部全体を明るく補正し、画面全体の調子を整えています。
 お試しください。≫」とお返事のコメントをいただいた。

 早速、身近なもので試してみた。
 <暗部全体を明るく補正>が分からないが、いろいろやってみたいと思っている。



【冬を越した観葉植物】


【新薬師寺のお面】


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