【 残りカリン 青空に輝く 】
母を亡くして9年になる。自分が大病に生かされ、新しい人生を歩み始めたその同じ11月に母は急に逝ってしまった。
退院して間もない11/29だった。
午前中、お墓へ参った。雨降りなので傘をさし、歩いて出かけたが、ほどなく止んで、風もなく穏やかだった。。
お墓のモミジはすっかり葉を落とし、一面黄金の絨毯だった。
お城は、木々の葉が落ち、普段見えない天守閣が枝の間から見えた。
往復10㎞ほど歩いた。久々の運動で、夕方両足の脛部分の筋肉がつって、悲鳴を上げた。
9年前の11/8退院の日、大学病院近くに兄と暮らしていた母に会い、ひととき話をして会津へ戻った。そのときの会話を今も忘れない。
入院中、自分の助からないかも知れない病状について、母には詳しい話を伏せていた。
時折、さだまさしの「無縁坂」を聴いている。いつでも聴けるように、ネットの「お気に入り」に入れてある。
そこでは「後ろだけは見ちゃ駄目と」「運が良いとか悪いとか、人はときどき口にするけど、そう言うことって確かにあると、あなたを見ててそう思う。」「ささやかなぼくの母の人生」などと歌っている。
母は歌のように、こうしろああしろ言い聞かせはしなかった。また、決して運が悪かったわけでもないと思う。そして、ささやかな人生だったとも思わない。
幼いとき、歯を病んで、痛みに泣きながら母に背負われて歯医者へ行ったことを思い出す。
そして、家を離れた学生時代に、時折くれた達筆な母の手紙を今も大切に持っている。
子供のため、家族のために生きた母の人生を思うとき、長生きした母だったが、17,8歳で離れた母と、もっと一緒に暮らしていたかったと思っている。
思えば、親と子の共通でいる時間はいかに短いことか。物理的にも精神的にもだ。
わが子たちとの触れあいもまたしかりだ。それが人生なのか。
残された時間は短い。孫や、子たちと共通する時間を大切にしたい。
昨日は最高の日よりだった。今年最後だろうと思い、庭の雪囲いを済ませた。