エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

待ちわびた新しい季節を思う

2014-02-28 | Weblog

  雪がどんどん解けている。でも日差しがなく、西風も強い。

近づく春を想像している。                                          おことわり ・・・ 【 写真はいずれも昨年のものです 】  

   
 庭の雪も減り、木々の幹の回りに根回り穴が見えはじめて少しの春を感じている。

 毎年、彼岸の墓参りのあと、鶴ヶ城の本丸で笛と太鼓の音に舞う彼岸獅子を見るのを楽しみにしている。

土手のフキノトウが鮮やかな春一番の里山巡りでは、日だまりに越冬したクジャクチョウやヒオドシチョウと再会している。

  

木々の芽吹きに野鳥たちのさえずりが一段と明るく響き、やがて雪解けの磐梯山には雪狐や虚無僧の雪形が現れる。

コブシやシダレヤナギを前景に、麗しい早春の磐梯を撮るのが常だ。

  

さらに、サンシュウ、ダンコウバイの花がほころぶころには、絶滅が危惧されるヒメシロチョウも現れる。

 

今年も自然環境の保全を願いながら小さな虫たちを撮り続けていきたい。

森の中での子どもたちとの活動も始まる。

待ちに待った季節に思いを巡らせている。

        

       


おひな様を飾る

2014-02-25 | Weblog

 

 何となく寒さが和らいだか、気温は3℃まで上がった。少し大粒の降りはこの冬一番だったが、まさに春の雪だ。

  雪の中、これが最後だろうと踏み固まった庭の氷をスコップで欠いた。未だうずたかい雪の上に、春の淡雪が見る見る間に積もった。

 

  先日、一人の教え子を亡くした。いま、関わった一人ひとりとの思い出が浮かんでいる。

 好きで飛び込んだ教職、若かりしころの自分を振り返っている。

情熱に燃え、一つづつの実践を積み重ねた30数年間だった。

降る雪を眺めながら、漠然と考える。「子どもたちに願う思いとは、教育とは・・・」

 

  少し遅れたが、おひな様を飾った。小さなガラスケースのお雛飾り、裏には昭和48年3月とある。

 息子が生まれたのが2月、その折りに信州からお産の手伝いに滞在していた妻の両親が、生まれた息子に買ってくれた。

 川俣の瓦町の商店街で求めてくれたものだ。その後女の子2人に恵まれた。

幼い頃子どもたちがそれぞれに造った、手作り雛も並んでいる。真ん中は起き上がり小坊師を利用している。

遠い思い出、あの頃の温かい日々が甦った。     

              


司馬遼太郎文学碑 

2014-02-23 | 街中散歩

          
        
 チラチラ雪も舞うがときどき陽も差す穏やかな日となった。最高気温も2℃まで上がったらしい。

 そんな穏やかさに誘われて散歩がてらにお城へ行った。

 目的は、2つ。昨年秋に建てられた司馬遼太郎文学碑と、野鳥観察がてらお墓へ。

 先日も絵ろうそくまつりでお城へ行ったが、初めて碑の前に立った。

 碑文は噴火の際の磐梯石の表と裏に埋め込まれてた銅板に刻まれていた。

 場所は、三の丸、博物館入り口の秋月悌次郎歌碑の近くで、同じく昨年建てられた山本八重像の横だ。

 碑文には、随筆「歴史を紀行する」と、小説「王城の護衛者」からの抜粋文で、なるほど、本当の会津を表現する司馬さんの心だと思った。 

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 《会津藩というのは、封建時代の日本人がつくりあげた藩というもののなかでの最高の傑作のように思える。》(「歴史を紀行する」)

 《容保が、京を戦場に死のう、といったとき、慟哭の声がまず廊下からあがった。この声はまたたくまに満堂に伝播し、みな面を蔽(おお)って泣いた。
「君臣、相擁し、声を放って哭(な)けり」
 と、この情景を、劇的な表現で会津の古記録は語っている》(「王城の護衛者」)
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  【司馬遼太郎文学碑】                       

いずれもときどき手に取っている著書だが、あらためて司馬さんからいろいろ教えられていることに感謝した。

入院の度に持参したのは、きまって「街道をゆく」シリーズで、歴史を思い、人間を思い、生き方を思った。

遠い昔から積み重ねられたそれぞれの土地の歴史をたどり、知らないことを知る。その都度、実に楽しい旅となった。

碑を撮り、続いて八重像と悌次郎歌碑を写した。 近くに土井晩翠先生の像もあった。
         

 【八重の像】                     【秋月悌次郎 歌碑】                       【土井晩翠先生の像】 

 【拙ブログ『神のような人 秋月悌次郎』2010-04-15 | 文芸
http://blog.goo.ne.jp/tosimatu_1946/e/0d6cbe95f4879840ef2d14b66c011010

  城の南口にあるお墓へ参った。膝上の雪を固めながら進んで、父に母に元気を報告した。 

  お城のお堀はすべて全面結氷、いつも見るサギやカモの姿は見あたらなかった。
 野鳥も少なく、カラス以外はカシラダカに会っただけだった。

  

 お城はいつも凛としてそびえていた。雪吊りの多行松が美しかった。 

 

    

  

        【荒城の月歌碑】                        【鉄門(くろがねもん)】

  今度はお彼岸にみんなで訪ねることだろう。待ちわびる本当の春も近い。

 観光客がちらほら、今日は芦ノ牧温泉か?東山だろうか?

 

 


 茂吉を思う(きょうは診察日)

2014-02-22 | 日々の生活

 
 2月は1日が土曜、月半ばだが今日は第4土曜日、月一度の診察日だった。

 ”しんしんと雪の近道診察に急ぐ健脚よろこびながら

数百台の駐車場、広い待合室も満杯だ。病院はいつも盛況、新棟やら薬局やらが次々と増築されている。自分も患者の一人なれど、何をか言わんやである。

 待ち時間もまた楽し。今日は補訂「茂吉と上山」(鈴木啓造著)を持参、淡々と、楽しみながら読み進めた。

 いつか父が置いていった「斎藤茂吉の生い立ちとふるさと」を書いたいい本だ。茂吉の純粋な生涯を何度も読んだ。

 この本の裏表紙に亡き父の鉛筆書きのコメントが残っていた。
/S56.5/22読了
 偉大なる歌聖茂吉の全ぼうを○る(見たことのない漢字)ダイジェスト的な片々を知ることが出来た。最近読んだもののうちの良書で、歌人河井君にも一読を奨めた。/

 逆算するに父70歳のころに買い求め、読んだ本だ。この文庫本にはs56.4/7第1刷発行とある。

 父のコメントの「河井君」とは父が媒酌をした御仁で(小学生だった自分が微かに覚えている)、確か名は善順、あの幕末の重要な僧侶のご子息(襲名)であろう思う。             

【 河井善順:禁門の変の際に長州兵を救った僧。長州藩の奥平謙輔から秋月梯次郎宛へ書簡を届け、変装して、秋月を新潟の奥平と面会させる。その後、山川健次郎と小川亮を連れ無事に北越まで届けることに成功。】

 大病を克服した春、茂吉のふるさとを訪ねたことを思い出した。
  拙ブログ 『歌聖 斎藤茂吉を訪ねて』  2007-01-28 | 文芸
      http://blog.goo.ne.jp/tosimatu_1946/e/470a17da4018ca2d344c11de5b822ccc

 なかなか旅が出来ないでいるが、近いうちにもう一度上山を訪ねたい思っている。

 そうそう、検診結果はさして変わらず。H値は 血糖検査 、A1c、尿素窒素、 L値は総コレステロール値,LDLコレステロール値だけ。心配の肝機能関連はOKだった。

 多分、我が見立てでは、H値とL値は一生変わらないと思っている。

運動不足が続いている。改善を心がけたい。 

 

          悠ちゃん 2歳3ヶ月

    

 

 


教え子とお別れ

2014-02-21 | 日々の生活

                                                                                【造花の桜】

 数日前、新聞の訃報欄に見覚えのある名前を見つけた。教え子ではないか?。
 まさかと思ったが、51歳、住所も違いない。予定の時刻に告別式に参列した。
 名前だけは同じだが、遺影を前にするまで、そして同級生のS君に会うまでは半信半疑だった。
  この1月に体調をこわし入院、40日で逝ってしまったのだ。あまりに若い、早すぎる別れとなった。

 いつもはつらつとした、元気な、さわやかな好青年を思った。
 弔辞を聞き、何よりも酒が好きだったことを知った。そんな君と一緒に呑みたかった。残念でならない。
 お焼香をしながら遺影を見つめると、学生のころの彼の朗らかな顔が浮かんだ。

 思えば、彼のお父さんにもお世話になった。新築の我が家の内装を手がけてくれたお父さんは、息子の担任宅と知りながら寡黙で、私が知ったのはかなり経ってのことだった。
 その後、お父さんが亡くなったころに、彼が一度我が家を訪ねてくれた時のことも思い出した。

 また、会工時代は、たしか姉さんが駅の近くにいて冬場はそこから通学していたようだった。
 そうだ、崎川浜近くへ家庭訪問したときのことも鮮明に思い出した。その後崎川浜へ行った時に、何度か実家へ寄らせてもらったこともあった。

 卒業して34~5年の時が流れた。若い教え子に先立たれ切ない。 冷たい風に雪の舞う中、最後のお別れをした。
 彼の分までしっかり生きたいと思う。

 譲二くん なぜに急ぎて逝きたるか 子等4人と認めし参列


ドラマ「遺族」

2014-02-21 | 日々の生活

  
 
 昨日はママがお休みでゆうちゃんが来なかった。いつもは、朝8時になるとBS4チャンネルで定番アンパンマンを視聴する。だから、結構いい番組のあるこの時間帯はテレビは観られない。

NHKアーカイブスでドラマ「遺族」を観た。終戦から16年経った1961年8月16日放送(87分)のドラマだった。

時折忘れている戦争の悲劇を観た。言葉がなかった。いろいろな思いが巡った。
あらためて「二度と戦争を起こしてはならない。」と確認した。

 このドラマは映画監督山田洋次氏のテレビ初脚本作品だった。
  終わりに山田洋次監督が感想を述べていた。
  戦争のさなかに少年時代を過ごしたが、”小さなおうち”でも戦争の悲惨さを伝えているという。
  3/1に再放送があるらしい。

【ネットの解説】
 / 今年、川口アーカイブスで発掘された。終戦間近、鹿児島県知覧の飛行場から飛び立った特攻隊員と残された遺族の実話をもとにした物語。ドラマ本編の前や途中に若者や自衛隊員、そして遺族のインタビューが入る斬新な構成である。太平洋戦争終結から16年、戦争が忘れ去られつつある中、「特攻隊員の死」とは何か問いかける。 /

 


シロハラ

2014-02-19 | 自然観察

庭にシロハラが来ていた。リンゴの芯を啄んでいた。
おなじみのヒヨドリだと思っていたら、少しちがていた。カメラを取り、窓越しに写した。
シロハラを庭で初めて見たのは昨年3月だった。

 

最近、庭に来る野鳥が少ないような気がしている。
ときどき桐の木に来るコゲラ、アカゲラ、アオゲラを待っている。
曇りときどき晴れ、昼を過ぎてもなかなか気温が上がらす、2時過ぎにやっと0℃。ときどき雪が舞う寒い1日だった。

 今日庭に来たカワラヒワとヒヨドリ

 


人間教育者・相田みつを を学ぶ

2014-02-16 | 日々の生活

  ときどきトイレにかけてある日めくりカレンダーで、毎日力をもらっている。
 表紙デザインには「こころの暦 にんげんだもの 相田みつを作品集」とある。
 毎日の相田みつをの、心に響く、それぞれに重い言葉から勇気をもらい、生き方を考えさせられている。
  1日は ”いまから/これから ” 、今日16日は” その場がきなけりゃわかんねえ ”とある。

 もう8年前になるか、T大学病院で診察を受けた帰り道、東京の相田みつを美術館で求めたものだ。
  (参)拙ブログ  《相田みつを》 関連  『 相田みつを美術館で自分を見つめる 』 (2006-03-14 | 文芸)他

http://blog.goo.ne.jp/tosimatu_1946/e/f8b3384681f252ba87508d81788c7501

また、本棚には4冊の詩集(文化出版局刊)が並んでいる。、
  ・「一生感動 一生青春」(1990第一刷) 
  ・「しあわせはいつもじぶんのこころがきめる」(1995) 
  ・「雨の日には雨の中を 風の日には風の中を」(1993)
  ・「にんげんだもの」(1984)
 吹雪の一日、今日は終日、詩集4冊を広げて、一つ一つの言葉を味わった。

  今日、心に響いた2編
○  ”感動とは/感じて/動く/と書くんだなあ/ みつを”

○ ”無為不待
 /人里はなれたた谷間の白百合の花は 誰にも見てもらえないものですが 少しのかけひきもなく 精一杯の美しさで咲きます。

  このような純粋な行為を 佛教では無為不待というそうです  / みつを”

 ご子息は「書家でもなく詩人でもなく、人間相田みつを」という。また、自分自身を、臨済禅師の言葉を借り”一智無位の真人”でありたいと願っていた。ひとりの裸の人間だ。
そして、子どもたちの教育について、「人の悲しみが分かる。人の心の痛みが分かる。そして人の命の尊さとはかなさが分かる。」そんな人間であって欲しいと。
 人間教育者・相田みつを人間教育者・相田みつををもう一度見つめて生活していきたいと思った。 

 

 


愛おしい水鳥よ ほどなくお別れ

2014-02-12 | 日々の生活

 

 気温は日中も相変わらず氷点下だが、風が無く穏やかに晴れ渡った。

 厳しかった冬ともほどなくお別れ、久しぶりに雪の崎川浜に水鳥を訪ねた。

 所々で飯豊の山並や磐梯の雄姿を眺める。厳寒に眺める山々は、いつも、筆舌に尽くしがたく麗しかった。

【飯豊の山並】

 

広田からの磐梯】                                               【赤井からの磐梯】

 

 

 そこここに、春の息吹が感じられるこの時期は、北へ帰る水鳥たちとの別れの季節でもある。

 湖水に近づくと、静寂に「コーウ コーウ」と鳴き交うコハクチョウの切ない声が聞こえた。

 こんなに美しい世界が何処にあるのだろうか。

猪苗代の湖水に遙か磐梯が浮かび、コハクチョウ、オナガガモが憩う。

この純粋無垢な大自然のいのちはあまりに清楚で美しかった。

  

  

 

今、彼女たちは北へ帰るときを感じての準備を始めた。ときどき羽ばたきし、集団で飛び立ち旋回、そして着水を繰り返していた。

今年もかなしい別れの季節が近づいた。

清らかな彼女たちの姿は美しく、切なく、愛おしい。

 

 

 


樹皮を観る

2014-02-11 | 自然観察

 

 

   冬は広葉樹の木々が裸、枝振りがよく観察できる。
   先日、本屋で見つけた「樹皮ハンディ図鑑」を買ってきた。
  夏休み、孫の自由研究で、孫と一緒に庭の植物図鑑を作った。そのとき、樹皮の模様をクレヨンで写し取って特徴にした。

  買った図鑑では、樹皮に種類をタイプ分けしていた。
 [・なめらか ・網目模様 ・ひび割れ模様 ・こぶができる ・トゲがある  ・まだら模様 ・短冊状あるいはリボン状にはがれる] 等などいろいろある。

  この時期、何か写真を撮りたいと庭に出るが、何もない。庭木の樹皮を写真に撮って歩いた。

 接写してみると、今まで知らなかった世界が広がった。雪が深く近づけない木々は望遠で写した。

 手を触れて会話する。楽しいものだ。特徴らしいものの無い幹、個性溢れる幹、太く年取った木、まだまだ幼いか細い木、それぞれにそれぞれの声を聴いた。

 まさに人生と同じ、木々それぞれいろいろだ。みんな、冬の寒さに耐えながら生きていることを実感した。

    

サンショ                        ナンテン                        ムクゲ                          ホウノキ

   

 カキ                            クマシデ                        ヒバ                        クロチク 

  

 キリ                                     ツバキ                                 ブットレア・オーキッドブューテイ

   

 ライラック                                 ヒバ                          アオキ

   

 ケヤキ                                   キンモクセイ                    イチョウ 

  

  ウメ                                   カイドウ                        ナナカマド

  

   サンシュ                                 ヒマラヤシーダ                            ソメイヨシノ

  

 サルスベリ                          クマシデ                             トウカエデ

 

  カイズカイブキ                            ニシキギ

 

 木々の一つ一つに、あらためて個性的な生き様を、そして種の多様性を思った。

 これからは、お互いを知りながらさらなるお付き合いを願いしたいと思っている。

 すべての木々が、春を待っている。


時よ止まれ

2014-02-10 | 日々の生活

 

  ”時よ止まれ 君は美しい そして美しいときは いつもすぐに過ぎて行く
 久しく忘れていた心が口をついて出た。
 いつも卒業の門出に前途に幸多かれと祈りながら生徒に贈った言葉だった。

 どっさりの雪の庭に、今日もキリの枝から風花が舞い落ちる。
 気温は多分零下だが、初めての穏やかな春の陽に誘われて孫と遊んだ。
 そんなひとときには、正に”時よ止まれ”と思う。
 無心で遊ぶおさなごをこんなに心穏やかに見つめるときはこれからも来ないような気がする。   

 

   

                                                                                                                                                                                    もえちゃん お帰り

ひさしぶりに、庭にキジが訪れた。いつも見る鮮やかさがなく地味な感じだ。 

   

 


 文化講演会と絵ろうそくまつり 一夜明けて大雪

2014-02-09 | 日々の生活

 

 お昼ご飯もそこそこに、湯川公民館へ向かった。湯川むらの「米と文化の里」文化講演会を聞いてきた。「古代会津の光明」と題した県考古学会顧問の鈴木啓氏の講演だった。

 

 

雪降りで、この時期各地で雪祭り等いろいろな行事もある。多分参加者も少ないのではと思っていたが、駐車場は満杯、熱心な考古学ファンが詰めかけていて驚いた。
 開会寸前に受付で資料をいただくと、資料No.84とあった。
 最近聴力が衰えたせいもあり少し聞きづらい講話だった。学術的な難しい話で、3割程度の理解か。でも、会津が歴史的にも、地理的にも当時からきわめて稀な地域であったことをまた教えられた。
 講演を聴きながら時折窓に目をやると、雪の積もった緑の松がさわやかだった。しんしんと静かに降る雪を眺めながら、会津の古代に思いを巡らせた。

 テーマは 【①宇佐見定憲師の見解 ②卑弥呼と大和国家、邪馬台国と狗奴国③畿内と濃尾平野 ④記紀・会津大塚山古墳と前方古墳 ⑤会津には国造ではなく県主が任命された。⑥常陸の国と藤原氏⑦勝常寺諸尊】
 少し難しかったが、詳しい資料を示しての興味深いお話しだった。もう一度会津のあけぼのを勉強してみたいと思った。

  

建設が進む会津縦貫北道路での発掘品が展示されていた。縄文時代から平安の頃までの昔人のいろいろな生活の跡(住居跡、井戸跡、土師器、硯、

木製椀、下駄などが出土していた。

 

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   夕方5時に歩いてお城に向かう。絵ろうそくまつりだ。昨年は家族みんなで行ったが、今年はひとり、運動不足もあるが、日々細くなる足腰に危惧の念を持ち始めた。

 片道45分、歩道の雪は歩きにくかった。

   

  

                                                                              中学生たちの作品

   

      

  ろうそくの炎が雪のほこらをほんのりと照らす。みつめる炎は暖かく、心が温まった。

  朝から降り始めた雪、南岸低気圧のはずが会津も本格的、一層炎が幻想的にまたたいた。

 細かい雪が間断なく降り続く例年の風景だ。 ともかくきれいで見とれるお城だった。

 観光客だろうか、登城のための行列が長く続いていた。ここ数年、昔の閑散とした風景はなく、ともかくすごい人出だ。

 本丸から二の丸へ通じる朱塗りの廊下橋の袂に、二対のかがり火が嬉しかった。手をかざし凍える手をゆっくり温めた。

 何とか写真を撮り終え元気を取り戻し帰路についた。                                                   ( 2014.2.8)

 

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 一夜明けて、かなり積もった。朝のテレビで会津若松で72cmと言う。孫娘がバスケの試合。ママの車は行きにすっぽり、ご飯を済ませそうでで雪かきをした。

市道から我が家まで私道が130m、お隣まで道はほぼ広げられていた。隣のUさん、Gさんがかいてくれたのだろう。いつも済まない。

  

なかほどのHさん宅、広い庭の奥の方に止めた車を出せないでいた。 娘さんとお母さんの雪かきを手伝った。

約2時間たっぷり汗をかいた。 我が家もそうだが、年寄り世帯の雪かたしは大変だ。

ちらちら待っていた雪も上がり、気づけば青空、暖かいお日様がさんさんと降り注いできた。

キリの花のつぼみに淡雪が積もった。美しい!!!。 木々の枝からふわふわと軽い雪が舞い落ちる。

いつしか青い空に 風花が舞う。 みんな春を待っている。 

                                

    

  ラックに似た顔になった。

 


失われた自然は戻らない

2014-02-05 | 環境問題

 

  終日吹雪、最高気温-4℃今の時期が一番寒い。

  吹雪の庭に、ハクモクレンのつぼみが何となく春の装いを魅せていた。

  窓越しに

 

  ラジオで予算委員会の中継放送を聞いていた。東京オリンピックのカヌー競技場が葛西臨海公園に建設されると知った。 (元ジャーナリスト有田邦生議員の質疑)

 ここは東京随一の野鳥の宝庫で、多様な生態系が形成されている。

 質疑を聞きながら、沖縄の基地問題での辺野古埋め立てが思い浮かんだ。

 埋め立て計画地域の豊かな海にはサンゴが群生し、絶滅危惧類のジュゴンも生息するという。 

 これらはいずれも守るべき自然環境の破壊だと思う。

 どうも政治的な、そして経済的な活動が優先されているようでならない。これらの懸念に環境省はどのように考えているのだろうか。

 いつまでも人間本位に、莫大な金をかけて自然を破壊し続けることはやめて欲しい。

 人間も自然の一員で地球は借り物だ。

 便利な生活や贅沢な生き方を求め続けるより、もっと自然環境を大切に考える方向に舵を切り変える必要があるのではないだろうか。

  行政の、世の中の流れをただ傍観するだけの自分がもどかしい。

  

              


節分

2014-02-04 | 日々の生活

 
 節分の昨日、春を思わせる一日だった。
 屋根の雪が10cmもあろう氷と共に落下、立てかけて置いたはしごが折れた。2階の屋根まで届くアルミの2連ばしごだ。残念!
 
  用足しに出た帰り、蚕養神社に寄ってきた。
 蚕養神社は正式には蚕養国神社、日本で唯一の養蚕に関する神社だ。
  /弘仁二年(811)の創立の古社で,延喜式内社とされる。寛弘七年(1011)の社殿造営のさいの神官が蚕養蔵人であったという。文化4(1807)年、火災により社殿が焼失。文政2(1819)年、松平容敬公が社殿一切を再建し、今に至る。祭神は,保食大神,稚産霊大神,天照大御神であるが,特に養蚕の守護神としての信仰が篤い。/

 

  子どもたちが小さいころは、8月1日のお日市には行ってお参りしていた。また散歩コースによってはよく立ち寄っている。

 春には峰張桜を眺めに行く。本殿の手前にある御神木の古木はエドヒガンザクラで樹齢1000年という。枝は折れて少なく樹高も低いが太い幹はさすが風格がある。

 ときどき境内の歌碑の文字「恩は石にきざみ 怨みは水にながせ」をたどり、胸に刻んでいる。
 揮毫は昔の県知事松平勇雄氏のものだが、誰の名言だろうか。

 孫たちの授業を想像しながら、神社の隣の小学校の前を通って帰宅した。

 節分、今年は小分けされた袋に入ったでん六豆を使った。孫たちと家中に蒔いて、すぐに回収してごちそうに。歳の数は無理だがおいしかった。

 ごま入りと書いてあり、6~7粒入り、好評だ。来年からは定着しそうだ。

 お夕飯はいつからか、娘が予約注文しておいた恵方巻きだ。

 暦は春、新しい気持ちでスタートを切りたいと思っている。