エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

2006年を振り返る

2006-12-31 | 日々の生活
 遅まきながら、スケデユール管理ソフトsasukeの記録で今年1年を振り返ってみた。いつも年の瀬に振り返る1年は、何とも平々凡々とした月日だと思う。
でも、それぞれに思い出があった。キーワードで記録を巡った。

 何度か辛い体調があり、緊急外来に2度お世話になった。でも、何とか1年を過ごせた幸せを感じている。平凡でいい、2007年も健康で穏やかな日々であることを祈りたい。

1月  ・愛宕山神社へ初詣 ・ブログを始める。(記事280件をアップ。280/365=約8割)
・飯坂温泉泊まり。・いわき新舞子浜泊まり ・草野心平文学館
・いわき三和町に福寿草鑑賞。藁谷さんご夫婦と知り合う。
2月  ・初めての税務申告。・○○投薬始める(薬:毎食前2種、後3種類) ・ふれあいの湯
    ・バスツアーに参加
    《郡山~信州別所~八ヶ岳(泊)~甲州~河口湖~房総富浦(泊)~郡山》
3月  ・大学病院検診① ・親友 森に35年ぶりの再会
    ・飯坂温泉泊まり
    ・芸術鑑賞【・相田みつを記念館 ・出光美術館 ・三井記念美術館】
    ・郡山市文学資料館 郡山市久米正雄記念館
4月  ・会津5桜を訪う 飯坂温泉泊まり ・芸術鑑賞(須田国太郎展) ・発熱1回
5月  ・体調崩す(約1ヶ月) ・宮古蕎麦
    ・小旅行【良寛を歩く】
     《弥彦神社~国上山~五合庵、乙子神社~出雲崎良寛堂、記念館~新潟(泊まり)》
6月  ・大学病院検診② ・映画鑑賞『明日の記憶』 ・初めての年金を受領
    ・ヒメサユリ祭り(熱塩加納)、・しょうぶ祭り(塩川) ・伯父逝去
     ・芸術鑑賞【・江戸東京博物館・日本民芸館・山種美術館・東山美術館】
7月  ・映画鑑賞『バルトの楽園』 ・チョウ、トンボの観察さかん
8月  ・南が丘牧場 ・信州旅行 【若松~新潟~上越~戸隠~四賀(2泊)
     (安曇野、霧ヶ峰、車山)~戸隠~新潟】
    ・生亀先生に感激の再会
9月  ・市の身近な生き物調査に協力 ・アサギマダラの観察(デコ平湿原)
    ・絶滅危惧1類 ナニワマダラトンボ発見撮影
     ・大学病院検診③・体調崩す(炎症、発熱、ビビルビン値、2週間安静)
10月  ・奥日光旅行 戦場ヶ原の草紅葉を鑑賞 奥日光湯元温泉泊まり。
     ・腰を痛める(庭の倒木処理で2週間安静) ・発熱2回
11月  ・教育功労賞表彰式 ・飯坂温泉泊まり ・西田記念館 ・福島民友「すなっぷ大賞」受賞
      ・御倉邸(旧日本銀行福島支店長役宅) ・発熱2回
12月  ・大学病院検診④ ・映画鑑賞『武士の一分』 ・発熱2回
      ・新潟県立自然科学館

 
 12/30 1953年以来観測を初めて以来、最も遅い積雪だったそうです。
      暖冬傾向ですが、落ち着いたお正月を迎えられそうです。
      来年の恵方は北北西とのこと。明日元旦は、その方角に初詣をして新しい年の健康を祈りたいと思っている。


新聞投稿 この1年

2006-12-30 | エッセイ
20年ほど前から、そのときどきの思いや写真を新聞の読者欄へ投稿している。
 これまでに新聞各紙に掲載された文章は、約400編を超えた。
 2001年4月に、それまでの200編ほどを【エッセイ集「麗しの磐梯」】として上梓した。300冊の自費出版であった。

 【エッセイ集「麗しの磐梯」】序文
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序にかえて
 悠久の大自然に抱かれここに至った人間社会、その長い歴史の流れの一瞬間に、塵のごとく存在する自分を意識する。
 係わる地域社会で多くの人々に助けられ生かされていれば、あらためて「意義ある日々を」と願わざるをえない。
 めまぐるしい技術革新の文明社会は何をもたらし、我々はこれからどこへ行くのだろうか。いずれ、失われてはならないものは、人としての在り方、豊かさや優しさ、そして大自然への畏敬の念等々でなければならない。
 ここに、数ヶ年のかけがえのない日々の思いを反芻し、明日を生きゆく心を静かに語りたい。   2001年4月
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これからも、その時の思いを発信していきたい。

 今年(2006年)新聞各紙の読者の欄に掲載されたエッセイである。
1.「棒タラ味わって食文化を楽しむ」 2006.1.4 福島民友
2.「雪景色の若松 石部桜から望む」 2006.1.24 福島民友
3.「節目の還暦で 投稿続けたい」 2006.1.26 福島民報
4.「受験用の学習 抜本的見直しを」 2006.2.8 福島民報
5.「幽玄の世界演出 会津絵ろうそく」 2006.2.23 福島民友
6.「秋月悌次郎会津人の誇り」 2006.2.24 福島民友
7.「「卒業は始まり」意欲ある日々を」 2006.2.27 福島民友
8.「雪の米沢訪れ 蕎麦の味楽しむ」 2006.4.1 福島民友
9.「感動「蜜を」諭しや戒め実感」   2006.4.3 福島民報
10.「還暦迎えた私 数々の思いで巡る」 2006.4.5 福島民友
11.「清楚に咲く花見て 春到来実感」 2006.4.14 福島民友
12.「”黒の画家”作品鑑賞できて感動」    2006.5.2 福島民友
13.「発病から丸3年 人の温もり感謝」    2006.5.26 福島民友
14.「さわやかに咲く「ニセアカシア」」   2006.6.16 福島民友
15.「絶景広がる柳津 良寛の賛美納得」   2006.6.19 福島民報
16.「「良い顔に」と日々穏やかに」       2006.6.19 朝日新聞
17.「珍しいユキノシタ」 (こけし欄)  2006.6.22 福島民報
18.「赤井谷地湿原で虫の幸せ思う」  2006.7.2 福島民友
19.「トンボの季節 次々見事に飛翔」     2006.7.3 福島民報
20.「初夏に風物詩「梅漬け」今年も」   2006.7.7 福島民友
21.「拉致事件一日も早い解決を願う」 2006.7.19 福島民友
22.「雨に心地いい 新品きりげた」 2006.7.25 福島民報
23.「スズムシの音色 秋の風情覚える」 2006.8.1 福島民友
24.「トンボやチョウ夏と秋が交錯」    2006.8.4 福島民報
25.「この平和な時代 どう生きるのか」 2006.8.11 福島民友
26.「心を揺さぶる良寛の生き方」 2006.8.23 朝日新聞
27.「ニラの花開花に少年期思い出す」 2006.8.28 福島民報
28.「興趣そそれれる夜明けの花や虫」 2006.8.30 毎日新聞
29.「昆虫から学ぶ命 大事に育てたい」 2006.9.5 福島民友
30.「誰しもかかるアルツハイマー」      2006.9.14 福島民友
31.「感動をくれた山下清の作品」    2006.9.20 朝日新聞
32.「秋を迎える小さな命」   2006.10.2 毎日新聞
33.「彩色兵馬俑展を見て」 2006.10.5 福島民報
34.「ブドウ、ナシ・・・秋の味覚楽しみ」     2006.10.6 福島民友
35.「「草原の椅子」に本当のおとな学ぶ」 2006.10.17 福島民友
36.「きれいな、畦道の野草」 2006.10.24 福島民友
37.「受験のための学びではない」 2006.11.1 福島民報
38.「核廃絶を訴える義務と責任がある」 2006.11.25 福島民友
39.「政治的な教育論争はいらない」  2006.12.7 福島民友
40.「教員評価導入 現場を壊さないか」 2006.12.20 朝日新聞
41. 「「農業科」の新設構想すばらしい」   2006.12.21 福島民友

福島民友新聞 すなっぷショット欄
 1.交差点の夜景 2006.2.24 
 2.我が家のアイドル 2006.2.27 
 3.春を待つハクモクレン 2006.3.24 
 4.ハクモクレン開く         2006.4.21 
 5.六地蔵の八重桜        2006.5.22 
 6.テングチョウの吸水       2006.  
7.アオイトトンボの産卵     2006.9.20
 8.はいパチリ2006.10.21 (10月のスナップ大賞) 2006.11.3
 9.秋の風物詩「はぜかけ」 すなっぷショット 2006.10.27 
 10.紅葉を楽しむ すなっぷショット 2006.11.27 

福島民報 こけし欄 『珍しいユキノシタ』     2006.6.25
福島民報 ワイド欄 『マダラナニワトンボ撮った』 2006.10.23

朝日新聞 読者からへ 
 スケッチ: 沼の倉 2006.4.19 
 スケッチ: 磐梯麗し 2006.2.22 


虹を見る

2006-12-29 | 日々の生活
 今朝は、この冬一番の寒気が南下、淡い雪が庭を覆っていた。天気予報では、明日にかけてかなりの積雪になると言っている。雪不足のスキー場も一段落だろう。
どうやら落ち着いた雪のお正月を迎えられそうだ。
 一昨日になるか、冬の嵐の去った後、北東の空に大きな虹を見た。
もう長い間虹を見たことはなかったので、しばらくぶりに別世界を見つめているようだった。
 夢の中にいるような幻想的な風景が広がった。桃源郷とはこのことか。しばらく不思議の空を眺めた。
 大塚山の葉を落とした木々の茂みから大きな7色の柱が立っていた。よく見るとその外側にもうっすらともう一つの虹の橋が見えた。虹は大きな弧を描き、上空で消えて、その先は東の滝沢峠あたりへと虹の橋が架かっていた。 
 我々は無限の色の連なりを7色、赤、橙、黄、緑、青、藍、紫と表現する。
その間の連続する色もいくつかは名付けることができるだろう。そのどこまでも細かい色合いをしばし見つめていた。
 私は、虹というと夢を連想する。なぜか分からないが、それはつかめないものへのあこがれなのかも知れない。


冬の蕗のとう

2006-12-28 | 日々の生活
            《愛おしい蕗のとう》

スーパーに蕗のとうのパックが売られていた。お正月を前に需要があるのだろうか。
温室育ちなのだろうが、ひょっとするとと、雪のない田の土手を見にいった。
 驚いたことに、枯れたフキの葉を辿ると、根元には来年のフキの花芽がもう膨らみかけていた。今年は冬型の天気も少なく雪もほとんど降らず、雪のないクリスマス、お正月になりそうだ。、
 枯れないで緑の残るフキもあった。
 まだ小さい蕗のとうを少しだけ頂いた。雪の下で、耐えて早春を待つ蕗のとうを思うと、申し訳ない思いがしたからだ。やはり、雪解けの春の陽に、あの何とも言えない淡い緑が一番だと思った。
 頭を起こすと、年の瀬の寒さの中に会津観音が雪の磐梯山を背に優しく立っていた。

妻の腰痛

2006-12-27 | 健康

  ここ数日、妻が腰痛で辛い生活をしている。丈夫な妻がこんなに患うのは初めてである。毎日、孫のおんぶやだっこで、かなり疲れがたまっていたところに、漬物の樽を動かしたのが直接的原因のようだ。

 腰痛については、私はかなり苦しんだ先輩だ。もう30年も前になる。きっかけは剣道の練習中に激痛が走りしばらく動けなくなったことから。その後、整形外科や整骨院などに通っていたがなかなか治らずにいたが、昭和53年秋の体育祭で教員チームのリレーのメンバーとして、腰の痛さを我慢して200mを全速力で走った。走り終わった時の痛さを今も忘れることはできない。その翌日だった。洗面所で顔を洗おうと首を垂れようとした瞬間、激痛に崩れるように膝をついてしまった。動けなくなった。すぐにタクシーを呼び県立病院へ。椎間板が破れたのだ。全身麻酔で背中を切開、椎間板ヘルニアの手術をした。入院は1ヶ月に及び、診断により、3ヶ月の休職手続きをした。2ヶ月も経つと十分職場復帰も可能となったが、結局は年明けからの復帰となった。
 その後は2,3回腰痛が出たが、数日安静にすると何とか回復し、あれから30年安寧に過ごしてこれた。

 妻は大の病院嫌いで、家で安静を心がけている。温泉が良いようなので、今日も3日連続で近くの温泉通いである。以前私が使っていたコルセットを付けて大事にしているが、かなり辛いようだ。暮れからお正月を前に、本人はいろいろ焦っているようだが、経験上、安静にしているのが一番だ。
 こんな時こそ活躍したいと、まず昨日は神棚の清掃とガラス窓拭きを済ませた。
 年末年始に、普段のものぐさを返上したいと思っている。


感動 「北の零年」

2006-12-26 | エッセイ

           《映画「北の零年」の1場面:ネットより》

 日曜日の夜、映画「北の零年」を観た。明治維新の移ろう時代の波に翻弄された武士たちの悲哀が見事に描かれた感動の大作だった。
 映画を見ながら、数年前に根室の海に浮かぶ野付半島に旅行したときに、はからずも見つけた会津藩士顕彰の石碑を思い出した。そのころ北方警備や開拓のため北の果ての地に駐屯した会津藩士も、同じようにその辛苦は想像を絶するものだったに違いない。なれない厳寒の地での開拓者たちには数限りない人間模様があったと思う。
 この物語は、主人公志乃の言葉で締めくられていた。
「生きている限り、夢見る力がある限り、きっと何かが私たちを助けてくれる」と。
 前向きに、明日を信じて夢を持ちながら生活したいと思った。

街中散歩 八葉寺

2006-12-25 | 街中散歩
 旧河東町冬木沢に、会津高野山ともいわれる八葉寺を訪ねた。冬の陽が雲に隠れると、木々の枝々が伸び、地名「冬木沢」のようにいっそう厳しい寒さが身に染みるようだった。
 八葉寺は空也上人により康保元年(964)に建立されたと伝えられ,文禄年間に再建され、本堂阿弥陀堂は国宝に指定されている。

 山門をくぐると左手に池が、右に空也清水があった。案内説明文によると
 『964年、空也上人は東北各地を巡錫中、紫雲たなびく当地にたどり着き、一宇を建立した。そして、浄水不足に悩む村人のため、一つは阿弥陀如来にお供えする水を得るため独鈷杵をもって此処を掘り浄水を得た。その末流に美しい八葉の睡蓮華が咲き誇ったので寺号を八葉寺と名付け、入滅にいたるまでここに逗留し、教えを広めたと伝える。』とある。

ここは「会津の高野山まいり」として会津一円の信仰を集め、毎年8月1日から7日までは近在の人々の祈りの列が絶えない。新盆を迎えた家々では,親戚縁者を頼み亡き人を偲んで冬木沢へ向かう風習がある。8月5日の祭礼で行われる空也念仏踊りは、空也上人によって広められ,本拠地の京都でさえ既に消滅しているという全国でも珍しい県指定の無形文化財である。厚い信仰と民間伝承が守り続けられている。
 空也上人については、空也上人が念仏を唱える口から6体の阿弥陀が現れたという伝承を写実的に表していると言われる彫像の空也上人像が有名だが、空也上人のお墓がここ会津の地にあったとは知らなかった。

幾多の昔人が念仏を唱え、祈りを捧げてきた。現代に生きる我々も、常々神社に詣で、お寺に参り、神や仏に祈る。世界の大科学者だって信仰に生きている。この非科学的な所作を、人間は疑わずに続けてきたのだ。

 生命科学者の柳沢桂子氏は「7万年も前の、我々より下等な人種ネアンデルタール人が、死者に花を捧げて葬ったことが分かっている。祈りの歴史は長いのだ。私たちは何かに祈るという神経回路を脳の中に持っていたと思う」と言っている。

 科学を超越するものがあるからだろう。これからも、自分の健康を神に仏に祈って、希望を持ち生きていきたいと思う。そんなことを思いながら境内を歩いた。

*【空也上人】*
平安中期の念仏僧。生国不明。諸国を遍歴後、京都に入り、口称念仏を広め、市聖(いちのひじり)と呼ばれた。天台座主延昌により受戒、光勝の名を受けた。悪病流行時は勧進で仏像を造立。鴨川東に西光寺(のちの六波羅蜜寺)を建立。同寺の空也上人立像は有名。903(延喜3)~972(天禄3)

*【空也念仏踊り】*
 空也念仏踊は天禄3年(972)冬木沢の地において入滅したと伝えられる空也上人により創始されたと言われています。長い年月の間断絶し詳らかでないが,大正10年に至り東京神田の空也光勝会により冬木沢に伝授され,空也光陵会によって伝承されている。(別名歓喜踊躍念仏とも称せられる。)
 今は祭礼期間中の8月5日午前10時に開山堂(空也堂)の前で奉納される。墨染めの衣に袈裟をかけ貞盛頭巾をかぶり,白い脚半に足袋,草履を履いた服装で,導師は胸に鰐口を吊し,右手に撞木,左手に錫杖をつき,職衆は左手に瓢箪(2人),鉦(2~4人),太鼓(2人),右手に撞木を持って踊る。
 空也念仏踊の本拠地の京都でも原形か消滅しており,この念仏踊は貴重な民俗芸能である。
 昭和47年4月 県重要無形民俗文化財指定


クリスマスケーキ

2006-12-24 | 日々の生活
 今日はクリスマス・イブ、クリスチャンではないが、クリスマスは良い。
今朝、隣の娘から、「今ケーキを作っています」とメールがあった。孫が手伝っている写真入りだ。 早速カメラを持って妻と隣へいった。

下の孫娘が、丸いスポンジケーキにホイップしたクリームを塗っていた。手に付くクリームをなめたりしながら楽しそうだった。この冬の時期に、イチゴまである。ケーキに載せる小さなサンタクロースやもみの木の飾りまで準備してあった。
 小さい頃、クリスマスは年に何度かの決まってケーキが食べられる日だった。
お菓子のあふれる今だが、小さい頃のキャラメルが思い出されるくらいだ。
 ニュースでは、ケーキ屋さんに長蛇の列ができ買い求める客の様子を伝えていた。
自分たちの頃もそうだったが、いろいろな機会を得て、子どもたちの健やかな成長があるのだと思った。

 クリスマスの幸せな思い出は沢山ある。数年前は、じいちゃん(私)がサンタクロースの衣装を付け贈り物を届けたこともあった。サンタクロースからの贈り物も、自分が貰ったときの記憶は定かではないが、毎年、子どもたちに準備した思い出は忘れられない。
 祖父母が近くにいなかった自分の家庭を振り返ると、近くでいろいろ気を使ってもらえる子どもや孫は実に幸せだと思う。そしてまた、大変だが、世話をする我々も幸せだと思っている。
 母から子へ、子から孫へと。クリスマスを通じてのこころの受け渡しがある。みんなが元気で、しばらくはこんな幸せが続いて欲しいと願っている。

恐竜劇場を見る

2006-12-22 | 日々の生活
 午前中の仕事から帰るママを待って、孫たちを連れて新潟県立自然科学館へ向かった。(12/21(木))
4歳の孫は、一時期は怖がっていたのに最近、恐竜にことのほか興味を持っている。そっくりなミニチュアで遊んだり、恐竜図鑑をみていろいろ聞いてくる。かなりの種類の名前を覚えている。 どんなことにも「なんで?」「どうして?」と言う質問をして、着実に知識を増やしていく。頼もしく思えるが、なかなか分かるように話すのも難しいことだ。
多少の疲れは仕方ない、孫のため、これほどの関心を示している恐竜に会いに行く羽目になった。磐越高速道で1時間、平日で館内はがらんとしていた。
 
お目当ては、「親子恐竜マイアサウラ劇場」だ。3時からの約15分、大きなビデオスクリーンを見ながらチィラノザウルスや、トリケラトプスの模型が動いたり、ほえたりした。2歳半の孫は多少怖がりながらも興味深く見ていた。
椅子の前には恐竜の卵や、歯の化石模型が置いてあり、触りながら視聴した。
他にも化石や隕石などは現物を手で触れるようになっていて、子どもたちの興味・関心はより高まると思った。  

 「生活を豊かにするロボット」のゾーンでいろいろなロボットを見た。
孫たちは、メンタルコミットロボット「パロ」と 猫型コミュニケーションロボット「ニャーミー」に釘付けになり、かなりの時間離れずに触れあいを持った。実にかわいいロボットで、大人も大いに癒された。
 孫たちの、かわいいものを見るあの穏やかな眼差しを忘れることができない。孫とアザラシ、猫とのほほえましいやりとりをしばし見つめた。
約1時間の忙しい見学であったが、この小さな子どもたちには、何物にもまさる貴重な体験となったに違いない。
 帰りに売店で、精巧な40分の1のミニチュアの土産を奮発してやった。


*** ネットの「パロ」の解説 ***
「メンタルコミットロボット」は、人と共存するロボットで、かわいいや心地良いなど人からの主観的な評価を重視し、人との相互作用によって、人に楽しみや安らぎなどの精神的な働きかけを行うことを目的にしたロボットです。
パロは、タテゴトアザラシの赤ちゃんをモデルにしています。パロは、このタテゴトアザラシの赤ちゃんのように、柔らかで、さわり心地の良い人工毛皮で全身を覆われ、体にもやわらかさがあります。
 パロには、視覚、聴覚、触覚、運動感覚などがあり、ふれあう人や環境の状況を感じます。光の変化を感じたり、名前を学習したり、挨拶や褒められる言葉などを理解したり、なでられたり、叩かれたり、抱っこされたりすることを感じます。このような人とのふれあいから、パロにも心や感情があるかのように内部の状態が変化し、反応の仕方が変わったり、鳴き声を出したり、飼い主の好みの行動を学習したりします。パロの鳴き声は、本物のタテゴトアザラシの赤ちゃんの鳴き声をたくさん使っています。
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読書の冬

2006-12-21 | 日々の生活
 芸術の秋、秋の夜長の読書、食欲の秋、スポーツの秋。秋は、何をするにも、精神的にも肉体的にも快適な季節なのだろうか。でも、冬も何となく時間的にゆとりのある魅力的な季節と思う。だから、本もよし、芸術鑑賞にも良いと思う。
 部屋の暖房も快適とまでは行かなくても、少し寒いくらいの方が頭の回転には良いようだ。読書週間も秋に設定されているようだが、これからの寒い季節、少し本に時間をかけてみようと思っている。

 市の図書館は、多少時代遅れの環境空間ではあるが、欲しい本は普通に揃っている。問題は読書に振り向ける時間と、意欲だ。幸いどちらも揃っている。自分の楽しみのための読書がしたいと思う。
 2週間に8冊の貸し出し可能だ。孫たちの絵本も有り余るほどあるし、定期的に通ってみたい。
 
若者は本を読まないようだ。余暇には、ビデオ、DVD、CDのレンタル、ゲームなどに費やすのだろう。あとは携帯でメールか。ますます本は読まれなくなっているに違いない。読書によって得られるものは大きいし、若者の読書離れを憂えている。だから、今の若者には、まず読書の習慣が欲しいと思うが、読書のすすめなどはもう面倒だ。

春から秋まで費やしや自然の中での時間が、かなり空いてくる。冬の自然の良さを楽しみ、少しゆとりのできた時間を読書に振り向けてみたいと思っている。

街中散歩 妙国寺

2006-12-20 | 街中散歩
             《白虎隊士の仮埋葬地》 

 毎朝、夕の散歩コースに妙国寺がある。
 本山妙國寺は戊辰の役での白虎隊の仮埋葬の地だ。賊軍扱いの会津藩士の遺体は、会津藩降伏後も野にさらされたまま放置された。それを哀れんだ滝沢村の農民、吉田伊惣治が西軍の目を盗んで飯盛山で自刃した白虎隊士の遺体を最初に葬った寺である。境内の墓地には白虎隊士自刃仮埋葬地として、「殉節白虎隊士の霊」というに大きな石碑が建っている。また、藩主松平容保が降伏、容保父子が一カ月間入寺謹慎した寺でもある。


山門の脇の案内板には、日什大正師略歴が書かれている。
 *****
 日什上人は天台宗の僧で、比叡山三千の学頭にまでなった人物だったが、58歳で故郷の会津へ戻り、日蓮上人の書を読み、その教えに感服、その後67才で宗を改め日什と名乗り日蓮宗に改宗、京に上り日蓮宗の妙満寺を創建した。各地で新寺を建立、78歳で再びふるさとへ戻り入滅した。
 *****

ときどきその案内文を読み、自分もこれからでも遅くはないと思い勇気づけられているう。
 大病後、幸いに命長らえ普通の生活を取り戻した今、先の不安はあれどひょっとしたらもう少し元気で過ごせるかと思ったりしている。
 『老いて学べば即ち死して朽ちず』(佐藤一斎)を胸に抱きながら。

雪の季節を楽しみたい

2006-12-19 | 日々の生活
 静かな庭に冬の朝日が目映い。この冬は温かいようだ。昨日、ようやく雪らしい降りを見たが、今朝は無風快晴、柔らかい陽の光が優しい。
 一回り小さくなった軒先のつるし柿が美味しそうに熟してきた。命ある小さな虫たちはいつしか枯れ葉に埋もれ、冬の静寂が巡ってきた。
 
 ツバキ、ジンチョウゲ、センリョウなど緑の葉も、これから来る雪に埋もれる寒さを待ちかまえているようだ。ニシキギやアオキの橙色の実がはじけ、さぞ雪にも映えるであろう美しさだ。いつもの変わらない庭の木々だが、朝に夕に、雨の日、雪の日に、そのときどきの一瞬一瞬が美しく感じられる。

 寒さに凛とした赤紫のサザンカ一輪を手折り、家に入った。
 先日取り込んだいくつもの鉢を、廊下から書斎の奥まで射し込む冬の陽を追いかけて移動するのが実に楽しい。しばらくは暖かな書斎から、巡った寒さの別世界を眺め、静かに、緩やかに流れる雪の季節を楽しみたいと思っている。
 これからしばらく、あり余る自分の時間に冬の庭を楽しむ贅沢がある。
 

街中散歩 飯盛山

2006-12-17 | 街中散歩
      《飯盛山 白虎隊士の墓》

白虎隊で有名な飯盛山まで約1キロ、今朝も散歩で足を伸ばした。

 滝沢本陣から裏道を厳島神社へ向かうと、神社の入り口あたりが騒然としている。パトカー、警察官、鑑識係らしき人が黄色いテープを張っているではないか。殺人事件でもあったのか・・・。でも、すぐに撮影風景と直感した。報道役らしき人に尋ねると、西村京太郎の十津川警部シリーズのテレビドラマの撮影だった。観光客らしいエキストラも沢山、忙しく撮影の準備をする中、戸の口堰洞門へ向かった。

 
 変わらない戸の口堰洞門が見えた。白虎隊士が戸の口原の戦いから逃れてきた隧道だ。小さい頃、腰くらいまできれいな水が流れる洞門の出口付近でよく泳いでいた。今も変わらず、猪苗代湖からの清らかな水が蕩々と流れていた。

 
 
 厳島神社の静寂のなか、杉の大木が聳え、年の瀬を迎える今、すっかり葉を落とした枝越しにさざえ堂が見えた。さざえ堂は紅葉と雪が似合うが、まだ雪はない。
 何年ぶりだろうか、いつもお花が供えられ線香が絶えない白虎隊士の墓に参った。寒くなったが、今日は日曜日、観光客もちらほら見かけた。
 前途のある子どもたちが戦火に散った、「忠烈永久に香を残す花も会津の」白虎隊の悲劇をあらためて思った。隊士の墓の傍らには会津藩主 源容保公の弔歌碑が建っている。
幾人の涙は石に注ぐとも その名は世々に朽ちじとぞ思う
 また、いままで気づかなかったが、少年武士慰霊碑が建ち、碑の裏には14歳から17歳までの戦死した少年の名が記されていた。今更のように時の流れが恨めしい。

 墓の裏に廻って谷を眺めた。もっと奥深いと思っていた谷には、かつてオオムラサキが悠然と舞っていた。あれから半世紀、小学生のころの過ぎ去ったこころの風景が甦ってきた。
 白虎隊の悲劇があった。小さい頃よく遊んだ風景もあった。でも、その時は過ぎてしまった。すべてが空しいような気がしている。

 今年もまもなく暮れる。何か心を決めようと思いつつ歩いたが、何らこころの整理も付かないまま帰宅した。焦ることはないと言い聞かせている。

万年筆

2006-12-16 | 日々の生活
 何本目になるか、久しぶりに万年筆を購入した。
水性ボールペンが出始めてからはあまり利用されないようだが、私は手紙やはがきはいつも万年筆で書いていた。万年筆は、私には不思議な魅力があり、思い出の品としてときどき書き味を楽しんでいた。
今、常時使っている万年筆は7、8本ある。ペン芯からペン先までの細い溝がインクの供給を左右するが、何本かは、ペン先をいじって書けなくしてしまった。それらも今もインクを付けて使用している。インクが体温で温まり膨張してあふれ、ワイシャツを駄目にしたこともあった。
一番初めに求めた万年筆はカートリッジインクを使うプラチナ社製だった。中学生のころ初めてのアルバイトでもらったお金で買った。それは、キャップ部分が大きく、ワイシャツに入る短いサイズだった。もう半世紀も前のそれは、少しインクの出が悪くて、今はインクを付けて使っている。次に古いものは、大学入学の時父から贈られたパーカー製だ。これは太字でインクを食うがいまだに柔らかな書き味が気に入っている。あとは妻にもらった名入りのパーカー社製のもの、大学の恩師が研究先のドイツから贈ってくれたモンブラン製のもの、そして、会社を辞めふるさとへ戻る時に求めたシェファー製の万年筆も記念のものだ。
 今回は、特に記念ということではないが、検診で大学病院へ行った帰りに、新宿の高島屋で衝動的に買ってしまった。しいて言えば、この先の健康を願い、まだ何年も書けますようにとの願いを込めて!か。試しに書いてみたら、なめらかですぐに気に入って決めた。キャップがねじ式のパイロット製カスタムで、ペン先は中字を選んだ。
 万年筆は長期間使用しないとインクが固まって書けなくなるので、日常なるべく使っていることが一番のメンテナンスになる。日記やメモも、ときどきペンを変えて使う楽しみもある。ときどき布でふいたり、ペン先をルーペで覗いたりしている。また、作法に反するかも知れないが、たまに般若心経を万年筆で写経している。モーツアルトでも聴きながら書いていると筆に劣らずこころが落ち着く。
帰宅して、早速万年筆収納専用のペン立てに加えた。
ワープロが多いが、なるべく万年筆を使って書く楽しみを続けていきたい。

定期検診を受けに大学病院へ

2006-12-15 | 日々の生活
 一昨日、昨日と、神奈川の大学病院へ定期検診のため上京した。
 3ヶ月ごとに年に4回の検診、四季の移ろいごとに3年が経過し4度目の冬を迎えた。

 朝7時発の高速バスで一路東京へ、山の端より朝日射し込む新しい師走の1日の始まりだった。今年は会津盆地にまだ積雪はない。穏やかな師走の磐梯が真白に聳え、まだ朝靄に沈む猪苗代湖の湖面に朝日が映えて、早朝のたたずまいは何とも麗しかった
 つかの間に登った陽光は目に眩しく、周囲の低い山々の連なり、朝靄に煙る田園風景は墨絵の世界だ。朝の光に照らされた山々、木々、家並みすべてが明るく燦然と輝いていた。

 この美しい自然のもと、人々がそれぞれに精一杯生きている。
ああなんて、人それぞれ生きているの 昨日 今日 明日 変わりゆく私・・・
谷村新司の三都物語の一節が浮かび、今生きていることの喜びが広がり、生かされてある自分を大切にしたいと思った。そんな思いがいつももたげた。
 
 冬は山々の遠望が美しい季節だ。真白な那須連峰、ひときわ白いのが、茶臼岳か。上空の絹雲はこころ洗われる美しさだ。雑木林の間から青空がさわやかに見え、目に映るすべてが美しく感じられて、尊く有難い気持ちだった。バスのシートの背もたれを少し倒して車窓から冬の空を眺める。ぽかんと透明な半月が青空に浮かんでいた。左半分が雲の白さ、右半分が透明な空色の月が浮かんでいる。飛び過ぎる木々や家並みの上空に美しい雲がまるで壁紙のように貼り付いていた。

 自分のお腹はどうなっているのだろう。ときどき炎症を起こすのは仕方ないのか、でも不安だ。また三月が経ち、生き延びし命を見つめ高速道を走った。
   三月ごと見つめし命山茶花の咲く

 首都東京は冬と言うより晩秋、穏やかな日だった。日本橋界隈、巣鴨、神田あたりのイチョウ並木は散り始めの、黄色い紅葉がとても美しかった。プラタナス並木はすっかり葉を落としたが、イチョウは今一番の見頃、師走の陽に鮮やかだった。

 日帰りは無理なので、近頃は朝1番の検診をお願いし前泊にしている。翌日の検診は検査結果を待ってからの診察なので、下手をすると2泊しなければならないこともあった。 前日は、途中に美術館巡りをしている。この時期休館が多く、今回は丸の内の出光美術館で芸術に触れた。
 待合室での数時間はいつも、懐かしの病院の生活を思い出したり、今の健康を有難く思っていた。今回も、安心と不安の結果を持って帰った。次回は来春。

 帰路、東京駅の地下街で買い物を済ませて地上へ出るともう真っ暗、すっかり冬の夜であった。八重洲ブックセンターで孫への土産「恐竜図鑑」などを求め、6時前に会津若松行きの高速バスに乗った。
 隅田川沿いを下り、川口市から東北道へ向かう。対岸の高層ビル街の明かりが美しく水面に映えていた。電車が通る。車のテールランプ、街のネオンサイン、街の灯など、窓からの大都会の夜景の美しさは新しい発見だった。
 隅田川に架かる橋の照明もそれぞれに趣があった。あの光のエネルギーに驚き、近代都市の夜がこれから始まるのだと思った。見ていて飽きない都会の夜景だった。この空の下に何万もの人々が暮らしているのか。

 いつも上京して思う第1印象は、自分は都会には住めない、東京は人の住む環境ではないと言うことだ。あの人混みの雑踏、あふれる車の洪水がいやだ。その雑踏を囲む都会の無機質空間がどうもいけない。ささやかな、質素な日常を支える豊かな自然空間、静かな自然に囲まれた空間を思うと、地方がいっそう素晴らしいものに思えてくる。
いつしか高速道は暗黒の世界へ、道路脇の側路灯もなくなり、眠りの世界へと走った。煌々としたこれから生活が始まる光の世界から、眠りの闇の夜へと。その闇の彼方に我が家があるのだ。