国際的な免疫学者の多田富雄さんが、先月21日、76歳で亡くなった。
昨日、NHKアーカイブスで、2005年12月4日放送のNHKスペシャル「脳梗塞からの再生 免疫学者・多田富雄の闘い」を視聴した。
多田さんは2001年脳梗塞に倒れ、一夜にして右半身不随となり、言葉と身体の自由を失った。
一時は自殺も考えたが、病気を受容し、科学者の目で自分の体の変化を客観的に観察し続けた。
脳を冒されても、身体は不自由だが知的な脳は明晰でいつも創造的だった。
そして「生きるとは?」「人間の可能性とは?」のメッセージは心に響くものであった。
映像を見ながら、自分自身の4か月の闘病、その間に考えたこと、リハビリの思い出などがよみがえってきた。
そして、折角九死に得た一生なれば、もっと実り多い日々でありたかったとの反省ももたげてきた。
今身体の自由と健康を取り戻した自分は、多田さんの抱えた後遺症には比べようもない幸せな日々だが、
反面、生かされて早6年間余、これでよかったかとの反省も大きい。
多田さんは「体が動かなくても、言葉がしゃべれなくても、私の生命活動は日々創造的である」、
「何もかも失った。それを突き詰めると、何かが見える」という。何と強い心か。
確かに自分が大病して失くし、そこから得たことは沢山あったが、天才学者のこの境遇での生き方に触れるとき、もっともっと大事なことがあるような気がしてきた。
まずは、今日一日を大切にしながら、もう一度、もっともっと大事なことを考えて見たい。
昨日、NHKアーカイブスで、2005年12月4日放送のNHKスペシャル「脳梗塞からの再生 免疫学者・多田富雄の闘い」を視聴した。
多田さんは2001年脳梗塞に倒れ、一夜にして右半身不随となり、言葉と身体の自由を失った。
一時は自殺も考えたが、病気を受容し、科学者の目で自分の体の変化を客観的に観察し続けた。
脳を冒されても、身体は不自由だが知的な脳は明晰でいつも創造的だった。
そして「生きるとは?」「人間の可能性とは?」のメッセージは心に響くものであった。
映像を見ながら、自分自身の4か月の闘病、その間に考えたこと、リハビリの思い出などがよみがえってきた。
そして、折角九死に得た一生なれば、もっと実り多い日々でありたかったとの反省ももたげてきた。
今身体の自由と健康を取り戻した自分は、多田さんの抱えた後遺症には比べようもない幸せな日々だが、
反面、生かされて早6年間余、これでよかったかとの反省も大きい。
多田さんは「体が動かなくても、言葉がしゃべれなくても、私の生命活動は日々創造的である」、
「何もかも失った。それを突き詰めると、何かが見える」という。何と強い心か。
確かに自分が大病して失くし、そこから得たことは沢山あったが、天才学者のこの境遇での生き方に触れるとき、もっともっと大事なことがあるような気がしてきた。
まずは、今日一日を大切にしながら、もう一度、もっともっと大事なことを考えて見たい。