エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

シロハラ

2013-03-31 | 自然観察

 

 もう4月なのに、いつまでも寒く冬に逆戻りだ。
窓から2~3mの庭の隅にある小鳥の餌台を立て直した。
ときどきリンゴの皮を置いて、ヒヨドリを観察していた。
今朝は見たことのない地味な鳥が来ていた。
餌台の茂みに隠れて、リンゴの芯を啄んでいた。
ようやく顔が見える写真に撮った。図鑑で見てみると、どうもシロハラらしい。

 

 Wikipediaで調べると、間違いないようだ。
《  特徴:体長は25cmほどで、ヒヨドリよりわずかに小さい。ツグミ類らしく嘴と脚が よく発達した体型をしている。ほぼ全身が灰褐色で、和名の通り腹部が白っぽい。
  分布:東アジアに分布する。 中国東北部からロシア沿海地方にかけての地域で繁殖 し、日本や朝鮮半島、中国で越冬する渡り鳥である。
   日本ではほとんどが冬鳥で、本州以南の積雪のない低地で主に見られる。 日本で越   冬するものは春になると北方の繁殖地に戻る。
  生態:森林の茂みの中にひそむことが多いが、都市部の公園や緑地帯などにも姿を現  す。単独で行動し、地上をピョンピョンと跳ねて獲物を探す様子が見られる。 》

ミスミソウの様子を見た。落ち葉をよけると、沢山のつぼみが早く温かくなれよとばかりに開花の準備をしていた。

三寒四温とは今の季節か。温かい春が待ち遠しい。

 

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初蝶を探しに

2013-03-30 | 日々の生活

 

  春めいたが、気温が上がらない。でも風のない日だまりは温かく、越冬したタテハチョウが舞う光景が目に浮かんだ。
 未だチョウは見ていない。心弾ませて里山へ向かうが、まだまだ田の畦や土手には、所々雪が残っていた。
あれは何時のころだろうか、いつも楽しみにしていたホソミオツネントンボの産卵風景が見られる田の側溝には、マツモムシが見られるだけだった。

水面で仰向けに浮かび、長い後ろあしをオールのように使って泳ぐ水生カメムシである。

  マツモムシ

清らかな流れが、薄い日差しに輝いていた。

春を探すも、名のみの風の寒さよだ。おまけに、今年の花粉症は今までになく症状がひどく、辛い。

土手の一隅にスミレの群を見つけた。他はまだまだ褐色の世界、緑は少なかった。

また、ハンノlキのなかま?の雄花序が趣深く垂れ下がっていた。

  

 春霞で稜線がはっきりしない飯豊連邦を眺めたが、磐梯は身近に雪の筋が美しく見えた。
 いつも取るフキノトウも、もう4月なのに未だ残雪が多かった。
 明日の天気予報は雪降り、まだまだ寒い。

 

久々に、里山へ向かう、こころが沸き立つ思いをした。まもなく、チョウ、トンボたちとの出逢いの感動の待っている。

 

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忙しいが 嬉しい春の一日

2013-03-28 | 日々の生活

 

 きのうの午前中は、町内回覧や役員会の会議資料を作成し、コピーに2時間かかった。
午後はエッセイ2枚を書き上げ、新聞の読者投稿欄へ送った。
 夕方は、娘の帰りを待って東山温泉へ。今年も娘と孫に年度末の温泉招待を受けた。
 孫たちの進級と、4月はじめの萌ちゃん、じいちゃんの誕生日も兼ねての温泉行きだ。 一晩の、こころ温まる贅沢をさせてもらった。

 今朝は9時には帰宅、湯に負けたのか、お酒に負けたのか?、疲れが出てマッサージチェアーでうたた寝とこれまた贅沢。
 きょうは18~9℃に上がった春本番の一日、穏やかな日に庭に出て雪囲いをすべて取り除いた。

 西の裏庭に最後の残雪僅か、明日には解けて流れての~え、しばらく触れない雪に手を置き、写真を撮った。

 最後の残雪

   磐梯山も雪解けが進み、虚無僧と言うより、雪狐の雪形が現れた。


 元気が出てきたついでに、タイヤ交換を済ませた。我ながらこの元気さには驚いている。
 しかし、そのせいだろう、これまで安泰だった花粉症の症状が出た。
鼻水、くしゃみ、目のかゆみだ。思えば、初めての花粉症の発病は昭和63年、忘れもしない勿来への転勤の春だった。以来20数年、毎年悩まされている。

 夕方は、珍しく娘の家にご招待、ビールとお酒持参で、ママの得意のお好み焼きをごちそうになる予定だ。
 多少疲れたが、春の始まりが嬉しい昨日、今日であった。

 

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「徳一を学ぶ」から「徳一に学ぶ」へ

2013-03-23 | 文芸

 

 湯川村公民館に《徳一菩薩を語る特別講演会》を聴きに行った。

講師は薬師寺の長臈 松久保秀胤氏、演題は『徳一(徳溢)菩薩は大悲闡堤菩薩』。

松久保長臈は唯識の第一人者、ご著書の「唯識初歩」からも難しい話かと思いつつも、先月、蓼科の徳一さんからこの講演会の案内をいただいていたこともあり、

また松久保長臈の人となりに触れてみたい思いもあり参加した。

 


  今日の話の内容は、
1.出自 2.僧歴 3.東国入国の時期 4.生涯の行歴 5.徳一菩薩の教相と修行6.徳一菩薩の界繋  7.徳一の和歌

 レジュメの難解な仏教用語で理解できないところもあったが、かみ砕いての丁寧な、わかりやすい徳一像を話していただいたと思う。

(メモから)=====================================
   ● こんないなかになぜ来たのか。ここに、徳一の考え方の中心がある。
   ● この地で、どんな気持ちで、どんな生活をしていたのか。
      仏道の三学(戒行、定行、慧行)に徹する生活だった。
              ・殺生をしない   最澄は徳一を「麁祖食者」と誹謗
       ・磐梯修験は大きな業績 
       ・唯識: 認識→価値観が決まる 今日ほど求められているときはない。
   ● 徳一の仏性論     断善根闡堤ではない、大悲闡堤
        生きるものすべてが菩薩になるまでは自分はならないと宣言
   ●  徳一の短歌を知る
    「縁あらば吾また来む世は磐梯(イワハシ)の山のふもとの清水の寺」
                    (清水の寺は慧日寺の最初の寺名)
         生涯この地を清らかにと願った〈徳一の心〉をしみじみと偲んだ。
   ●  人間のあるべき姿を示した徳一
   ●  大天災に精神復興でありたい。    
   ● 欲界穢土だけれど、私が清らかなら、まわりもすべてが清らかと思う。
           ======================================

 蓼科の徳一さんとは、昨年の早春、勝常寺の徳一座像前での『意味ある偶然の出会い』から始まった。
 ・拙ブログ【「勝常寺、慧日寺に徳一を尋ねる」(2012.4.2)】
           http://blog.goo.ne.jp/tosimatu_1946/e/4a2af7fb6e354c9557b9994b58c6cafc
  その後、手紙での交誼をいただいていたが、きのうは、遠路、この講演を聴きに奥様と孫さんと来られ、拙宅へ寄られた。

我が「徳一」と「信州」との共通項での出会いとなった方、ありがたい、あまりの偶然の出会いだった。

 昨年末には「徳一菩薩シンポジューム(坂下大会)」に出席した。
     ・拙ブログ【「徳一菩薩シンポジューム」(2012.12.23)】
           http://blog.goo.ne.jp/tosimatu_1946/e/a21e068b3a69fb7f16f2fdc30fce2f6d
 そのときの講師は薬師寺の次氏、今回は松久保長臈、かつて修学旅行引率で何度も訪れた薬師寺だったが、当時は法相宗の大本山との認識はなかった。

シンポジュームの主催は「徳一菩薩に学ぶ会」で、仏都会津の祖・徳一菩薩を顕彰し、地域の活性化を目指して設立された。

 今日の主催は「徳一菩薩研学敷衍の会」で、会の目的には、「会津仏教文化の礎を築いた「徳一菩薩」に関する調査・研究し、

その普及、及び伝承することにより、地域の活性化並び会津地方の発展に資する」とある。

 期せずして「徳一」を見つめるグループ2つが組織された意味を考えた。今こそ大切な人物像を掘り下げる意義を思った。

 いずれにしても、1200年前、会津に骨を埋めた徳一菩薩の徳を正しく見つめたいと思っている。

そして、これを機に、難しくて敬遠していた唯識についても、少し前向きに学びたいと思った。

 今(徳一学ぶ)域だろうが、早く(徳一学び)新しいときを見つめていきたいと思っている。

【松久保秀胤長臈氏、徳一さんの奥様と孫娘さんと】

 有意義な一日だった。

 

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虫たちの絶滅危惧 一刻の猶予もない

2013-03-21 | 昆虫

  虫たちの写真を整理していた。

  また、昨年の夏、環境省が公表した「絶滅のおそれのある野生生物の種についての最新のレッドリストを見ていたら、

これまでの準絶滅危惧種だったヒメシロチョウが今回は絶滅危惧1類に指定されていた。

近い将来に絶滅の危険性がより高まった訳だ。

他には、大川沿いで見られたミヤマシジミが絶滅危惧ⅠB類(EN)に、まだ見られるウラギンスジヒョウモンが絶滅危惧Ⅱ類(VU)に、

また、東山地区でずいぶん見かけていたヒメシジミ(準絶滅危惧種)も、最近めっきり少なくなった。

 

ヒメシジミ                                                 ヒメシロチョウ

 


 同じく、会津の里山に生息する絶滅危惧1類のマダラナニワトンボやコバネアオイトトンボも、生息環境の変化で年々少なくなっている。

 

マダラナニワトンボ                                         コバネアオイトトンボ

 


 会津の里山に細々と生息するこれらの希少な虫たちが愛おしく思われた。

  数十億年の生物の進化の歴史が幾多の生物をはぐくんできたが、毎日驚くほどのスピードで多くの種が絶滅している。

これらはすべてが人間の行為によるもので、手をこまねいてはいられない。自然との共生を実現する実効的な保全対策が急務である。

 厳しい冬も終わり虫たちの活動が始まる今、小さな虫たちの命を守るための行動を起こしたいと思っている。

 

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彼岸の墓参り

2013-03-20 | 日々の生活

彼岸のお中日、家族で墓参りをした。切り花を求め、絵ろうそくを灯して線香を手向けた。

懐かしい両親に、伯父叔母に、日々の生活を報告した。健康に留意して、日々を送りたい思いを伝えた。

お墓までの道は笹が雪に倒されていたが、墓地には雪はなかった。 

雪が沢山と想像していて、落ち葉を掃きに来なかった。入り口だけをはいたが、そのうち掃除に来たい。

 

「彼岸」は「彼岸至ること」でサンスクリット語の「波羅密多」の訳と言う。
煩悩と迷いの世界【此岸】にある者が、「六波羅蜜」の修行をし「悟りの世界」【彼岸】の境地へ到達できる。

彼岸は「極楽浄土」、【六波羅蜜の教え】は
・布施の心 ⇒他人へ施しをすること ・持戒の心 ⇒戒を守り、反省すること
・忍辱の心 ⇒不平不満を云わず耐え忍ぶこと・精進の心 ⇒精進努力すること
・禅定の心 ⇒身心を安定させること ・智慧の心 ⇒真実を観る智慧を働かせること
 これらの徳目、せめてお彼岸には思い起こしたいものだと思った。

  墓参りを済ませ、廊下橋から本丸へまわって彼岸獅子の舞を見てきた。

  

 いつも、笛と太鼓の音に舞う獅子を見つめながら、今年も巡った春を嬉しく思った。

 お城の本丸に獅子の舞を囲んだみんなが、春の訪れをそれぞれに喜んでいるようだった。

 

    

 ひとり輪を離れ、堤を登った。かすかに聞こえる笛の音に、いつの時代にも春を喜び見つめただろう先人を思った。

 彼岸獅子を楽しみ、次は磐梯神社の舟引きまつりへ、ここ数年繰り返すコースだ。

 いつもより穏やかなお中日、資料館脇の駐車場に車を置いて、神社までの道すがら、春を楽しむことにした。

 資料館のまわりは未だ雪が残り、所々道をふさぐ雪の道を注意しながら慧日寺金堂へ向かった。

  途中に越冬したオツネントンボを見つけた。写真を撮ろうと近づくと驚くほど俊敏に飛び去った。

 小川は雪解け水がとても豊富で、勢いよく流れていた。

  

 丁度、舞が始まっていた。舞手は幼稚園から中学生の女の児だ。

巫女舞は県指定重要無形民俗文化財に指定され、 三つの舞「榊の舞」「弓の舞」「太刀の舞」の奉納を静かに見つめた。

舞い手が一度左回りに一周し、その後右回りで元の位置に戻る様式は古い舞楽の系統らしく、他にはほとんど見られないと説明があった。

今年も振る舞いソバをいただいた。なかなかのサービスがありがたかった。

  

  この後1000年も継承されている伝統行事舟引きがあるが、見ないで帰ることにした。

 数年前から境内に店が出るようになり、孫たちに大判焼きやらポテトなどを買った。帰り道は行儀が悪いが、のんびり食べ歩きで駐車場へ戻った。

 途中、いつもの田の畦にフキノトウを探したが、土手は未だ雪に覆われ見つけられなかった。

 ブログを書きながら、ここ5,6年のブログを見返し彼岸のころの過ごし方を振り返った。孫の成長の早いことに驚かされた。

  来年も、再来年も、元気で春を迎えられるようにと願った。

 

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憩いの西山温泉郷へ

2013-03-18 | 日々の生活

 娘がお休みで、しばらくぶりに空いた今日、柳津の従兄弟宅へお彼岸のお線香を上げに行った。

 もう一つの目的は西山温泉だった。

  先日の拙ブログ「温泉の効用?」に【トド伯父さん】からのコメント《「老沢温泉」が膝の痛みによく効いたようだ》と教えてくれた。

妻の膝の療養に温泉が良いようなので、このところなるべく行くようにしていた。

 高速磐越道を走っていると、新鶴ICあたりをほぼ真北の喜多方方面へ飛ぶハクチョウの群れが見えた。

 猪苗代湖で過ごしたコハクチョウだろうか。もっと南からのものだろうか。

 数えると13羽がV字の形で整然と飛んでいった。胸がジーンとなった。いつもこの時期の切ない別れだ。

 やはり柳津の雪の量は違った。付近の田には未だ背丈以上の積雪があった。
久しぶりに従兄弟とゆっくり話が出来た。
ゼンマイの煮付け、棒鱈の甘露煮、おいしいキュウリ、大根の漬け物でお茶をいただいた。

温かい広い廊下には沢山の鉢が疎開していて、可憐なサクラソウがきれいに咲いていた。

 

 昼が近づきお暇し西山へ向かった。

 いつもは「せいざん荘」だったが、県道からの入り口に西山温泉郷の案内板があり、道沿いに4軒、県道の右下の川沿いに4軒の旅館が表示されていた。

「老沢温泉」は旅館名だった。その隣は「新湯」とあった。

 川沿いの温泉までの旅館の階段廊下を下りると、脱衣所が。そして浴室には2,3人が入れるくらいの素朴な湯船が3つ並んでいた。

 湯船の奥には老沢温泉神社が祀られ、入り口の手前が一番熱く、奥が少しぬるめだった。

 温泉は僅かに硫黄臭があり、少ししょっぱかった。温泉はナトリウム-塩化物泉(硫化水素型)

 湯船に注ぐ湯の道には白や緑色の結晶が固まり、湯は無色透明でゴミのような黒い湯花が咲いていた。

 ご主人が「混浴なんです。誰か来たら待ってもらいますから。」と。「いいえ、年寄りですからご心配なく。」と答えた。

脱衣所には、遠くからのお客の俳句の短冊やら、色紙などが貼られていた。
その中の一句 「心良さ近くに欲しい老沢の湯」

良い温泉だった。またお世話になろうと思う。

     川沿いの風呂場

 帰り道、沿道の雪はうずたかく土を隠していたが、山々には僅かに根回り穴が見え始めていた。

ほんの一カ所、水の流れのある道ばたに、ほのかな春の色を見つけた。フキノトウだ。

少し風変わりな育ちのフキノトウ、つぼみは小さく、弱々しい茎が伸びていた。フキ味噌にでもしよう。

  

  柳津へ戻り、例の「あわまんじゅう」を買って帰る。新製品ピンクのあわまんじゅうも試しに求めた。

 

お茶でおなかが一杯だったので、遅いお昼は柳津のそば屋へ。

お店の中で見つけた額の書、「夢」?はよく見ると「ありがとう」と、「感謝」に見える書は「すべての人々へこころをこめて」と読み止められた。

店の人の書だろうか、誠司とある。よく考えたものだ。

また、遠くからレジに人がいるとばかり思っていたら、なんとクマだった。おもしろいお店だ。

  

帰りは3時半の萌ちゃんの下校に間に合うように、高速道で戻った。

毎日孫に追われる忙しさを忘れて、わずかな憩いのひとときを過ごすことが出来た。

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春浅い日の磐梯

2013-03-15 | 日々の生活

朝から快晴。気温は相変わらず低い。ちょうど、早春賦のイメージ、風は冷たかった。

でも、午後には10℃を越えたようだ。

午前中に庶務の仕事で、一時間をかけて町内23組の組長宅をまわった。

町内のお宅を訪問することは少ない。我が家の素朴、質素さに比べると、どこのお宅も立派で、特に玄関はそれぞれに豪華だ。

重要書類なので、チャイムを1度だけ鳴らした。共働きの若いお宅は留守が数軒、ずく(信州の方言か?)がないのでポストへ入れた。

愛想のない我が輩だが、顔見知りの組長とは少々の立ち話をした。

雪の残る短大のグランド遙か、いつかも体験した磐梯山の遠景、その美しさにしばし見惚れた。

今でしか撮れない、春浅い日の秀峰磐梯を撮った。

【短大グランドからの磐梯】 

【学鳳高校グランドからの磐梯】

【我が家2階からの夕景磐梯】

 ようやくの春到来と言った一日だった。

 

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悲しみの向こうに きれいな花が咲く

2013-03-12 | 日々の生活

 

  復興支援ソング、亡くなられた人への鎮魂の歌、被災者への応援歌『花は咲く』を毎日聴いている。

 いつしか、この心に染みる、寂しく静かな、そしてきれいな歌の歌詞を覚えた。

 作詞をした岩谷俊二氏は、亡くなった人たち、生き残った人たち、あの震災を遠くから心配していた人たちの、3.11から今に至るまでの想いを、僅かでも書き留めたかったと述べている。

 地震、津波、さらには原発に被災した方々の思いをテレビで見ては、切なく、いつも悲しみを共有することしかできない自分が情けなかった。
 

 歌詞の一節「わたしは何を残しただろう」が気になっていたが、亡くなった人の悔しさを思い、

 その人の分までしっかり生きて花を咲かせなければならないと思った。

 厳しい寒さの季節の後には間違いなく暖かな春が来て、花は咲く。

 悲しみの向こうには新しい明日、きれいな花が咲くに違いない。

 大震災から2年が経った。

 

  

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感動 三度

2013-03-11 | 日々の生活

 

春の天気は分からない。昨日は冬へ逆戻り、でも今朝は朝日が明るかった。

2階から、輝く磐梯山を確認して、急遽崎川浜へ向かった。昼前に、ハクチョウの旅立ちの様子を見たかった。

我が家から10分で強清水、途中八田野ではもう国道の除雪除け鉄板をはずす作業がが盛んだった。

強清水の電光掲示の温度がー4℃だった。湊の学校までは10分、セブンイレブンの先を右折して崎川浜への近道を走った。

折からの雪煙で前が全く見えなくなり、車を止めて突風が治まるのを待った。

我が家から、30分足らずでハクチョウの天国崎川浜へ到着した。

三,四日でハクチョウの数がめっきり減っていた。大部分がシベリアを目指して旅立ったようだった。

湖畔に佇み、美しすぎる厳寒の世界を眺めた。

カーウ、カーウと激しく鳴き会うコハクチョウ、凍える手で、磐梯山をバックに白い鳥たちを写した。

 

一瞬、吹雪となり磐梯山の雄姿が隠れた。青空に聳えていた磐梯に僅かに雲がかかり、一瞬のうちに雪煙が舞い、湖畔のハクチョウの群れが隠れた。

横殴りの雪の中、コハクチョウが飛び立った。感動の光景にシャターを押し続けた。

震えるような感動的光景だった。

どんなきれいな写真を見ても、ビデオを見ても、あのときの現場での感動には及ばない。

5感を総動員しての感動に違いない。写真では伝わらない現地での心の動きだ。

そこにいて、目で見て、耳で聞き、吹き込む雪を顔で受け、肌で、凍える手の寒さがなければ,これほどの感動は生まれない。心に響かない。

 

湖岸には、褐色の大きな丸い氷が波に漂っていた。どんなメカニズムでできたのだろうか。

多分湖岸の凍った雪の固まりが砕け、打ち寄せる波に削られたものだろうか。

浅瀬の湖水が凍って、日々様相を変えていた。

 

 

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春を探す

2013-03-08 | 日々の生活

 

  孫娘の週末の宿題は、俳句の材料らしい、春を探してくることだった。

 手帳に感じた春を書きながら、家のまわりを一緒に歩いた。

 まず、スズメのさえずりがひときは嬉しそうに聞こえた。梅の蕾をのぞくと3ミリ程、まだまだ固かった。

 雪の上から枝を出したユキヤナギの新芽にも未だ緑が見えない。コモをかけたジンチョウゲの花芽を見ると白いつぼみが少し膨らんでいた。

  

 気温も13℃に上がり温かかったが、おおむね木々は眠ったままで、春は見つけにくかった。

門柱の上にあるミセバヤの植木鉢に緑を見つけた。鮮やかな緑の苔だ。橙色の胞子体が伸びてとてもきれいで趣がある。枯れ葉をよけると、ミセバヤの新芽が見えた。

 

 まだ1メートル程もある雪の山を、注意して踏みしめながら裏庭に回った。

 多少ゆるんだ雪に長靴が埋まった。 ムクゲの長い枝を雪が覆い曲がっていて、あらためて大雪だったこの冬を思った。

庭木の幹の回りに根回り穴が見えて、少しの春を感じた。でも、もうしばらく待たなければならないようだ。

 


軒から張り出していた屋根の雪がきのうの夜の間に落下していた。落ちたかたまりが道をふさいでいた。

ガス屋さんが来ると大変、苦労してかたずけた。

我が家は会津では少ないスレートの屋根、雪は積もりっぱなしで、東側は、まだ3~40cmも積もった雪の下に10cmを超える分厚い氷が出来ていた。

未だ屋根に残っている氷の層に、ずれたスレートが見えていた。実は去年も軒のスレートが氷と一緒にはがれて大損失を被ったばかりだ。

 屋根からの落雪     

今年は積雪が多く、庭の土も未だ見えない。雪が消えるのはいつになるだろうか。

玄関先までの踏み固まった雪は硬い氷でかなり厚く、角スコップで砕いた。

厚さ10センチ以上、手にまめが出来る程がんばって庭を広げた。

春は名のみだが、じきに間違いなく緑萌え、花が咲くのだ。

本当に4から5ヶ月間、会津の冬は長いと思った。

 

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感動再び

2013-03-06 | 自然観察

 

今日は関東地方までは春爛漫の一日になるとの天気予報だった。

南東北の会津、今朝の気温がー6℃、でも朝から良い日が当たって温かくなる気配だった。

早速、あの感動をふたたび・・・と、崎川浜へ出かけた。

一昨日、絶好の天気に恵まれ久しぶりにハクチョウに会いに行き正解だった。でも、昨日は春の雪降りだった。

しんしんとボタンの雪が降った。

今日も、やっと春き来たりと思いきや、午後からみぞれから雨に、孫の下校時には本降りとなった。

でも、温かかった。PCのデスクトップに貼り付けた情報では13度まで上がったようだ。

 

でも、崎川浜はやはり寒く、弱いが風が身に染みた。小さな波が湖面に打ち寄せていた。

いよいよ北帰行が始まったようだ。

紺碧の湖に真っ白なコハクチョウが、あまりに清らかだ。互いに呼び合い、しきりに旅立ちの準備運動をしていた。

たまに水面を蹴りながら離陸し、旋回して大きな羽を広げて着水する。

そのまま戻らない群もあった。元気で帰れよ!手を振った。胸が熱くなった。

 

 

 

 

 

 

今日も、崎川浜で感動を独り占めだった。タローに「また来るからね!」と挨拶をした。

 

 

帰りに、シデコブシの里、トンボ池付近を通るが、まだまだかなりの積雪で国道から側道へは入れない。

雪が消えるのはいつのことか。どこも雪の野山、土が見えない。チョウやトンボの発生もかなり遅れるのではないだろうか。

水曜日は「天ぷらの日」、強清水のそば屋で、いつものニシン、スルメ、まんじゅうの天ぷらを求めて帰った。

 

 

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北帰行始まる

2013-03-04 | 自然観察

 

寂しい別れの季節がやってきた。

まだ新聞報道はないが、猪苗代湖へ来ていたコハクチョウの北帰行が始まったようだ。

春めいた朝、崎川浜を訪ねた。

コハクチョウの鳴き会う湖畔にたたずみ、海の青,空の青に染まず漂う水鳥たちを見つめた。

厳しい寒さにも、湖岸に積もった雪が春の日差しに輝いていた。湖畔の雪も、例年より2,3倍の積雪量に思える。

  

10羽ほどの集団で、湖面を歩いて水しぶきを上げながら離陸するハクチョウたちの、清らかな姿に感無量だ。

4~5000キロの長旅を、どうか元気で羽ばたき、また秋の終わりには再び戻ってきて欲しいと願った。

 

 

 

この崇高な大自然の織りなす風景が、あまりに美しい。

”全身に豊かなる大自然 涙あふるる感動 青き磐梯ありがたし”  いつもスケッチに記すコメントだ。

今日も対岸の湖面には蜃気楼が見えた。

集団で眠ったり、羽根を繕い、たまに大きな羽を広げて準備運動をしている。

逆立ちして湖底の水草を探している一群もあった。

 

  

 

愛おしい、美しい汚れなき水鳥たちだ。オナガガモはかなり少なく、もうかなりの数が北へ旅立ったのだろう。

 

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懐かしの寮歌「春寂寥」

2013-03-02 | 日々の生活

                                      【 猛吹雪    昨日の暖かさから一転 冬へ逆戻り 】

  今朝の信濃毎日新聞に 『 旧制松高の寮歌「春寂寥」、来月の入学式で初演奏』の記事を見た。

 【・・・・ 信大には校歌がないだけに、信大卒の笹本正治副学長は「一緒に青春の時を過ごす仲間が気持ちを一つにして歌うのは大切なこと。

   キャンパスが分散しているが、春寂寥が学部を超えて信大生をまとめる力になればいい」と期待。・・・】と。

   この寮歌「春寂寥」についてはむかし拙ブログに書いた。
    ○「青春 北杜夫」  2011-10-28
      http://blog.goo.ne.jp/tosimatu_1946/e/055b82fb42a4f3728ac8822a3e31f35c
     《 全学部の部活の合宿であの思誠寮にも泊まることが出来た。そして寮歌「春寂寥」も全部覚え歌った。》

    ○「黄昏そむる 雲の色」 2011-07-19
      http://blog.goo.ne.jp/tosimatu_1946/e/ad339e1c648acf8652bded6341af46c5
       《 これまた学生のころよく歌った、旧制松本高校の寮歌「春寂寥の」だ。
      ”春寂寥の ~ ” ”あわれ悲し 逝く春の ~”
      もの悲しく、青春の寂寥感漂う旋律が 心を揺さぶる。
 

 ○「寮歌考」  2009-12-15
      http://blog.goo.ne.jp/tosimatu_1946/e/e1249b9086d89737738fb8e38ba14054
      《  桜の季節には、思誠寮の『春寂寥』をよく口ずさんでいる。
    ”あわれ悲し逝く春の 一片毎に落る涙”当時から、北杜夫も歌ったであろう(*) すばらしい寮歌に酔っていた。 剣道部の全学合宿で教えられたと記憶している。

       (*)北杜夫著『或青春の日記』には(昭和23年4月9日)   ”長野の街を見下ろして、僕らは「春寂寥」を歌って山を下る。”とある。 》

  【 春寂寥
     http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/harusekiryou.html 
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 春寂寥の 洛陽に
 昔を偲ぶ 唐人(からびと)の
 傷める心 今日は我
 小さき胸に 懐(いだ)きつつ
 木(こ)の花蔭に さすらえば
 あわれ悲し 逝く春の
 一片毎に 落(ち)る涙
 
岸辺の緑 夏木立
 榎葉蔭(えのきはかげ)の まどろみに
 夕暮さそう 蜩の
 果敢(はか)なき運命(さだめ) 呪いては
 命の流れ 影あせて
 あわれ淋し 水の面(も)に
 黄昏(たそがれ)そむる 雲の色
 
秋揺落(ようらく)の 風立ちて
 今宵は結ぶ 露の夢
 さめては清し 窓の月
 光をこうる 虫の声
 一息毎に 巡り行く
 あわれ寒し 村時雨
 落葉の心 人知るや
 
嵐は山に 落ち果てぬ
 静けき夜半の 雪崩れ
 榾(ほだ)の火赤く さゆらげば
 身を打ち寄する 白壁に
 冬を昨日の 春の色
 あわれ床しき 友どちが
 あかぬまどいの もの語り 
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    思誠寮寮歌「春寂寥」のほか、青春の信州で思い出の歌は、上田の寮歌「ああ黎明の」 ・・・”朝霧に浮かぶ浅間山 煙の高くたなびけば~”、や

  「応援歌」・・・”振りては 浅間の煙 熱血湧く 青春の意気 ~”等々、そして県民の歌「信濃の国」は忘れてはならない。

  ”いざや歌わんかな・・・ アイン ツバイ ドライ”と声高らかに歌ったものだ。

 ひととき、美しく流れた若かりし青春の日々が甦ってきた。

  待てよ! 信毎の記事には、《信大には校歌がないだけに ・・・》とあるが、

  かすかによみがえった記憶をたどると、信州大学の「校歌」なるものを教わった記憶が・・・・

  明日は「ひな祭り」  みんなでお祝いをしたい。

 

 

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いつまでも庭でキジを見たい

2013-03-01 | 自然観察

 

三月一日、福島の県立高校の卒業式だ。

朝のうちは厳しい寒さだったが、昼過ぎには10℃を越え、夕方からは雨が降り始めた。

娘たちは、まだ雪が厚く残る私道を尻を振られながらなんとか帰宅した。

我が輩も、雪がゆるんだこの時期は怖くて車を出せないでいる。

  今日も雪の庭をキジが通り過ぎた。我が家のまわりでは一年中見かける。

 5,6メートルくらいまでは近づいても逃げない。さらに進むと,小走りで移動する。

 頭部の羽毛は青緑色、目の周りには赤い肉腫がとてもきれいだ。背の褐色の斑もきれいな模様だ。

さすがに厳しい眼をしてこちらを見つめている。

 いつも見かけるとカメラを持って庭へ出るが、ほとんどがオスで,メスはしばらく見ていない。

  


  我が家の南側は、人の入らないこんもりした森に接し、西には舗装していない広い広場がある。

 夏にはよく広場のブロック塀に止まって「ケーン,ケーン」と鳴いている。

 ときどき、数百メートル離れた小高い大塚山古墳の森まで,音を立てて飛んでいくのを見かける。

 キジの寿命は10年程らしいが、何とかそれなりの環境が保全され、よく生き伸びてきたとおもう。

  我が町内でも、わずかに残る田畑も造成工事が始まるようだ。

 35,6年前に新築した我が家、少しは自然の環境を壊したのだろう。反省している。

 ここ数年は、さらに里山領域へ都市化が進んでいるように思える。残念なことだ。

 

 

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