エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

春二題 

2020-02-29 | 日々の生活

   ”君子蘭白いつぼみや二月尽”

   廊下に置いてある君子蘭を陽当たりのよい場所に移動した。
   葉の間の落ち葉をピンセットでのぞいていたら、白い花芽がみえた。
  嬉しかった。カーテン越しの薄陽に寒い季節を越した君子蘭が凛々しい。

  

もう一つ

”菜の花かしなびた蕪のいのち愛で”

  昨日のこと、野菜を入れていた段ボール箱の底に、薄黄色の葉が茂っていた。
  取り出すと、しなびた蕪の芽吹きだった。
 この寒く暗い世界で新しいつぼみが開きかけているではないか。
 愛おしく、皿に水を張り蕪の下部を切って漬けたのが夕方のこと。
  温かい居間に移した蕪の花が,今朝、見事に咲いていた。

  

 


 

 


懐かしい 河井寛次郎 

2020-02-28 | 文芸

河井寛次郎 懐かしい名前を見つけた。

月刊誌「芸術新潮」1月号に新連載が始まった -御贔屓御馳走帖-だ。

選・文の森川浩之氏とある。氏は3代続く京都割烹料理店「浜作」の主で、祖父の代の話を書いておられた。

最新の3月号には、シリーズ3で、「早春の盛り合わせ」の写真に、さわやか京都の筍に合わせた料理が、

河井寛次郎の草花絵付け面鉢に盛られている。

アックナンバーを見てみた。

新連載のはじまった1月には、「明石鯛のお造り」 河井寛次郎の碧釉瓜型鉢の写真と、

文豪川端康成氏来店の際の著者の祖父との思い出が、

2月は「うづらの鍬焼き」 寬次郎の籐手付き辰砂鉢で、初代の祖父が、来店したチャップリンから称賛されたはなしが載っていた。
 
新連載をみながら、あらためて料理は盛られる器で楽しむものたと思った。

高級な和食に限らず、我が家の三食の食事にも食器を楽しみたいと思った。

今後、始まった御贔屓御馳走帖に、河井作品以外に幾多の和食を盛る器が取り上げあげられるのだろう。楽しみだ。

これまで京都に2度、河井寛次郎記念館を訪ねたことがあった。

本棚の、祈念館で求めた、記念館編「河井寛次郎の宇宙」を手に取った。

ときどき手に取る素晴らしい本だ。しばらく忘れていた心がよみがえった。

    

久々に河井の作品に触れ、彼の考えを振り返った。
 柳宗悦 河井寛次郎 浜田庄司 によって提唱された民芸運動を復習した。
わざわざ日本民芸館を訪ねたことがあったが、お目当ての一つだった河井の作品にまた触れたいと思った。  
  
  
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(参)拙ブログ 「手仕事の日本」 2012-12-13 | 文芸

 しばらく柳宗悦「手仕事の日本」を読んでいた。
 焼き物に興味を抱いたころから、民藝を知り、益子の浜田庄司参考館や京都の河井次郎記念館を、数年前には東京駒場の日本民藝館訪ねた。
 すっかり遠ざかっていたが、たびたび聞いていた柳宗悦著「手仕事の日本」は、今回初めて手にした。
  昭和15年前後の日本の手仕事の現状を著したものだが、発刊は昭和21年正月とあった。前書きの前の序として、戦争中の厳しい種々の検閲について触れ、幸か不幸かと控えめに訪れた終戦後の平和な時代を書いた。全国各地を旅して各地の伝統的な手仕事を鳥瞰して、その意義を述べている。
 そこには、「手仕事は最も人間的な仕事」と、手が機械と異なる点はそれがいつも直接にこころと繋がれているからとあった。
 会津の品物としては、会津塗り、絵蝋燭、刃物、本郷の焼き物を挙げている。奥会津の雪踏みや雪沓など、手彫りのくり鉢や曲物の手桶屋、葡萄皮でつくった蓑の網も見事な手仕事と述べている。他には、喜多方、熱塩日中の生漉き紙も紹介されているが、いままで知らなかった。
  さまざまな品物の基礎は、自然と歴史であり、人との交わりから生み出されていくと言う。また、後記には、よく知られていない日本の一面、手仕事の意義を知らせたいという著書の目標が、そして、 ①それらの品物をつくった人のこと。②それらの品物の持つ性質。実用的なものがなぜ美しいのか。③それら品物の持つ美しさについて。どうして尊ぶべき美しさなのか。を述べたかったと書く。
 本郷焼きについての考察に、「粗物と蔑まれているものが最も特色のある、また見事なもの」と評して、いわゆる民藝のこころ「用の美」を説いていた。

 (参)本棚の「河井寬次郎の宇宙」(於:河井寬次郎記念館で求める2000,10.25)を見た。
 鷺珠江氏の文「宇宙の中の河井寛次郎」に(鷺珠江さん:ネットで検索すると、河井寛次郎氏のお孫さん、と知った。)
 《 柳・河井・浜田によって提唱された「民藝運動」とは、名もない職人の手によって、その土地に根ざして、日などというものを意識せずに作られているものの中にこそ、実は健全な美が宿っており、従って、美とは決して遠い特別なものではなく身近なものである。日常のくらしの中に美はあふれて息づいているのだ》とあった。
  美とはほど遠いが、ときどき自作のいろいろな皿、箸置きやぐい飲みを使っている。
 特にお夕飯はゆっくり味わいたいと思っているが、一層料理やお酒がおいしく感じている。陶器は、つくづく食文化と切っても切れない関係にあることを再認識している。
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(参)いつか書いた拙エッセイ 陶芸を鑑賞する」 2007-03-09 | 文芸

     blog.goo.ne.jp/tosimatu_1946/e/4e8a1efe23e9c175ff03bfd9a07af756

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 加島祥造著 「ひとり」 

2020-02-27 | 文芸

アマゾンから加島祥造著「ひとり」を取り寄せた。

本の帯には 〈89歳の「いま」を生きる〉 とある。

年老いてゆく豊かな生活の様子を知った。

大自然の驚異や優しさに心を深めている晩年の幸せな境地だ。

一文を読みながら、文中に作者と変わらない自分の幸せを感じた。日常の一端を共有できた。

Alone,but not lonely
老子の英訳本で彼は ”一人でも寂しくない”と  訳す。 

〈   これからの時代は、後半の人生を一人で送る人が増えるだろう。
     何でもいい、自分の出来る楽しさを見つけることが大切    という。

  

妻と二人,いつまでも健康でいられるに越したことはないが、一方、一人で時を過ごす幸せを想像した。

そんなとき、寂しいが一人で、そうした時を過ごしたいものだ。

この伊那谷での生活の写真集の一片に。

      ”道(タオ)の自然につながる人は、
       いまの自分に満足する、そして
       それを本当の富とするんだ。”

 

本棚には、老子に興味を持ち求めた彼の著作が並んでいる。

「伊那谷の老子」  「タオ老子」  「求めない」 など。

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朝のうち、チラチラ降る雪の中、ほぼ日課となった短大図書館へ。

誰もいない静寂の空間、ゆったりした時が流れる。

わずか数百mの道端に、春を見つめた。

ヒメオドリコソウ  スイセン

ナズナ 花咲く  ノゲシ ロゼット

タンポポ ロゼット  短大の桜

サザンカ  サンシュウ

クリシマスローズ 


おひな様を飾る

2020-02-26 | 日々の生活

   立春はとうに過ぎたが、先日、穏やかな春日和におひな様を飾った。

お内裏様と三人官女の並ぶケースの裏に、”昭和48年3月 Shinn誕生” とある。

長男が2月はじめに生まれた。

4人姉妹の末娘の孫誕生に信州から妻の両親が滞在中で、

当時在住の川俣町の商店街で(確か伊達屋と言ったか)贈られた雛人形だ。

押し入れから1年ぶりに飾るおひな様は明るかった。

当時を思い、妻の両親の顔が浮かんできた。

 ”明かりを点けましょぼんぼりに~
       お花をあげましょ 桃の花~”

 ケースのオルゴールが鳴った。何だか切なくなり胸が熱くなった。

もう一度ゼンマイを回してみた。

週末には、孫のSuzuちゃん(5歳)は部屋へ入るとすぐにケースのオルゴールを鳴らす。

今日、近くのIwaさんから.膨らんだウメの木の枝をいただいた。

早速ケースの横に生けた。

 

慌てて、我が家の梅を見ると,白加賀は直に咲きそうだ。豊後もほんのり紅く膨らんできた。

  
                                          


日帰り温泉

2020-02-21 | 日々の生活

温泉は、ばーちゃんの脚にいいようで、このところ日帰り温泉を楽しんでいる。

僕が体調の悪い十年ほど前までは、ちょこちょこ通っていたが、最近間が空いていた。

本郷や、新鶴、坂下の糸桜里、しばしば行くのが柳津西山あたり、西会津方面や,米沢の小野川温泉へ足を延ばすこともあった。

今日はご無沙汰の従兄弟を訪ねがてら柳津へ、近くから連絡するも電話に出ない。

思いついて、只見川第1橋梁から、少し雪景色を走る列車を撮ろうと三島まで足を延ばした。

丁度、午後の上り列車の通過時間、写真スポットへ急いだ。

ばーちゃんも何とか登った。何もなかった展望台までの道は行くたびに整備され、ウッドチップが敷き詰められていた。

雪景色を想像したが、もう春のたたずまいだった。

 

帰路も連絡するも留守、顔を見ないで月見が丘の温泉に浸かった。

時間も時間、貸し切り、極楽!極楽!

Hちゃん宅脇で下り列車に合う。 

 

  良寛さんに語りかけ

 

坂下から 飯豊と磐梯

コサギひとり  キリノキ

ウスタビガ   ?

   昨年もボールペンで書いた

    道すがら春を探した

 

 

 

 

 

 

 


春の気配

2020-02-20 | 日々の生活

ときどき通る峠道の入り口で大きなハチの巣を見つけていた。

葉が茂ると分からない枝に大きなハチの巣、スズメバチだろうか。

気になっていたので、今朝写真を撮りに行った。高さ30cmはある。 

 

   

ついでに、民家の土手に咲くフクジュソウやマンサクの様子を見てきた。

 

  マンサク開く

         

   

      

   サンシュウ

   

   

 

 あちこちにフキノトウが顔を出していた。

気温は低いが、かなり春めいてきた。

ゆっくり炬燵に当たってばかりはいられない。


しんしんと降る雪

2020-02-19 | Weblog

 昨日のこと、久々に雪が深深と降った。しんしんという表現,深深と書くようだ。

風が無く雪が降る様はまさに”しんしんと降る”がぴったりだと思った。

一時、正に向こうが見えない、糠を蒔いたようなすごい降りだった。

 小糠雨が降るとは言うが、小糠雪という表現があっても良いと思った。

つかの間にすべてが覆われ、庭木のそれぞれの個性が隠されていくと感じた。

サンシュの黄色いつぼみ、ナンテンの赤い実がワンポイント美しく目立っている。

 

 

 

 

あとわずかとなった冬を楽しみたい。

 


「磐梯を讃える」

2020-02-14 | 日々の生活

拙ブログ名は「エッセイ 麗しの磐梯」

20年前になる、エッセイをまとめた著書の書名も同じだった。

磐梯山は素晴らしい。

少し高台にある我が家、書斎からいつも秀峰磐梯を眺めている。

久々に描いた磐梯。ベニヤ板にアクリル絵の具で描いた。

目を閉じて数分で山容を描く。前景には草原や、農地、猪苗代湖が広がる。

空にはいつも数行の思いを添える。

                               

以下は秋の日に磐梯を愛でた一文。

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 いつも仰ぎ見るふるさとの磐梯山は、晩秋の紅い色に染まっている。そろそろ初冠雪が見られるだろう。

その山容は季節を問わず美しいが、特にこれからの季節、猪苗代湖に憩う水鳥たちを前景にした雄大な磐梯山の雪景色は最高だ。

 深田久弥は著書「日本百名山」で、山の見方として、山の品格、山の歴史、そして個性ある山の3つを挙げている。

勿論、磐梯山は、彼の言う”誰が見ても立派な山だと感嘆する山”だ。

 かつて憧れて北アルプスの槍、奥穂高などにも登ったが、もう高い山へ登ることはないと思うと寂しい。

でも、いつも秀峰磐梯を眺め、近くの里山を歩く幸せはこの上ない。

自然からの感動の一片をカメラに収めたり、スケッチブックを広げたりしている。

なぜ山へ登るのかと問われれば、癒されるからと応える。それは、深田久弥も同じだと思っている。

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白鳥の湖

2020-02-12 | 自然観察

 

久々に晴れ渡り、磐梯も顔を出した。崎川浜へコハクチョウと会いに急いだ。

出発の9時半過ぎ、電光掲示-4℃。 先日の雪道を避けて,国道を強清水まで。

滝沢峠  

鳴き交う水鳥たち,コハクチョウもそろそろ北への雰囲気だ。

至福のひとときを過ごした。別れが辛い。もう何度か訪れたいと思う。

凍てつく水辺。  湖水水面は高く、普段の浅瀬は隠れて見えなかった。

 

 

  オナガガモ

    

 

オオカメノキ

サンシュウ  オニグルミ

一輪探し出したマンサク 

 

八田野の花芽観察  春の息吹を感じることが出来た。


映画 「生きる」

2020-02-11 | 日々の生活

久々の銀世界だ。薄い雲もやがて青空に。

積もった雪が風花となってしばらく落ちていた。

いつもコハクチョウの集う遠浅の崎川浜を思い浮かべた。

庭から磐梯を眺めるも、磐梯山は雲の中だ。

  

  

午前中は、久々に秀峰のスケッチ。

 

午後は、TV鑑賞。放映されていた「7人の侍」を視聴した。

ベネチア映画祭では銀獅子賞受賞の黒沢作品だ。

これまで何度見ただろうか。大雨の中で繰り広げられる合戦シーンが脳裏に残っている。

三船敏郎,志村喬,加東大介,木村功,千秋実,宮口精二,稲葉義男の7人の俳優。

宮口精二,稲葉義男以外は、思い出しながら全部言えた。

   
 

ネットサーフィンで黒沢作品を見た。

志村喬主演の「生きる」、

「ゴンドラの唄」を口ずさみながらブランコをこぐシーンが浮かんだ。

ネットでプレビューを視聴、よく覚えていないあらすじを知った。
      いのち短し 恋せよ乙女
   黒髪の色 褪せぬ間に
   心のほのお 消えぬ間に
   今日はふたたび 来ぬものを
 プルビューの文字に胸を打たれた。そこには
     ”死に直面して はじめて生を思う 人間の軽薄” とあり、

また、レビューには
  ”真実に生き抜いてこそにじみ出る美しさ”  ”しみじみとあなたの胸をうつ黄昏の詩”  とあった。
     (参)  映画 「生きる 」(プレビュー)     
             https://www.youtube.com/watch?v=mfJmVgZdlYU
       そのうち、ビデオを借りて鑑賞したいと思う。

 突然の大病から18年になる。長い闘病の後、九死に一生を得た。

 ステージ4のガンは予後不良で、5年後の生存率が0%と告げられ退職を決めた。

 その後も入退院を繰り返し、死に向き合いながらの日々だった。

 まさに「人間の軽薄」を体験した。
 

 当時の思いが日記にあった。
 「今、道元を読んでいる。過ぎ去った過去は戻らず、明日のことは計り知れない。
  されば、今を精一杯に生きなければならないと教えられた。」と。

 その後、不安だった5年を過ぎたころから徐々に健康を取り戻していったが、

 一昨年突然に再発、また生死をさまよったが運良く生かされた。

 余生を数える歳になり、これまでの闘病の日々を振り返り思いを新たにしている。

 「人間の軽薄」だ。

 居間に掲げられたお札「健康は富に優る」に目をやり、とかく失ってから分かる「健康第一」を肝に銘じ、

 明日の知れない今をこそ大切に過ごしていきたいと思っている。

 

はからずも、「7人の侍」視聴から、人生サーフィンになってしまった。

 


絵ろうそくまつり

2020-02-09 | 日々の生活

このところ「絵ろうそくまつり」は御薬園と決めていたが、久々にお城へ行ってみた。

観光客は少なめ、普段は満杯の博物館の駐車場も閑散としていた。

どこでも集団で見られた中国からの団体観光客がコロナウイルスで減ったことも原因だろう。

廊下橋の入り口のかがり火が迎えてくれた。

 

雪も少なく、多少風情がないが、石垣の脇や沿道沿いにともされた小さな絵ろうそくはいい。

本丸には日光からの氷のモニュメントや、 鬼怒川温泉の和傘のモニュメントが飾られ、人気を集めていた。

  

 

  

  

 人それぞれの思いはあろうが、僕は、静かに降る雪の中、幻想的な静かな光景が好きだ。

「絵ろうそくまつり」も、雪を愛で、お城を愛で、会津の歴史を想う静かなふるさとの冬のイベントでありたい。

できればコンクリートの近代建築ではない、もっとやわらかいお城がいい。

白亜の歴史空間をLEDでカラフルに照らすのはいただけない。

帰りに、御薬園ものぞいた。

いつも見ていた邦楽の調べを鑑賞することもなく、人影少ないお庭を一回りした。

  

   
 

絵ろうそくの炎だけでいい。暗闇にふるさと会津の歴史の流れを思った。  2020.2.8


ヒヨドリジョウゴ

2020-02-07 | 日々の生活

  厳寒に美しく、飽かず眺めるヒヨドリジョウゴだ。

どこにでも見かけるが、我が家の庭でも所々で咲く。

花も良いが、秋から春まで付ける実がいつも美しい。

  

 ネットで調べた。
  『由来』には、ヒヨドリたちが果実に群がって食べる様子を、

お酒好きの人たちがお酒を飲んで 騒いでいる姿になぞらえてとあるが、

 ときどきヒヨドリを見かけるが啄む様子はない。

佐藤春夫や茂吉も魅せられ句に残していたことも知った。
      
      ○ ここに来てひよどりじゃうごといふ花をわれは愛でつと人は知らなく   斎藤茂吉  

    俳句歳時記では「鵯上戸の実」を秋の季題としていると言う。
   ○ はや色に出づる鵯上戸かな     季暁
   ○ 野分にもさめぬひよどり上戸かな    蒼里

  参  https://www.miyakanken.co.jp/column1/1546

 実を切ってみた。

  


読者参加は 新聞の使命

2020-02-04 | 日々の生活

昨日は節分、晴れ渡った昼前、長浜へ。

 長浜で

キンクロハジロ♂オナガガモ♂ ユリカモメ 

  オナガガモ♀ スズガモ♂ オナガガモ♂

 

**********     読者参加は 新聞の使命  *********

 週に何度も、近くの大学の図書館へ出かけている。

図書の他、我が家で購読新聞だけでなく全国紙の閲覧も目的だ。

先ず、各紙のコラム欄から教養情報をもらい、大局的な時代の流れを教えてくれるる社説に目を通し、

次いで楽しみな読者の投書欄へ。

そこでは、いろいろな方々の貴重な思いに、自分の生き方を振り返させられている。

また、自分も詠んでみたい思いで読者の歌壇や俳句欄をじっくり鑑賞する。

別の視点で捉えたユーモアあふれる川柳欄も楽しい。ニュースや知識と違った鋭い風刺に感心し、

思わず笑みがこぼれる。

今日も読者の思いに勇気を与えられ、心からの悲しみを伝えられている。

こうした読者の投書に触れ、あらためて読者参加の新聞の使命に気づかされている。

***************************************  *先日、新聞掲載1000報を超えた。

今日は立春

 大塚山の朝(昨日節分の日)                       庭のサザンカ