エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

脚を失ったコハクチョウ

2015-02-28 | 自然観察

 昨年12月3日、1,2度雪が降った三城潟付近の田で足を欠損したコハクチョウを撮った。

気付かなかったが、もう一度写真を見てみると爪らしきものが写っている。

「いよいよ積雪」
http://blog.goo.ne.jp/admin/editentry?eid=aba684e5d65732b6777ea249bbfc3569&p=2&disp=30

 2014.12.3

   爪らしきものが見える

どういうことになっているのだろうか、鳥類の足についてネットで検索した。
   (ウィキメディア)「鳥類の体の構造」の「趾 (鳥類)」 
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E9%A1%9E%E3%81%AE%E4%BD%93%E3%81%AE%E6%A7%8B%E9%80%A0  
   **********************************
 「趾(あしゆび、英: Dactyly, toe)とは、鳥類特有の足のつま先に該当する部分である。
 鳥類の趾では、第5趾が完全に退化しており、基本は4本の趾を持つ。
 第1趾が後方を向く形が多く、これは木の枝を掴む際に好都合な形状をしている。
 この場合を三前趾足(さんぜんしそく)または正足(せいそく)と呼ぶ[1]。
 それぞれ第1趾(後趾)、第2趾(内趾)、第3趾(中趾)、第4趾(外趾)のように別称がある。」
  「足ひれ[編集]」には
「水鳥では水面あるいは水中で推進力を得るために、趾に蹼(みずかき)もしくは葉状のひれがあるものが多い。前者を蹼足(ぼくそく)、後者を弁足(べんそく)と呼ぶ。」
   **********************************
 コハクチョウはカモ科で足が短く水かきがある。蹼(みずかき)を持つものを蹼足(ぼくそく)といい、後ろ向きの第1趾を除く3本の趾に蹼がある。
  確かにこれは蹼部分の第2~第4趾が何らかの理由で欠損したのではないかと推測できた。どんな理由原因があったのだろうか。

 あれから3ヶ月、不自由だったろうが、なんとか厳しい会津の冬を乗り越ることが出来ただろうか。
 元気で北帰行の日を迎えて欲しい。


ひな祭り

2015-02-27 | 日々の生活

 

                                          【シクラメン  クリスマスローズ】

雪の庭に薄日が射した。そこここに春の気配が感じられる。

ひな人形、40数年の月日が過ぎた。ケースの裏には、「昭和48年真ちゃん誕生の際に、原山のじいちゃんより贈られる。」とあった。

何度かの引っ越しを経ても、おひな様は昔のままのきれいなお顔だ。

思い出して涙が流れた。

3/1は、孫のすずちゃんのひな祭りに招待されている。

待ちわびた春を、悠くん、すずちゃんと楽しみたいと思っている。


ふたたび 白鳥の湖  感動の時が流れた。

2015-02-22 | 日々の生活

風もなく、穏やかな春近しを感じさせる湖水に佇む。

麗しき大自然に 今日も救われた。(2015.2.21)

 

 磐梯を讃える

  青き磐梯 うるわし
  対岸の山々 湖に浮かび
  厳寒の大自然を前に
   立ち尽くすしあわせ 

  コハクチョウ
   列をなし 静かに流れる
  大自然の使者よ
   お前たちは素晴らしい
  この静寂にしばしやすらぎ 遊べ
   生きている喜びを 共にせん
 
  全身に 豊かなる大自然
  涙あふるる静寂
  磐梯 うるわし ありがたし

            (かつてスケッチに添えた感動 )

   

   崎川浜で

 お腹いっぱいオナガガモ♀ ホシハジロ♂

  オナガガモ  キンクロハジロ

   スズガモ♀  スズガモ♂

    長浜で

   笹山浜で

 笹山から磐梯山

   赤井から   

  

 飯豊連峰 若松市内

 

 


みんな 頑張っている

2015-02-21 | 日々の生活

 

  短大グランド脇の高台に大熊中学校がある。ときどき脇を通る。

 昨日、その大熊中から卒業式への招待状が届いた。おそらく近隣地区への感謝の気持ち、卒業生の旅立ちを祝って欲しい願いだと思った。

 震災から今まで何年も、隣接する町内会として何も心の支えにもなれなかったことを反省している。

 中学校と同地区の隣の牛ケ墓地区では住人とどんな触れあいがあっただろうか。

  是非、地域の住民として臨席し、明日へ羽ばたく青年の前途を祝してやりたいと思っている。

 

○ 夕方、短大前のポストに手紙を投函し、帰りに短大図書館に寄った。

 時折お邪魔しているが、この図書館の司書さんは館内の書籍の配置などいろいろ工夫している。

 館内で目に付いたのは、特設コーナー「震災復興」が設置されていたこと。

   


 関連する書籍が上手に飾られていた。もっと真剣に震災関連の考察資料を読まなければならないと思った。

 同時に、おそらく十分な書籍もないだろう大熊の中学生が隣接するこの図書館をどう利用しているだろうかと疑問を感じた。

 司書さんに聞いたところ、司書さん同士でいろいろ協力し合っているとのこと。蔵書の充実した大学図書館の有効な利用を願った。

 

○ 帰りにロビーを覗くと、卒業展が行われていた。短大の産業情報学科のデザイン情報コースの展示だった。

皆目知らない領域だったが、若きがくせいn有能な発想、才能を知ることが出来た。

個人個人の研究の成果が丁寧にまとめられていた。

普段、町内の通りで行き違う学生がこんなにも打ち込んでいたのかと思うと、うらやましさとともに、彼らの前途の明るからんことを祈らずにいられなかった。

   

   

 受付で立派な「卒業研究発表会研究要旨集」をいただいた。若者の2年間の発想豊かな研究成果に感心させられた。

目と鼻の先の短大についても、ほとんど知らない。特に町内会でも身近な学校や、生徒についても理解しておきたいものだ。

 【参考】 会津大学短期大学部には  産業情報学科 の他に 食物栄養学科 、社会福祉学科 がある。
         http://www.jc.u-aizu.ac.jp/       http://www.jc.u-aizu.ac.jp/02/15.html        
                 

 普段は思いもしない社会、関心を持つべきことがどこにでもあるのだと感じる外出となった。


桐屋の蕎麦会

2015-02-20 | 食文化

                                                               桐屋玄関  蕎麦会例会の看板(トド伯父さん撮影)

  あまり外へ出て呑む機会がない。
 たしか前回は昨年の8月だったか、トド伯父さんにお誘いを受けて、初めて桐屋の蕎麦会に参加した。美味しいお酒と蕎麦を堪能した。

 昨日、またお誘いを受け、夕方6時の開会に会わせて一番乗りして、入会の手続きをとった。会の正式名称は「会津蕎麦の会」で、年6回奇数月の開催だそうだ。

 昨夜は15,6人1月例会が遅れ遅まきの新年会を兼ねてじゃんけん大会などもあり、楽しいひとときを過ごすことが出来た。

 両隣は、勿論初めてのお方だったが、偶然共通の山の話になった。

 唐橋会長もやはり山男だった。しばし上高地、唐沢、奥穂の話に盛り上がった。

 大分増えたところで乾杯、続いて会長から会の今後への思いが話さされた。

 献立の解説は若社長、聞きながらただ食べていたことを恥じた。

  

トド伯父さん撮影 (お借りしました)                       料理長の献立解説(メモを取ればよかった)

 アサズキとホタテの和え物、不思議な中華風の和え物の上にソバの実が載っていた。

 お酒も進み、聞き流していた説明は思い出せない。 終盤に、美味しいけんちん風の大きな汁椀、メインのおそばははじめユズの香りの蕎だった。

     寒ブリ

    

                                             フランス産シードル(リンゴの発泡酒)                  そば粉の入ったパンらしい

  いつものように、お酒ばかり呑んでいて、トド伯父さんからは「お蕎麦を食べて!」と前回同様に促されてしまった。

 写真を見ると、天ぷらもでたようだった。ついつい話ばかり、酒ばかりでお蕎麦も忘れそうで困ってしまう。

 お忙しいのだろうトド伯父さんは少し遅れての到着だった。でも、じゃんけん大会準優勝、おめでとうございます。

   トド伯父さん 店長

 また、贅沢な時間を過ごさせて頂いた。これも、トド伯父さんのお陰と感謝している。
 すっかり酔って帰宅し、ブログ下書きを書いた。

  昔、会工前に桐屋という蕎麦屋があり、何度か利用した覚えがあった。
お聞きすると、昭和54年頃今の店へ移り、この蕎麦会は57年から始まったようだ。
今は慶山の桐屋夢見亭と、上町の桐屋権現亭の2つの店舗がある。
  お酒、季節の料理、蕎麦も楽しみだが、この会を通して、豪放なイメージの店主唐橋さんのことをもっと知りたいと思っている。  

  


雪景色に纏わる 忌まわしい思い出

2015-02-17 | 日々の生活

                                                                     【蚕養神社で】

 最近のさんたろうさんのブログレポート「ここ俺の古里や」を読み、ふるさとを思う優しい心に触れた。そしてコメントを書いた。
 http://blog.goo.ne.jp/sekinonozii/e/3550d64c9632eed39e225416129c583c#comment-list
  【いつか新聞に雪の風情に感動したことを投稿をしたところ、豪雪地域の方からおしかりの電話を受けました。表現できない苦労がおありですよね。懐かしいふるさとに降り立ち、いろいろな思いがこみ上げてきたことと思います。】と。
そのコメントに、さんたろうさんから返事をいただいた。
  【〈私の知っている古里の人たちは「あなたの地方の雪の景色が美しい」といってもらったらみんな喜んで有り難うと言うと思います。自分の住む場所を褒めて頂いたんですから。】  そんなさんたろうさんの温かい気持ちに救われる思いがした。

●忌まわしい思い出
 時折、厳しくも美しい雪景色に感動する心を新聞の読者欄に投稿していた。
 それは2011.2.1だった。福島民友新聞の「窓」の欄に僕の「会津の雪景色をひそかに楽しむ」が掲載されたその日の午後、その文をお読みになった方から、ひどい憤りの電話がかかってきた。それは恐ろしい脅迫と言えるものだった。
  その電話の内容は・・・「今朝の新聞をみた。みんな大雪で苦労しているのに、風物詩的な書き方をするのをやめろ。書くのも悪いが、載せる新聞社も悪い。これから民友へも電話する。あんたの投稿は時々見ていた。今後、一切投稿するな。殺すぞ。」
そのとき、どちら様ですかと何度も聞いたが、言わなかった。 
  電話のあと、以前にも聞いた覚えのある声だと思った。たぶん、ずっと前に、僕が投稿した記事「楽しみたい会津の雪景色」(2005.1.23付 朝日新聞「声」欄)を読み電話してきた人?・・・、そのときも同じような内容だった記憶が甦った。
 これは事件だと思い、すぐに警察へ相談した。そんな忌まわしい思い出が甦った。

投稿文
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○2011.2.1  福島民友新聞の「窓」掲載文
  「会津の雪景色をひそかに楽しむ

 今朝も枯れ木に雪の花が咲いた。妻は積もった雪かきに余念がない。昨年末の大雪で、庭はうずたかい雪に埋まっている。今が一年中で一番の寒い時期、しんしんと降る雪、横殴りの吹雪の日と、毎日自然の厳しさを見つめている。
 何年も前に、「窓」の欄に「豪雪に悩む地域の方のつらさはわかるが、私は雪が大好きだ。そして雪が降るから冬が好きだし、会津が好きだ。」と書いた。その数日後、奥会津金山の人からお叱りのはがきを貰い、それで済まない辛さを詫びて反省したことがあった。
 確かに、来る日も来る日も鉛色の空から落ちてくる雪には恐ろしささえ感じるし、膝ほどの雪道でも、開けるのに一苦労だ。
 とはいうものの、雪を厄介者としか見ない生活は味気ない。厳寒の中にも雪のぬくもりも感じられるものだ。しばらくは雪マークの予報が続き磐梯の雄姿も見えないが、やがて節分、雪解けの陽が差す日も訪れるだろう。それまで、密かに会津の雪景色を楽しみたいと思っている。

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○ 2005.1.23 朝日新聞「声」欄 掲載文。                             
 「楽しみたい会津の雪景色」

 昨夜来の吹雪に車がすっぽり埋もれていた。市道までの雪かきを妻に任せ、徒歩で出勤することにした。「雪の降る街を」と口ずさみながら、何を考えるでもなく歩を進めた。太郎の屋根、次郎の屋根に降り積む雪は人の心にお構いなしだ。
 豪雪に悩む地域の方のつらさは時折の体験から十分わかるが、私は雪が好きだ。そして雪が降るから冬が好きだし、会津が好きだ。立ち止まり手袋に舞い降りた雪の美しさに見入った。時折小止みになると、目の前に杉林の雪景色が山水画のようにぼんやりと浮かんだ。
 「雪は天から送られた手紙である」と言ったのは中谷宇吉郎。私には雪は天からのこの上ない贈り物だ。雪景色にどれほど感動し、こころ癒されるか知れない。雪を厄介者としか見ない生活は実に味気ない。厳寒の中にも雪には暖かささえ感じられるものだ。
 厳しい寒さに耐える静寂の木々だが、じきにすべてが萌える季節が巡る。雪に埋もれる会津の冬をしばし楽しみたいと思っている。
 
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  あまりにひどい脅迫電話だと思った。これがそれほどまでに相手を傷つける文章だったのか、相手の気持ち、人となりがわからなかった。雪の苦労については知っているつもりだし、逆なでするつもりではなく、むしろしばらくの我慢で春を待ちたいとの趣旨だった。人それぞれの感慨はあり、それは尊重されるべきは当然と思っている。どこの誰かもわからない、私には異常とも思える電話の主に恐ろしさを感じ、許せないと思っている。

 


鶴ヶ城 春の気配 

2015-02-16 | 街中散歩

 

昨日の吹雪も去り、穏やかな1日だった。 屋根の雪が大分溶けた。雪止めの屋根はまだまだ厚い雪。

市役所に書類を出しがてら、博物館駐車場に車を止めてお城を一回りした。

【裁判所前入り口】

   県立博物館 

お堀はどこも完全結氷、鴨たちはどこに飛んでいったのだろうか。この時期、期待した野鳥にも会えなかった。

  

お城二の丸入り口                               お堀は結氷し雪が積もっていた                   廊下橋

 

絵ろうそくまつりの後、お城本丸は人っ子一人いなかった。

青空に天守閣がくっきりりりしく聳えていた。

  

北出丸から                                   いつも雪吊りの多行松が美しい。 

  

西出丸から

 

  荒城の月 歌碑

麟閣 

西出丸から豊岡へ抜けるお堀道は雪で通れなかった。

帰りに水泳場前のドイツトウヒの実を見に寄った。

すっかり春めいたお城を巡り、久々に清々しい気分を満喫できた。


静寂 幽玄の世界

2015-02-15 | 日々の生活

           2015.2.14 夜  真チャンからいただいた バレンタインのチョコ 見るだけでおいしい

 

伝統の会津絵ろうそくまつり、しばらくぶりに粉雪舞う御薬園で静寂の幽玄の世界を楽しんだ。

静の御薬園、動のお城と言うが、雪降りしきる黒闇に灯る炎を見ていると、すべてが静寂の中だった。

多くの人の流れの中にあっても、この静けさはなんだろうか。幽玄とはこのことなのか。

   

例年厳寒のこの時期は、降りしきる雪が一層の風情を醸し出してくれる。

昔、「ゆきほたる」というネーミングがあったが、まさに雪景色にほたるがゆらめいているようだった。

冷たいものが頬に当たり、雪が降っていたのかと分かる。

フラッシュを焚いた写真に丸い雪の粒が幻想的に写っていた。

  
 

雪の積もる暗闇、竹筒で取り囲まれた心字の池の対岸から御茶屋御殿の灯りがぼんやり浮かんでいた。

そして生で奏でる琴の音が響いていた。

      

最近は市内各所で趣向を凝らしたた絵ろうそくが灯されている。今度は、普段行かない夜の街も歩いてみたい。  2015.2.14

バレンタインの夜


雪の中の登校

2015-02-14 | 教育を考える


 毎朝7時半、小学生が地区の班別に登校する。
 短大前の町内道路は狭い上に交通量が多く、いつも事故を心配している。
 時間のあるときは、孫たちを市道まで送り、登校の長い列に声をかけている。
「おはようございます!」と元気な声が返ってくる。

 

 特に危ない神社の角とT字路だ。ここには毎日Kaneさんが交通安全指導をされている。
 雨の日も雪の日も、小学生の登校の列に声をかけてくれる。ありがたく、感謝している。
  また、今朝も雪降り、神主のHujiさんが子どもたちが歩きやすく除雪してくれていた。

   Kaneさん


 登校の子どもたちへの暖かい声かけは良いことだし、地域全体で見守っていきたいものだ。それが住みやすい町づくりの一端だろう。 
 そんな思いもあって、町内を代表してKaneさんに感謝状を贈ろうと思っている。

早速PCに向かった。

         感謝状                                                                              

             
 あなたは多年にわたり町内

 の交通安全指にあたり雨の

 日も雪の日も休むことなく、

 早朝の児童・生徒の安全な

 登下校を見守ってきました。

 ここにその労苦を称え

 深く感謝の意を表します

      平成27年 月 日

                                                    

(追)   作成しました。他に2件も(役員会で承諾してもらいます)                                                                                                                                                         


動物フィールドサイン観察会

2015-02-07 | 自然観察

 

午前中、市政だよりで募集を見つけた「自然環境教室」へ参加してきた。

稽古堂の研修室で30分ほどの講義は、ほ乳類の足跡を中心に、アニマルトラッキングの意義をわかりやすく説明してくれた。

講師は「共生の森の会」の仲間のIgaさん、し環境生活課のYamaさん、Magaさんにお世話になった。

参加者は小学生12名と、その保護者が5名だった。

 

 その後、市役所のバスで小田山へ向かい、まだまだ積雪7~80cmはある小田山の山麓を小一時間歩いた。

フィールドサインは、足跡、糞、ツノや爪の研ぎあとなど、動物たちの生活痕を指す。

こうしたフィールドサインを観察して、動物の行動を推測するのは楽しかった。

子どもたちはいろいろ見つけた。

糞、リスの食べたマツボックリの食べあと、雪に顔を出した小枝はすぱっとナイフでカットしたようなノウサギの食べあとだった。

 

 

他に、テンやキツネ、タヌキなどの足跡を見つけた。なかなか日中は姿を見ることのないほ乳類の生活の一端を知ることが出来た。

昨夜うっすら雪が降ったが朝から快晴、足跡を観察するには絶好の天気だった。

東山の低い山並みに隠れていた磐梯山も少し登ると凛と聳えていた。

 雪に埋もれる市内の家並みの向こうにお城も見えた。久々の雪の山道は素晴らしかった。

 

この「自然環境教室」、秋のお城の野鳥観察会に初めて参加したが、2回目だった。なかなかよい企画だと思った。

時間を忘れて心豊かなさわやかなひとときを過ごすことができた。


 懐かしの愛車

2015-02-05 | 日々の生活

 

 しばらく乗ったボロ車を捨てて、最近新しい中古車に乗り換えた。これまで何台車を替えただろうか。

その折々に乗ったマイカーを思い出しながら、流れた月日の速さを思った。

 先ずは初めて乗ったトヨタカローラ、懐かしい青春が甦ってきた。

 周囲の反対を押し切って、新婚間もない都会での化学会社勤めをやめてふるさとの教員に。大きな人生転換となった。

 初任地は川俣、その頃松川から岩代川俣までの川俣線に乗った覚えがあるが、この鉄道はたしか赴任した年に廃止となった。

 子供が生まれた川俣ではじめて求めた車がトヨタカローラだった。小さい子どもを乗せ花塚山を巡った40数年の昔が浮かんできた。

   色あせた40年前の写真 この息子も3人の子に恵まれた。

 その頃の住まいの裏には広瀬川が流れていた。川沿いの細い道から立派な裏門をくぐった。縁あって、当時の町長さんの屋敷の離れをお借りしていた。

 ふと、懐かしき川高讃歌を思いだした。
    ”紅き東雲 ポプラに生えて 静寂を破る鐘はひびくぞ 
            伝統薫紅葉が丘に 希望に燃えてああ集い来ぬ
 生徒が作ったというこの讃歌、変調の3番は特に美しく、忘れていた歌を口ずさんだ。
    ”花塚はそびえ広瀬はめぐる 春日の森の学び舎よ 
           ああうるわしき集いの庭に 理想の花は 今や清く先なん
 そして最高の盛り上がりの4番へ、6年間の勤務で何度歌っただろうか。
    ”讃え見よわれらが記章 紫雲にさゆる楓の光 
           種々の厚き教えは 花とかをらんとこしえに
 懐かしさに込み上げるものがある。

 つい脱線したが、毎年夏休みには、このカローラで未だ高速のない長距離を妻の里信州へ向けて走った。

 次に乗り換えたのはマツダのグランドファミリア、これもいろいろな思い出がある。

 ある日曜日、太平洋を見に行った浪江からの帰り道、降り出した峠の雪道でスリップして橋げたにぶつけて大破してしまった。

 幼い3人の子どもも乗っていた。少し間違えば断崖から真っ逆さま、今の我が家族はなかっただろう。息子はおぼろげながら覚えているという。

 ふるさと若松へ戻ってから、真っ赤な新車スバルレオーネを購入した。これはずいぶん走ってくれた。

 レオーネ スキーへお出かけ

 単身赴任のいわき植田と自宅間の150キロを毎週4年間通った。転勤間近、早朝の石川町でスピード違反で捕まったことも思い出してしまった。

 最後は免許を取ったばかりの浪人中の息子に譲った思い出深い車だった。

 再び会津に戻ってから求めたトヨタのプロミネントが4台目、その後転勤した喜多方へも通った。

 この車は内装も走りもすべてが高級で、あらゆる機能を備えていた。高速道でのオートドライブ機能はよく覚えている。

 これも通勤時塩川の雪道でスリップし、人家のブロク塀にぶつけたことがあった。いろいろあったな~。

  V6エンジン プロミネント (ようやく見つけた写真)

 そのあと5台目は...スバルレガシーセダンB42500cc良い車だった。そしてここ5~6年は古い中古レガシーワゴンで山野を駆け巡った。

 この車、エンジンはまだまだだが、先日フロントガラスに飛び石を受けてヒビが入った。寒くなりいよいよヒビは広がり乗れなくなった。

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 僕は、山だけだから・・・と思っていたが、妻にどこにもいけない!とせかれてついに7台目を求めた。 

 今度はレガシーランカスター V6 3000cc。今まで履いていたタイヤも有効だ。

 昔のアルバムから車の写真を探した。車の写った写真は案外ないものだ。 

 車の写真を探すうちに、ずいぶん昔の、楽しかった家族の思い出に時を忘れてしまった。

 かつての愛車を振り返るに、新車を求めたのはレオーネだけで、あとは成り行きで中古車を乗り継いできた。

 1台1台の愛車を思い出していると、瞬く間の小さな人生が流れた。それぞれに懐かしい思い出が一杯だ。

 歳も歳、あと何年乗れるか分からないが、多分最後の車になるだろう。これまた、よい思い出を作ってくれるだろう。大事に乗ろうと思っている。