エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

玄侑宗久 『なんのための改名か!』

2008-04-27 | 日々の生活
 玄侑宗久氏の『なんのための改名か!』(福島民報「日曜論壇」4月13日付)を読んだ。

 以前から「差別用語」と言われる言葉自体良くわからなかったが、すっきりした。そうした言葉を発する人間の侮蔑的な感情こそが問題なのだと思った。
 聾学校を「聴覚支援学校」と改名しようとする動きがあるという。いろいろ考えさせられた。また、「登記簿謄本」も「全部事項証明書」と改名されたらしが、私にも「全部事項証明書」は日本語でさえないと思った。さらに、日本語だけではない、何かがおかしい世の中だと思う。

玄侑宗久氏の公式ホームページ【http://genyu-sokyu.com/】を何時も読ませていただいている。玄侑宗久氏の「清潔な文章」にいつも胸がすっきりさせられている。アップされている「エッセイ」「メッセージ」「インタビュー」など、「清潔な文章」をじっくり読ませていただき、特に禅の心を学ばせてもらっている。有難いことだ。

【今を生きる:庭のハクモクレン満開】


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『なんのための改名か!』  (福島民報4月13日付)

 このところ、聾学校を「聴覚支援学校」と改名しようとして、当の聾学校の人々の反撥を招いている。つまり、彼らは「聾」という言葉に誇りさえ持っているのに、「支援されるべき」人々と見られたことでその誇りが傷つけられたのである。
 思えばこの手の言葉は、どんどん酷く改名されてきた。たとえば「聾」や「つんぼ」という言葉も、「耳を聾する」「つんぼになるほどの」大音声と云うように、本来誰にでも起こる「状態を示す」言葉だった。「めくら」も「びっこ」も、じつは「目がくらんで見えない状態」や「傾いて歩く状態」を意味したから、誰にでも起こりうるし、そこに差別的な視線はなかったのである。
 ところがこれが、いつからか「聴覚障害者」「視覚障害者」そして「歩行障害者」に改名された。状態を指す言葉から人物を限定する言葉に変わったばかりでなく、そこには「害」という嫌な文字が紛れ込んでしまった。もともとは「障害」も「障礙」と書き、いつかは取れる差し障りやつっかかりを意味した。しかし字が簡単だからといって「害」にしたのが大間違い。まるで「きずもの」のような意味が付加されてしまったのである。
 明らかに、こうした改名の背後には、欧米の「ハンディキャップト」という考え方が色濃く反映している。要するに神の似姿としての「スタンダード」に比較して、劣った人々という見方である。「スタンダード」そのものを認めない日本には馴染まない考え方が、安易な訳語めいた日本語で、無理矢理に流入してしまったのである。
今回の「聴覚支援学校」だって、ああ、サポートを訳したんだ、英語が先にあったんだと、誰もが思うに違いない。
 最近私は住職になり、そのため法務局に登記する必要が生じた。耳に馴染んだ「登記簿謄本」も必要だったので、これも求めたのだが、なんとこの「登記簿謄本」も改名されていた。新しい名前は「全部事項証明書」というのだが、いったいこれはどういう日本語だろうか。
 まず訊きたいのは、何の必要があって改名したのかということだ。もしや「謄本」の「謄」が難しすぎるから、円周率を三ぴったりにしてしまったのと同じように、簡単にしたのだろうか? しかし、たとえそうだとしても「全部事項」というのは簡単な日本語どころか日本語でさえないのではないか。
 いったいどうしてこういうことが起こるのだろう。日本という国柄も日本語も理解しない人間が、そういう言葉を作る権力を持っていることを、私は心底悲しむ。英語を訳してそのまま使えば洒落ているとでも思うのか、その感覚が日本や日本語を壊していることに、気づいていただきたい。  (玄侑宗久)

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観音寺川の桜を楽しむ

2008-04-26 | 日々の生活

 昨年は会津5桜を巡り、久しぶり桜の春を楽しんだ。今年はなぜか昨年ほどの気概はなく、家のサクラを楽しんで過ごしていた。ソメイヨシノやヤマザクラが散って、今、桜桃の佐藤錦とナポレオンが満開だ。
 夕方から天気が崩れるというので、妻と孫二人を連れて猪苗代へ、遅い桜を見に出かけた。しばらくぶりの観音寺川の桜は丁度5分咲きで、しばし美しさに見とれてきた。桜まつりで商工会の出店もあり、多少冷たい風の中でも、孫たちに桜ソフトクリームをねだられた。最近はライトアップされているようで、夜桜もきれいだろうと想像した。
 川桁山の麓に観音寺があり、その北側から流れる川が観音寺川である。その両側の土手に約1キロにわたって桜のトンネルが続いている。何と言っても観音寺川の桜並木はロケーションが良い。川の流れとせせらぎ、河川敷と土手のみどり、美しい桜花と、何とさわやかな春の空気だろうか。
 残念ながら、桜の枝越しに見える磐梯山は残雪の中腹から上に雲がかかって山頂は望めなかった。また、何年ぶりかで趣き深い観音寺の山門を拝みたかったが、途中孫が疲れて引き返した。
 猪苗代町内の土津神社や岩梯神社の大鹿桜はこれから、連休明け頃だろうか、桜吹雪の頃にもう一度訪ねてみたいと思っている。




 【ヤエザクラ】

ツバキの花

2008-04-25 | 自然観察
                 【椿 乙女】

 寺田寅彦の随筆に、漱石の俳句についてその句を物理学的に考察した文があった。何時読んだものか、椿の花にハチか虫がとまり、椿の花が落ちてその虫を花瓣が伏せたというような情景を詠んでいた、と記憶している。5冊ある岩波文庫の「寺田寅彦随筆集」を開いて探したが、その文章が見つからない。

 今、庭先の椿「乙女」が満開で、もう何個かが落花していた。ピンクの八重咲きの幾何学模様がきれいな「乙女」が花びらを茶っぽく変色させ落下している。庭の敷石の上にはその幾何学模様を上にしているものが、土に残る枯れ葉の上には花を伏せた格好で落ちていた。数えてみたら表を上にしたものが4つ、伏せて裏面を見せているものが6個とほぼ半々だった。

 寅彦がどんな感想を科学的に述べていたのだろうかは忘れた。小さな粒子の落下にはストークスの法則があるが、大きな花に当てはまる必然的な科学的理論は導けるはずもないだろう。
 落花にはいろいろ条件はあるだろう。花の大きさや品種、咲いた位置の違い、時期も違う。昨夜は風がひどく雨戸の音に寝苦しかった覚えがあるが、風に吹かれて落ちるか自然落下するかもちがうだろう。諸々の条件が違って咲いた花だ、落下の要因はあまりに多変量だ。
そんな自然現象を眺め、そうした疑問を抱き句にまでした漱石、そしてその句を物理学者の目で考察する寅彦がいた。そうした創造的な心の動きに関心を抱いた。

椿を数輪手折り、一輪挿しに飾った。「白侘助」はまだつぼみが堅い。
もう一度、寅彦の椿にまつわる随筆を探して読んでみたい。


【一輪だけ他の花と違った、花びらが丸まった花があった。】

 甃のうへ 

2008-04-24 | 教育を考える
                【さくら咲く】  


  今朝は春の雨、庭の新緑が落ち着き、いっそう鮮やかに見える。この時期になると、いわきにいたころ授業中に生徒と眺めた、教室前にあったサクラを思い出す。サクラの花びらが舞い散る情景が懐かしく、目に浮かんでくる。
 それは工業高校の専門の授業だったが、達治の詩「甃のうへ」を板書し、流れる花びらを眺めながら我が青春の感動を語ったものだ。忘れられない、いわきの春の思い出だ。
生徒にはいつもこころ豊かな工業技術者であって欲しい願いからの話しであった。

 ついこの前、長い戦後教育の反省からようやくたどり着いた「ゆとり教育」の見直しが打ち出された。学力不足が言われるが、入試のための勉強が本来の教育ではない。その人の人生観、自然観、哲学は、試験の為の知識の詰め込みからは生まれるはずはない。本当に大切な真の学力や 本当に大切なことは、常に学び続ける意欲、能力であり、社会の変化に主体的に対応できる人間の育成である。さらに感性、情緒などの心と頭とを統合する学習経験こそが大切だ。

 芽吹き始めたみどりや小鳥たちのさえずり、さらには文字の連なりからなる一編の詩に動かされるこころこそが大事だと思う。生きゆく時間の中でのこうした感動こそは人として生きる豊かさに違いない。

昨年の今頃のブログにも同じようなことを書いていた。サクラを眺めるときいつも、心を打つ『甃のうへ』を口ずさんでいる。 
 ★【(参)拙ブログ 「花の散り始めるサクラ」 2007-04-23 】
【http://blog.goo.ne.jp/tosimatu_1946/e/27069bc3e62bca7885cb77a272646e63】

  『甃のうへ』    三好達治

  あわれ花びらながれ
  をみなごに花びらながれ
  をみなごしめやかに語らひあゆみ
  うららかの跫音空にながれ
  をりふしに瞳をあげて
  翳りなきみ寺の春をすぎゆくなり
  み寺の甍みどりにうるほひ
  廂々に
  風鐸のすがたしづかなれば
  ひとりなる
  わが身の影をあゆまする甃のうへ


コツバメの産卵

2008-04-23 | 昆虫
             【ドウダンツツジに産卵するコツバメ】

鈴なりに花を付けたドウダンツツジについたカマキリの卵の様子を観察していた。
 テントウムシが朝日に当たり、じっと気温の上がるのを待っている。その向こうに黒いものが動いていた。それは、開き始めた新芽にくるくる回るコツバメだった。新芽のまわりをゆっくり回ってお尻を付けて産卵していた。カメラを向けシャッターを切ると、次の瞬間、電光石火飛び立って消えてしまった。一瞬の出会いであった。

 庭でこれまでも産卵するチョウを撮ってきた。ユキヤナギのホシミスジ、ユズのクロアゲハ、カタバミのヤマトシジミ、カネノナルキ?のスジグロシロチョウなどだった。
 孵化からそれぞれの葉を食べ、何度かの脱皮っを繰り返し、やがて殻を破って広い空に羽ばたいていく。思えば、人間が社会へ出て行く過程と変わらないではないか。
 蝶になる日まで毎日楽しく観察していく楽しみは、孫の成長を見守るこころと同じだ。
 我が家で生まれ、慈しみの心で見つめる虫たちが愛おしい。


【ナミテントウの交尾】



新潟の自然科学館へ

2008-04-21 | 旅行

 孫たちとの約束で2年ぶりに新潟の自然科学館へ行った。目的は恐竜のショウとロボットのゴマちゃんだ。
 ロボットは模様替えされていて白くて愛らしいアザラシのゴマちゃんはいなかった。変わっていたのが学習型ロボット恐竜の「プレオ」とコミュニケーションロボットのネコ「ニャーミー」。武琉君、萌香ちゃんはそれぞれをかわいいと言って抱いて遊んだ。恐竜のショウは2年前と同じだったが、武琉君は事前に学習が進み、さらに充実した視聴となったようだ。

初めてプラネタリュウムを見せた。そろそろ天体にも関心を持たせたいと思っていた。
春の星座の紹介と月周回衛星「かぐや」の役割などを学んだ。5才半、4才には少し早いが40分の上映を飽きることなく見ることができた。

 約2時間の見学だった。二人とも飽きるどころかいろいろな展示に興味を示し、自主的に学んでいた。展示は「自然の科学」「生活の科学」「不思議の広場」「新潟県の移り変わり」の4分野に分けられ、パンフレットの施設紹介に「見て、触れて、操作して学びながら科学に対する興味が湧くように転じ設計された本格的な酸化体験型の総合科学館」とあるとおり、バランスが取れた素晴らしい教育施設だ。
 
 気になることがあった。自然科学のブナ林コーナーでのチョウの標本があまりに古く、自分の所蔵しているチョウを提供したいと思った。ミドリシジミ類やヒオドシチョウ、キマダラヒカゲやクロヒカゲなどが展示されていたが、いずれも色があせて実際とは全く違う。子どもたちにはきちんとした実物を見せなければならないのにとても残念に思えた。

 お昼は準備していった昼食を海岸の砂浜で取った。孫たちは食事もそこそこに、寄せ来る波と実に楽しく遊んだ。武琉君は波を避けようとして転んでズボンを濡らしてしまった。

帰路、新潟ふるさと村へ寄った。丁度、満開のチューリップ畑が壮観だった。多少冷たい風に当たりながら、震えながらソフトクリームを食べた。

いい天気に恵まれた日帰り小旅行は孫たちにとって素晴らしい体験となったに違いない。毎年一度は孫たちを連れて自然科学館の見学をしたいと思っている。

 

暮れなずむ茜空に

2008-04-20 | 日々の生活

 昨日の夕方、しばらく見たことがなかった夕焼けを見た。
 暮れなずむ茜の空に神秘のかがやきを見た。
 しばらく続いた春のあらし、雨上がりの空に青空が見え、陽の落ちた山際に黄金の輝きが残る。天を焼く茜雲がたなびく美しい空間だった。

 東海林太郎の「湖底の故郷」が口をついてでた。

 「夕陽は赤し 身は悲し
   涙は熱く 頬濡らす
  さらば湖底の わが村よ
   幼き夢の ゆりかごよ
 」

 悲しくはないが、なぜか切なくなった。
 昨日は母方の法事があった。世話になった伯父逝って13年、伯母は7回忌になる。同時に今は亡き人々が浮かんできた。父もいた、母もいた。
 そして今、元気を取り戻した自分がある。
 この健康を思った。そしていのちを思った。生きているという意識を新たにした。
 救われし我がいのち5年目の春が始まる。暮れなずむ茜空を見つめ充実の余生を誓った。





まだ帰らない冬鳥たち

2008-04-19 | 自然観察
            【ハクチョウ号とコハクチョウ】

 孫たちと前から約束していた遊覧船に乗りに、猪苗代湖の長浜へ行った。2年前はカメ号に乗ったので、今度はハクチョウ号に乗りたがった。ところが、平日の午後、観光客はまばらで、驚くくらい閑散としていた。残念ながら、船は5~6人集まらないと運航しないと言われ、しばらく湖水で遊んでいたが船に乗る客はいなかった。

 対岸が春霞にかすむ湖水は穏やかに春の陽に輝いていた。冬を越した水鳥たちがかなりの数残っていたので驚いた。ほとんどがオナガガモで、キンクロハジロやユリカモメも混じっていた。湖岸には観光客用に餌が用意されていた。カモたちは餌をねだりに近づき、コハクチョウなどは手でパンくずをあげることが出来るくらいに慣れていた。
北帰行が始まったのが3月はじめ、今の時期にのんびりしていいのだろうか。これから北を目指すのだろうか。コハクチョウも幼鳥を含め数羽いたが、怪我をしている様子はない。そんな心配をしながらかわいい水鳥たちを見つめた。(2008.4.17)

 今朝の読売新聞に、写真記事「長旅前の羽休め」が載っていた。「日本各地で越冬を終えたコハクチョウは、今、北海道のクッチャロ湖に飛来してシベリアへの長旅を前に羽を休めている」とあった。それぞれに旅の計画があるのだろう。


【オナガガモ】

【キンクロハジロも】
 訂正→【スズガモ】でした。矢田新平先生から指摘がありました。図鑑から(キンクロハジロは少し小さくて冠羽があり、オスの背が黒く、メスのくちばしの根もとに白班はないか小さい)

さわやかな季節の始まり

2008-04-18 | 自然観察
              【春の色  イロハモミジ】
        
 今日我が家のソメイヨシノと八重ザクラそしてヤマザクラが一斉に咲き出し本格的な春の訪れだ。毎朝ウグイスがのどかに鳴いている。ときどきキジの雄叫びが響く。いつもヒヨドリやムクドリ、カワラヒワが春を喜ぶように訪れ、元気にさえずっている。

 庭に芽吹き始めた新しいいのちを撮った。
シュンランも花弁をもたげワサビは勢いよく花柱を伸ばし小花を開き始めた。林のきわにはアマドコロの新芽が顔を出し、足下にはカンスゲの穂が膨らみ、もうウグイスカズラがピンクの花を付けていた。ヤマブキは黄色いつぼみが整然と並んでかわいい。クマシデ、ケアキ、モミジ類の新芽も接写した。ファインダーに写る緑はさわやかですがすがしく見えた。


【ヤマザクラ】
【ワサビ】                       
【ジンチョウゲ白】 
 【ウグイスカズラ】
【ヒメウツギ】
【ライラック】                       【ハナイカダ】
【テッセン】
【アオキ】 
【ニシキギ】
【ケヤキ】
【モミジ】                          
【ハウチワカエデ】
【トウカエデ】
【クマシデ】
【カンスゲ】
【キバナイカリソウ】                     
【タラ】
【サンショ】

                         


美しいシデコブシ咲く

2008-04-17 | 自然観察

薄ピンクの可憐なシデコブシ 清楚、もの悲し

 今日、所用があり猪苗代へ行った。帰りに49号脇の笹山原の「会津リクレーション公園」の入り口にきれいに咲いているコブシが見えたので、ちょっと立ち寄ってみた。それは見事な、少しピンクがかったコブシで、木の名札には「シデコブシ」とあり、説明文に「中部地方の限られた地域のみに自生する丈の低いコブシ。花は玉ぐしに使う四手(シデ)の形をしています。(モクレン科)」とあった。駐車場の隅にはわずかに残雪があり、サクラはまだつぼみが膨らんだ状態だった。シデコブシは公園の川沿いに十数本がきれいに咲いていたが、清楚で少しもの悲しそうに咲いていた。

 
ネットで検索したら以下の説明に出会った。
『 シデコブシ <ヒメコブシ>(モクレン科モクレン属)
 最近では庭木用に園芸店でも園芸種のシデコブシがよく売られていますが、自生地は世界でもここ岐阜県東濃・中濃地域と愛知県渥美半島・豊田市・瀬戸市周辺、三重県伊勢湾周辺の一部にしかありません。とくにこの東濃・中濃地域は、群生地が多く集中しています。昔は春を告げる花として地元の人々に親しまれた花だそうですが、土地開発が進み、激減して今では絶滅危惧種になっています。湿地帯に生えるシデコブシは氷河期の生き残りといわれているそうです。白色や淡い紅紫色の花びらは萼も併せて十数枚あり、そのひらひらした様子を神社の玉串やしめ縄についている四手に例えて名が付けられました。』
 

近年は野生のシデコブシよりもむしろ植栽シデコブシが広く出回っているようで、この公園にも選ばれ植栽され美しく育っているのだ。

 富士通通りの大塚山の西側に3本の大きなコブシの木がある。今年も見事に咲いている。今まで遠くからながめるだけのコブシだったが、今日は手に取れるほどの近くからじっくりと観察することができた。これから咲き出す庭のハクモクレンに比べると女性的で優しく美しく感じられた。
 (2008.4.16)

 


なつかしいウスバサイシン

2008-04-16 | 自然観察
 3年前に、新潟の園芸店で懐かしくなって鉢植えのウスバサイシンを買った。日陰がいいようなので、すぐにアジサイの根元に植えた。数日前に、枯れ葉の中にまだ開いていない新しい葉を見つけた。今朝は大きくハート型の葉を拡げていた。根元の枯れ葉をかき分けると、おなじみの小さな花が5つ見えた。特にきれいではないが、私には懐かしい思い出の野草だ。ウスバサイシンはヒメギフチョウの食草、かつて学生のころ飼育し、終令幼虫の葉の食べ具合を調べたことがあった。目を閉じると、あの信州の陽当たりの良い雑木林にふわふわと舞うヒメギフチョウが浮かんできた。
 目立たない草だが、山野草の図鑑によると、結構趣味に育てる人も多いらしい。また、近年は少なくなった自生地の保護が叫ばれていると書かれていた。
 会津地方ではヒメギフチョウは棲息せず、ギフチョウである。ギフチョウはカンアオイを食するが、ウスバサイシンと同じ仲間で、図鑑にはいずれもウマノスズクサ科のカンアオイ属の多年草とあった。

【ウスバサイシンの花】

サクラが開花

2008-04-15 | 日々の生活
 

  しばらくの間、幼稚園は午前中でお帰り、じいちゃん、ばあちゃんお揃いでお迎えに。
萌香ちゃんは、バスを降りるやいなや、「じいちゃん、萌香ちゃん今日一回だけ泣いたよ。」今日で3日目だが、いつも早く帰りたくなってちょっと泣くらしい。今朝は起きるそうそうから、行きたくないとぐづった。武琉君が一緒なので、心配するほどでなく元気でバスに乗り込んだ。

お昼を食べてから、孫と一緒に短大グランドへ行った。ばあちゃん、ママも一緒に歩いて行った。最近、武琉君はサッカーをやりたがる。広いグランドで思いっきり蹴ってみたかったのだろう。
 我が家はまだ開きそうにないが、なんと短大のサクラは3分咲きと言ったところ、今年始めてみるサクラだ。気温は20度まで上がり、一気に咲き始めたようだ。長袖の下着では汗をかくほど暖かい春の日になった。

二人ともよく遊んだ。日陰の下草にはツグミが数羽、サクラの大木にはヒヨドリが集団で訪れ密を吸っていた。ヒヨドリは結構警戒心が強く、そうは近づけない。野鳥を撮るには望遠も500mmくらい欲しいところだ。
 所々、タンポポが咲き、ユキヤナギも陽当たりの良い枝にはたわわに花を付けていた。 我が家からわずか数百メートル、いつも貸し切りの広いグランドで孫たちと遊び、運動不足を解消しようと思っている。
 


チョウ 私の青春

2008-04-14 | 自然観察
あの日も捕虫網を携え、麦わら帽、三角管、手拭いと身支度を整え山へ向かった。まだ山ひだに雪の残る山道には、もうコツバメ、ミヤマセセリが舞い、ハンミョウが先導をつとめる。緑の静寂の中、蝶を捕らえ、感動に震える手で三角紙に納めた。
 蝶に魅せられた少年の日の爽やかな思い、再びかえらぬ楽しき春はまぼろしであったのか。ああ、今老いた心で、遠き日のあまりに豊かな春を誰に語ればいいのだろうか。

北杜夫の「幽霊」を読みながら、蝶を求め心を躍らせた信州での青春を思い出した。
「幽霊」の第4章の書き出しには『それからというもの、僕のまわりには大いなる<自然>があった。』とある。同じような気持ちで信州の山々を眺め、自然の中で多くの感動をもらった。今「幽霊」の文字を辿り、限りなくすばらしい信州の四季をふり返えっている。

 急に青春を追憶してみたくなり、もう何十年も押し入れにしまい込んだままの標本箱を出してみた。いつか純真な気持ちで蝶を求めた少年期のこころがよみがえった。これら小さな蝶のいのちをながめ、自然の中での日々がほのかに思い出された。
梢を矢のように飛び交うメスアカミドリシジミ、夕陽を背に飛び乱れるウウラナミアカシジミ、そしてあの山道の曲がり口のクヌギには、きまってゴマダラチョウ、オオムラサキ、カナブン、スズメバチが群れていた。額に汗して息を殺して樹液に近づいたあの心の高鳴りは何処へ行ってしまったのだろう。

チョウに魅せられた少年のこころは、その後、採集から飼育、観察、研究へと発展し、チョウは私の青春となった。
 ある時、博物館の標本作成を依頼された。標本のお礼にいただいたお金は、私にとって特別な意味があった。そのお金で購入した専門書の見返しには、当時の後ろめたい心が記されている。それは、大自然に自由に羽ばたくチョウの命を絶った事実を弁明できない自分のもどかしさであった。いつの頃からか、そんなわだかまりがあったことに気づいていた。
 
 あれから三十年、捕虫網をカメラに持ち替え、今も虫の気持ちになって観察を続けている。いつも人一倍強い自然への畏敬の念を抱きながら、崇高な生命を見つめている。これはかつてチョウから教えられ培われた私の自然観に違いない。




懐かしの北杜夫

2008-04-12 | 文芸
【かつて蒐集した蝶の標本】


何気なく本棚から「幽霊」を取り出した。冒頭の文章がなんと言っても素晴らしく、青春のころに鉛筆で無造作に引いた傍線部分をときどき読んでいた。その部分はいつかそらんじてしまった。最近、しばらく傍らに置き、何度目かになるが読了した。
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[幽霊ー或る幼年と青春の物語ー] 
 第1章
 人はなぜ追憶を語るのだろうか。
 どの民族にも神話があるように、どの個人にも心の神話があるものだ。その神話は次第にうすれ、やがて時間の深みのなかに姿を失うように見える。 ― だが、あのおぼろげな昔に人の心にしのびこみ、そっと爪跡を残していった事柄を、人は知らず知らず、くる年もくる年も反芻しつづけているものらしい。そうした所作は死ぬまでいつまでも続いてゆくことだろう。それにしても、人はそんな反芻をまったく無意識につづけながら、なぜかふっと目ざめることがある。わけもなく桑の葉に穴をあけている蚕(かいこ)が、自分の咀嚼するかすかな音に気づいて、不安げに首をもたげてみるようなものだ。そんなとき、蚕はどんな気持ちがするのだろうか。

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 書棚には他にずらりと北杜夫の作品が並んでいる。
「少年」「楡家の人々」「青年茂吉」「壮年茂吉」「茂吉彷徨」「茂吉晩年」「或る青春の日記」「羽蟻のいる丘」「マンボウ追想記」「マンボウ博士と怪盗マブゼ」「この父にして」「どくとるマンボウ航海記」「夜と霧の隅で」「どくとるマンボウ昆虫記」等々。実によく読んだものだ。一冊一冊を静かに開くと、懐かしい昔がよみがえってきた。

 北杜夫は大好きな作家だった。あの一文一文の素晴らしい文体、ユーモアあふれる文章に魅了される。「楡家の人々」や、すり切れるほどに読んだ文庫の「昆虫記」は特別懐かしい。
 
 小生、蝶を求めて信州へ進学、青春をチョウと共に過ごした。彼の文章に散見する昆虫たちとのふれ合いは、自分の体験と重なり信州での青春の一コマが思い浮かんでくる。
 彼の旧制松本高校時代の面影を求めたり、山形に歌人茂吉の歌碑を訪ねたりしてきた。 もう一度、北杜夫作品を楽しみたいと思っている。



初めてのバス通園

2008-04-11 | 日々の生活
             【今日から二人で仲良く通園】

 昨日は萌香ちゃんの入園式、お兄ちゃんが歓迎の歌を歌ってくれた。
 今日から萌香ちゃんは初めてのバス通園だ。ママ、おばあちゃん、犬の散歩に出かける私と、総出で見送った。
 「お兄ちゃんお願いね。」 武琉君はバスに乗るまで妹の手を引いてくれた。萌香ちゃんは家を出る前に行きたくないと言ったが何とかなだめた。「みんな元気で行くんだよ。お兄ちゃんが一緒だから安心だよね。」と。
 幼稚園バスには一番後ろの席に二人並んで乗った。なんと萌香ちゃんは手を振って答えているではないか。じきに慣れて、お友達も出来、楽しい幼稚園生活になるだろう。それにしても武琉君が一緒なのでとてもこころ強い。

 バスを見送り、ばあちゃんとラックと家に戻る。途中、霧のような雨が我が家の前の林に煙っていた。一斉にウメが咲き始めて春の雨に濡れている。
 こうして今、心配しながら孫たちを送り、道に芽吹いた緑を眺めて歩を進めるとなぜか込み上げるものがあった。またも健康でいられることが嬉しかった。
 いつかこんな情景もはるか彼方に忘れ去られていくのだろう。
 嬉しくも、何か切ない春の始まりでもある。


 【咲き出した小田原小梅】

 【芽吹き前のドウダン】