きのう、夏のお城を写してきた。
「赤瓦鶴ヶ城フォトコンテスト」に応募しようと思っている。
この春、会津鶴ヶ城はこれまでの黒の瓦が赤瓦に葺き替えられた。
総事業費約4億3千万円の葺き替え事業が完成した。震災前ならこんな計画は出なかったろう。
昨年暮れに、拙ブログ【赤瓦の鶴ヶ城 2010-12-21】 で赤瓦について触れた。
「1611年の大地震で天守閣や石垣が損壊し、28年後の加藤氏の時代に現在の5層の天守閣(黒瓦)となった。
文献や発掘調査から、1648年に黒瓦から赤瓦にふき替えられ、戊辰戦争当時も赤瓦だったらしい。」とある。
フォトコンテストは、春の部と夏の部があり、春には桜の枝越しに赤瓦の天守閣を撮った。今度は夏を撮ろうというわけだ。
夏と言っても、夏らしさはむずかしい。
積乱雲と一緒にと言っても形のいい雲はない。観光客の半袖半ズボン姿もいいかも・・・などと考えた。
まずは濃い緑の中のお城を狙ったが、なかなかいいアングルはなかった。
めったに行くことのない真夏にお城を歩いた。
お城の横の県立博物館へ寄った。今、全国高校総合文化祭が福島県内で開催中だ。
博物館では、写真部門の展示が開催されていた。
全国の高校生の選抜作品300点が展示されていた。なかなかの作品だった。
若者が感ずる日々を垣間見ることが出来、うらやましさと、懐かしさに浸った。
これから日本を背負っていく若者の写した写真を見ながら、新しい時代の一つの表現を見た。
そして、すべての写真に共通するテーマは「生きているること」ではないだだろうかと推察した。
でも、感動は今ひとつだった。それは、「写真」に対する思い込みにあるのかも知れない。
いつか山形の酒田市に土門拳記念館を訪ねた折りに、少し写真の価値について考察したことがあった。
そのエッセイを拙ブログ「土門 拳を観る」(2009-03-18)に載せた。
そこに、「写真の素晴らしさは、どれだけ見る者の心に響くかだと思う。」との感想を綴ったことがあった。
土門は、「実物以上に実物である写真が本当の写真」とか、「写真は肉眼を越える」などと言う。
記念館で日本人の心を写しきった彼の芸術を静かに鑑賞したのは、14年前のことだった。
今はデジタル化が進んで、性能もアップして楽に作品が出来るだろう。
だから、かえって土門の言う「肉眼を越えた写真」に近づき易いかも知れない。
でも、要は、何を写したいのかだろう。
日頃、身近な虫たちばかりを映している自分だが、もう少し、生きている証を撮ってみたいと思った。
そんな収穫があった今日の写真鑑賞となった。