エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

いよいよ師走

2010-11-28 | Weblog

今朝は冷たい雨がぽつりぽつり降っていた。
 庭のキリやホウは大きな葉をすべて落とした。
ケヤキ、サクラ、トウカエデ・・・ほとんどすべてが散った。
でも、キリの大木の下のイロハモミジやヤマカエデはまだ錦に輝いている。
ヤマブキの紅葉は遅いのか、ようやく黄色く、そこだけが明るく見えた。
 あらかた雪囲いは済んだが、大きくなったジンチョウゲやシャクナゲの植え込みをヒモで縛った。


 
娘たちは孫も手伝って、タイヤ交換をしていた。息子は先週交換していった。
みんなのタイヤを我が家においてあるので、出かけてくるのだ。
 明日の天気予報は雪マーク、いよいよ冬の季節到来だ。



きのうは、今年最後であろう、穏やかに晴れ上がった。
午後、山際の柿の畑をのぞきに行った。もう、虫たちの季節は終わりだ。
 秋遅くに咲く菊の花に、例年はヒメアカタテハが乱舞しているのに
、今年はほとんど見かけなかった。また、ここで見られるウラナミシジミも今年は観察できなかった。
 色褪せ始めた菊の花には、ハナアブが集まり、日だまりのタンポポにキタテハやキチョウが訪れていた。
アキアカネも道ばたの倒木に日向ぼっこしていた。


【キタテハ キチョウ】


【ハナアブたち】


【モンキチョウ♀】

 しばらく会わなかった畑のHさんは、霜でやられたと、竹の棚に広がったハヤトウリのツルをかたづけていた。
草の陰に取り残こした大きなカボチャを3ついただいた。正月まで持つだろうと。ありがとう!。
 畑までの農道にいろいろな綿毛が光り輝いていた。


【ノゲシ】


【ヤマアワ】


【青空に輝くヨシ】

裏道を八田野へ出た。真っ白な飯豊の山並みを背に、慈母観音様が会津盆地を見つめていた。






リンゴ

2010-11-26 | Weblog
        【 秋リンゴ フジ 河東町で】

きのうの「天声人語」にリンゴの話題載っていた。
 青森の高校生のアイディアで白いリンゴが開発されたとあった。
また、そこに、寺山修司の句〈林檎の木ゆさぶりやまず逢いたきとき〉や藤村の「初恋」も並んでいた。
これらの情景からさわやかな赤いリンゴが思い浮かんだ。
 ここで、リンゴは紅玉のような真っ赤なリンゴでなければならない。そう思う。

果物は何でも好きだが、リンゴの歯触りが大好きだ。
 血糖値が心配なので、1日半分くらいで我慢している。

「初恋」

まだあげ初めし前髪の
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛の
花ある君と思ひけり

やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたえしは
薄紅の秋の実に
人こひ初めしはじめなり


そらんじた「初恋」をつぶやき、初めて教科書で見たときのあの初々しい青春のこころがほのぼのと浮かんできた。
 書架に囲まれ、藤村の詩集を手にした高校の図書館の様子が思い出された。

You Tubeから
島崎藤村初恋の歌
http://www.youtube.com/watch?v=5aBizDF94QA&feature=related


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踏みしめて歩くなよ

2010-11-25 | Weblog
 今朝のラジオ深夜便、4時台『明日へのことば』は、「浦上の丘に登れば」詩人・濱田龍郎氏の話だった。
8月放送の再放送、初めて知った詩人のさわやかな心に響く話を聞くことができた。
今朝は第1回「浦上天主堂の悲しみ」、明日は第2回「被爆マリア像が導いたボランティア」、
明日も、是非聞きたい。目が覚めればいいが・・・。

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サラリーマだった濱田龍郎さんは昭和42年種子島から長崎に転勤、写真家の故・池松経興氏と出会い、浦上天主堂など原爆の傷跡を残す沢山の写真を見せられショックを受けた。この写真との出会いが濱田さんの人生を大きく変えた。
 当時、浦上天主堂は既に新しく立て替えられており、長崎が広島のように原爆の悲惨さを後世に伝えるため、被爆した浦上天主堂をそのまま残さなかったのかと怒りと悲しみを感じた。濱田さんは遺跡の最後の一かけらまで撮り続けた池松さんの心を思い、後世の人に、被爆した浦上天主堂を残そうと、見せられた56枚の写真一枚一枚に詩を振りつけた。
8月9日には毎年長崎で展示会「詩と写真展」を開いている。
「長崎の被爆地の土の中には屍がうずもれて土になり、踏み固め石になっている。だから踏みしめて歩くなよ、この街のこの土を」と濱田さんは涙した。
(参: 濱田龍郎のブログ・夢実行塾より)
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濱田龍郎氏の詩集「浦上の丘に登れば」の中の詩

踏みしめて歩くなよ
この街のこの土地を

きのこ雲たちのぼる
焼け跡にたたずんで
ふるえていた寒い夏

踏みしめて歩くなよ
この街のこの土地を

なみだ声嗄れ果てて
子を探す親たちの
眼間(ままかい)に熱い風

踏みしめて歩くなよ
この街のこの土地を

屍は足の下
うずもれて土になり
踏み固め石になり・・・

踏みしめて歩くなよ
この街のこの土地を。



第二回の内容 (NHKより)
 被爆したマリア像に後押しされ、脱サラからラーメン屋を経て福祉の世界に飛び込み、完全雇用型の「障がい者の家」を理想とするに至ったじょとなどを中心に、障がい者との暮らしを詩に込め、福祉に捧げる人生を歩んでいる詩人の濱田龍郎さんに話しを聞く。


野沢菜を漬ける

2010-11-23 | Weblog
昨日、宅急便で大きな段ボール箱が2つ届いた。
 今年も、妻の実家から、懐かしい信濃毎日新聞にくるまれた新鮮な野沢菜が届いた。
結婚してから40年、毎年毎年間違いなく届くふるさとのお菜だ。
 妻は数日前から野沢菜用の容器を洗って準備していた。
 いつもは小春日に、あの信州の風物詩を庭でながめていた。
 あいにくの小雨の中、早速妻は黙々とお菜を洗った。
 水を切って塩とザラメ砂糖を振りながらお菜を並べた。何を思いながら漬けているのだろうか。
 今年もあと一月、野沢菜漬けはこの時期晩秋の信州の風物詩だ。



 少し切り漬けしたお初のおはづけ(野沢菜)が今朝の食卓にのった。
 1年ぶりの懐かしい味に、信州での青春が巡った。



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 柳津森林公園に遊ぶ

2010-11-22 | Weblog


昨日の日曜日、穏やかな日和に誘われ、昼近く突然に、晩秋の里山へでかけることにした。
 取り急いで、孫たちは遊び3点セットを準備した。グローブと球、サッカーボール、フリスビーだ。
お弁当は、突然の決定でもあり。「すき家」の牛丼に決定!。
 ところで、行き先は・・・、迷った末に、帰りに温泉の要望にも応えて「柳津の森林公園」に決めた。
 森林公園には、子どもたちが小学生のころ、柳津のいとこの案内でアスレチックで遊んだことがあった。
 それからもう30年近くになるが、何故か行くことはなかった。
 
 落ち葉を踏みながらアスレチックのある山へ入った。
 ほとんど葉を落とした林の間から、只見川が光って見えた。



 木漏れ日が暖かい落ち葉の上でお弁当を広げた。
 晩秋の木立の間に、懐かしいアスレチック施設が広がっていた。





 家族の楽しんでいる姿を写真に撮りながら、過ぎ去りし時の流れが巡った。
駐車場脇の広場に下り、サッカーやフリスビーで汗を流した。歓声を上げながらよく遊んだ。
 じいは一人で付近を散策、遙かに飯豊山を望むことができた。
 時々キチョウが弱々しく舞い、路傍の黄色い花に止まった。ああ、ここもまもなく雪に埋もれるのか。


 予定していた月見が丘の温泉に浸かった。
  帰路、従兄弟の英夫ちゃんのところへ寄った。野菜とムキタケをたくさんいただいた。
楽しい充実した一日だった。

ムキタケについて、今が旬であることを知った。
 今朝、早速、きのういただいてきたムキタケを、教えられたように皮をむいて湯がいて水にさらした。
 大根おろしもうまいと聞いて、妻の立つ台所で、試しにわさび醤油で刺身にして立ち食いしてみた。
 歯触りいい、味も絶品とてもおいしかった。
 半分は醤油漬けにして、半分は今晩夕食の煮込みうどんにするという。
 醤油漬けはしばらくお酒の一品で楽しめそうだ。
  
 

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ツルウメモドキ 赤い実

2010-11-20 | Weblog

ツルウメモドキの盆栽がある。
しばらく黄色い実を付けていたが、最近その実の殻が3つに裂けて、中から赤い種子が出てきた。
黄色いままと思っていたのでびっくりした。
花は覚えがないので、実の付いたものを買ってきたのだろう。
この盆栽、どうしたわけか、いつ買ったものだろうかとんと思い出せない。


 山野に普通に自生するらしいがあまり見たことはない。名前からして蔓植物らしい。
葉は紅葉する前に縮れて落ち始めている。
調べると雌雄異株らしい。ならば、来年実がなるのだろうか心配だ。

庭を巡ると、スズランとヤブコウジに赤い実が付いていた。


レンズにのぞくヒヨドリジョウゴの実も美しい。


 赤と言っても微妙に違い、それぞれ個性的な赤だ。
 埋もれる雪に鮮やかなヤブコウジの真っ赤な実が目に浮かんだ。



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落ち葉の季節 最後の里山巡り

2010-11-19 | Weblog
  

昼ころにはすっかり霧も晴れて、おだやかな陽が差した。
 食後、里山を巡りにでた。
 夏の間通い慣れた林道に入ると、日だまりにアキアカネが群舞していた。





 珍しく、モンシロチョウが飛んでいた。キタテハが数頭落ち葉に舞い降りた。
例年ヒメアカタテハが乱舞している畑の菊の花にも、もう何もいない。



遠くに雪を抱く飯豊連邦が見えた。



トンボ池に行く。ここも、わずかにキトンボが数頭石の上に止まっていた。


キトンボ

 はかなきは動かなくなったオオアオイトトンボだ。
今朝の寒さに耐えられなかったのだろうか。
夏の日に あれほど元気に飛び回った輝ける小さき命が、もう手のひらで動かない。
哀れ寂し。


 ほとんど仲間が姿を消す時期に、目立つのはオツネントンボだ。さすがに元気だ。


オツネントンボ

 ヒマラヤシーダの雄花がびっしり地面を敷き詰めていた。



わずかに葉を落とさないモミジが鮮やに光っていた。



春先にきれいな花を付けるシデコブシもほとんどの葉を落としていたが、梢にはもう来春のつぼみが銀色に光っていた。




 今年最後の里山を巡りだろう。また来春までのお別れ、ゆっくり落ち葉の季節を楽しむことが出来た。 

 


ブドウトリバ 不思議の世界

2010-11-17 | Weblog
                 【ブドウトリバ】

すっかり寒くなった庭に開き始めた白い小菊に、蛾らしきものが止まっていた。
 足にはとげのようなものが付いている。意外と敏速で葉を揺らすと素早く飛んだ。
 探したら、別の菊の花にも数匹止まっていた。あまり見なかった蛾だ。
 調べると、ブドウトリバらしい。
 ブドウトリバは名のごとく、幼虫はノブドウ、ヤブガラシなどのブドウ科の植物の葉や果実を食べる。
ブドウ園にも発生し、幼果を食べてしまう害虫として知られているらしい。
もう大分寒くなったが、成虫で越冬するという。
 トリバガ(鳥羽蛾)科の仲間は56種が知られている。
飛行機のような形で止まっているが、後翅は前翅の下に隠されていて、トゲの出た後脚を後方に一直線に伸ばしていた。
それにしても変わっているが、足のトゲのような分岐も擬態なのだろうか。

 この蛾もそうだが、夏には不思議なセグロベニトゲアシガや、クサカゲロウの幼虫にであった。
セグロベニトゲアシガはゴイシシジミの散乱を観察中にササ藪に初めて見つけた。
(参) 拙ブログ:「セグロベニトゲアシガ」(2010-08-11 )


【セグロベニトゲアシガ】

また、クサカゲロウの幼虫は、ある日、写真と共に恩師から尋ねられた虫だった。
「山椒に生みつけられたアゲハの卵に2本の牙を底部に差し込んで吸っている奇妙な虫は何だろうか。」と。
体長2~3mmで蓑虫のようにいろいろなものを背中に背負っているという。
足は6本、2本の牙の下に2本の口吻、牙のすぐ上に触角が生えている怪虫Xの写真を見たとき、ハンミョウを思い出した。


【クサカゲロウの幼虫】

 これは何なのか、皆目分からずに「日本自然科学写真協会」の画像掲示板に尋ねてわかった。
見たこともないアゲハの天敵だったのだ。

世の中にはわからない虫など5万といる。まさに不思議の世界だ。



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女 白 虎 隊

2010-11-14 | Weblog
                       【中野竹子像】


”唇かんで 眉上げて ~”
 最近、孫たち二人で、鼻歌で「女白虎隊」を歌っている。
 萌香ちゃんは幼稚園のフェスティバルの発表で踊る「女白虎隊」の練習をしている。
 2年前に、武琉くんが同じ発表会で「白虎隊」を踊ったことを思いだした。
 いまから発表会を楽しみにしている。

 孫たちのおぼつかない歌を聞き、その歌詞を教え、その意味を解説する。
まだまだ孫たちには理解はできない会津の歴史の1ページを。

 齊藤京子の歌った歌謡曲「女白虎隊」を口ずさみ、またまた戊辰戦争の悲劇に思いを巡らせてしまった。
歌っていると涙が出てくる曲だ。

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女 白 虎 隊 」  作詞 高橋 掬太郎  作曲 細川 潤一

「大軍突如として風雨来たる」
くちびるかんで 眉あげて
花の乙女も 白だすき
孤城を守り 剣を執る
会津の天地 日は昏(くら)し

「腹背皆敵 将に何くにか行かん」
風なまぐさき 城下口
そよぐ秋草 何むせぶ
倒れし姉を 肩に負い
なおつき進む 敵の中

「南鶴城を望めば砲煙あがる」
血を吐く思い 落城の
つきぬ恨みを 誰が知る
散り行く花の 娘子(じょうし)軍
会津ノ山河 雲悲し

**********************************

(参考)
  ●女白虎隊の踊り:会津まつり出陣式で  http://www.youtube.com/watch?v=_O7nqEFgBIU
  ● 娘子軍隊長 「中野 竹子
  嘉永3年~明治元年(1850~1868)
   江戸詰勘定役中野平内の長女で江戸に生れ、薙刀と学問を修める。戊辰戦争がおこ
   ると郷里に帰り、母孝子、妹優子とともに坂下で児童に読み書き、薙刀などを教え
   ていた。新政府軍が城下に迫ると、出陣の許可を得て母や妹ともに柳橋の戦場に出撃。
敵弾に倒れ、妹の手により介錯され果てた。墓は坂下の法界寺にある。

  竹子の薙刀の柄には、辞世をしたためた短冊が結びつけてあったという。
    ものゝふの猛き心にくらぶれば
       数にも入らぬ我が身ながらも


ナメコを収穫

2010-11-13 | Weblog


 今年も、庭にナメコがなった。昨年も、忘れていたほだ木に一回分のナメコを収穫した。
 思えばもう6,7年前、従兄弟からもらったナメコの菌を埋め込んだほだ木だ。
ときどきナメコの生長のあとを写真に撮っていたが、ほどよく大きく育った。
 朝日に、ナメコ特有のぬめりが光り輝き、この自然の恵みがとても尊いものに感じられた。
自然の中に清く育った、美しく、愛おしいいのちはすべてが人間と同じ、生きとし生けるものだ。
感謝しつつ、いただきたいと思っている。

ふと「山川渓色」「悉皆仏性」とつぶやき、良寛や道元を思い、生あるすべてに感謝したい気持ちが湧いてきた。
黄色いごつごつしたカリンも、ようやく花びらが開いた白い小菊、燃えるように色づいた真っ赤なドウダンと、今目にする庭のすべてが愛おしく輝いている。


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初めて見た 黒い柿

2010-11-10 | Weblog

 黒い柿に出会った。
 先日、久々に晴れ、紅葉を見に出かけた折に、松長の高台から会津盆地を眺めた。
 北に飯豊の山並みが空に浮かんでいた。
 盆地の東北部に、色づきいた木々の間に会津村の慈母観音様が立っていた。


空に浮かぶ飯豊連峰


会津慈母観音

 高台の脇の小さな畑のまわりに柿の木が数本並んでいた。
 多分身しらず柿だろう、すでに収穫されて柿は一つも付いていなかった。
 そこに、プルーンのような実を見つけた背の低い木が2本あった。
 少しとがった小さなその実は、割れて中身の柿色が見えていた。
 葉は間違いなく柿の葉だ。生まれて初めて見る黒い柿だった。
 
 後日、早速ネットで検索すると、園芸店の販売品に、まさにその柿が載っていた。
 説明には、『「金運招来」「福徳円満」幸せを呼ぶ黒柿。実は小ぶりだが、ツヤのある漆黒色。
        果汁多く糖度高くおいしい。若木の頃からよく結実します。果物屋さんに売ってません。』とあった。
 知らないことはあるものだ。
 珍しい黒柿なるものを味わってみたいと思った。
 きれいに残っていたから、まさか、穫らないわけではないだろうが・・・。 


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カリンを収穫

2010-11-09 | 日々の生活

 今日は、昨日に続いて穏やかな日に恵まれた。
 黄色く色づいたカリンを収穫した。
 まだ太いとは言えない木は3年前に一つだけなった。今年は初めて、たわわに実った。
 数日前から食べはじめた身しらず柿と一緒に日に当てた。
 重そうな黄色いカリンを収穫した。
 穫っては見たものの、この固いカリンはそのままは食べられない。
 先日作った砂糖、はちみつ漬けやカリン酒にはせいぜい4,5個あればいい。
 いい香りがするので、車の中や枕元や玄関と、身近に置いたが、たくさん残ってしまいもったいない。
 もっとも、あちこちに穫らないままの柿の木をみると、よそのものだがもったいないと残念に思っているところだ。
 多分、カリンの豊作は、毎年ではないだろうけれど、もっと有効利用はないものだろうか。



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妻の誕生日 思い出の落葉松林

2010-11-08 | Weblog
  数日前に、今の時期に思いだしたことを書いた。
  一度、同じあの時の景色を見たいと思っていた。
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もう一度見たい 晩秋の景色 
もう4,5年前のこと、長い入院中に外出許可が出て、家族と晩秋の景色を楽しんだ。
 風は冷たいが快晴の一日、孫たちと猪苗代の山あいのひろばで遊んだ。
 外気はすでに冬の寒さで、小さかった孫は上着の袖を伸ばして冷たいブランコの鉄棒をつかんでいた。しばしの静寂に孫たちの声がこだましていた。
 周りの杉林の秩序正しい緑の幾何学模様の中に、ところどころ黄色い落葉松林がホオキのように幻想的に見えた。その景色は、いつか見た東山魁偉の世界そのもので、まるでその絵の前にいるような錯覚にとらわれた。
燃える紅葉もほどなく色あせ、季節は一直線に冬に向かう。その前にもう一度、あのとき癒され元気をもらった晩秋の感動の景色を見に行きたいと思っている。

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 今日は妻の誕生日、いつもケーキの一つ覚えでなく、久しぶりに「どらや」のどら焼きを、と思い浮かび電話注文した。
実は、あの時癒された紅葉の落葉松林を見たかったのだ。その林は、猪苗代の「どらや」の裏の川沿いにあった。
あの日と同じ静寂の林を前に、あの時の感動がよみがえった。
 





お祝いの夕食後、おいしいどら焼きを食べ、あらためて取り戻した健康のありがたさを感謝した。



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バーベキュー

2010-11-07 | Weblog
 穏やかなこの秋一番の天気。午前中、庭の鉢物すべて取り入れ完了。
 昼は庭でバーベキューとなった。
 孫たちはバーベキューの合間に、竹馬の練習に夢中で遊んだ。
 ブロック塀を利用して、上手に乗れるようになった。大したものだ。
 武琉はもう7,8歩も歩けるようになった。
 二人の様子を見ながら、こんなのんびりした穏やかな時間がずっと続いてくれたらと思った。




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「逝く母と詠んだ歌五十三首 永田 紅」

2010-11-04 | 文芸
          【キキョウの種】
    文藝春秋11月号で
 「逝く母と詠んだ歌五十三首 永田 紅」を読んだ。
新進歌人の永田 紅さんは、8月に乳癌で亡くなった歌人の河野裕子さんの娘さん。
最後まで、枕元に手帳を置き歌を書き続けていた辛い別れの日々を、家族が歌っている。

・最期の歌
  「手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が
・亡くなる前の日の歌
   「あなたらの気持ちがこんなにわかるのに言い残すことの何と少なき
・他に
   「俺よりも先に死ぬなと言ひながら疲れて眠れり靴下はいたまま
   「大泣きをしてゐるところへ帰りきてあなたは黙つて背を撫でくるる
・夫や息子さんも歌人
  「エーンエーンと生きる母にもぐりこみ泣きいる紅を羨しみて見つ」 永田 淳
  「おはようとわれらめざめてもう二度と眼を開くなき君を囲めり」 永田 和宏
・衰弱してゆく母親を介護し看取った河野さん自身に癌が再発したのだ。
 母を歌った
  「みんないい子と眼を開き母はまた眠る茗荷の花のような瞼閉じ

  歌人・馬場あき子は、追悼文で「歌人としての河野さんは天衣無縫の才質をもち、独特の詩材から物ごとの真に迫り、
 甘美な伸びやかさと詩的独断を併せもって、しかも言葉つづきの柔軟さには天性の品位があった。」と語っている。
 
 「ブラウスの中まで明るき初夏の陽にけぶれるごときわが乳房あり
 美しい歌と思う。

 
 最期はつらい。その日々を家族が歌に歌う。
 かえりみて歌を詠めない自分は、どう別れの気持ちを残そう・・・。
一年一年、何と早く過ぎていくことか。
 あれから7年、あれから15年、30年と、思い返す懐かしかったあのころ・・・
生きた密度は比べぶくもないが、私も妻も、河野さんと同い年だ。
 本当に人生は短いと思う。
 また、家族の幸せを思う。 



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