エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

温泉に

2012-03-30 | 旅行

  娘の招待を受けて、芦ノ牧温泉に泊まった。
 孫たちにも、頑張った一年間のご褒美、待ちに待った春休みのお祝いとなった。
 夕食の膳を前に、娘にお礼を言い、「またお願い!」と乾杯をした。
 タラバガニのお刺身、アワビの蒸し焼きなど、滅多にない贅沢な料理にお酒がおいしかった。

何度あっただろうか、こんな幸せはない。これも健康であればこそと、今更ながらなんとか普通の生活が出来ることに感謝した。

 孫と何度も温泉に浸かった。湯煙にかすむ露天風呂の眼下には、大川の清流が音を立てて、滝のように流れていた。

ライトアップされる木々は真っ白で、灯り越しに降る雪が見えた。 部屋に戻ると、孫たちは、寝る場所で兄妹の言い争い、二人ともばーちゃんの隣に寝たいのだ。

 部屋の広い床の間に、きれいな絵が掛かっていた。コブシだろうかハクモクレンだろうか、一瞬で魅せられてしまった。

清潔な清々しい絵には、「倉丘」と署名があった。 帰宅してネットで調べると、「山本倉丘」と言う画家がいた。

その作品の署名や落款を見ると、若干違うような気がした。まあ、作者はどうでも良い、素晴らしい絵に出会えて良かったと思っている。

いつか、こんな絵を描いてみたいと思った。

 

 一夜明けて快晴、午後気温が17℃まで上がった。わずかに残っていた雪が完全に消え、フクジュソウが黄金に輝いていた。積もった枯れ葉をよけると、ミスミソウの小さなつぼみが沢山見えた。ようやく訪れた春だ。

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求めない すると

2012-03-27 | 日々の生活

  きのうも、今朝もカーテンを開けると一面の銀世界。カメラを手に庭に出る。
朝日は積もった雪を見る間に溶かしている。
  やはり春、9時前に既に気温は2℃、予報は10℃くらいまで上がるという。
深呼吸、風もなく清々しい朝の始まりだ。

  孫たちも春休みに入り、きのうは早速自転車の初乗り、子供たちは手袋もせず、風をって走らせた。久しぶりで、短大グランドでサッカーをした。 途中急な吹雪の中を、グンドを2周してきた。いよいよ春、ごろごろしてきた生活スタイルを変えようと思った。
 2,3日眠れない夜を過ごした。月に1,2度のことだが、辛い。
そんなとき、忘れていた「求めない」を思いだし、焦らずにと言い聞かせている。

      求めない すると      心が静かになる
      求めない  すると      心が澄んでくる
      求めない すると       時はゆっくり流れはじめる
      求めない すると       自然の流れに任すようになる
      求めない すると       心が晴れてくるのを感じるよ
      求めない すると       自分の声がきこえてくる

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寺田寅彦の示唆に富む警鐘

2012-03-24 | 文芸

    ”大震災あれから巡り竹の秋

  書斎からながめる春は、まだ浅い。小雨に濡れる椿の緑と黄ばんだ竹の葉が風に揺れている。

「竹の秋」は春の季語。親の竹は、新緑の時期に葉っぱが黄色く枯れたようになり、終には落葉する。まるで秋の紅葉のような現象を「竹の秋」と言う。

庭の黄ばんだ竹の葉は、春を迎える明るさに影を落とす一抹の寂しさを感じさせた。

 そんな肌寒い早春の庭をながめながら、寺田寅彦随筆集を持ち出し、目次から「天災と国防」、「災難雑考」などを拾った。

そこには、地震の「現象」は止められないが「災害」は注意次第で軽減しうること、さらに文明が進むほど自然災害は甚大となる事実、

「安政地震」とは事情が全く違うこと、また、事故の責任の取り方や検証の意義、

気象学的地球物理学的に絶えず脅かされる運命に置かれる日本であることを一日も忘れてはならないことなど、

もう80年も前の物理学者の震災への示唆に富む警鐘があった。天災は忘れた頃に来たのだ。

 

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久しぶりのアート鑑賞

2012-03-23 | Weblog

  家から5,600メートルの隣町のギャラリー「三遊」で、「故 武藤信義版画展」を鑑賞した。

 

初めて入るギャラリーは、落ち着いて静かに鑑賞できる小さな空間、ゆっくり見ていると、作品一つ一つについていろいろ解説して下さった。
 もう20年前に59才の若さで亡くなった、郷土の版画家の遺作展だ。これまで知らなかった方だが、猪苗代ではんこ屋さんやられていたと聞いた。
 若松や喜多方の街の風景版画や、雪景色の版画数点は、斎藤清を思わせる作品だった。
 若松の商店街を描いた版画作品の前に、その数枚の版木や彫刻刀が陳列されていた。
  ギャラリー内は撮影禁止、いただいた案内のカードにある作品をスキャナーで取り込んだ。

  帰りの道すがら、人形屋に悠人くんに贈りたいと思う節句人形を見てきた。
40年も前に息子に飾ったと同じタイプの鎧甲の飾りを懐かしく見つめた。
 狭いアパート住まいの娘夫婦に、かさばらない手頃なものを贈ろうと思っている。

 
                                 
 短大脇の土手で、オオイヌノフグリが咲いていた。いよいよ春到来だ。

 

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八重の桜

2012-03-22 | Weblog

 新島八重 (写真:ウィキペディアより)

   3/21福島民友新聞に新島八重の関する記事(○印)が幾つも載っていた。
○「”会津人”の思い忘れず」の見出し、晩年の新島八重が、晩年京都の金戒寺の敷地内にある「会津藩殉難者墓地」で会津の名士たちとともに会津藩士を墓参した写真が見つかったという。昭和3年11/17の撮影の総勢62人の記念写真が載っていた。
前列には松平家の当主を中心に、山川健次郎、柴五郎、林権助、新城新蔵、松江春次などとともに、新島八重が写っている。日本の歴史に名を刻んだ会津の先人たちだ。
○「京都会津会に参加」「離れても郷土愛強く」の見出しの関連記事、八重のふるさとを思う気持ちを伝えていた。
また、別の項に、○「在京会津人のこころ支える」、会津会創立100年・同郷の思い(上)の記事も。
またまた、○「若松、京都が交流宣言」は、大河ドラマ「八重の桜」が縁で会津若松市と京都市が、観光や教育面での交流を加速させるという。
そして、 ○「「容保桜」苗木 ~若松へ京都から、両市の架け橋に~」の記事は、昨年3月25日に届く予定だった桜の苗木を8月に届くという。
 「容保桜」がある府庁本館は幕末、京都守護職上屋敷があったことから、守護職にあった最後の会津藩主松平容保からの命名だ。一度見てみたいと思う。
 そして、今朝の新聞に、○「「容保桜」観桜会」、会津の商工会が「容保桜」を眺める観桜会を、京都府などと共同で開催するとの記事があった。今年は容保が京都守護職を拝命して150周年の記念の年だそうだ。
 
  来年のNHK大河ドラマは、新島襄の妻・八重の生涯を描く「八重の桜」が放送される。普段朝ドラは見るが、大河はあまり見ていない。来年は見てみたい。
 NHKオンラインを覗いた。
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「国敗れてもその地で育まれた会津武士道で、生涯自分の可能性に挑み続け、すべての人の幸福を願った会津女・新島八重と、仲間たちの愛と希望の物語。「東北・福島に根付く不屈のプライド」で日本にエールを送る。」とある。
■主人公・新島八重とは
会津藩の砲術師範であった山本権八・佐久夫妻の子として生まれる。戊辰戦争時には断髪・男装に家芸であった砲術をもって奉仕し、会津・鶴ヶ城籠城戦で自らもスペンサー銃を持って奮戦した。後に「幕末のジャンヌ・ダルク」と呼ばれる。戊辰戦争が始まる前、但馬出石藩出身で藩校日新館の教授をつとめていた川尚之助と結婚したが、籠城戦後別れる。維新後、兄・覚馬を頼って上洛。そこで、新島襄と出会い結婚。また、女は男に従うことが当然視された時代、豪放で周囲からは勝手気ままに見える八重の生き方は世間からは「天下の悪妻」とも言われた。  晩年は日清戦争、日露戦争に篤志看護婦として参加。功績により昭和3年(1928年)、昭和天皇の即位大礼の際に銀杯を下賜される。その4年後、87年の生涯を終える。
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春を探す

2012-03-21 | Weblog

「会津若松行き」只見線 坂本駅辺り

  きのう、柳津まで行った。坂本のトンネルを抜けると別世界、若松の田の雪は消えつつあるが、まだまだ背の高さもの雪が積もったままだった。

 夕方お邪魔して、伯父、叔母に線香を手向けた。伯父は父と師範学校同期生、同じ歳に逝ってしまった。昨年23回忌を終えた。
 時間を忘れて話し込んでしまった。従兄弟夫婦は昨年金婚式を終えたという。
我々夫婦もあと10年で金婚式、今の従兄弟と同じ歳になる。従兄弟は孫が4人、一番上が大学生に、我が家は孫5人、丁度同じような年回りだ。

帰りに、楽しみな月見が丘のお湯にゆっくり浸かった。

 

  三寒四温というが、今朝も気温は氷点下に下がり寒かった。
今朝は庭の残雪が朝日に輝いている。北風が冷たい。でも、
 春は名のみの風の寒さよ・・・  の通りの清々しい朝だ。
 庭を巡って春を探したが、まだ少し早いようだ。
 日当たりの良い庭の隅に、生き生きしたパセリが雪の重みの下でおいしそうに茎を広げていた。

ドウダンの枝のカマキリの卵の横に、アゲハの蛹を見つけた。喜んで近づくと、寄生蜂の空けた穴がぽっかり、がっかりした。それにしてもあれだけの雪にも負けず枝の間に安全に蛹化していたのか。

 真っ赤に残っていた万年青の実が、鳥が運んだのだろういくつもなくなっていた。
アオキの大きな実はまだ緑色、これから赤くなるのだろう。

 アオキ

 ミセバヤ

 サンシュウ

 ツバキ

 タカダウメ

ちらほら便りの聞かれる梅のつぼみもまだまだ堅く小さすぎる。

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彼岸のお中日

2012-03-20 | Weblog

 彼岸のお中日はいつも決まった行動だ。
 例年のブログを見ると、ここ数年は、雪降りで一人でお墓参り、その後彼岸獅子の舞いを見ていた。
  きょうは久しぶりの晴天に恵まれ、家族で出かけた。
  お墓の雪はすっかり消えていた。お花を供え、線香を焚いた。孫たちにひとくさりいつか、じじばばのお墓に手を合わせるように説いた。


 お墓から、二の丸への堀には、オナガガモ、コガモ、マガモなどが浮かんでいた。

 廊下橋を通り本丸に近づくと、笛と太鼓の音色が流れてきた。
 本丸では既にカメラマンや観光客が輪になっていて、3頭の獅子が舞を披露していた。
 長かった冬に終わりを告げる、喜びの舞いを見つめながら、本当の春の訪れを感じた。あいづひ

 【天寧獅子】
  

左から太夫獅子・雌獅子・雄獅子

 

 

 

  【参考】会津若松市史 会津に春を告げる会津彼岸獅子
        http://www.youtube.com/watch?v=SPms9zDWkrk
 

 続いて、磐梯町の舟引きまつりへ行った。孫に巫女舞いや舟引きを見せたかった。

 ここ数年は、悪天候で見物客も甘いいなかったが、きょうは車も沿道に沢山並び、人出も多かった。例年通りに磐梯蕎麦が振る舞われ、皆でおいしい蕎麦に舌鼓を打った。
 巫女の舞は、カメラマンが囲んで、後ろからは覗く程度しか見えなかった。

今年は、舟引きの祭事の他に磐梯太鼓の演奏も予定されているようだったが、飽きっぽい孫たちにせがまれて帰路についた。

 夕方は、柳津へ伯父、伯母への彼岸のお参りに行く予定。孫たちも、帰りの月見が丘の日帰り温泉を楽しみにしている。

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プリンターの故障

2012-03-16 | Weblog

  購入して7年か、30分前まできれいな写真印刷をしてくれていたプリンターが急に動かなくなった。
 仕事を終えて一度切った電源入れると、紙詰まりとインク量を表示する赤ランプが交互に点滅してプリンターとつながらなくなった。
  マニュアルがなかったので、インフォメーションセンターに電話した。
 インク漏れの吸収パットが限界とのこと。「部品交換が必要だが、もう製造していないので修理できません。買い換えをして下さい」と。
 一旦電話を切ったが、納得いかなかった。翌日、再度在庫を確かめに電話すると、修理センターへ聞いてくれと。
 いずれの電話もなかなかつながらない、時間をおいて10数回、ようやくつながったと思いきや3分ほどお待ち下さいと音声対応。長距離電話、料金も心配だ。ようやくつながった電話だが、けんもほろろ、「ありません。」

 一部品がないために、まだ十分使えるプリンターが動かない。こんな無駄なことがあろうか。
 ネットで調べたら、環境基本仕様欄には、
  ○補修用性能部品の最低保有期間 → 製品の製造終了後6 年
  ○消耗品の最低保有期間製品   → 製造終了後6 年 とあった。
 部品は、2011.9月に製造中止された。とすると、購入後6,7年で使えなくなるプリンターだったのか。おかしいと思った。
 法的にそうなっているようだ。メーカーの姿勢に納得できない疑問が残った。消耗品なのか。
  高価な6色インクも買ったばかりだ。泣き寝入りしかないのだろうか。
 趣味が主だが、町内の会議等の文書作成の仕事もある。せめて、同じインクカートリッジを互換できる機種を買い換えるしかないのか。

 ここまで書いてきたが、量販店の広告を見てみると、プリンターもずいぶん安くなったものだと思った。それに引き替え、インクの高いことに驚いた。
  資源再利用とか環境、エネルギーと論ずる時代、修理するより買った方が安いからとは整合性がとれない。

 

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眼の手術

2012-03-14 | Weblog

レントゲン撮影の更衣室でシャツ1枚になった。
大きな鏡に、普段あまり見ない自分の顔が映った。
あらためて、ずいぶん老いた自分を意識してしまった。

眼の手術を4月に控えての、諸検査だ。心電図も、遙か前の入院、大手術以来だった。
もうあの大病から9年になる。病巣中心に、大事な臓器をそっくり取ってしまった。
でも、おかげさまでここまで生き延び、幸せな毎日を送っている。

多少の不自由は仕方ないが、その後ずいぶんひどい後遺症に悩まされたこともあった。
 昨年夏から、急に右眼の視力が落ちた。いろいろ説明を聞いたが、これも後遺の一つらしい。でも、歳を取れば仕方ない病でもある。不本意だが背に腹は替えられない。
 午前中に入院、手術して、翌日には退院できる。前のことを思うと、簡単なことだ、やせ我慢しよう。

 いつもは患者でごった返している病院だが、午後は検査が主なようで実に静かだった。
 あらたまって入院中のことが浮かんで辛くなった。
 もう入院はしたくない。今更ながら健康のありがたさを思った。

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金色のコハクチョウ

2012-03-13 | 自然観察

 先日猪苗代湖で見た「金色のコハクチョウ」(3/11の拙ブログ)について
 SSP日本自然科学写真協会 画像掲示板に投稿した。  http://japan-inter.net/ssp/

 

早速、東海地方のツルリンさんからコメントをいただき、謎が解けた。
丁寧な、納得のいくコメントだった。最後には、「でも、原因がわかると夢を壊すようで申し訳ないですね。」とあった。

 私としては、なにしろ初めて見た金色で、しかも3・11でもあり、復興の兆しの黄金の使者かなどと嬉しい気分でいました。たしかに、夢が壊されたような気も・・・。
また一つお利口になれたような気がしている。

ツルリンさんのコメント
会津マッチャンさま
写真を見る限り、金色のコハクチョウの原因は、多分鉄分です。鉄分が多い水が流れ込んでいる田んぼや池などで採食していると、だんだんと色が染みつくようです。とくに池底などでは首を伸ばして鉄分の多い泥をかき回して食べる食事方法のせいか、首から上に多く色が染みこむようですし、水につかっている腹やお尻などの低い方も背中に比べて色が付いてきます。写真の個体はそんな感じに見受けられました。
私の住む東海地方では、俗にソブと呼ばれる鉄分の多い水を含む土壌のところがところどころで見られます。コハクチョウはあまり飛んでこないですが、来てそのようなところにたまたま居着くと、家族みんながこんな色になってしまうことがあります。金色を通り越して茶色になってしまうんです。
でも、原因がわかると夢を壊すようで申し訳ないですね。

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水鳥たちともお別れ 金色のハクチョウ

2012-03-11 | 自然観察

 

 午前中気温は低いが春の日差しが温かかった。
 家族で猪苗代湖のコハクチョウやカモたちを訪ねた。
 崎川浜にも、長浜にも水鳥たちの数は少なく、既に過半は飛び立ったようだった。
 コハクチョウはさかんに羽ばたきをしたり、湖底の水草を啄んでいるのだろ、逆立ちを繰り返していた。

 

 

 逆立ち

  孫たちにカモたちを観察させた。オナナガモに混じって、キンクロハジロ、ヒシハジロ、ユリカモメがちらほら浮かんでいた。

 キンクロ、ホシハジロ、オナガガモ♀

ユリカモメ

珍しい変色したコハクチョウを見た。頭から首筋、胸、尾がまさに金色、何年も観察していて初めて見た色だ。
汚れではない、こんな個体差もあるのだろうか。

 

カモたちも、湖水から一斉に飛び立ったり、舞い降りたりを繰り返して、間近な北帰行に備えているようだった。

  

  麗しの磐梯山も頂付近に雲ががかり始め、つかの間に中腹まで隠れた。
夕方から明日にかけて大雪の予報、数日は雪マークが並んでいる。

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放射線量の測定

2012-03-10 | 環境問題

未明、午前2時25分地震で目が覚めた。すぐにラジオのスイッチを入れると、緊急地震速報のメロディだ。高萩市で震度5弱だった。相変わらず毎日、何度も地震速報が入る。

 今朝は春の雪降りだ。庭に出ると、それほど寒さは感じない。
 きのうの冷たい雨よりも、気温は低いだろうが、何となく温かい感じがした。
  重たい雪に、黒竹が撓って倒れていた。杉の花芽も色づいて膨らみ、飛散も間近だ。
  BSが映らず、脚立を欠けてアンテナの春の雪を払った。

  数日前、4月の市内一斉清掃に伴い、町内の側溝を中心に放射線量を測定した。
 毎年春に、各地区ごとに町内の側溝、道路の土砂等を回収する行事だ。
  市から貸与された測定器で、地区内各所の側溝で、底から1cm,50cm,1mを測 定した。
  丁度寒い日で、手が凍えた。孫にノートに記録を付けて貰いながら約2時間、2日間にわたって20カ所を測定した。
 町内で計測した放射線量は0.16μSv/h~0.28μSv/h の範囲だった。
 特別問題となるような高い値はなかったので、予定通り時実施できそうだ。
  データを整理しながら、いろいろ考えさせられた。疑問も湧いた。この値は健康には影響ないのだろうか。
 国の被曝量の基準は,年間1mSvをこえてはいけないことになっているようだ。これはICRP(国際放射線防護委員会)の勧告を準拠にしている。
   計算してみた。
   0.16μSv/h → 0.16×24×365=約1.40mSv 
     0.28μSv/h →  0.28×24×365=約2.45mSv
 なんと年間1mSvを超えているではないか。原発事故で飛散した人工的な放射線量による値と考えて良いのだろう。怖い話だ。 
 我々は常に放射線を浴びている。調べてみると、ちなみにその自然放射線による被曝線量は、地域によって差はあるが世界平均で、1人が年間に受ける値は2.4mSv(ミリシーベルト)だという。
 また、人工放射線量は胃のX線検診で0.6mSv、胸部X線スキャンでは6.9mSvだ。してみれば、私の8年前の入院で受けたCT,MRIなどの検査はゆうに10回を超えている。かなりの被曝量だったのだ。癌を治すために、癌がふえるリスクをしょったのかも知れない。いずれにしても、低い被曝線量の健康へ及ぼす影響はよくわかっていないらしい。

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春の訪れ

2012-03-08 | Weblog

今年初めて春を感じた。
 板を組んで支えたツツジを掘り起こした。ヒモで束ねただけのドウダンの枝は、大分折れていた。
 今年の雪は、ドカ雪はなかったが、ほとんど毎日降り続いた。

 我が家の屋根はスレート敷きで、雪は落ちない。解けては積もり1m近く積もった下部は十数センチの厚い氷。今年は屋根先から1mも張り出し、スレート瓦が大分割れて落ちた。どもかく寒い冬だった。
 家の回りのゆるんだ雪を崩した。植え込みの雪を日当たりの良い駐車スペースに広げた。  ドウダンや、ユキヤナギの枝にカマキリの卵を幾つも見つけた。

掘り起こした万年青に真っ赤な実が付いていた。いよいよ春の訪れ、少し心が弾んだ。

 

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いのちを守る森づくり

2012-03-02 | 環境問題

   最近、宮脇昭氏の「いのちを守る森づくり 〜東日本大震災復興〜 」を視聴した。
 御高齢になられた先生の情熱を感じながら、今大変な問題である膨大な震災ガレキの処理について提言を見た。 
  http://www.youtube.com/watch?v=M3xDaV0BugU&feature=related

著名な生態学者、宮脇昭氏は、昔、私自身環境教育の教材に使った「植物と人間」(NHKブックス)の著者で、当時を懐かしく思い出した。
 その「はしがき」には、「植物と人間の関係といえば、・・・、多少関心のある人は、例えば箱根のヤマボウシの白い花は美しかったという。・・・」とあった。 それ以降、私はヤマボウシの花が好きになり、庭に植えた。もう30年も前,毎年可憐な花を咲かせている。

 また、「まとめ」に、「よりよく生きるための、健全な社会の発展の基礎は、自然の緑の必要性をみんなが共通に理解し、まず生きている緑の確保から始まる」と結んでいる。
 
 提案のがれき処理方法は、①がれきを選別(有害物質、不分解物を除く)し、②穴を掘って埋めて土をかぶせる。③そのマウンドに木を植える。と言うもの。
 氏は、ずっと以前から苗木を植え続け「防災環境保全林」を作っていた。土の中の微生物による分解、植えられた植物や樹木が緑の壁を作るのだ。
  やがてその林は、津波を軽減し、命を守り、明日の豊かな森を作るに違いない。http://ryuji.org/activity/images/2011/20110509_midori.pdf

  細野環境相は「日本人の絆」を強調して広域処理を呼びかけているが、難航している。でも、気の遠くなるような膨大なガレキを遠くまで運ぶより、また心配される放射能の広域への拡散も閉じ込められるこの方法は、まさに素晴らしい提言だと思った。被災地の状況もいろいろだろうが、ガレキを貴重な資源として再利用し、可能なところで宮脇氏の防潮林案を採用すればよいと思っている。

 

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