エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

初冬の崎川浜

2018-11-26 | 日々の生活

雪の季節は、いつもハクチョウに会いに崎川浜に行く。

今年は若松でも未だ初雪はない。今朝は、曇りのち晴れの予報。

ときどき雲の間から温かい陽が射すが、庭からの磐梯山は中腹から上は雲に隠れていた。

ようやく雲が切れたのは午後3時ころ、秋の日はつるべ落とし、じき暗くなるだろうが思い立って車を走らせた。

我が家から15キロほど、30分の道のり、白鳥浮かぶ湖水越しに、秀峰磐梯を思い描いてのことだった。

赤井のいつものポイントで秀峰をパチリ。

                  赤井から

崎川浜への到着は3時15分。落ちかけた秋の日が湖畔の草モミジを照らしていた。

   数十年前のスケッチ 

でも、湖水にお目当ての水鳥は全くいなかった。

 

 

                                                            

 

コハクチョウたちは、近くの田に集結して、残り水を突いていた。その数、ざっと150匹か。

静寂に、コ~ウ、コ~ウと泣き叫びながらの光景は壮観だ。

 

 

 

  

  

 背炙り山 風力発電

思えば、これまで夕方に訪れたことはなかった。湖水と田の往き来の時間帯はどうなのだろうか。

夜は危険のない水面で寝ているのだろう。

数年前までは、餌づけが当たり前に行われていたが、鳥インフルエンザ事件以来、水鳥たちの行動も変わったのだろう。

コンバインの収穫で、落ち穂などない田んぼで、エサは十分なのだろうか。

愛おしくてならない。

暮れなずむ空を仰いだ。美しい!美しい! 見上げれば、いつもこんな空があるのだ。

 

 

 いつもの雪の磐梯と、群れる水鳥たちを思い浮かべた。

【厳寒の崎川浜 今年2月22日】

    

 

 

 

 

 


飯盛山 さざえ堂へ

2018-11-24 | 日々の生活

たまに散歩のコースにする「さざえ堂」へ行った。我が家から東へ1キロほどにある。

さざえ堂の雪景色のスケッチを届けに、飯盛山主の飯盛正徳さんを訪ねた。

先日、隣組のお年寄りのお葬式があり、その夕食お使いの席で隣り合わせ、スケッチの話しになった。

  30数年前のスケッチ 「雪のさざえ堂」

今朝の気温は-1℃、雪の予報もあったが穏やかな日だったが気温は低かった。

ついでながら、久々にさざえ堂から白虎隊墓地へお参りしてきた。

3連休でもあり、結構観光客があった。

厳島神社 

洞門 さざえ堂を見上げる

 
東側から   西側から

 

  

戊辰戦争で自刃した白虎隊士の殉難忠節に対し第9代藩主松平容保公の詠んだ   弔辞の歌碑

                                                                                      幾人の涙は石に注ぐとも その名は世世に朽ちじとも思う

 

 

   終わりを告げるトンボの季節 白虎隊士の望んだお城を遠望、戊辰150年に思いを馳せた。

 

これまで存じ上げなかった飯盛さんだが、飯盛山と飯盛家の関連をネットで知った。

あらためて、さざえ堂について認識を新たにし、歴史の一端を知る機会となった。

何かすっきりした感じだ。

(参)  ○「さざえ堂と飯盛家」               sazaedo.webcrow.jp/sazaedoandiimori/
   ○ 会津さざえ堂:奇想天外な「らせんの迷宮」    www.nippon.com/ja/guide-to-japan/gu900008/
      
  
帰りは、雪囲いを終えた短大構内を通った。

飯盛山を振り返ると、背炙り山の風車群が見えた。黄色いメタセコイヤが箒のように秋の終わりを見せていた。

 

 


もの悲し晩秋 

2018-11-19 | 日々の生活

自転車で行けるいつものB地点へ。

穏やかな日に誘われた。キタキチョウ、用心深くなかなか撮影しにくい。

越冬種のキタテハ、ルリタテハ、キタキチョウが日向ぼっこ。

  キタテハ

  

ヤマトシジミ  ウラナミシジミ

ヒメアカタテハ モンキチョウ♂珍しく

アキアカネ♂ 

ヒヨドリジョウゴ  ススキの穂

 ヨシの穂 

 会津慈母観音像   久々に美しい姿に何をか想わん   飯豊連邦、うっすら雪化粧

  

 


大自然をテレビ鑑賞し小さな庭の自然と対話した

2018-11-18 | 日々の生活

日曜朝は、[さわやか自然]を視聴する。

いつも、今日は山だといいが・・・と思いつつ見ている。どうも海や川が多いような気がする。

今朝は「南アルプス 北岳 夏から秋」 

山梨県の北岳、県境で長野県と思っていた。標高3,193メートル、富士山に次いで日本で2番目に高い山。

カメラを傍らに置き、きれいな高山植物を楽しんだ。

     キタダケソウ

  

 キタダケトリカブト

懐かしいミヤマシロチョウ  学生のころ、東信の烏帽子岳で観察/飼育したことがあった。食草はヒロハノヘビノボラズだが、メギで飼育した。

     幼虫は巣を作り冬を越す   クモマベニヒカゲ

        

           

続いてみるのは「小さな旅」今日は八幡平だ。

 

       

  

 

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大自然に魅せられたあと、庭の小さな自然を眺めた。

小春日にテングチョウが下り立った。まだまだ寒さも序の口、来春まで元気でいられるほど新鮮だ。

これらすべてが雪に隠れてしまうとは・・・。想像もつかない。

    

コスモス  紫の花

  キンギョソウ

残りモミジ  ♂イチョウ

カリンきれいだ  クマシデの実

   ナンテン

 

 深まった秋、今日も、自然に癒されて暮れた。

 

 

 

 

 


一つの感動

2018-11-16 | 日々の生活

心のひだを残したかった。 虹を見た思いの一端を改めて・・・。

拙ブログ  磐梯山 初雪 (2018-10-31 | 日々の生活)より

 

虹の架け橋に 清々しい感動

 気圧配置は冬型、天気予報の通りに会津だけが時雨模様だった。

里山は晩秋から初冬へ、遠く磐梯を望んだ。山頂はずっと雲に隠れたままだが、雲の流れは速く、上空に青空が見え隠れしていた。

いつも訪れるカラマツの林は、春の芽吹きと、晩秋の黄葉とがことのほか美しい。

黄葉は少し早かったが、雌花の実はすでに茶褐色に成熟していた。

雪の降る前にもう一度訪ね、白秋の感懐「からまつはさびしかりけり たびゆくはさびしかりけり」を肌で感じたいと思っている。

流れる雲の間から、磐梯の山肌が真白に輝いていた。

突然、手前の小高い松林の稜線から、見事な虹が昇った。

消えかけたと思われた瞬間、赤、橙、黄、緑、青、藍、紫それぞれの色がはっきり、しかも暗い山脈を背に弧を描く架け橋が現れた。

この前に見たのはいつだったろうか。

大自然の幻想的な光のスペクトルに遭遇できて嬉しかった。柔らかな陽射しを背に受けながら、しばし清々しい感動に包まれた。(2018.10.31)

 


晩秋のお城 徳一菩薩に学ぶ

2018-11-13 | 日々の生活

「仏都会津の魅力をさぐるセミナー」に参加した。

第3回とあるが、最後に初めて知った。新聞記事で、白岩孝一氏の講演を知り、参加した。

駐車場を考え、1時間前に博物館へ。開会前に久々のお城を散策しょうと考えた。

既にサクラの紅葉は散り終えたが、鮮やかなモミジが石垣に映えていた。

 

 

 

 

 

 

博物館は屋根の修理中、秋月悌次郎の歌碑の横に、いつ建てられたのだろうか、新島八重のブロンズ像が建っていた。

 

今日のセミナーは最終回、2つのお話しを聴いた。

主催は、会津と奈良いにしえの絆継承委員会で、共催は徳一菩薩に学ぶ会。

かつての同僚、長い付き合いのある白岩氏は同会の副会長を務め、徳一研究家だ。

 「仏都会津の魅力をさぐるセミナー」

互いに教職を離れ15,6年になる。彼はその後、生まれ故郷の湯川村で、郷土の歴史を研究し、3冊の徳一関連の成果を著した努力家だ。

その間、小生はと言えば、小学生と一緒に小さな自然を追いかけていた。多少無為な人生を歩んだ。

彼の今日の演題は「仏都会津のいしずえを築いた高僧徳一」、彼の追求した徳一研究の一端を話された。

数々の歴史文献を研究し、徳一が会津に至った足跡を推定する歴史学の手法を知った思いがした。

丁度数日前に勝常寺を訪ねたばかりで、彼の今日の徳一の足跡に関する内容は興味深いものだった。

特に、徳一が東行した理由について、また、創業時の勝常寺の伽藍配置や、造営の目的、造営の主体は誰かなど、彼の推理を興味を持って聴いた。

拙ブログを見ると、ときどき徳一が書いてあった。

その都度興味を持っていたが、印象は・・・《徳一は難解》だ。

 勝常寺薬師堂(拙ブログ:「秋の勝常寺」11/7より)

 

その前の講演は、同じく奈良との会の副会長の志村氏。演題は「会津はまほろば 花と祈りの里」

先人が培った栄養を次代に伝えたい思いを話された。

講師の話す《花と祈り》を、花は〈自然〉に置き換え、祈りは〈長い歴史に育まれた会津〉に置き換えて想いを聴いた。

何不自由ない現代の精神文化を危惧されての話しだった。

聴きながら 懐かしい〈まほろば〉に思いを巡らせていた。

まづ思い浮かぶは、古事記にある 「倭(やまと)は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠(やまごも)れる 倭しうるはし」

次ぎに、歌が浮かんできた。 

まほろばの 野面に赤く 灯をともす 杏の花よ  
あふれゆく 春の息吹に 手を取れば 浅間の山も
一すじの 恋の煙を 今日もまた 空に捧げる

そうだ、「まほろばの国」だ。信州長野県の第二の県歌と言える歌だ。かつて信州にて知った歌だった。

ちなみに、ウィキペディアには、

まほろばは、「素晴らしい場所」「住みやすい場所」という意味の日本の古語。とあった。

 

穏やかな1日を過ごしたが、現実に戻された。

家に戻ると、町内のお年寄りの訃報が届いていた。またしばらく会議が続く。


晩秋のチョウ・トンボ

2018-11-12 | 日々の生活

1日陽に当てた白菜を漬けた。

昼を済ませ、あまりに穏やかな日に誘われB地域へ出かけた。

車で5~6分、家から約2キロちょっとのレンコン池付近、シーズンにはモートンイトトンボが発生する。

  

穏やかな晩秋に見かけたお友達は、キチョウ、ヤマトシジミ、キタテハ、ツマグロヒョウモン、ウラナミシジミなど、元気に舞っていた。

トンボはオオアオイトトンボ、アキアカネくらいだった。

ウラナミシジミ ハエの仲間

キタキチョウ 

  

♂   オオアオイトトンボ

ツマグロヒョウモンは最近、会津のどこでも見かけるようになった。珍しくなくなった。

 ツマグロヒョウモン♂ 

キタテハ サルトリイバラの実

ヤマトシジミ♂ 

 

近くなので、遠くまでは行かないとの約束で、ばーちゃんの許可が出た。

久々の一人散歩だ。小一時間、上着は要らない。シャツ一枚で穏やかな秋の陽を浴びながらの散策を楽しんだ。


カラマツ アキアカネ オオハナアブ

2018-11-12 | 日々の生活

朝のうち霧が濃かったが薄日が射してきた。

少し風があるがカラマツの黄葉を見に河東まで。

ついでに、最後の里山をと思ったが、ばーちゃんに強く止められた。

何とも春と秋のカラマツが魅力的だ。

 春の芽吹きのころ

すっかり黄葉したちいさな落葉松林

 

 

 

林の前の田んぼには、アキアカネのペアが群れをなして産卵を繰り返していた。

 

  

 

 ガマズミの実

 ♀  ♂

オオハナアブは秋遅くにもよくみかける。 真っ黒な身体に花粉がついている。

腹部に黄色い帯がある。大きな複眼の模様が気になる。

複眼が互いに接しているのが♂で、離れているのが♀。

  オオハナアブ

 

わずか30分ほどの滞在だが、至福のひとときだった。                   (2018.11.11)

 


秋の勝常寺

2018-11-07 | 日々の生活

久しぶりの小春日和、午前中庭で過ごす。

たけ君、最近登校時間が遅くなった。隣の学校、誰よりも家が近いが、部活練習が門田のテニスコートなので自転車で通学だ。

帰りも七時半になる。頑張れ!

先ずは、ばーちゃんの自転車のパンク修理、何十年ぶりか、取っておいたパンク修理セットで完璧だ。

 

  

庭もすっかり色づいてきた。午前中は、吹きすさぶ雪の北風の通り道を防ぐため、ブルーシートを張った。

もういつ吹雪が来ても大丈夫だ。

 すっかり弾けた ツバキ咲き始め

紅葉、ハクモクレン  オオハナアブ♂

  ニシキギ   ドウダン

 一段落して短大へ。 グランドでゲートボールに興ずるSige先生に会う。 ゲートボールと言ったら、「スマートボール」と訂正させられ、勧誘を受けた。

    

 向こうは飯盛山  サクラの紅葉

 

午後は、身知らず柿の発送で八百屋さんへ。例年信州の姉妹へ宅急便を依頼した。11/18開封だ。

ついでに、湯川村の園芸店へ、シクラメン3株、ビオラの苗十株、初めてのオキザリス3鉢(ピンク、黄色、紫)を購入。

一冬を楽しませてくれる。  ヒメアカタテハは、黄色が好きなようだ。

  

 

近くの勝常寺を訪い、境内を散策。 日だまりに赤トンボがいっぱいだった。 

 (参考:拙ブログ)   blog.goo.ne.jp/tosimatu_1946/s/勝常寺

薬師堂 

 

       

 

   

フジバカマ    

 

高野町の田にコハクチョウが羽を休めていた。。 

  

 穏やかな日、かなり働き、充実した1日となった。

 

    

 

 

 

 

 

 

  

  

 


西山温泉

2018-11-03 | 日々の生活

いつも気にかけてもらっている柳津の従兄弟に、快復した顔を見せた。

モミジ染まる山々も眺めたかったし、なかなか許しが出なかった温泉にも浸かってみたかった。

退院して2ヶ月、なかなか増えなかった体重も数キロ増えた。

車の運転もバンバン、ふらつきもなくなった。でも、管理人がうるさい。

 

只見川に注ぐ滝谷川の渓流 数ヶ月ぶり 馴染みの露天風呂

 

帰りに福満虚空蔵尊圓蔵寺を眺めた。紅葉の魚淵が美しかった。

魚淵はたくさんのウグイが生息し、国の天然記念物に指定されている。

下まで下りたのは小学生のころだったか。Hちゃんが逝って2年、懐かしい思い出が蘇った。

 

 魚淵

 (2018.11.2)

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庭のカリン モミジ 小菊を生ける  

 

 

大きな身知らず柿が届いた。秋が深まっていく。


戦場に散った 音楽学校の生徒

2018-11-01 | エッセイ

8月に放送されたNHKラジオ番組の再放送「五線譜に託した最期の想い」を聴いた。(9月29日(土) 午後4時05分~)

東京芸術大学では、近年、「学徒出陣」に関する調査を始めた。

(昭和18年(1943年)10月21日、明治神宮外苑の国立競技場)  

 

75年前に戦場に駆り出された音楽学校の生徒たちが残した楽譜について、

そして音楽を追求し懸命に生きた彼らの姿を聴いた。

ラジオに耳をかたむけながら、上田市郊外にある無言館が浮かんできた。

何年も前に訪ねた無言館での、戦場に散った画学生の絵や手紙などの展示を前に込み上げた涙を今も忘れない。

 無言館 (ネットより)  


絵画や音楽だけではないだろう、戦争に翻弄され散っていった有能な若い芸術家たちの無念さを思わざるを得ない。

今年は、巡った終戦記念日やお盆の8月には病床にあった。

手術を前に100回を迎えた甲子園での高校野球をテレビ観戦していた。

平和であればこその野球だ。

しかし、世界を見れば、今も各地で紛争が勃発し尊い命が失われている。

戦争を繰り返す人間は愚かだ。あらためて戦争の悲劇、そして平和の尊さを思った。(2018.9.30)


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(参)拙ブログ  「無言館の戦没画学生を思う」  2006-02-09 | 文芸

        blog.goo.ne.jp/tosimatu_1946/e/7e56f801ea91c80d6710798795c7a032